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中国からの声part4:64天安門事件30年目に・大きすぎて向き合えなかった宿題と向き合う。





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▲2019年2月〜世田谷パブリックシアターで

上演された翻訳劇「チャイメリカ」。

いままで天安門事件とアクセスすることのなかった人も含め

話題にする機会になった。





大きすぎて向き合えなかった64・あそこに私の友人もいた■




1989年6月4日、天安門事件の30年目の日。


「民主化を求める学生の運動が

中国政府によって武力制圧された日」

として、様々なメディアで報道されました。


対して 、

「民主化を弾圧した中国政府は酷い、

民主化運動を応援すべき」という

主張がある一方で

「青臭い学生の理想に乗せられた軽挙妄動」

「学生が知識人を排除して破局を招いた」という批判もあります



そのどちらからもこぼれ落ちてしまっているものを感じます。



私は中国の専門家でも研究者でもなく、

中国民主化のために四六時中ずっと活動してきた

訳でもないシロウトです。それでも

これだけは伝えておかなくてはと感じたことを記します。



自分自身のことを少々書かせていただくと、

元々はただの中国オタクです。


NHKスペシャル「シルクロード」や

「大黄河」に魅入られて中国に憧れ

1980年代ツアー旅行の訪問先で日本の過去の加害に直面し、

それでも日中友好を求める人たちと出会いました。


しかしその憧憬を1989年天安門事件で打ち砕かれ、

以来、中国に背を向けてきました。


2000年代、天安門事件の当事者である

中国人の友人の痛切な胸の内を知る機会を得ながら

その想いを活かす道を見いだせず、

あまりの問題の大きさにどう向き合っていいのかわからいまま

気がつくと事件から30年が経っていました。




あそこに、私の友人がいたんです。


それをずっと言えなかった。





「戦車男」とCHIMERIKAからのバトン■




この重い宿題に向き合う力を与えてくれた

直接のきっかけは、今年開上演された戯曲「チャイメリカ」でした。


天安門事件を正面から題材にした脚本を読み、

衝撃のあまり書いたブログ記事を通じて

思いもかけず得た新しい友人たちとの出会いが

背中を押してくれました。



中国の友人との縁などについての記事シリーズはコチラです↓

中国からの声part1:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~


中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~


中国からの声part3:天安門事件のキッカケになった胡耀邦の死。日本人に託した「遺言」とは??




■伝えたいこと


そしてさらに、天安門事件に関わった人達に

この30年ずっと深く想いを寄せてきた友人とも

長いやり取りを交わし、多くのことを知りました。



ひとつは、あの民主化運動は

「学生だけの独りよがり」ではなかったことです



食料や水やアイスキャンディーを差し入れる北京市民がいて、

全国から応援の労働者が駆けつけたそうです。


ゴルバチョフ書記長の訪中取材に来た

外国メディアによって「天安門で革命が起こっている」

と大々的に報じられたあの光景。

広場前を埋めて「応援」の横断幕を掲げて歩む

途切れない数十万の人の波の映像は

その人たちの姿だったのです。


だからこそ2か月もの長い間運動が継続したのです。



改めて映画「天安門」を見返すと、

3時間の長尺の中で、その姿が映し出されています。



たとえば人民解放軍が介入しようとした当初

兵士に呼びかける労働者たち。


「学生が何か間違ったことをしてるなら、

俺たち労働者がぶちのめしてやる。

だからお前たち(兵士)の出る幕じゃない。

帰れ帰れ」、と。



人民解放軍の車両を囲んで止めようとする市民たち

「あなたたち、何をしようとしているか

わかっているの?兄弟なのよ?」


解放軍は2日間足止めを食らって一歩も動けず、

市民や子供達から手渡しで食べ物や花を

差し入れられて、ついには泣きながら

市民と握手を交わしつつ撤退していきます。



学生市民たちと地面に車座になって

解放軍の歌を一緒に歌い上げる兵士の姿もありました。

「人民解放軍は、人民から髪の毛一本も奪わない」と。


少なくともこの時5月は、まだ解放軍は人民のものだったのです。




6月4日未明の虐殺の後、

戦車の前に立ちはだかって止めようとした彼は、

「解放軍の本来の姿を取り戻してくれ」と

言いたかったのではないか。


そして実際に、制圧命令を拒否して実刑を受けた兵士もいたのです。



戦車男の背中にも前にも、おそらく無数の戦車男が存在したように、

無数の無名の抵抗者たちがいた。



もちろん、そうであるがゆえに、事件によって

人生を暗転させられた労働者や市民も大勢いました。


だから決して綺麗ごとではないのは百も承知しています。




しかしそれでも、歌い継がれる希望があることは伝えたいのです


今もなお、中国本土・台湾・香港で、

天安門事件に寄せて歌い継がれている曲に託された希望は、

活動家だけのものではない、ということを私は友人から教えてもらいました。



このことは、ぜひ伝えたい。



同時に改めて考えたい。


あの流血の事態は避け得なかったのか?

あの時あの場所で何が起こっていたのか?

何を求めて、何が変わり、何が残ったのか?





一挙に書くには体力的時間的に制約があるため、

この6月、じっくり向き合ってひとつずつ

形にしてきたいと思います。



おつきあいいただけると幸いです





【参考史料】


◆映画「天安門 THE GATE OF THE HEAVENLY PEACE

リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン共同監督/1995年公開

◆「天安門 十年の夢」 譚 璐美 著/1999年新潮社

◆「八九六四 天安門事件は再び起きるか」安田峰俊著/2018年角川書店

※「天安門」は評価が分かれる映画ですが、

その限界を踏まえつつも、 過去80年の歴史的映像と250時間以上の膨大な現場の映像資料は必見と思いますので取り上げています。

またその他に、ニュースソースとして主にAFP通信を参考にしています。AFPはどんなに危険でも現地に記者を送って記事を配信するのを原則としているので、信頼できるメディアと考えています。



今日は本当にまとまらない文章でごめんなさい。

ブログ記事の文字制限が200,000字と表示されて大幅に削らざるを得ず、

とにかくそれでも今日は発信することが仁義と思い上げさせていただきました。



byしゅくらむ

シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!




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by shuklm | 2019-06-04 23:58 | 中東・アジア・イスラム世界からの声 | Comments(0)

中国からの声part3:天安門事件のキッカケになった胡耀邦の死。日本人に託した「遺言」とは??



1■天安門事件の遠因に日中友好があった…!?■




前回記事

中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~

https://syuklm.exblog.jp/29287187/ の続きです。



ソ連のゴルバチョフ書記長が口火を切り、

燎原の火のように瞬く間に広まった

1989年東欧民主化運動の奔流。



同時期に中国でも民主化を推進しようとしたのが、

当時の総書記・胡耀邦(こようほう)でした▼

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しかし保守派の反対に遭い、道半ばで失脚、

19894月死去。


その死を悼む学生・市民たちが自主的に

天安門広場に集まり、民主化運動が始まります。


彼らが求めた要求の1つが、

「胡耀邦の名誉回復」でした。




なぜ彼の死が民主化運動の発火点となったのか?

彼がやろうとしてたのは何だったのか?



その肉声を伝えるドキュメンタリーがありました。


▼NHKスペシャル スクープドキュメント

「総書記 遺された声~日中友好45年目の秘史~」

(2017年放送)

貼り付け元 <https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017082010SA000/>



見返してみて改めてハッキリ認識したのですが、

失脚の原因は民主化のためだけではなかった。

最大の理由は、日中友好を推進しようとしたから

だったんです。



胡耀邦は国内民主化改革と同時に、

日中関係の改善に政治生命を懸けていました。



それがために党内保守派から解任されてしまう

こととなるのですが、彼がどのように難局を

乗り切ろうとしていたのか、

極秘外交文書や関係者の新証言などによって

番組で明らかにされています。


見応え充分なので全部視聴いただきたいのですが、

今回ぜひフォーカスしたいのは、

日本の私達と天安門は全く無関係ではなく、

胡耀邦という回路を通じて繋がっていたということなんです。




なぜ胡耀邦は日中友好をそれほどまでに

実現しようとしていたのか?


それについて、彼自身が日本人に向けて

遺言ともいうべきメッセージを残していました。


そこに、今の日本に生きている私たちにとって

大きなヒントがあると感じましたので、

ご紹介させていただきます。



(実在人物のセリフは番組より書き起こしていますが、

この文章については番組に学びつつ筆者が補足し

噛み砕いて書いておりますことご承知おきください。

なお、胡耀邦個人を祀り上げる意図はないことを申し添えます)






2■なぜ胡耀邦は民主化と日中友好を推進しようとしたのか?■




民主化改革を進めようとしたのは、

「文化大革命」での、胡耀邦自身の

過酷な体験から得た教訓ゆえでした。



文化大革命とは、1966年、

毛沢東が実権を奪還するために

若者に直接「反革命分子の摘発」を

呼びかけて発動した、

中国全土を揺るがした大衆動員運動です。


「反革命・ブルジョワ」と認定された人達は、

政治家から宗教者・市民・労働者にいたるまで

罪の印の三角帽子と看板を被せられ

街中を引き回されました。

 


胡耀邦も自己批判を迫る集会で吊し上げられ、

地方で3年間、農作業等の労働に従事させられます。


極端な思想と群集心理の暴走を目の当たりにした

胡耀邦の信念はここで培われます。




それについて、

元・毛沢東秘書で胡耀邦と交遊も深かった

李鋭氏(100歳)が語っています。


「胡耀邦は話していました。


『誰かを盲目的に信じるのではなく、

独立した思考であるべきだ。

党 組織 国家はみな、

正常化 民主化 法治化すべきである。

1人の人間の言ったことがすべて

ということに反対しなければならない』、と」


(胡耀邦の言葉を書き留めたメモより)






党中央に復帰し、共産党総書記(最高指導者)に

就任した胡耀邦は1986年、

「百花斉放・百家争鳴」を提唱します。



いろいろな花が一斉に花開くように、

様々な思想・意見を自由に発表し論争することが

人民の利益に繋がる、という意図でした。


毛沢東時代に一度頓挫していたこの運動の

復活は大歓迎され、

胡耀邦は「開明的指導者」として支持されます。


「天安門世代」にとっては、民主化の守護者と

映ったことでしょう。






そして胡耀邦が同時に掲げたのが、

「報復主義の克服」でした。



二次大戦後、例えばソ連は国際法に違反して

日本人捕虜のシベリア抑留などの報復的措置を

いますが、中国共産党指導部はそうしませんでした。




1972年、田中角栄と周恩来の間で実現した

日中国交正常化の際も、中国政府は

「あの戦争で悪かったのは軍部であって

日本人が悪いわけではない」という

スタンスを取っています。


その際発表された日中共同声明において、

日本は「戦争を通じて中国に重大な損失を与えた

ことについての責任を痛感し、深く反省する」

中国は「両国国民の友好のために、

日本に対する戦争賠償請求を放棄する」

これが戦後日中関係の基礎である、と

宣言されました。




これによって、

日本から中国への経済支援が始まります。


ある意味手打ちにしたわけですが、

党内にも納得しない声が少なからずありました。



胡耀邦はそれに対して、

「国家の主人公はあくまで人民である。

日中のためだけでなく、

世界のためにも日中友好を進めたい。

日本国民と中国人民が対立する必要はない」と、

説き続けたそうです。


日本に中国が報復すれば、

世界中の国々でも報復が止まらなくなる。

それはもうやめよう、

報復の連鎖を断とうと言いたかったのではないでしょうか。




日中国交正常化から10年後に

胡耀邦が総書記に就任した1982年、

日本は既に目覚ましい戦後復興を遂げるだけでなく

世界第2位の経済大国に躍進していました。



一方、文化大革命等で疲弊していた

当時の中国の国力は、日本の4分の1程度。


経済を立て直し近代化するため

改革開放経済を進めようとした胡耀邦は、

日本の資金と技術力を必要としていました。


タテマエとかイデオロギーでなく、

有用なものはどんどん採り入れる現実路線は、

プラグマティスト鄧小平路線の継承でもありました。





しかしここで胡耀邦は、現在の日中関係に連なる

困難な課題に直面することになります。


いわゆる「歴史認識を巡る問題」です。





3■日中友好・「偏狭な愛国主義」を超えて■




胡耀邦が総書記に就任した年、

日中の間で初めて歴史認識を巡る対立が起きます。



1つ目が歴史教科書問題。



これは、文部省検定の高校用教科書で

中国への「侵略」が「進出」に書き換えられた、

誤って報じられたことがきっかけでした。




最高指導者である胡耀邦の方針とは裏腹に、

共産党機関紙「人民日報」が対日批判キャンペーンを開始します。


これは、長く党を牛耳ってきた八大元老

(革命世代の陰の実力者達)によるものでした。


特に、胡耀邦の政策に反対していた保守派の重鎮・

陳雲の影響下に置かれていた人物が

この対日キャンペーンを指示していたことが、

外交機密文書から明らかになっています。



さらに中曽根首相が現役総理として初めて

靖国神社に参拝すると、 

首都北京で数千人規模のデモが発生。


「日本の軍国主義復活反対」「中曽根打倒」を

叫び、デモは天安門広場にまで及びました。




背後の味方からも弾丸を喰らう形で

最大の試練に晒された胡耀邦ですが、

その信念は揺らぎませんでした。


あらゆる手段を尽くして

対話と状況改善に動いていたことが

番組では詳細に取材されています。




胡耀邦の元側近・阮銘氏は、

日中関係における愛国主義について

語っていたことを覚えているそうです。


「胡耀邦は一貫して、極端な民族主義と

狭い愛国主義に陥ってはならないと主張しました」




中国残留日本人孤児を題材にした長編小説

「大地の子」の取材で訪中した作家・

山崎豊子氏との会談の席でも、

胡耀邦は語っています。



「愛国主義を提唱しているのに

世界各国の人々に友好的でないなら、

これは愛国主義とは言えません。


国を誤るという『誤国思想』、

『誤国主義』です。


みなさんには『誤国主義』を

防いでほしいと思います。


私たちも『誤国主義』を

防がなければならないのです」




困難な歴史問題について、

時間が解決すると考えていた胡耀邦が

希望を見出していたのは、日中の若者たちでした。


3000人の日本の皆様を中国に1週間招待します」

と宣言し、日中の若者同士の大規模な交流事業を実現させます。

この事業に参加した若者達が、

次世代の政治家となっていきます。



また、翌年の靖国参拝を中止した中曽根首相を

北京に招き、握手を交わしています。




しかしこの2か月後、胡耀邦は

対立を続けてきた八大元老によって

党書記を解任されます。



解任の理由として伝えられるのは6項目。

中でも、

「日本青年3000人を独断で中国に招いた」として、

外交姿勢が独断的だったのが理由の一つとされました。




中国社会科学院日本研究所の初代所長 

何方(かほう)氏は証言します。


「胡耀邦たちは中日友好を主張していましたが、

これは一致した方針ではありませんでした。


彼が不幸だったのは、最高権力者となった時

実際に権力を握っていたのは、鄧小平と

保守派の陳雲、長老2人だったことです」。





この解任劇は、のちの共産党指導者たちに

「親日的な政策はリスクになる」ということを

刻印することになりました。




解任の3か月前の1986年10月23日、

胡耀邦は山崎氏との最後の会談で

自らの運命を悟るかのような発言を

録音テープに残しています。


「より若い人と友達になってください。

私が4年後にいるかどうかわかりません。

3年後にいるかどうか…」




李鋭氏

「胡耀邦なき後、再び過去の

中国の状態に戻ってしまいました。

言いたいことが言えなくなったのです」。




胡耀邦の息子・胡徳華氏は訴えます。


「父は深く心に決めていました。

人様が何と言おうと、

いかなるレッテルを貼られようと

いかに多くの犠牲を払おうと、

中国や人民のために 

断固として日中友好を進めると」



総書記を解任された後も、

日本の情報を集めるなど、

その情熱は衰えていなかったそうです。


しかし1989415日、政治局の会議中に倒れ、

そのまま帰らぬ人となりました。




その死を悼む学生や市民らが

花や遺影や花輪をそれぞれに掲げて街頭に溢れ、

天安門広場を埋め尽くしました。


「自由万歳!」「民主万歳!」

「胡耀邦同志は永遠に不滅だ!!」



そして64日、天安門事件ーーー。




こうして近年まで胡耀邦は、

天安門とともに中国でタブー視され

封印されることになったのでした。





4■天安門と親日リスクと愛国教育■




事件後、中国政府は急速に愛国主義を

強化していきます。



天安門事件直後、鄧小平が発表した講話です。

「この10年間の最大の過ちは教育にあった。

これまでの苦しい道のり

かつて中国がどのようであったか

そしてこれからどのような国に

なっていくべきであるのかについて

わずかな教育しか行わなかったのだ

これが我々の甚だ大なる過ちだった」。




この路線転換について、

東アジア研究の世界的権威で

鄧小平についての著書もある

ハーバード大学名誉教授の

エズラ・ボーゲル氏が指摘しています。


「天安門事件が

その後の日中関係を決定づけた」と。



ボーゲル氏

「天安門事件のあと、中国を統一するために

(指導者たちには)学生は本当に我々の指導者を

支持するかどうか疑問があった。

愛国主義の教育が必要と考えたのだ」

「愛国主義が始まってから、

一番効果があるのはやっぱり

反日の気持ちが根強かった」。





いまもなお両国の間には、

複雑な関係が横たわったままです。



首相の靖国神社参拝への中国の反発。

一方、尖閣諸島領有化や海洋進出に

脅威を感じる日本人も増えています。


2016年に言論NPOが実施した世論調査では、

相手国に対する「良くない印象」

日本91.6

中国76.7

という結果が現れました。




5■天安門から受け取ったカケラを活かす道は?■




胡耀邦が日中友好実現のため尽力していたことを、

日本人に未来を託そうとしていたことを、

日本の私達はどれくらい知っていたでしょうか?



私はこの番組を見るまで知りませんでした。



胡耀邦が政治生命を懸けた日中友好が、

胡耀邦の政治生命を奪った。

それが民主化運動、ひいては天安門事件の

引き金となった。

その反動が、中国共産党支配の正当化のための

反日愛国主義路線を選択させることとなった。


そして、「天安門事件こそが現在の

日中関係を決定づけた」のだとすれば。



日中関係が冷え込んでいる今だからこそ、

改めて噛み締めたいのが、このワードです。


「愛国主義を提唱しているのに

世界各国の人々に友好的でないなら、

それは愛国主義ではなく『誤国主義』です。

みなさんには『誤国主義』を防いでほしい。

私たちも『誤国主義』を

防がなければならないのです」



日本人に託された遺言のようなこの言葉は、

時代を超えていまなお胸に迫ってきます。



私はこれを受け止めたいと思いました。




ココで私達が誤国主義(偏狭な愛国主義)に

陥ってはならないのです。




互いが誤国主義(反日VS嫌中)で応酬すれば、

中国政府内の反日路線を正当化させる根拠を

与えることになる。


党内の反日強硬派・保守派の基盤を強化し、

穏健派・改革派の力を削ぐことになってしまう。




だから、誤国主義に陥らないこと、

つまり、ヘイトをしないこと。


それが胡耀邦の「遺言」を活かすことであり、

天安門で潰えた目標を少しでも実現に近づける道

なのではないでしょうか。



いまの私たちだから、出来ることがある。


ヘイトを直接やめさせることは難しくても、

自分がしないことは今すぐ始められる。


知らなくても理解できなくても、排除しない。

「?」と感じたら、イイねやリツイートやシェアをしない。

「知らないから怖い・わからないから嫌い」を、

なんでそう思うのか?それはどこから来たのか?と

一瞬立ち止まって再考してみる。




ひとつひとつは小さな選択に過ぎない

かもしれませんが、

逆のベクトルに世論が雪崩打って暴走するのを

止めることができるのは、

そういう日常の小さな小さな選択の積み重ね

なのではないでしょうか。




チャイメリカやこの番組を通じて私達が、

遠く離れた天安門から受け取った

カケラがあるとするならば、

それを活かす道は私達ひとりひとりの

手の中にあると思うのです。




#チャイメリカ






【参考】

◇NHKスペシャル

「総書記 遺された声~日中友好45年目の秘史~」

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017082010SA000/>

NHKオンデマンドで配信中!

49分間の番組で単品216円なのでサクッと見れます。

いや別にNHKの回し者ではないですよ、念のため!()

良質の番組を作っている方々を応援したいだけです。



◇ワイルド・スワン ユン・チァン著

◇私の紅衛兵時代 陳凱歌 著




【当ブログ内関連記事】

中国からの声part:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~

https://syuklm.exblog.jp/29269982/






byしゅくらむ&サラーム


※お恥ずかしいのですが、
今回のイラストは筆者しゅくらむと
パートナーのサラームの合作です
胡耀邦の情報が少なくて、でもやっぱり
だからこそイメージをお伝えしたく。
お目汚し失礼しましたm(_ _)m


シュクラムはアラビア語で「ありがとう」、
サラームは「平和」。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、
感謝をこめて。
シュックラム!
そしてアッサラーム!(平和あれ)




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by shuklm | 2019-03-05 07:55 | 中東・アジア・イスラム世界からの声 | Comments(0)

中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~



1■当時の中国はどんな日常を生きていたのか?■




前回記事

中国からの声part:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~

https://syuklm.exblog.jp/29269982/

をキッカケに、


「実は自分も中国とかかわりがあった」と

打ち明けて下さる方が何人もいらっしゃいました。



あまりにも問題が大きすぎて重すぎて、

容易に口にすることが出来なかった。

それは私も同じです。



また、「チャイメリカを観て初めて天安門のことを

知った」という反応も少なくありませんでした。



生きてきた年代によっても全く認識が異なる、

そういう人間同士が想いを交わし合う

キッカケを与えてくれた舞台「チャイメリカ」。

俳優さん、関係者の方々には感謝しかありません。




いまだからこそ、ささやかでも

ベーシックな土台を共有したい。



改めて勉強しなおして

膨大な情報量に溺れそうになりつつも、

ビギナーの方にもなるべくわかりやすく

専門的になりすぎないよう、

また多少なりともご存知の方にも

叩き台となるよう、試みてみました。




では、

あの広場に集ったのは、どんな人達だったのか?


あの頃の中国の人たちは、どんな街に暮らし、

どんな日常を送っていたのか?




百聞は一見に如かず、

まずはぜひコチラを観て下さい。



イギリスのポップデュオ・ワムの

公式MVに収められているのは、

1985年の中国ツアーの様子です。


ロードムービー的映像から

当時の雰囲気がリアルに伝わってきます。


▼Wham! - Freedom (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=BFwOs-jy53A>






改革開放前、まだ個人の外国人渡航が

許可されていなかった頃。



素朴で無邪気で恥ずかしがり屋で

気難しくて気さくな人たちの姿は、

私が1987年に見たそのままの光景でした。







2■「西側」に初めて出会った若者たち■






Wham!は、英米のアーティストとして

初めて大々的に中国で公演を実施。


つまりそれは、

東西冷戦期に建国した中国の人達が

初めて触れた「西側音楽」でした。



MVのクライマックス、

世界的ヒット曲「freedom」の熱唱に、

最盛期ブリティッシュポップの熱量と、

生で出会った「西側音楽」に思わず

共振する中国の若者たちの姿に、

胸アツと同時に切なくなります。



ビートルズが初来日した時、熱狂のあまり

失神者続出した頃の日本を彷彿とさせます。

(さすがにその当時をワタシは

リアルタイムでは知りませんが(^^;)





まさにここに映っているような若者が、

天安門広場に集った学生リーダーたち、

王丹やウアルカイシや柴玲などの

自由を信じ希求する「天安門世代」に

繋がっていったのでした。





学生リーダーの1人だった

新疆ウイグル自治区出身のウアルカイシは、

映画「天安門」のインタビューで語っています。



「建国されてから40年で、僕らが初めてだ。


強く海外に憧れる世代、

党の指導者を批判する世代は。



僕らに何がある?


目指すべきゴールもない、

上の世代(革命世代)にあった理想主義もない。



僕らは何を求める?


ナイキ・シューズ、女の子と遊ぶ時間、

出口を求めて討論する自由、

そして社会からの尊敬だ」。




それは、時代状況に強く後押しされたものでもありました。







3■時代背景:確実に変わっていた空気■







天安門事件を理解する上で

この時代背景は外せないと思いますので、

あえてざっくりまとめさせていただくと。




時は、東西冷戦終結の直前。



アメリカとソ連の核軍拡競争のエスカレートで、

ターミネーターや北斗の拳で描かれたような

「核戦争による人類滅亡の危機」が

リアリティを持っていた頃です




1985年、当時の

ソビエト連邦共産党書記長(最高指導者)に

ミハイル・ゴルバチョフ氏が就任。


核軍拡と経済危機とチェルノブイリ事故で

疲弊した国内の立て直しのため、

ペレストロイカ(政治改革)を掲げ、

西側諸国との対話外交を開始。


東側陣営(社会主義・共産圏)と

西側陣営(西欧など自由主義圏)との

軍事的緊張の緩和が進むと同時に、

体制維持のために長く押さえつけられていた

自由に発言出来ない社会への不満、

共産党一党独裁への批判が噴出。



それは、1989

11月の東西ベルリンの壁の崩壊に象徴される

「東欧共産圏の終焉」の始まりでした。



この同じ年、6月から12月までの僅か半年間に、

ポーランド・東ドイツ・ハンガリー等の5国が

雪崩を打って共産主義の旗を降ろすという激変の年となります。



多くの国で、天安門広場のような

国会前にあたる広場を数万人単位の民衆が埋め、

民主化を求めてデモやストライキ等で訴えました。



チェコスロバキアやポーランドのように

政権の平和的移行を軟着陸させた国もあれば、

ルーマニアのように市民と治安部隊の市街戦の末に

チャウシェスク大統領の処刑という形に

帰結した国もありました。



天安門事件はまさにその1989年6月に起こり、

「民主化を弾圧する共産主義」への

世界的失望によって

東欧革命にも強烈な影響を及ぼしたのでした。





ではなぜ、中国の学生たちが望んだような

素朴で若者らしい欲求は、

流血の事態に帰結しなくてはならなかったのか?


あの広場での7週間、何が起こっていたのか?


流血を回避する方途はなかったのか?


その先の展望はどこに存在するのか?





続きはまた数回に分けて

少しずつお伝えしていきますね。




次回は、

天安門事件の直接のキッカケとなった

改革派・胡耀邦の死と、

日本人に託されたメッセージについてです。


彼の「遺言」を辿ることで、

天安門と私たちが繋がる回路と

希望が見えてくると思っています。




おつきあいいただけますと幸いです。







なお私自身の立ち位置を表明させていただければ、

中東やアジアでの欧米の振る舞いを見るにつけ、

いわゆる西欧的な「自由と民主主義」について

無条件に支持することはできないし、

市場自由化と経済成長がすべてを解決するわけでは

ないとも考えています。


しかしそれを何の労苦も無く享受してきた自分が、

中国の人たちがそれを希求するのを

止めることは出来ないとも思っています。


それゆえ、

「中国共産党一党独裁さえ倒せば全て解決する」

などと短絡的に外部から批判するのではなく、

広場に集った人が何を望んでいたのかを伝え、

出来る限り客観的な史実と

出来る限り内在的な考察を綴ることで、

ほんの少しでも、かの地の人たちの力になりたいと願っています。




#チャイメリカ





【参考】



◇映画「天安門 THE GATE OFTHE HEAVENLY PEACE

リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン共同監督 1995年(日本配給:UPLINK



◇人々の声が世界を変えた!―特派員が見た「紛争から平和へ」

伊藤千尋 (著) 2002/10 大村書店発行

東欧民主革命の市街戦の命懸けレポ有り。

著者の伊藤さんと私は

政治的見解が必ずしも一致しない部分もありますが、

現場に身を置くジャーナリストの方々には心から敬意を表します。


Amazon▼

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今回紹介の動画の情報提供は、

この中国シリーズを書く手助けをしてくれた

台湾にゆかりのある恩人からです。

深く感謝です!!





byしゅくらむ



シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2019-03-02 21:23 | 中東・アジア・イスラム世界からの声 | Comments(0)

中国からの声part1:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~



1■中国の人たちの想いを知っていますか?■



突然、中国の話を始めるのをお許しください。



天安門事件を真正面から題材にした

舞台「CHIMERICA チャイメリカ」に

触発されて書いています。


チケット完売で観劇できず

脚本を読んだだけなのですが、それでも

立ち上がれないほどの衝撃を受けました。


その一方で、

政治的に色のないと思われる層の方からの

「やっぱりあの国ヤバい」という反応を見かけ、

天安門事件にかかわった中国の人の思いを

直接聴いた自分としては、どうにも

居ても立ってもいられず、

拙いことを承知で発信します。




▼「悲劇喜劇」20193月号

チャイメリカ脚本全編が収録されています

b0343370_21193993.jpeg



私自身は、198964

天安門事件の時は大学1年生、

リアルタイムで日本で

ニュースを目撃した世代です。



民主化を求めて、

中国政治の中心地の直近・天安門広場を埋めた

120万人の学生・知識人・市民たち。


この非暴力の訴えを、中国政府は

人民解放軍の戦車部隊の出動と歩兵の発砲で、

2千人とも3万人ともいわれる流血によって

強制終了させました。




この時、世界中に衝撃を与えたのが、

戦車隊の前にたった一人で立ちはだかって

止めようとした無名の中国人男性、

Tank Man(戦車男)」の姿でした。



私はこの映像や写真を見る度に、

今でも涙を抑えることが出来ません。



高校時代に勢いでツアー旅行に

参加してしまうほどの熱狂的な

中国フリークだった自分は、

あの6月に完膚なきまでに叩きのめされ、

以来ずっと「気になっていても近づけない」

胸に刺さった棘のような状態でした。




事件から10年以上経って、

中国が一気に経済成長した2000年代。


偶然、友人となった中国人の男性と、

天安門事件や中国政治の現状や

思うところ等を話す機会を得ました。



ほんの一瞬の交流ですが、その肉声を

とにかくお伝えしておきたく記します。





2■垣間見えた本音は…■





30代の中国人男性チャンさん(仮名)との

会話のキッカケは、経済についてでした。


1992年、中国政府が

「社会主義市場開放経済」に完全に舵を切った後、

瞬く間の経済成長と建設ラッシュで、上海には

イーストタワー(当時アジア1の高さ)そびえ、

街中がコカコーラやマクドナルドの

広告で埋め尽くされ、

何よりも人が変わっていました。


開放前の1987年に訪中した時は、

「写真撮っていい?」と聞くと

都会の上海の中学生の子ですら

恥ずかしがって「キャーー」と

顔を隠して逃げていたのに、

2000年代には地方都市の子でさえ

自分から日本語で話しかけてきて、

「ミッキーマウスが大好きで

観光ガイドになりたい」と

誇らしげに一緒に写真におさまっていく。


短期間で激変した中国社会を、

中国人自身はどう捉えているのだろう。


「今の中国をどう思いますか?

中国はこれから先、

どうなったらいいと思いますか?」

と尋ねるとチャンさんは、


「もっと経済的に豊かになること。

それから、共産党以外の政党が、

あと23つ出てくること」。



さらなる経済成長と、複数政党制に

展望を持っているのなら、

共産党の一党独裁体制に

ついてはどう思っているのだろう。

思い切って踏み込んでみました。



1995年公開のドキュメンタリー「天安門」で、

学生リーダー達が語っていた

自由化・民主化への希望や

経済格差・党幹部腐敗の是正。

そして運動の内情について

どう思う?と水を向けると、

少しの間を置いてから

彼は私に告げました。



「私、その時、天安門にいたよ」


「えっホントに!? いつですか??」


4月から64日まで」



なんと!


民主化運動が始まった時期から

学生達が人民解放軍に排除される

衝撃の結末の日まで現場にいた当事者と、

偶然にも会えるなんて!




当時、彼は北京の大学の学生で、

特別に政治的関心があった訳ではなく、

友達に誘われて座り込みに参加。


それでも、「これは何か大変なことが

起こっている。見極めたい」と、

毎日通い詰めたそうです。


戦車が広場を包囲した時には、

学生達はその前に身を投げ出して

侵入を阻止しようとしていた。


北京にある70以上の大学の

大半の学生が参加したこの運動は、

市民の7080%以上が支持していたと思う

…と彼は語りました。


実際、運動の最盛期には、

学生を支持する1000万人もの市民が

中国全土で街をデモ行進し、

その数は北京だけでも100万人以上に

達していました。


デモに笑顔で応える、地元北京の兵士もいた。

膠着状態の中、学生リーダーと党の穏健派との

話し合いによる解決も模索されていました。


しかしそれらは全て、理不尽な

暴力によって断ち切られたのです。


北京の兵士達は広場突入前夜に総入れ替えされ、

前線に配置されたのは

北京語の通じない地方出身の兵士達。



そして人々に降り注いだ、

威嚇なしの一斉水平射撃…。





チャンさんはふいに、

「私、いま政治に、全然興味ないよ」と

この話を終わらせるかのように言いました。


しかし、それまでずっと私の目を見て

話していた彼が目を伏せたので、

彼の中に未だくすぶっているものが

あることを感じました。


嘘だよね?


一切興味が無いなら、

そんな眼はしないよね??


なおも食い下がる私に、

彼は中国の政治の実態を明かしてくれました。





3■中国の政治の現状は…■




例えば、選挙。


中国でももちろん選挙権は認められている。

日本の国会に当たる人民代表大会の

代表者は、各地方から選挙で選ばれる。


しかし実際には、候補者の名前しか公示されない。

どこに住んでいて、何歳で、

どういう業績があって公約は何か、

といったことは誰も知らない。


性別すらわからないのに投票する。

(中国名は漢字表記だけでは

男女の判断が出来ない)


しかも投票結果は最初から決まっている。




あるいは、党幹部の特権。



例えば不動産売買について、

自分と持ち主が1平方m1万円で契約したとする。

契約書を作って、代金を払って、所有権が移る。


ところがその後に建設大臣の息子が

「その土地、1平方千円で」と所望したら、

全部チャラにされてしまう。



こんなことはいくらでもある…と。



こうした実情の一部を聴いただけで、

彼が政治的無関心になるのも

無理はないと思わざるを得ませんでした。


まともな人ほどやってられないでしょう。





天安門に集った人達が求めた事のうち、

確かに経済や文化の自由化は実現しました。


しかし豊かな人は更に富み、

貧しい人はより貧しくなっている。

モラルはどんどん悪くなり、

若者はファッションと音楽のことは

よく知っているけれど、情報は規制されている。

悲願の民主化の扉は固く閉ざされたまま。



チャンさんも映画「天安門」について、

その存在すら知りませんでした。


ビデオを郵送しようと思いましたが、

すべて検問でひっかかってしまうので、

彼の政治的立場が悪くなるのを

避けるために断念せざるを得ませんでした。


「北京在住時に北京の市民権を取得しておけば

よかったのだけど、それが無いから、

日本に行くのも何年待ち」なのだそうです。



かなりのエリートで、経済的にも

成功している彼が、不自由な祖国から

出ることも叶わない。

どん詰まりの状況の中で、

経済成長に突き進む以外に出口が無くなっている。


その経済成長の行き着いた先の

環境破壊や精神的荒廃などを

既に知ってしまっている

日本人の私にとって、チャンさんの

展望はあまりにも切なく聞こえました。




しかし、私に何が言えたでしょうか。


それでいいの?と、それ以上

尋ねることはできませんでした。



おそらく彼だって、祖国の現状を

良いなんて思っていない。

恥を忍んで話してくれたに違いないのです。


でも変えたくても変えられない。

身をもってその困難さと代償を

思い知らされてしまったから。




辛うじて、

「話してくれて本当に有難う。

貴方の幸運を祈ってる」とだけ

伝えて別れましたが、

その後連絡が途絶えてしまい、

彼が今どこでどうしているのか、

知る術を私は持っていません。



(上記の中国政治の現状も

2000年代当時に聴き書いたもので、

2019年現在と必ずしも合致して

いるとは限らず、裏を取るのも

困難であることをご理解ください)






4■チャイメリカに繋がる思い■





30年経ってすら、

天安門のことは中国ではいまだ

公然と語ることは禁じられています。


あの日、彼と一緒にあの場に居た

活動家や知識人の多くは

亡命や沈黙や諦めを強いられ、

中国で発言を続ける人は、

ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏

(昨年死去)など、限られています。



それでも、可視化されない声を、

表に現れてこない思いを抱えたまま、

無数の人達があの国で今日も暮らしている。


そのことだけは多くの方に知っていてほしい。



「やっぱり怖い国」という結論で

終わらせないでほしいのです。





そして、舞台「チャイメリカ」がいま

上演される意味は、そこにあるのでは

ないでしょうか。



天安門であの「戦車男」を撮影した

アメリカ人ジャーナリストが

戦車男の軌跡を追うというストーリイを借りて

伝えようとしていたのは、

そういう単純な枠で括らないで欲しい、

というメッセージなのではないか…と

個人的に感じています。


勝手な解釈ですが、イギリス人脚本家の

ルーシー・カークウッド氏は、

いわゆる西側社会に身を置きながら、

ナショナルな枠組みではなく

人間同士の生の感情が切り結ばれる場を通じて、

私達が観ているものと

見落としてしまうものを、同時に

眼前に差し出そうとしたのではないか。


私達もその中にいて、

同じ世界を生きている…という

メッセージとして受け取りました。



脚本・翻訳の方をはじめ、

政治的難しさもあるこの企画を

今回日本で実現させ演出された方、

全身全霊で演じている俳優の方々、

舞台を支えるスタッフさん方、

そして主催・企画制作・後援等で、

かかわっているすべての方々に

心からの敬意を表したいと思います。






5■お願いと予告■




最後に付け加えさせていただくと、

当ブログで取り上げたチャンさんの

政治的立場を悪くする危険を回避するため、

固有名詞・実年齢や、いつどこで

どうやって知り合ったか等の

特定できる情報について、今後も一切

当ブログで書くつもりはありません。


また、それがために、

「だからあの国はヤバい」という根拠に

使われることは一切お断りします。

たとえ善意でも、一部を切り取って

流用するのは絶対にやめていただきたいのです。


もし彼の想いを受け取って

シェアやリツイートくださるのでしたら、

どうか記事丸ごとお願いします。

それですら意図が伝わりきらない

ことがあるのですから。



私は現在の中国政府の姿勢を

とても擁護などできませんが、

しかしただ批判を言い募るだけでは

解決しない問題であることを

少なくともわきまえた上で、

それでも僅かでも手掛かりを

探したいと思うのです。







チャイメリカ観劇後・観劇前の

友人と話をしていて、

「予備知識なしでも充分感動できたけど、

天安門事件や中国のことを

もっと深く知りたくなった」

という感想も聞きました。


チャンさんのこと等を話したところ

凄く参考になると言ってもらえて、

30年間出口のなかった思考を

受け取ってもらえたことで、

私自身が随分救われました。


その御礼として、この場でも

自分の知りうる範囲のことを

もう少しお伝えしたいと思います。



例えば…

・天安門事件のキッカケとなった

 胡耀邦ってどんな人?

・天安門広場では何が起こっていたの?

・中国の民主化はなぜ難しいの?等々…



全貌を語るなど到底叶いませんが、

数回に分けて、なるべくひとくちサイズで

物凄くざっくり整理を試みてみます。


専門家でも研究者でもないシロウトの

全くの個人的見解ですが、

もしよろしければご参考に

おつきあいいただけると幸いです。





#天安門

#天安門事件

#チャイメリカ




【参考】


戯曲「CHIMERICA チャイメリカ」公式HP

世田谷パブリックシアター▼


「悲劇喜劇」20193月号 早川書房

ハヤカワオンライン▼

映画「天安門 THE GATE OFTHE HEAVENLY PEACE

リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン共同監督 

1995年(日本配給:UPLINK





【当ブログ内関連記事】


私たちの「戦後70年談話」・28年前、日本の加害の歴史に直面した南京▼




同じ空の下にいることを信じている

中国の友人に、この記事を捧げます。

また、最初に想いを受け止めてくれた友人2人と、

この記事が妥当たりえるよう助力してくれた恩人2人に

心からの多謝を贈ります。






byしゅくらむ



シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2019-02-22 07:15 | 中東・アジア・イスラム世界からの声 | Comments(0)