オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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タグ:パレスチナ和平 ( 13 ) タグの人気記事

乾杯で応援!和平を願って醸造されたパレスチナ産ビール☆新年やお祝いにいかがですか?









1993年のオスロ合意の後、

和平の継続を願って、

94年にパレスチナ初の地ビールが

誕生しました。


それが「タイベビール」!▼

今までも何回か取り上げてきましたが、今回は起業ヒストリーについて等)

b0343370_10561046.jpg



生産地は、ヨルダン川西岸地区・

エルサレム郊外のタイベ村。


聖書の中でキリスト最後の隠遁の地・

エフライムとして登場するこの村は、

現在100%キリスト教徒のコミュニティです。





戒律でお酒が飲めないイスラム教徒が

多いパレスチナですが、

クリスチャンも大勢住んでいるんですね。




そのクリスチャンの村ならではの

起業として作られたビール醸造所。




アラビア語でズバリ「美味」と

名づけられたタイベビールは、

ビール通からも高く評価され、

ドイツ、ベルギー、デンマーク、

スウェーデン、そしてイスラエルでも

販売されるようになり、

占領下で失業者も多いパレスチナでの

新しいビジネスモデルとなりました。




タイベビール「サクセス物語と挑戦」動画

https://www.youtube.com/watch?v=FDjbYmECQ-Q




創業者のコウリ―さん

「私たちは自分達の国を持っていないが、

パレスチナ人皆のビール、

パレスチナ人全体の製品を持っている」。






さらに、イスラム教徒も一緒に飲める

ノンアルコールビールも開発。


そして、タイベ村のビールフェスタは

村の名物になり、いまや毎年

世界中から来場者が訪れる

一大イベントに!


タイベ・オクトーバーフェスト動画

https://www.facebook.com/taybeh 4 oktoberfest/videos/1210974958965915/





このタイベビール、

日本でも飲めます!





パレスチナ産品専門のフェアトレードショップ・

「セーブ・ザ・オリーブ」で取り扱っています。



一緒にパレスチナを訪問した友人が

帰国後立ち上げたこのお店で、

2005年からずっと販売し支援してきました。





買って飲んで味わって、

一緒に和平を応援しましょう!




セーブザオリーブ

オンラインショップはコチラから

http://savetheolives.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=2179302&csid=0




新年のご挨拶やお祝いにご希望の方は

下記HPご確認の上、お早めに☆





***セーブザオリーブ年末年始配送について

オンラインショップよりシェアココから****





【年末年始の配送につきまして】




☆年内発送最終日:1227日(水)

15時までのご入金確認で、

 最終日に発送いたします)


☆年始発送開始日:15日(金)


☆休業日:1229日(金)~14日(木) 


※緊急の場合はメール、FAX、お電話を。


貼り付け元 <http://savetheolives.shop-pro.jp/>



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https://www.facebook.com/savetheolives/


タイベビール(Taybeh BeerFacebookはコチラ

https://www.facebook.com/taybehbeer/





ぜひイイねやシェアで応援しましょう!






【当ブログ内関連記事】


パレスチナの暮らしと心を支えるフェアトレード ※追記アリ※


パレスチナでいま、ノンアルコールビールが大人気らしい件☆


【現地情報】オクトーバーフェストinパレスチナ &Newブリュワリー誕生!


Xmasにオススメ!パレスチナ産品を使った超カンタンレシピ☆




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パレスチナ産品&レシピ








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by shuklm | 2017-12-24 13:11 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない・パレスチナ和平を難しくしているものPart3;難民帰還という悲願





パレスチナ和平を難しくしているもの 最終回、
Part1;土地と水利権の問題、
Part2;エルサレムの帰属問題 の続き です。




私がエルサレム帰属問題と

難民帰還権の問題について

詳しく知ったのは、

NHKスペシャル「ドキュメント・エルサレム」2004放映)

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【写真はNHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」表紙より】



パレスチナ・イスラエル双方で

和平実現へ渾身の努力を続ける人たちと、

彼らをめぐる過酷な現実に肉薄する、

人生で最も衝撃を受けた番組のうちの1つでした。



今回は、主にこの番組と書籍を手掛かりに書いてみます。









■なぜパレスチナ難民が発生したのか?■






難民帰還権の話に入る前に、

基本的なところを確認しておきますと。



なぜパレスチナ人が難民にならなくてはならなかったのか?



一番わかりやすかったのは、

高橋和夫さんのこの解説。





***高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」より

  引用ココから*******





(パレスチナ難民の発生については)

”イスラエルとアラブ側で異なった歴史が語られている。





イスラエルの歴史によれば、

1948年の第一次中東)戦争中にアラブ側が

パレスチナ人に避難を呼びかけた。


アラブの軍がシオニストを攻撃するので、

その邪魔にならないように、一時脱出するように

との指令がラジオで流されたというのである。


アラブの軍隊の勝利の後に帰還すればよいと

思ったパレスチナ人たちは、そのため故郷を

離れたというわけである。”






”一方、アラブ側の歴史によれば、

アラブ諸国はそのような呼びかけはおこなっていない。


イスラエルがパレスチナ人を追い出したというのである。


その方法の一つとして取られたのが、

ディール・ヤシーン村の虐殺であった。




この村を包囲したシオニストの軍事組織

の一つ「イルグン・ツヴァイ・レウミ」の

一部隊が、老若男女を問わず村の住民の皆殺しをおこなった。


この虐殺のニュースはパレスチナ人の

あいだに広まり、恐怖にとりつかれた

パレスチナ人の大脱出が始まった。”






”この両者の中間に位置する以下のような説もある。


ディール・ヤシーン村民の虐殺が始まると、

これに気付いた付近の村のユダヤ人が、この虐殺を止めた。


だがアラブ側のラジオが、

ディール・ヤシーン村の女性に対する

暴行が起こったと脚色を加えて放送した。


これがパレスチナ人の避難を引き起こした。”






難民となったパレスチナ人への支援は

けっして充分ではなかった。


テントが不足し、上半身のみをテントに入れ、

足を出して寝たという悲惨なありさまであった。”





”イスラエルではパレスチナ人の「放棄」した

財産の没収、地名の変更、村落の破壊など、

パレスチナ人の生活の痕跡の抹消

ための施策がつぎつぎと実行に移された。



だがイスラエルのこうした政策も、

難民キャンプで呻吟するパレスチナ人の

脳裏からパレスチナの記憶を消し去ることはなかった。




こうして、パレスチナで少数派であった

ユダヤ人が多数派に変身し、

多数派であったパレスチナ人が少数派に転落した。”







****引用ココまで******






■故郷へ帰ることを願い続けて70年■






どの説が正しいのか断言できる根拠を

私は持っていません。

しかし少なくとも確かな事実は、

パレスチナの400以上の村が地図から消えたということです。

(フォトジャーナリスト広河隆一さんの調査による)




1948年の「独立戦争」に勝利した

ユダヤ人が、「故郷を取り戻す」

という悲願を果たした一方で、

故郷を追われ避難したパレスチナ人は

70万人(国連統計による)。


シリア内戦が激化するまで、

世界最大の難民はパレスチナ人であり

世界の難民の4人に1人がパレスチナ人でした。


参考:「パレスチナ子どものキャンペーン2015年次報告」






来年2018年で実に70年が経過、

その数はいまや1,000万人にのぼり、

帰郷を果たせないまま亡くなる1世代目、

生まれてから一度も「故郷」を

見たことのない4世代目も大勢います。





国連決議も帰還権を

認めているにもかかわらず、

帰るべき故郷がない。


なぜならイスラエルの軍事占領が続き、

そこで生活しているイスラエル人がいるから。




どちらかを立てればどちらかが立たない、

難題中の難題です。







■オスロ合意後、難民帰還権という核心に正面から向き合った2人■






NHKスペシャル

「ドキュメント・エルサレム」は、

そうした背景を含む、

パレスチナとイスラエルの

100年の歴史を縦軸に、


和平を推進しようとする

パレスチナ人サリー・ヌセイべ氏と、

イスラエル人メロン・べンベニスティ氏

2人の男性の人生を横軸に進みます。





パレスチナ人の大学教授

サリー・ヌセイべ氏は、

オスロ合意後、アラファト議長に抜擢され

和平実現に奔走した人物。


イスラエル人の歴史家

メロン・べンベニスティ氏は、

4次中東戦争後のエルサレム市の助役。




この二人の間で、エルサレムを

将来の2国の首都として共同管理すべく、

具体的に水道や電気などのライフラインを

どう分割していくのかまで、

細かい交渉が進められていきます。




同時に、土地の問題、難民帰還権の問題が

俎上に載せられます。






しかし、

「パレスチナ人にも同等の権利を

与えるべき」と主張した

ベンベ二スティ氏は、

ユダヤ人の反発を買って辞任することに。






さらに2000年、

当時のイスラエル首相シャロンが、

エルサレムのイスラム聖域に立ち入り。


歴代イスラエル政権さえ実行しなかった

暴挙に対して、パレスチナ人の

溜まりに溜まっていた不満が爆発。


第2次インティファーダが始まると、

シャロンはこれに軍事侵攻で応え、

和平プロセスは完全に暗礁に乗り上げます。







パレスチナ・イスラエル双方の

世論の理解がえられず、

困難を極める状況を打開するため、

下野したヌセイベ氏は思い切った策に打って出ます。




「現実的なパレスチナ国家建設を

認めさせるために、パレスチナ難民の

帰還を諦めるべき」と公言、

タブーに踏み込んだのです。



イスラエルの新聞の1面に

全身写真と意見広告を掲載し、

イスラエル世論へも訴えかける

一大キャンペーンを展開します。




が、この行為は

パレスチナ人からは激しく非難され、

街を歩いていても「裏切り者!」と罵られます。







それでもヌセイベ氏は訴え続けます。



「第一次中東戦争の前まで住んでいた

土地に戻れるという夢…。


その夢はもはや実現しないということを

パレスチナの人々に勇気を持って

伝えなければなりません。


その代わりに自分たちの国家をつくれば

新しい生活が始まるのだということを

人々に示す必要があるのです」。






ベンベニスティ氏も、

右派の台頭と分離壁建設が

和平を破壊すると発信を続けます。



「失ったのは私の方ではありません。


しかし、彼らが失ったものを

理解しようとすること。

分かち合おうとすること。

苦悩を負わせたのは私たちの側なんだ

という罪の重荷を抱えること。


それは、決して偽善にはならないと考えています」








「永遠の都エルサレム」に向かって

二人の思いがクロスする場面で、

番組は終わります。


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【写真はNHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」表紙より】








パレスチナ人であるヌセイベ氏が、

同胞の感情を傷つけることを承知の上で

それでもなお「諦めろ」と

言わねばならないという現実が

あまりにも切なくて、

番組を観終わった後も

言葉をつぐ事が出来ませんでした。







和平は、「仲良くするか・しないか」の

問題ではない。




「誰が何を諦めるか・諦めさせるか」、

という問題なのです。









■これが「和平」なのか??■





◆政治的には妥当な選択だとしても…◆





難民帰還権を放棄し、

イスラエル国家を承認するかわりに、

パレスチナ国家の独立を得る。



これ以上の流血を止めさせ、

具体的的和平を実現するためには、

おそらく政治的選択肢としては

一番現実的なオプションでしょう。



それは私も理解できます。





しかし、中東戦争で

イスラエルに故郷を追われた時に、

かつて住んでいた家の鍵を

ずっと大切に代々の家宝にしながら、

「いつか、あの我が家に帰るんだ」

ということだけを心の支えにして

これまで生きてきたパレスチナ難民が、

いったいどれほどいることか。



その夢を諦めろ、と

私はパレスチナの人達には言えません。



とても言えない。



どれほどの想いを

葬り去らせることになるのか。


その和平はあまりにも公正ではない。






◆ディール・ヤシーン村は、いま◆





パレスチナ難民発生のきっかけの

1つとなったディール・ヤシーン村。


2002年、シャロンの軍事侵攻が続く中

パレスチナを訪れた時、

偶然通りがかる機会がありました。




そこには生活の痕跡は跡形もなく、

代わりに「ヤド・ヴァシェム」

(ホロコースト犠牲者の記念碑)が建ち、

「ここはユダヤ人のものだ!」という

ヘブライ語の横断幕が掲げられていました。





それを見やりがら、

パレスチナ人の友人は言いました。



「この世に正義なんてないよ」、と。




そうではない、と言い切れる人がいるでしょうか?






ユダヤ人は、千年来の故郷に帰還を果たした。

では、なぜパレスチナ人は故郷に還れないのか。



この問いに答えられる人がいるでしょうか?








■パレスチナ・イスラエルが諦められない理由■






「いつか自分たちの国に帰るんだ」、

それだけを心の支えに生きていく。

それはかつてのユダヤ人の姿と同じです。


いま、そのユダヤ人によって

パレスチナ人が離散させられているという事実。






そもそも、何故イスラエルが建国され、

パレスチナ人が追い出され

なくてはならなかったのか?



ユダヤ人が何百年も迫害され、

ナチスに虐殺され、

「このままでは自分たちの居場所がない」

と思い詰めたから、

「安住の地」イスラエルが必要だった。




今も、「イスラエルを失ったら

自分達は世界中のどこにも行き場がない」

と思い詰めているから、絶対に譲れない。




現に、2014年のイスラエル軍による

ガザ攻撃時、ヨーロッパでユダヤ人への

排斥が悪化し、身の危険を感じて

イスラエルへ移住するユダヤ人が

急増したという事実もあります。


参考:2014年8月6日付 神奈川新聞記事





もし世界中のどこででも

生きていけると思えるなら、

こんなにもユダヤ人が

イスラエルという国家形態に

固執することはないはずです。





ユダヤ人がユダヤ人として

当たり前に暮らしていくことが

出来ない世界。


それが変わらない限り、

不安を抱えるユダヤの人たちの

固執がやむことはないでしょう。






これは世界中にかえってくる問題です。







パレスチナ難民が帰還権を捨てられないのは、

それ以外の希望や夢を叶える機会を

ずっと奪われてきたからです。



あまりにも理不尽で不公正が

まかりとおってきたから

それに未来を託すしかない。



パレスチナへの不公正がやまない限り、

彼らから望郷の念を消すことは

出来ないでしょう。







これは私たちの生きている世界の問題です。








だからこそ、そうであればこそ、

私たちの生きている世界を変えることで、

変えられる事があるはずなのです。







何かを成しましょう。


私たちの世界を取り戻すために。


その可能性を広げていくために。









※文章一部加筆しました(2017・12・19)


この文章は、10年書きたくても書けずお蔵入りしていたものでした。

読んでくださる皆様のお陰で形にすることが出来ました。

今回シェアしてくださった方々に特に御礼申し上げたいです。

何がしかのお役に立てれば本望です。





【当ブログ内関連記事】



▼和平について


和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題


私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題






▼ディール・ヤシーン村をめぐるやりとり

「この世に正義なんてないよ」。パレスチナ人の本音に、言葉を失う。  



▼ざっくりパレスチナ問題、オスロ合意まで

「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」



【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視




【参考図書など】


平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版


※2004年放映された番組「ドキュメント・エルサレム」は

2017年現在、NHKオンデマンドでは見れないようですが、

上記の番組プロジェクト書籍が発行されています。

ぜひNHKにオンデマンドリクエストをしてみてください!!




高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎

「アラブとイスラエル」

1992年 講談社現代新書


広河隆一さん著

「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で」

1998年 草思社


イツハク・ラビン著 

「ラビン回想録」

1996年 ミルトス

竹田純子さん訳・早良哲夫さん監修




byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-18 22:03 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題


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▲エルサレム首都認定1週間 「平穏壊さないで」

神奈川新聞1213日付(共同通信)





■トランプ発言でギリギリの緊張状態に■






イスラム教徒のパレスチナ人、

ハニさん(37


「これまでもこれからも、われわれは

ここで一緒に暮らしていくしかない。

そのためには平和が一番大切なんだ」





土産物屋を営むユダヤ人、

タミル・ドゥエクさん(40



10日前には(イスラム教徒が多い)

東エルサレムで昼食を食べたが、

今は危なくて行けない。

トランプ氏はここで暮らす全員を

危険にさらしている」


「われわれはもう十分傷つけ合ったのに」





キリスト教徒のパレスチナ人、

サミーラ・ハバシュさん(55


「平穏な生活が続くことを願うが、

何が起きるか全く予想がつかない」









■私が見たエルサレムも、共存を願っていた■





2002年、私がエルサレムを訪問したのは

2次インティファーダ(民衆蜂起)の

真っ只中でしたが、そんな時でさえ、

異なる宗教の人達がごく普通に

行き交っている街でした。


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▲NHK「時事公論」より、3大宗教の聖域





イスラム教の聖域、黄金色に輝く

「岩のドーム」側の礼拝から

帰ってくるスカーフ姿や

Tシャツ姿のアラブ人も、


そのすぐ裏側の「嘆きの壁」へ

向かう、キッパ帽をかぶったり

黒づくめのユダヤ教徒も、


キリストが磔になったゴルゴダの丘

跡に建てられた「聖墳墓教会」で

祈りを捧げるキリスト教徒も、

誰も争っている人はいませんでした。







市民ツアーコーディネイターの

パレスチナ人男性は言っていました。


「何百年も前から、ヨーロッパで

キリスト教徒が困ってやって来た時も、

ユダヤ人が世界中で迫害された時も、

僕たちはずっと受け入れて

一緒に暮らしてきたんだよ」。





西エルサレムに住むイスラエル人男性は、

「軍事占領が続いているから、

パレスチナ人の憎しみが募る。

イスラエルは、これ以上の占領を

やめるべきなんだ」と、

パレスチナ占領地での軍務を拒否しました。





西エルサレムのイスラエル首相官邸前で

毎週金曜に開催されていた平和集会では、


「Stop the occupation」

(占領を終わらせよう)、


「1City 2Capitals

(ひとつの都市、二国家の首都)


というスローガンが、

英語・アラビア語・ヘブライ語で掲げられていました。


▼2002年6月、エルサレム首相官邸前集会にて筆者撮影

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こうした集会は今も続けられています。

共存への願いは、今も変わっていないのです。






それを困難にさせているのは誰なのか?


和平を困難にしている要因のひとつとされる

「エルサレム帰属問題」は、何が難しいのか?








■エルサレムってどんな街?■







そもそもエルサレムって

どういう構造になってるのか?


改めて整理してみます。





▼エルサレム全体図。オレンジの囲みの中が旧市街、

その右側が東エルサレム、左側が西エルサレム。

※現地で入手したガイドブック「This Weekin Palestine 20026月発行」(FREE COPY)より

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エルサレムには、ざっくり3つのエリア

(西エルサレム、東エルサレム、

エルサレム旧市街)があります。




西エルサレム側は、クネセト

(イスラエル国会議事堂)や

首相官邸がある、比較的新しい街。



東エルサレム側は、

ムスリム居住区などがあります。



そしてエルサレム旧市街に、

3大宗教の聖地が集中しています。




有名なイメージはこの旧市街ですが、

もっとざっくり、東エルサレムに

旧市街を含めて報道されることが多いですね。







▼エルサレム旧市街の詳細(上記地図に、しゅくらむが加工)

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古い城壁に囲まれた旧市街は、

わずか1キロ四方ほど。

その中にギュッと圧縮されたように、

お互いの聖域が隣接しています。




紀元前からのエルサレム光芒の歴史を

ここでまとめるなど到底できませんが、

少なくともハッキリしていることがひとつ。




何百年もの間、

今まで何度も支配者が変わり、

危機的な状況に遭っても、

多くの人達は、何世代にも渡って

この小さな空間の中で居を構え、

商いを続け、礼拝に行ったり

学校に通ったりして、

ご近所さん同士として、毎日一緒に

暮らし続けてきているんです。




だからこれは、宗教対立じゃない。

政治の問題なのです。








■エルサレム帰属問題の変転■



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▲パレスチナ境界線の変遷

「ドキュメント 聖地エルサレム」平山健太郎さん著・NHK出版より





1947年、国連決議が定めた

パレスチナ・イスラエル分割案では、

「エルサレムは国連管理下の

国際都市とする」ことになっていました。




しかし、1948年の第一次中東戦争の結果、

西エルサレム側をイスラエルが、

東エルサレム側(旧市街含む)を

ヨルダンが占領。



そして1967年の第三次中東戦争で、

今度はイスラエル軍によって

東エルサレム(旧市街含む)が

併合されてしまいます。




直後の国連安保理242号決議では、

占領地からの撤退が決議されていますが、

イスラエルは応じていません。




パレスチナ側の、「将来の2国家共存で

東エルサレム側を首都に」という願いは

宙に浮いたままです。









■エルサレム帰属問題の「落としどころ」はどこに?■






◆イスラエル平和活動家が展望するエルサレムの未来◆





エルサレム問題の解決策について、

日本在住のイスラエル人平和活動家

ダニー・ネフセイさんが

非常に明快に示されていたので、

ご紹介させていただきます。






ダニー・ネフセイさん126日付FBより




***シェアココから****



「私のエルサレム問題についての意見。


西エルサレム=イスラエルの首都

エルサレム=パレスチナの首都

嘆きの壁・岩のドーム・近隣の

キリスト教会=国際管理地域。

これしかないのです。


いずれはそうなると信じています、期待しています。



しかしこれは実現するのは次の中東戦争の前かあとか?

戦争の前に実現出来るように声をあげ続けます。

貼り付け元 <https://www.facebook.com/search/top/?q=%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%BC%20%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%80%80%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0>





***シェアココまで********






本当にその通りと思います。

私も賛同します。



その実現によって和平を具体化しようと

渾身の努力を続けてきた人達も

パレスチナ・イスラエル双方にいるからです。


(この件は、Part3:難民帰還権の際に書きたいと思います)








◆100%の答えは存在しなくても◆







もちろん実現が容易ではないのは

重々承知しています。




そもそも国連の分割案自体が、

パレスチナ人が承知しないところで

決められてしまったものです。



一方イスラエルから見れば、

戦争で勝利して手に入れた領土

(違法にせよ、既に人が生活している)

を手放すわけですから、

双方失うものがゼロというのはありえない。




そして、日本人の私が、

「二国家共存」と言い切ることで、

納得していないパレスチナ人を

傷つけることになるのではないか

という怖れも持っています。





それでも、

誰もが納得する答などない中で、

少なくとも、

これ以上の流血を起こさせないために、

次善の政治的解決策を現地の人達が選択

できるように、周りが支援するべき

なのではないでしょうか。




ギリギリで踏みとどまっている

共存への望みの糸を、

外側から引きちぎるようなことが

あってはならないと思うのです。





日本でも、

「私達はトランプ発言を支持していない」

「二国家共存を支持している」

という声を可視化していきましょう。




# 1City 2Capitals

(ひとつの都市、二国家の首都)

# Stop the occupation!

(占領を終わらせよう!)

# We don't support Trump's declaration

(私たちはトランプ発言を支持しません)

# We support peace!

(平和を支持します!)





ぜひ一緒にお願いします!





また、エルサレム現地で活動している

平和団体のURLを貼ります。

イイねやシェアで支えていきましょう!!





AIC(オルタナティブ・インフォメーション・センター)

私が話を聞いた兵役拒否者の男性が務めていた

パレスチナ・イスラエル共同のNGO

エルサレムを中心に活動。



▼ピース・ナウ

イスラエル最大の平和団体。

エルサレムやテルアビブで平和集会を共催。

イスラエル議会内和平派や中間層に大きな影響力を持つ。




JVC(日本国際ボランティアセンター)さんが

「パレスチナを支援するイスラエルのNGO」についてまとめてくださってます!!

パレスチナを支援するイスラエルのNGO



特にこちら、世界最大の紛争防止NGO

Search for Common Ground」は、

エルサレム聖地を巡る問題を

対話により解決するために取り組んでいるそうです!

https://www.facebook.com/sfcg.org/








【当ブログ内関連記事】




和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題



【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視





【参考図書など】


高橋和夫さん著


「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎


「アラブとイスラエル」

1992年 講談社現代新書



平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版






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by shuklm | 2017-12-17 00:01 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(3)

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているものPart1;土地と水利権の問題







■オスロ和平合意は、なぜうまく行かなかったのか?■





2002年に現地を訪れた時、

「(1993年の)オスロ合意について

どう思う?」と、街なかで尋ねると、

パレスチナ人からもイスラエル人から も

異口同音に、「オスロ合意は死んだ」

という答えが返ってきました。




それはなぜか??





確かに、

「とにかくこれ以上の流血を止める、

お互いを交渉相手として認め、

恒久的解決を目指す」、

という合意は成立しました。




しかし問題だったのは、

その二国家実現のための具体論。


b0343370_20462429.jpg



和平を難しくしている要因は、

ざっくり3点と言われています。



1、土地と水利権の問題

2、エルサレムの帰属問題

3、難民帰還権の問題




こうした重要な問題を解決してから

議論に移れればよかったのですが、

オスロ合意内容は

「とりあえず外堀埋めてから、

大事なことはそのうち決めようね」

というものでした。



合意前の矛盾はそのまま

先送りされ、拡大しまったのです。



オスロ合意後、新たな交渉が

すべて座礁したのも、結局この3点を

クリアできなかったからでした。






今回は、土地と水利権について、

高橋和夫さんの著書や

田中宙さんのメルマガ等を手掛かりに、

書いてみます。







■なし崩しの入植と、分離壁建設■





パレスチナとイスラエルの

土地の取り分問題について、

例え話でよく言われるのが、


「ピザの分け方を決めている途中に、

一方がどんどん食べちゃってる状態」。





1967年の第3次中東戦争で

パレスチナ全土を占領したイスラエル。


それは1947年の国連決議ラインを

大きくはみ出していました。




オスロ合意成立後、イスラエル軍は

暫時撤退するとなっていたのですが、

実現したのは4割程度。



一方で、すでに1970年代から、

占領地にイスラエル人が入って定住していました。


さらに2000年代、その入植地を囲んで

巨大な分離壁が建設されていきます。


事実上のイスラエルへの併合でした。

b0343370_20455766.png
▲コレが「分離壁」。
パレスチナを分断して延々と続く



写真元はコチラの映像

「Veterans For Palestine」▼

https://youtu.be/lVCuhkzSb-M







まさに、「ピザの食べちゃったところ」

に当たるのが、入植地。

b0343370_22135538.jpg
▲高橋和夫さん著「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」より



降雨量の少ないこの地域で、

実質上の水利権が減り、

人や物資の往来も困難となった

パレスチナ経済は、大打撃を受けます。






虫食い状態のパレスチナの土地が、

将来の二国家の領土を決める前に、

さらになし崩し的に削られていく。


「これはあまりにもフェアじゃない、

どうやって仲良くできるんだ?」

というのがパレスチナ側の憤りです。




それは全くその通りだと思います。





占領地への入植は国際法違反であり、

国連安保理決議や国際司法裁判所が

何度もやめるよう求めましたが、

イスラエルは応じてきませんでした。




では、なぜ国際的非難の大きい入植を

イスラエルはやめられないのか?


入植者とはどんな人たちなのか?







■政治活動・「西部開拓」としての入植■





田中宙さんは、特異な政治活動家である

入植者たちの姿を、

パレスチナ人という「インディアン」を

撲滅させて自分たちの国を作るという

現代版「西部開拓」だと指摘しています。






田中宙さんメルマガ200575日付より



****引用ココから*****



”イスラエル国内では「これらの土地(占領地)は、

聖書やバルフォア宣言によって、

イスラエルの領土になると約束された場所であり、

返還する必要はない」という意見が出てきた。



そしてその主張に基づき、

1970年代半ばごろから、

イスラエル人が立ち入りを禁じられていた

軍政下の西岸やガザに入り込み、

パレスチナ人が使っていない乾燥した丘の上などに

簡素な家を建てて住み、

そこを事実上イスラエルの一部にしてしまう

という政治運動を拡大していったのが、入植者だった。”




”入植者は、周辺の町や村のパレスチナ人の土地を

有刺鉄線で囲んだりして奪取し、

翌日パレスチナ人と銃撃戦など衝突になると、

それを抑えるためと称してイスラエル軍が

入植地を警備するようになり、

軍に守られるかたちで、

入植地が拡大していった。



パレスチナ人から見れば、

入植者は「テロリスト」そのものだった。”





”(しかし)イスラエルには43万人の入植者が

いることになるが、このうち活動家の入植者は

おそらく2-3万人と思われる。”




*****引用ココまで**



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時2005年のもの





実は、こうした確信犯的・

特異な政治集団は一部で、

入植者の大部分が、

イスラエル国内の低所得層

という事実があるそうです。



ではその人たちは、

どういう動機で入植しているのか?







■入植地内の低額住宅へ―イスラエルの格差問題■






1980年代後半頃まで、

入植者は不足していたそうです。




高橋和夫さん著書「アラブとイスラエル」より

b0343370_20465010.jpg



****引用ココから****




”熱狂的な宗教心に燃え、

シオニストの夢の実現のために

アラブから土地を奪って住み着こう

というユダヤ人はそんなに

無尽蔵にいるものではない。



そこで(イスラエル)政府は、

入植地の建設に補助金を与えて、

入植地なら安く住宅が手に入るような

仕掛けにして入植者を募り始めた。



結果として、入植者といっても実情は

グリーン・ライン(軍事境界線)内部では

住宅を手に入れられなかった、

埼玉都民や千葉都民のような人々が増えていた。



占領地からイスラエルへ通勤するわけである。



入植地のアパートなら

政府の援助のおかげで

安く手に入るからという理由の

「占領地都民」の「入植」であった。




入植地という言葉からは

砦のようなものを想像しがちだが、

実際は公団住宅や

私鉄沿線の新興住宅地

といった風情の場所もある。



「入植者」の85%は、

エルサレムかテルアヴィヴまで

30分の通勤圏に居住している。




だが、入植者の動機が、

イデオロギーであろうが

住宅難であろうが、結果として

パレスチナ人の土地が

奪われることには変わりはない”




**********



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時1992年のもの







中道左派の労働党によると、

イスラエルでもワーキングプアが

増大しているそうです。





そんな中で入居した人達にとって

入植地を手放すということは、

ようやく手に入れた我が家と

今の生活を放棄するということ。


だからやめたくてもやめられない。




そして入植者は、

現政権与党である右派リクードの

強力な支持基盤となっています。



脆弱な政権であるネタニヤフ首相

(現リクード党首)としても、いま

入植をやめるわけにいかないのです。




ここでも政策を左右しているのは、

「票田への配慮」でした。








■どう考えていけばいいのか??■






私が直接話を聞くことが出来た

パレスチナの人たちも、

和平交渉の最前線にいた人達も、

語っていた解決策は同じでした。




「入植地の建設をやめること。


ユダヤ人に、全土から出ていけ

とは言わない。


1967年の第3次中東戦争前まで

撤退してくれればいいんだ」と。





どうすればそれを実現できるのか?





もちろん国際社会の介入が

不可欠だと思いますが、

ここでは別の視点であえて書いてみます。





和平実現を困難にしている入植地。

その入植者の多くが、イスラエルの

比較的所得が低い人たち。



つまり、

イスラエル国内の格差問題・

貧困問題が、パレスチナへ

しわ寄せされているということです。




であるならば、

格差問題として考えればどうでしょうか。



入植地にわざわざ住まなくても、

低所得者が暮らしていけるようになるとしたら?






そもそも、

アラファト議長とラビン首相が

和平へ舵を切ったのも、

経済的理由が大きかったのです。



ラビン首相は、

アラブとイスラエルの巨大市場

「中東経済構想」を提唱。


実際にオスロ合意直後、

欧米・日本・世界銀行などが

次々と数億ドル単位の援助を表明し、

経済効果はその数倍と言われました。


これが和平崩壊によって失われたのです。





そしてイスラエル国民に、

軍事費だけが重い税負担として

のしかかっています。




先進国とされているイスラエルですが、

2013年OECD実施の調査では、

加盟34か国のうち、なんと

最も相対的貧困率が高く、

最も格差が大きい国となっています。


(イスラエルの左派新聞『ハアレツ』

および『日本語版ハフティンポスト』

20130522日付より)






トランプやサンダースを大統領候補に

押し上げたのも、格差問題。

ネタニヤフを下支えしているのも

格差問題。



トランプやネタニヤフを

非難するだけでは変わらない。





世界を覆う格差・貧困問題の解決は、

打開の糸口のひとつとして、

落としてはいけない視座だと思うのです。







和平を難しくしているものpart2:

「エルサレムの帰属・

難民帰還権の問題」は

次回以降掘り下げたいと思います。





【当ブログ内関連記事】


▼私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものpart2・エルサレム帰属問題




▼和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているものpart3;難民帰還という悲願






パレスチナ問題や

オスロ合意までのざっくり歴史は

コチラに書きました。

よろしかったらご覧ください▼


「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」

パレスチナで何が起こってきたのか?【最新現地動画byVFP 有り!】


【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視




【主な参考図書など】


高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎


「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」

1992年 講談社現代新書



田中宙さん 無料メールマガジン

「田中宙の国際ニュース解説」



広河隆一さん著

「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で」

1998年 草思社



平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版



イツハク・ラビン著

「ラビン回想録」

1996年 ミルトス







byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-12 06:59 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その2・「二度と故郷を失いたくない」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

の続きです。






パレスチナから見た歴史と「物語」





パレスチナの側から見た時、

「イスラエル建国」とは、

「故郷の喪失」の始まりでした。





それまでパレスチナの地では、

時代ごとに支配者は変わりつつも、

数千年にわたってユダヤ教徒も

イスラム教徒もキリスト教徒も、

お互いを排除するよりも共存して暮らしてきました。



私がパレスチナ現地を訪問した時に

案内してくれたパレスチナ人男性は、

欧州での数百年にわたる

ユダヤ人迫害の歴史も承知していたし、


「ユダヤ教徒やキリスト教徒

(アルメニア系)の人たちが

ヨーロッパで迫害されて逃げてきた時も、

僕たちはずっと受け入れて

一緒に暮らして来たんだよ」

と語っていました。








しかし第二次世界大戦後の1947年、

パレスチナの承知しないところで、

国際社会と国連は、

「パレスチナの半分を

イスラエルとして認める」という

分割案を決議しました。




この案に対して、周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)は

イスラエル承認を拒み、1948年、

イスラエル対アラブ連合の間で

1次中東戦争が勃発します。





イスラエルがこの「独立戦争」に勝利し、

停戦が成立した時には、

国連決議案をはるかに上回る領土を支配していました。



そして、残りの土地は

エジプトとヨルダンが押さえていました。





この時、パレスチナ人の国は、

地上のどこにも存在しなくなっていました。








この戦争の時、ユダヤ人軍事組織による

「ディール・ヤシーン村の虐殺」をはじめとする、

累計数千人単位の虐殺が起こり、

身の危険を感じて故郷から脱出し

国内外へ避難した70万人以上の

パレスチナ人が難民となりました。





無人となった400もの村は、

破壊されたり、地名変更されたり、

あるいはユダヤ人が移り住んだりすることで、

現在、地図上から跡形もなく消失させられています。





さらに1967年の第3次中東戦争で

圧勝したイスラエルは、

パレスチナ全土を占領しました。





こうしたイスラエルの占領は

さすがに国連も容認できず、

1次中東戦争後の国連総会では

「故郷に帰還を希望するパレスチナ難民には帰還を許し、

望まない難民には損失補償を行う」と決議。



また第3次中東戦争後には、

「ヨルダン川西岸地区とガザ地区からの

イスラエルの撤退」を決議しています。





しかし、そのいずれも、イスラエルは拒否。


軍事占領が現在に至るまで続いています。








「2度と故郷を失うことはしたくない」





20026月にガザ地区を訪問した友人が、

パレスチナの精神的な支柱のひとりである

農民詩人のサイード・ダウールさんの話を

聞く機会がありました。



その時彼は語っていたそうです。



「私たちは、1948年に一度

自分たちの土地を去ったが、

もう二度と出ていかない。


家を壊されたら、

その瓦礫の上にテントを張って生活し、

殺されたらここに墓を建てる」、と。






同じような言葉を、

私もヨルダン川西岸地区の

難民キャンプの人たちからも聴きました。







そこまでパレスチナ人が

土地にこだわるのには、

もうひとつ理由があるようです。






帰国後に知ったのですが、

イスラエルが建国される以前、

ユダヤ人による国家建設運動

(シオニズム)が盛んになった時、

自ら土地を売ったパレスチナ人が

少なからず存在したのだそうです。






以下、髙橋和夫さん「アラブとイスラエル」からの引用です。



***********



”ここで、指摘しておきたいのは、

ユダヤ人のパレスチナ人の流入が

土地の買収を通じておこなわれたことだ。”



”シオニスト組織は、世界のユダヤ人からの寄付を募り、

その資金をパレスチナでの土地の購入にあてた。


1937年までにパレスチナの5.7パーセントの土地が

シオニストの手に渡っていた。


これがシオニストが、パレスチナへは正当な手段で移住したのだと

主張する根拠の一つをなしている。





”現在のパレスチナ人が、シオニストに土地を売った

パレスチナ人を非難する理由でもある。


シオニストに土地を売り渡したパレスチナ人は

父祖伝来の土地を次の世代に引き継ぐという

責任を果たさなかったわけだ。”




”彼らの父親の世代が、そして

祖父の世代がしっかりしていれば、

こんな苦難をパレスチナ人が

味あうこともなかったのに、

という無念の感情が強い。”




***引用ココまで******






そこからユダヤ人の移住が進み、

そして中東戦争が始まった時に

故郷を離れて避難した人たちは、

帰ることが出来ないままでいる。




だからいまのパレスチナ人たちは、

「もう二度と故郷を失うことはしない。

絶対に前の世代のようにはならない」と

決めているのです。




少なくとも、父祖の地を

自ら去ることだけは絶対にしない、と。




何度ブルドーザーでオリーブの樹々や

畑の作物ををなぎ倒されても、

何度戦車が来て家を破壊されて

家族を殺されても、

そこで生活し続けることが

インティファーダ(民衆の抵抗)だ、と。






それが彼らの心の支えとなっているのです。







パレスチナ・イスラエル双方が、

「前の世代のような弱い自分たちであってはならない」

ということを教訓にしている。



それぞれが共有するアイデンティティーと物語があり、

知れば知るほど簡単なことは言えないとも感じます。






しかし、私は現地を訪れて、

衝突ではない方向を向いている声も聴きました。




それを手掛かりに、

一度は和平へ向かった両者の歴史を

もう少し見て行きたいと思います。





続きはコチラ

「パレスチナ問題」手がかりを探す・その3「インティファーダの衝撃」▼

http://syuklm.exblog.jp/24978557/




【その他の当ブログ内関連記事】


2015726UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?

http://syuklm.exblog.jp/24726992/


201581UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何? その2

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


2015725UP記事  【日常スケッチ】どこまでも続く田園風景。パレスチナの人たちが、今も「イスラエルって呼びたくない」理由。▼

http://syuklm.exblog.jp/24736236/



和平関係の記事はコチラのカテゴリにまとめました▼

エルサレム・和平・国際監視





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by shuklm | 2015-09-29 21:20 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す。その1・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。




当ブログ記事「パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何?」にて

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

大掴みで把握を試みた話を、前へ進めたいと思います。




どうすれば少しでも解決の方へ向かえるのか?



現地の人たちの言葉などを手掛かりに、

自分なりに考えてみます。







パレスチナ・イスラエル現地を訪れたのは

もう10年以上前ですが、帰ってからも

ずっと気になっていたことがあります。




私が出会ったイスラエル人は皆

穏やかな人物ばかりだったのに、

なぜイスラエルという「国」としての振る舞いは

こんなに酷いことになってしまうのか?



イスラエルの人達は、いったい

どういう心理状態でいるのか?






パレスチナの人たちも、

わざわざ暴力を望んでなどいなかった。



どうすれば折り合うことが出来るのか?







まずイスラエルの側から見てみます。






「2度とホロコーストを繰り返さないために」






イスラエル建国以来の国防観の根底にある考え方は、

「自らの運命を他人に委ねない」、

ということだそうです。



b0343370_17523206.jpg


****抜粋シェア 高橋和夫さん著

「アラブとイスラエル」より****





”イスラエルの若い世代には、

おとなしく羊のようにガス室へと引かれていった

ユダヤ人に対する反発がある。




『なぜ抵抗しなかったのだ?』との批判である。


『なぜもっと抵抗しなかったのか?』という問いかけである。





たとえ結果は同じでも、抵抗すれば

ナチスは六百万発の弾丸を

消費せねばならなかったはずだ ”




*******







つまり、

ユダヤ人がホロコーストから得た

最大の教訓とは、


「いいようにやられないためには、

自分たちが強くなるしかない」、


ということだったわけです。






ホロコーストで600万人を殺され

「安住の地」の実現を求めたユダヤ人に対して、

欧米や国連が用意した先が、パレスチナ。



でも行ってみたら、そこは全然

「安住の地」じゃなかった。






1948年イスラエル建国後も、

周辺のアラブ諸国(エジプト・シリア・ヨルダン等)

との中東戦争は、4回に渡って断続的に続きます。


「周りじゅう敵だらけ。

一回でも敗北したら、地球上から

消滅させられてしまう」

という状況に25年間立たされていたわけです。






そして、最大の後ろ盾であるはずのアメリカも、

いつも味方とは限らない。




現に、アメリカの援護が得られなかった

4次中東戦争では、

イスラエルは建国以来初の大敗北を喫し、

アメリカの緊急支援を引き出すために

核兵器使用まで示唆したほどでした。






「アメリカもアテにならない。

最後は誰も助けてくれない。


世界中を敵に回しても、

自分の身は自分で守るしかない」と

イスラエルが考えたとしても、

無理からぬことでしょう。




良し悪しは別として、

「最後はアメリカに助けてもらえばいい」と

自分のケツを拭けない日本より、

よっぽど腹が固まっていると言えます。





しかし、腹を固めて

「現実に取りうるあらゆる手段を

つぎ込んで国防をやる」という

路線を突き詰めていくと、

「最大の軍事力であり抑止力である

核を保持することは絶対に譲れない」、

という結論に必然的に行きつくことになります。



当然、周辺国が核開発することも

認められないわけです。






でも、イスラエルをそうやって

そこまで追い込んでいるのは、誰なのか?





「周辺国や『過激派』から自衛しないと、

自分たちは生存できない」と

思い込こんでいるのは、

イスラエル人が全部悪いのか?




じゃあ、そもそもその原因を作った

欧米とかはどうなのか?







イスラエルを追い込んでいるのは誰なのか?





ホロコースト以前から、

欧米で何百年も続いてきたユダヤ人迫害。




その迫害から逃れる方策について

ユダヤ人社会内でも論争があって、


実は最初は、「今住んでいる社会で

受け入れられる努力をして順化して、

より多くの権利を勝ち取ろう」という

意見の方が大勢だったらしいのです。




それがなぜ、

「ユダヤ人だけで単独の国を創る

=シオニズム」 になったのか?






直接のきっかけとなったのは、

第一次世界大戦前、

1894年の「ドレフュース事件」。




フランス軍参謀本部に勤務する

ユダヤ人将校ドレフュースが

無実の罪で終身刑にされた冤罪事件。



ユダヤ人の受け入れ・同化が

最も進んでいるはずのフランスが、

国家ぐるみで証拠隠滅を図って

ユダヤ人を犯人扱いしたこの事件は、

ユダヤ人社会に大きな衝撃を与えました。





「ほらみろ、どんなに受け入れられるように

努力したって、結局ムダだったじゃないか」


「ユダヤ人だけの国を創って

皆そこへ行くしかないんだ」という

シオニズムが始まります。






拒否され続けてきた歴史が、

ユダヤ人を国家建設に向かわせた。




「どこでもいいから、迫害の心配なく

生活できるところが欲しい」

という希望が先だったんです。



国家の建設先=

「パレスチナという『約束の地』」は、

後から決まった。



ホロコーストは、その後の

決定打だったに過ぎない。






ユダヤ人を欧米が受け入れていたなら、

ユダヤ人がこんなに「イスラエル」という国に

固執しなくても済んだのです。




 

わかりやすい「悪役」を

イスラエルに押し付けといて、

あんまりじゃないのか?



だから、イスラエルだけを批判するのは

フェアじゃないよなあ、と思うんです。






もちろんどんな理由があろうとも、

これまでイスラエル軍のやってきた

ガザ攻撃も占領も、私は全く一切

正当化できないと思います。




それでも、

ただイスラエルを非難するだけでは

彼らを硬化させるだけで、

解決にはつながらないのではないか。



彼らがそう思わざるを得ない状況を踏まえた上で、

その上で何が言えるのか、だと思うのです。







次は、もう一方の「当事者にされてしまった」

パレスチナの側から見た歴史を

見ていきたいと思います。





続きはコチラ▼

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その2「二度と故郷を失いたくない」▼

http://syuklm.exblog.jp/24946446/


「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」▼

http://syuklm.exblog.jp/24978557/



【その他の当ブログ内関連記事】


2015726UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?

http://syuklm.exblog.jp/24726992/


201581UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何? その2

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


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エルサレム・和平・国際監視





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by shuklm | 2015-09-28 07:10 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

なぜ、イスラエルならOKで、パレスチナだとNGなのか?




2002年6月、パレスチナを訪れた時。

現地ツアーをコーディネイトしてくれた

パレスチナ人の男性に、私は訴えました。




「『自爆』してほしくない。

あなたに死んでほしくない。

これ以上誰も死なないでほしいし、

殺さないでほしい」。





後から考えると、

ものすごく残酷な言葉を、

私は彼に言ったのです。




彼は、

「大丈夫だよ、そんなことしないよ」

と言いながら、

「でも、じゃあ、他にどうしろっていうんだ?」と問いかけてきました。




「イスラエルがやってることは戦争だ。


僕は、ハマスとかイスラミックジハードとかじゃない。

(いずれも武力闘争組織。当時は少数派


だけど、彼らがイスラエルに抵抗していることは、

何が悪いの?って思うよ。

手段は違っても、同じ目的を果たそうとしているだけだ」。




私は、答えられませんでした。






不当な支配や占領に対するレジスタンスは、

国際法でも認められている、正当な権利です。


 

現に、第二次世界大戦後に独立した国々は、

レジスタンス運動で旧政権を倒したり、

占領者を追い出して独立を実現しました。



アフリカ諸国しかり、イスラエルしかり。


イスラエルは、当時の委任統治国

イギリスから「独立」するために、

「テロ」を行使しました。



オスロ合意でアラファト議長と握手し

「パレスチナとイスラエルの歴史的和平」

に貢献したとしてノーベル平和賞を

受賞したラビン首相も、もともとは

有名なユダヤ人軍事抵抗組織の「テロリスト」でした。





いま、パレスチナが抵抗すると、それは糾弾される。




なんでイスラエルがやることはOKで、

パレスチナだとNGなのか?


それは、あんまりにも不公正で、

不公平じゃないのか?





実際、「やったもん勝ち」の世界になってる。






私自身は、ハマスの自爆攻撃や

ロケット攻撃には、賛同することはできません。



けれども、

「あなた達に死んでほしくな

誰も殺さないでほしい」とは言えても、

彼らがそうせざるを得ないくらい

追いつめられている中で、

反撃をするなというのは、

「何も抵抗せずに、このまま

黙って殺されるのを待て」

いうのと同じなのです。






※記事の不正確な部分を一部修正させていただきました(2014.10.11)

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June 2002, at elementary school, drawn by children   Tulkarem WestBank Palestine

2002年6月、ヨルダン川西岸地区トゥルカレムにて、筆者撮影。

アッサラーム小学校の外壁に、子供たちが描いた絵。


イスラエル兵の銃撃に対して、

物陰に息子をかばって「撃たないでくれ!」と訴える父親。

この後、撃たれた息子が自分の腕の中で息絶えるのを、

なすすべなく見ているしかなかった。

その一部始終は映像で配信され、世界中に衝撃を与えた。


この絵は、その映像を見た子供たちが描いたと思われる。



byしゅくらむ


by shuklm | 2014-09-07 12:01 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

なぜ「停戦」が「和平」につながらないのか?その4



2007年、パレスチナ自治区で

初めて実施された選挙で、

ハマスが圧倒的な支持を受けて、

多数派となりました。




それまでパレスチナを代表してきた

ファタハは、「和平」合意を優先して、

「占領」や「入植」などの問題は、

具体的解決を先送りしました。





ガザ地区とヨルダン川西岸地区から

イスラエル軍が徐々に撤退するという

約束のはずが、なかなか撤退が進まず、

逆にイスラエルはユダヤ人だけの居住地域(入植地)を拡大していったのです。



「そんな不公平な和平は受け入れられない」

と異議を唱えるハマスへの支持が

広がっていったのは、ある意味当然だと思います。






また、残念ながらファタハは、

西側から得た莫大な支援を

自分たちの利益誘導に使い、

パレスチナの貧困状態を解決しようとはしませんでした。



これに対してハマスは、

軍事組織であると同時に、

主な予算のほとんどを医療・福祉・教育

に使っているガザ最大の社会福祉NGOで、

住民生活を支えるセーフティネットでもありました。


住民にとって、不可欠な存在になっていたのです。




しかし、

ハマスが勝利した選挙結果に対して、

西側諸国は「ハマスは過激派だから」

という理由で、援助を停止してしまいました。


この「西側」には、日本政府も含まれていました。




ガザで食料・燃料・医療品などが不足する

危機的な状態に陥ったのは、

援助停止も大きな要因でした。





国際的に認められた正規の手続きを踏んで

選挙を行って、正当に代表を選んだのに、

「国際社会」はそれを認めないという。




欧米の言い分(和平とか選挙)

受け入れた結果、状況は悪化した。





これ以上、一体どうしろというんだ? 

というパレスチナの問いに、

「国際社会」は、いまだに応えていないのです。






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June 2002 Jenin WestBank Palestine

2002年6月7日、ジェニン難民キャプにて 筆者撮影


byしゅくらむ


by shuklm | 2014-09-06 09:42 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

ドサクサまぎれに、何やってんの?!

「イスラエル ヨルダン川西岸 土地接収を発表」 神奈川新聞 201492日付

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『イスラエル軍は831日、

ヨルダン川西岸の土地 約4平方キロメートルの接収を発表した。


イスラエルの平和団体ピースナウは 

1980年代以降、最大の面積と指摘。


ユダヤ人入植地を拡大する狙いがあるとみられ、

イスラエルとパレスチナの緊張は 

一層高まる恐れがある。』(改行・一文字空きは筆者による)






ちょっと待て!!!!






また「停戦中」に、こーゆーことを

ドサクサまぎれにやるか?!



「接収」じゃなくて「強奪」でしょう





イスラエルが、こーゆー

「見えない弾丸」を撃つから、

「和平」に向かえないんだよ!!




(すみません、興奮してしまいました…)






ベツレヘム近郊の、接収対象となった

土地に住んでいる、彼の声を聴いて下さい↓





『同地で42年の間、野菜やオリーブを

育ててきたという農家の男性(66)は、

他人の犯罪の責めをなぜ自分が

負わなければいけないのか分からないと話し、


「イスラエルの人たちは隣人だ」

「水も空気も何もかも分け合っている。

共に生きる道を見つけなければならない」と訴えている。』



イスラエル、ヨルダン川西岸の土地接収 国連などが非難」(Yahoo!ニュース)

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140902-35053187-cnn-int




by しゅくらむ


by shuklm | 2014-09-02 21:35 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

なぜ「停戦」が「和平」につながらないのか? その3






2005年、ガザを占領していたイスラエル軍が撤退。





ガザ地区においては、イスラエルの占領は終了し、

軍令からは脱したはずでした。



(軍令については前々回に取り上げましたので、

よろしければ合わせてご覧下さい ↓)

 http://syuklm.exblog.jp/23279416/ 





じゃあ、状況が良くなったのでしょうか?





イスラエルは巨大な分離壁でガザを「封鎖」し、

人の出入りも、物流も、止めてしまいました。




水も電気も燃料もすべて、

国境の検問所を通じて、

イスラエルからしか入手できない。





それなのに、ガザの住民生活を満たすだけの量は供給されず、

停電と断水がひっきりなしに続き、

食料や医療品も不足し、

国連などからの援助物資でようやく

生存をつないでいる状態だったそうです。





闇市をやろうにも、品物がない。



じゃあどうするか。


地下トンネルを掘って持ってくるしかない。





それすら破壊されたら、

じゃあどうやって食っていけばいいのか。






ガザの学生は、留学もできない。

ガザの住民は、ガザの外に旅行もできない。




そして、イスラエル軍の攻撃があっても、

どこにも逃げるところがないのです。





ガザは、文字通り「天井のない牢獄」に

閉じ込められてしまった。






「このままでは、生きられない。

 まともな、人間らしい生活が送りたい」

というガザの人々の願い。



停戦になっても、ガザは、

健康や人命や生きる希望を、日々、削られていくのです。





この状況が変わらない限り、

「和平」にはたどり着けないと思うのです。





そして最大の問題は、

そういうパレスチナの現実を、

イスラエルのほとんどの人たちが知らない、

ということだと思います。




だから、なぜ自分たちが攻撃されるのか、わからない。






私が話をしたイスラエル人の多くは、

穏やかでジェントルな人たちでしたが、

平和団体の人たち以外、ほとんどが

「パレスチナ側が和平を蹴った」と感じていました。




だから、話が噛み合わないのです。






【次回に続きます】  




byしゅくらむ


by shuklm | 2014-09-01 05:53 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)