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パレスチナ・イスラエル、それぞれの思い〜第2次インティファーダ時に聞いた言葉。



凄惨なニュースが続き、

現地の生の声が聴こえなくなっています。




あの地で暮らしている人たちは、

何を感じ、何を願ってきたのか。





私がパレスチナ・イスラエルを

訪れたのは、2002年6月。


第2次インティファーダ

真っ只中の時期でしたが、

それでも現地では

衝突を望まない多くの声を聞きました。





私の体験など限られたものですが、

友人が聞いた言葉を含め、

少しでもそれを伝えさせてください。







■パレスチナの人たちの声





「自分たちが、世界から

見捨てられたと思うことが、一番辛い。



あなたたちが来てくれたから、

世界から忘れられていないと思える。


それが希望になるんだ




(パレスチナ自治区・

ヨルダン川西岸地区の住民)





「世界中の人に、

パレスチナの味方になって欲しい

とは言いません。


ただ、平等に見て欲しいだけなのです」




(ガザ地区・

パレスチナ人権センターの職員








「間違えないで欲しい。


占領しているのは

イスラエルであって、

パレスチナではありません」


(現地訪問ツアーを案内してくれた、

エルサレム在住の

パレスチナ人コーディネーター)







「イスラエルとは、隣人でした。


以前は、私たちはお互いに

訪問しあったり商売をしたりして、

友情もあったのです」




(ヨルダン川西岸地区・

トゥルカレムの知事)








「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません。


自分たちが暮らしていく権利を

勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、

問題はなくなります」




(ヨルダン川西岸地区・

ジェニン難民キャンプの責任者)









■イスラエルの人たちの声





「永久に戦争を続けることはできない。

そう考えたから、

兵役を拒否しようと思ったんだ。




占領があるから、

パレスチナ人の憎しみが募る。

悪循環だ。


それを断ち切る方法は、

たったひとつ。




イスラエルは、

もうこれ以上の占領を

やめるべきなんだ」




(エルサレム在住、

兵役拒否者の30代の男性。

パレスチナ人とイスラエル人が

共に運営するNGOの職員)








「私はイスラエルが好きだから。


だから間違ったことはしてほしくない。

私は正しいことをしたい。



占領は正しくない。

だから反対しているの」



(エルサレムで、

イスラエルの平和団体が主催した

占領反対の集会に、

イスラエル国旗を掲げて参加した16歳の少女)








「この戦争は、じいさんばあさんの

時代から受け継がれてきたもので、

ハッキリ言って、俺には関係ない。



俺は誰のことも憎んでないし、

誰のことも殺したくなんかない。



だけど、今のオレの仕事は

(徴兵された)兵士で、

これをやるしか仕方がないんだ!


俺にはどうすることもできない。

俺には何もできないんだよ!」




(ヨルダン川西岸地区、

バリケードで封鎖した街の入り口で

銃を構えていた若いイスラエルの兵士)









イスラエルの兵士自身ですら、

わざわざ殺し合いなど望んでいなかった。




当時出会った人達、

この言葉を発したひとりひとりに、

いまどう考えているのかを確かめることはできません。





けれど、少なくともいま現在も

イスラエルで占領に反対する声は

消えていないし、

占領の実態を自らの口で

語り続ける元将兵たちも存在します。




占領とは、パレスチナ・イスラエルに

一体何をもたらしているのか?


イスラエルの将兵たちが「最前線」で

体験したその実態とは?





次回以降、それをお伝えしていきたいと思います。




【元イスラエル将兵が語る占領リアル】


元イスラエル兵が語る占領リアルpart1・ついこの間までニンテンドウのゲームをやってた18・19歳の少年が、人間的に壊れてしまう理由。


「自分がモンスターだと自覚したら、次の日2度と起き上がれないだろう」。イスラエル元兵士が語る占領リアルpart2


「水曜にパレスチナ人の車を装甲車で踏み潰して、週末にイスラエル内で赤信号をじっと待てると思いますか?」元イスラエル兵が語る占領リアルpart3




【その他の当ブログ内関連記事】


201524UP記事  哀悼…そして、「紛争地」で望まれている支援とは? ジャーナリストやNGОは、「その場にいるだけで」人道支援になりうる。 ↓

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201499UP記事  ガザからの、伝言。↓

http://syuklm.exblog.jp/23346747/


2014115UP記事  【時事】続・エルサレムでの聖域封鎖/占領しているのは誰なのか? ↓

http://syuklm.exblog.jp/23688371/


2014822UP記事  「イスラエルとは、隣人でした」。↓

http://syuklm.exblog.jp/23210029/


20141012UP記事 ジェニン3・住民の証言 ↓

http://syuklm.exblog.jp/23547863/


20141231UP記事 滞在最後の夜。ついに実現した、兵役拒否者との対話。↓

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2014119UP記事  エルサレムにて2・異彩を放っていた、イスラエル国旗を掲げた少女。↓

http://syuklm.exblog.jp/23709284/


2014816UP記事  終戦の日WEEKに。イスラエル・若い兵士が思わず口にした「心の声」とは。↓

http://syuklm.exblog.jp/23173252/




byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-10-19 20:58 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

【時事】国連総会:国旗掲揚で存在を示したパレスチナ、際立ったイスラエルの孤立。そして第3次インティファーダの報が…。




「爆弾スピーチ」は封印。しかしモトは取った?





「国連総会で、パレスチナ代表が

オスロ合意放棄を宣言する可能性アリ」

という情報を、以前当ブログでも

紹介させていただきました。




実際パレスチナでは、

「和平交渉なんてもう無駄だ。

イスラエルの占領も入植も

全然止まらないじゃないか。

オスロ合意なんて知るか!」という

声が大きくなっているのですが、


930日のアッバス議長の国連総会演説は、

それをそのままぶつけるものではなかったようです。





現在衝突が悪化しているエルサレム情勢や

イスラエルの入植等を非難しつつも、

オスロ合意の交渉テーブル自体を

叩き壊して最終決別する、とまでは

踏み込まなかった。





パレスチナ内では「爆弾発言どころか

打ち上げ花火にもならなかった」と

揶揄されているようですが、

和平を仲介してきた欧米諸国は

胸をなでおろしたようです。





私も、ホッとしました。



問題山積のオスロ合意ですが、

交渉ドアが無いよりは絶対いい。






印象的だったのは、パレスチナ国旗が

掲揚された際のアッバス議長の高揚でした。


10/01付 FNNニュースより

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00304550.html





総会演説後、パレスチナ国旗掲揚の

セレモニーが行われ、加盟各国の旗と並んで、

オブザーバー国家としてのパレスチナ国旗が

国連本部前に初めて掲げられました。



日本を含め各国の外交官ら数100人が参列し、

パン・ギムン国連事務総長が祝辞。





かつて掲げることすら禁じられた

パレスチナ国旗が国際社会の場でひるがえり、

アッバス議長も「歴史的な瞬間だ」と

感極まっていたようです。




悲願の「加盟国家承認」へ前進し、

得るものはあったということろでしょうか。






しかし、状況は全く楽観できません。







対照的だったイスラエルの孤立。危惧される暴発。






国連総会の場で気にかかったのは、

イスラエルのネタニヤフ首相の孤絶です。




パレスチナの国旗掲揚や演説が

拍手や喝采に包まれたのに対して、

イスラエルの演説は完全アウェーな雰囲気。




アッバス議長の翌日に登壇した

ネタニヤフ首相は、43分間の演説の間に

2度も中断して各国代表を睨みつけ、

国連と総会そのものに対して

「不当なイスラエルバッシングに走っている」と非難。



そしてそれ以上に、イラン核交渉の

6か国協議合意への敵意を露わにし、

「イランの核クラブへの乱入を許さない」と、

6か国合意を成立させたアメリカなどを激しく攻撃しました。






「パレスチナ国家を承認しない」

「イラン核開発絶対阻止」を公約にしてきた

ネタニヤフ首相としては、完全に

メンツを潰された形になっています。



イスラエル国内では、与党党首とはいえ

薄氷の連立政権のため、

右からは「パレスチナに対して弱腰だ」と非難され、

左からは「和平を破壊している」と

常に批判にさらされています。




国内でも国際社会でも孤立する中、

軍事的手段で一気に挽回しようと

「追い詰められた者の暴発」に

なってしまうのではないか…。

それを本当に危惧しています。






急激に悪化する現地情勢。「第3次インティファーダ」の報道も。





パレスチナ・イスラエル現地では、

エルサレムでの流血をきっかけに、

ヨルダン川西岸地区全域へ衝突が拡大。



イスラエル治安部隊には実弾射撃が許可され、

未成年を含むパレスチナ人が銃撃を受けて

毎週数10人単位の死傷者が出ています。


それに対する報復事件も続き、

104日には「第3次インティファーダ」

という見出しで報じられる事態になっています。






今回の衝突の直接の原因は何だったのか?

なぜこんなことになっているのか?




このことは、別記事で詳しく書きたいと思います。




とにかく、私などの危惧が当たらないことを願います。






※今回もニュースソースにさせていただいたのが、「パレスチナ最新情報」。

元外務官僚・天木直人さんのサイトでも「信頼できる情報源」として紹介された、無料メルマガです。


発行者のJSRは、私がパレスチナ・イスラエル現地を訪問したツアーでお世話になった老舗の団体さんです。

ご興味のある方は、末尾に連絡先を貼りますので、ぜひお問い合わせください。

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アル・ジスル-日本とパレスチナを結ぶ(略称JSR)

編集人:奈良本英佑

E-mail : jsr@ksn.biglobe.ne.jp

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TEL: 090-2167-4802

住所:〒272-0816 千葉県市川市本北方2-6-5

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【当ブログ内関連記事】

2015627UP記事   【時事】迫る最終期限・イラン核協議。次の「導火線」となってしまうのか?↓

http://syuklm.exblog.jp/24632262/

2015630UP記事  イスラエル 薄氷の連立政権、組閣の舞台裏。↓

http://syuklm.exblog.jp/24642612/



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by shuklm | 2015-10-11 15:33 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。 その1・その2 の続きです。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

http://syuklm.exblog.jp/24946446/





「オスロ和平合意」へ向かうまでの両者の歴史を、

大掴みで見て行きます。






パレスチナの抵抗の歴史





1967年の第3次中東戦争で、

イスラエルと戦った周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)

6日間で敗走させられ、

完勝したイスラエルがパレスチナ全土を占領。


故郷を追われた70万人のパレスチナ難民が

「祖国」を取り戻す展望は見えなくなりました。






許可なくヨルダン川を渡ってパレスチナに帰ろうとした難民は、

すべて射殺されました。



非武装地帯では、ブルドーザーで村々が破壊され

埋め立てられていきました。



占領地では、水を汲んだだけで逮捕され、

果樹を摘んだだけで銃撃される日常が続いていました。






「自分たちパレスチナ人は、

追い散らされ、世界から見捨てられたまま、

ただ黙って殺されるのを

待つことしかできないのか?」





そういうパレスチナ人の声に対して、

「もはや誰もあてにできない。

自らが闘うしかないんだ」と

武力闘争でイスラエルに対抗したのが、PLOでした。




1968年、ゲリラ戦でイスラエル軍に勝利し

一矢報いたPLOのアラファト氏は、

当時は間違いなくパレスチナのみならず

アラブ世界のヒーローだったのです。




パレスチナゲリラによるミュンヘンオリンピックでの「テロ」や

数々のハイジャック事件によって、

その是非はともかく、

「忘却され殺されるだけだったパレスチナ」へ、

世界の耳目を集めさせることには成功しました。







そして、1973年の第四次中東戦争で、

エジプト・シリア連合軍の奇襲に、イスラエルが敗北。



建国以来の初めて大敗北と

悲惨な潰走を経験したイスラエルでは、

「軍事力で安全保障を得るのというのは

間違っているのではないか?」という

疑問と厭戦気分が広がっていきます。






しかし、イスラエルを決定的に和平へ動かしたのは、

それだけではありませんでした。


最も大きなインパクトを与えたのは、

普通の人達の丸腰の抵抗でした。






戦車やミサイルや戦闘機、核まで保持する

イスラエル正規軍に対して、

なんの武器も持たないパレスチナの人達が

やむにやまれず路傍の石を取り、

礫として投げて抗議の意思を示したのが、

「インティファーダ(民衆の抵抗運動)」。





1987年、占領地のストリートから

自然発生的に湧き起ったこの非暴力の抵抗が、

その後の両者の歴史をクロスさせていくことになります。








■加害者としての姿をイスラエルに突きつけた、「石つぶての抵抗」





イスラエル軍の戦車に向かって、石を投げて抵抗する少年。

小学校の壁に子供たちが描いたインティファーダの絵。

20026月、ヨルダン川西岸地区・トゥルカレムのアッサラーム小学校にて、筆者撮影。

b0343370_18181641.jpg




1980年代、まさにこの絵のように

戦車に投石で抵抗する人々の姿を

報道で見た時、イスラエルの人達は

言葉にならないほどの衝撃を受けたそうです。



それは、

聖書に登場する「ダビデとゴリアテ」

そのままの図でした。




▼「ダビデと対峙するゴリアテ」 Wikipediaより拝借

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%86

b0343370_20384455.jpg



古代イスラエル王国に攻めてきた

ペリシテ人の最強戦士・巨人ゴリアテに

対して、ユダヤ人の勇敢な若者ダビデが、

投石器だけを手にたった1人で立ち向い

脳天直撃の一発で倒しイスラエルを救った、

という旧約聖書の有名なワンシーン。



「ジャイアント・キリング」という語の

由来となっているこのエピソードは、

圧倒的強者に対して弱者が立ち向かうという構図です。




いままで世界で迫害されてきた

「被害者」であるユダヤ人は、

圧倒的な敵の攻撃から「弱者である自分たち」を

守らなくてはならないと思ってきたわけです。



それが、完全に真逆になっていた。





「自分たちはずっとダビデ(弱者)の側と思ってたら、

実はゴリアテ(強者)だったんじゃないのか?!」


ある意味、加害者である自分たちの姿を、

初めて鏡に映して見たのではないかと思います。





「自分たちは、こんなことを続けていっていいのか?」




イスラエルの普通の人達の感情が

そういう方向に動いたことが、

和平への機運を大きく後押しし、

それが「オスロ合意」への伏流となっていきます。







冷戦終結後、

1991年、南アフリカのアパルトヘイト廃止が宣言されるなど、

世界各地の紛争が終結していく流れの中、

1993年にパレスチナとイスラエルの間で

「オスロ合意」が成立。



パレスチナ代表のヤセル・アラファトPLO議長と、

イスラエルのイツハク・ラビン首相が

ビル・クリントン米大統領の前で握手を交わし、

武力衝突を停止し互いの存在を承認する

「2国間共存」が示されました。








折り合うことは不可能なのか?





ようやく長い紛争が終結するかと思われたのですが、

和平交渉はその後迷走します。




交渉を決定的にぶち壊したのが、

20024月、

イスラエル・シャロン首相による

ガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻でした。




パレスチナ人の再びの抵抗が始まります。


これが、「第2次インティファーダ」。





そして、「和平派」PLO

イスラエル軍の侵攻や占領を

止められないことへの不満と怒りが、

新たな「武闘派」ハマスへの支持急増と

「自爆攻撃」という反撃を生み出しました。





和平への道は閉ざされたかに見えました。







その直後の20026月。


なんとか「暴力の応酬」を止める

方途がないのかを知りたくて、

市民ツアーでパレスチナ・イスラエル現地を訪れた私は、

そんな中でも、衝突ではない方向を向いている声を聴きました。





パレスチナの人たちは、

「イスラエルを地上から無くせ」と

言っているわけではないのです。






私が現地で直接話を聞いた

ジェニン難民キャンプの住民は、

イスラエル軍の攻撃によって

殺された人たちの遺体が

埋まったままの瓦礫の前で、

語っていました。





「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません」、と。





「自分たちが暮らしていく権利を

勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、

問題はなくなります」と。






パレスチナの少なからぬ人たちが言っているのは、


「1948年(イスラエル建国)の以前に

戻せと言ってるのではない。


国連決議が決めたイスラエルの領地の

境界線までは譲歩する。


だけど、自分たちが住む土地と、

生きていく権利まで譲ることはできない。



境界線からはみ出して占領し続けているのはやめるべきだ。


国際的にも認められていない

軍事占領は終わりにすべきだ」、ということなのです。






「過激派」ハマスですら、現在は

「イスラエル殲滅」を主張していません。






ここまで来てしまったら、

もう時間を戻すことは出来ないのだから、

「ユダヤ人は残らず出て行け」なんて言わない。



ただ、どうやってこれ以上の犠牲を出さずに生きていけるのか、

どうやってお互いの生存を保障していくのか、

ということが具体的な問題なのです。






じゃあ、なぜ、その先の「和平」に

なかなか着地できないのか?


「オスロ合意」は、なぜ実現できずに

ここまで来てしまったのか?





和平を難しくしている要因を、

ひとつひとつ因数分解して

見ていきたいと思います。








【参考】


高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」講談社現代新書・1992年第1刷

高橋和夫さん著「なるほどそうだっだのか!! パレスチナとイスラエル」幻冬舎・2010年第1刷

広河隆一さん著「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で フォト・ジャーナリストが見た三十年」草思社・1998年第1刷





【当ブログ内関連記事】


和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題


私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない・パレスチナ和平を難しくしているものPart3;難民帰還という悲願



2014810日記事「宗教対立」というウソ

http://syuklm.exblog.jp/23129639/


20141012UP記事   ジェニン3・住民の証言

http://syuklm.exblog.jp/23547863/


20141231UP記事 「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。

http://syuklm.exblog.jp/23948324/


パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?その1・その2▼

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


和平関係の記事はコチラのカテゴリにまとめました▼

エルサレム・和平・国際監視



※参考図書を加筆しました(2015.10.13)



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by shuklm | 2015-10-09 21:00 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その2・「二度と故郷を失いたくない」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

の続きです。






パレスチナから見た歴史と「物語」





パレスチナの側から見た時、

「イスラエル建国」とは、

「故郷の喪失」の始まりでした。





それまでパレスチナの地では、

時代ごとに支配者は変わりつつも、

数千年にわたってユダヤ教徒も

イスラム教徒もキリスト教徒も、

お互いを排除するよりも共存して暮らしてきました。



私がパレスチナ現地を訪問した時に

案内してくれたパレスチナ人男性は、

欧州での数百年にわたる

ユダヤ人迫害の歴史も承知していたし、


「ユダヤ教徒やキリスト教徒

(アルメニア系)の人たちが

ヨーロッパで迫害されて逃げてきた時も、

僕たちはずっと受け入れて

一緒に暮らして来たんだよ」

と語っていました。








しかし第二次世界大戦後の1947年、

パレスチナの承知しないところで、

国際社会と国連は、

「パレスチナの半分を

イスラエルとして認める」という

分割案を決議しました。




この案に対して、周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)は

イスラエル承認を拒み、1948年、

イスラエル対アラブ連合の間で

1次中東戦争が勃発します。





イスラエルがこの「独立戦争」に勝利し、

停戦が成立した時には、

国連決議案をはるかに上回る領土を支配していました。



そして、残りの土地は

エジプトとヨルダンが押さえていました。





この時、パレスチナ人の国は、

地上のどこにも存在しなくなっていました。








この戦争の時、ユダヤ人軍事組織による

「ディール・ヤシーン村の虐殺」をはじめとする、

累計数千人単位の虐殺が起こり、

身の危険を感じて故郷から脱出し

国内外へ避難した70万人以上の

パレスチナ人が難民となりました。





無人となった400もの村は、

破壊されたり、地名変更されたり、

あるいはユダヤ人が移り住んだりすることで、

現在、地図上から跡形もなく消失させられています。





さらに1967年の第3次中東戦争で

圧勝したイスラエルは、

パレスチナ全土を占領しました。





こうしたイスラエルの占領は

さすがに国連も容認できず、

1次中東戦争後の国連総会では

「故郷に帰還を希望するパレスチナ難民には帰還を許し、

望まない難民には損失補償を行う」と決議。



また第3次中東戦争後には、

「ヨルダン川西岸地区とガザ地区からの

イスラエルの撤退」を決議しています。





しかし、そのいずれも、イスラエルは拒否。


軍事占領が現在に至るまで続いています。








「2度と故郷を失うことはしたくない」





20026月にガザ地区を訪問した友人が、

パレスチナの精神的な支柱のひとりである

農民詩人のサイード・ダウールさんの話を

聞く機会がありました。



その時彼は語っていたそうです。



「私たちは、1948年に一度

自分たちの土地を去ったが、

もう二度と出ていかない。


家を壊されたら、

その瓦礫の上にテントを張って生活し、

殺されたらここに墓を建てる」、と。






同じような言葉を、

私もヨルダン川西岸地区の

難民キャンプの人たちからも聴きました。







そこまでパレスチナ人が

土地にこだわるのには、

もうひとつ理由があるようです。






帰国後に知ったのですが、

イスラエルが建国される以前、

ユダヤ人による国家建設運動

(シオニズム)が盛んになった時、

自ら土地を売ったパレスチナ人が

少なからず存在したのだそうです。






以下、髙橋和夫さん「アラブとイスラエル」からの引用です。



***********



”ここで、指摘しておきたいのは、

ユダヤ人のパレスチナ人の流入が

土地の買収を通じておこなわれたことだ。”



”シオニスト組織は、世界のユダヤ人からの寄付を募り、

その資金をパレスチナでの土地の購入にあてた。


1937年までにパレスチナの5.7パーセントの土地が

シオニストの手に渡っていた。


これがシオニストが、パレスチナへは正当な手段で移住したのだと

主張する根拠の一つをなしている。





”現在のパレスチナ人が、シオニストに土地を売った

パレスチナ人を非難する理由でもある。


シオニストに土地を売り渡したパレスチナ人は

父祖伝来の土地を次の世代に引き継ぐという

責任を果たさなかったわけだ。”




”彼らの父親の世代が、そして

祖父の世代がしっかりしていれば、

こんな苦難をパレスチナ人が

味あうこともなかったのに、

という無念の感情が強い。”




***引用ココまで******






そこからユダヤ人の移住が進み、

そして中東戦争が始まった時に

故郷を離れて避難した人たちは、

帰ることが出来ないままでいる。




だからいまのパレスチナ人たちは、

「もう二度と故郷を失うことはしない。

絶対に前の世代のようにはならない」と

決めているのです。




少なくとも、父祖の地を

自ら去ることだけは絶対にしない、と。




何度ブルドーザーでオリーブの樹々や

畑の作物ををなぎ倒されても、

何度戦車が来て家を破壊されて

家族を殺されても、

そこで生活し続けることが

インティファーダ(民衆の抵抗)だ、と。






それが彼らの心の支えとなっているのです。







パレスチナ・イスラエル双方が、

「前の世代のような弱い自分たちであってはならない」

ということを教訓にしている。



それぞれが共有するアイデンティティーと物語があり、

知れば知るほど簡単なことは言えないとも感じます。






しかし、私は現地を訪れて、

衝突ではない方向を向いている声も聴きました。




それを手掛かりに、

一度は和平へ向かった両者の歴史を

もう少し見て行きたいと思います。





続きはコチラ

「パレスチナ問題」手がかりを探す・その3「インティファーダの衝撃」▼

http://syuklm.exblog.jp/24978557/




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2015726UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?

http://syuklm.exblog.jp/24726992/


201581UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何? その2

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


2015725UP記事  【日常スケッチ】どこまでも続く田園風景。パレスチナの人たちが、今も「イスラエルって呼びたくない」理由。▼

http://syuklm.exblog.jp/24736236/



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エルサレム・和平・国際監視





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by shuklm | 2015-09-29 21:20 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す。その1・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。




当ブログ記事「パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何?」にて

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

大掴みで把握を試みた話を、前へ進めたいと思います。




どうすれば少しでも解決の方へ向かえるのか?



現地の人たちの言葉などを手掛かりに、

自分なりに考えてみます。







パレスチナ・イスラエル現地を訪れたのは

もう10年以上前ですが、帰ってからも

ずっと気になっていたことがあります。




私が出会ったイスラエル人は皆

穏やかな人物ばかりだったのに、

なぜイスラエルという「国」としての振る舞いは

こんなに酷いことになってしまうのか?



イスラエルの人達は、いったい

どういう心理状態でいるのか?






パレスチナの人たちも、

わざわざ暴力を望んでなどいなかった。



どうすれば折り合うことが出来るのか?







まずイスラエルの側から見てみます。






「2度とホロコーストを繰り返さないために」






イスラエル建国以来の国防観の根底にある考え方は、

「自らの運命を他人に委ねない」、

ということだそうです。



b0343370_17523206.jpg


****抜粋シェア 高橋和夫さん著

「アラブとイスラエル」より****





”イスラエルの若い世代には、

おとなしく羊のようにガス室へと引かれていった

ユダヤ人に対する反発がある。




『なぜ抵抗しなかったのだ?』との批判である。


『なぜもっと抵抗しなかったのか?』という問いかけである。





たとえ結果は同じでも、抵抗すれば

ナチスは六百万発の弾丸を

消費せねばならなかったはずだ ”




*******







つまり、

ユダヤ人がホロコーストから得た

最大の教訓とは、


「いいようにやられないためには、

自分たちが強くなるしかない」、


ということだったわけです。






ホロコーストで600万人を殺され

「安住の地」の実現を求めたユダヤ人に対して、

欧米や国連が用意した先が、パレスチナ。



でも行ってみたら、そこは全然

「安住の地」じゃなかった。






1948年イスラエル建国後も、

周辺のアラブ諸国(エジプト・シリア・ヨルダン等)

との中東戦争は、4回に渡って断続的に続きます。


「周りじゅう敵だらけ。

一回でも敗北したら、地球上から

消滅させられてしまう」

という状況に25年間立たされていたわけです。






そして、最大の後ろ盾であるはずのアメリカも、

いつも味方とは限らない。




現に、アメリカの援護が得られなかった

4次中東戦争では、

イスラエルは建国以来初の大敗北を喫し、

アメリカの緊急支援を引き出すために

核兵器使用まで示唆したほどでした。






「アメリカもアテにならない。

最後は誰も助けてくれない。


世界中を敵に回しても、

自分の身は自分で守るしかない」と

イスラエルが考えたとしても、

無理からぬことでしょう。




良し悪しは別として、

「最後はアメリカに助けてもらえばいい」と

自分のケツを拭けない日本より、

よっぽど腹が固まっていると言えます。





しかし、腹を固めて

「現実に取りうるあらゆる手段を

つぎ込んで国防をやる」という

路線を突き詰めていくと、

「最大の軍事力であり抑止力である

核を保持することは絶対に譲れない」、

という結論に必然的に行きつくことになります。



当然、周辺国が核開発することも

認められないわけです。






でも、イスラエルをそうやって

そこまで追い込んでいるのは、誰なのか?





「周辺国や『過激派』から自衛しないと、

自分たちは生存できない」と

思い込こんでいるのは、

イスラエル人が全部悪いのか?




じゃあ、そもそもその原因を作った

欧米とかはどうなのか?







イスラエルを追い込んでいるのは誰なのか?





ホロコースト以前から、

欧米で何百年も続いてきたユダヤ人迫害。




その迫害から逃れる方策について

ユダヤ人社会内でも論争があって、


実は最初は、「今住んでいる社会で

受け入れられる努力をして順化して、

より多くの権利を勝ち取ろう」という

意見の方が大勢だったらしいのです。




それがなぜ、

「ユダヤ人だけで単独の国を創る

=シオニズム」 になったのか?






直接のきっかけとなったのは、

第一次世界大戦前、

1894年の「ドレフュース事件」。




フランス軍参謀本部に勤務する

ユダヤ人将校ドレフュースが

無実の罪で終身刑にされた冤罪事件。



ユダヤ人の受け入れ・同化が

最も進んでいるはずのフランスが、

国家ぐるみで証拠隠滅を図って

ユダヤ人を犯人扱いしたこの事件は、

ユダヤ人社会に大きな衝撃を与えました。





「ほらみろ、どんなに受け入れられるように

努力したって、結局ムダだったじゃないか」


「ユダヤ人だけの国を創って

皆そこへ行くしかないんだ」という

シオニズムが始まります。






拒否され続けてきた歴史が、

ユダヤ人を国家建設に向かわせた。




「どこでもいいから、迫害の心配なく

生活できるところが欲しい」

という希望が先だったんです。



国家の建設先=

「パレスチナという『約束の地』」は、

後から決まった。



ホロコーストは、その後の

決定打だったに過ぎない。






ユダヤ人を欧米が受け入れていたなら、

ユダヤ人がこんなに「イスラエル」という国に

固執しなくても済んだのです。




 

わかりやすい「悪役」を

イスラエルに押し付けといて、

あんまりじゃないのか?



だから、イスラエルだけを批判するのは

フェアじゃないよなあ、と思うんです。






もちろんどんな理由があろうとも、

これまでイスラエル軍のやってきた

ガザ攻撃も占領も、私は全く一切

正当化できないと思います。




それでも、

ただイスラエルを非難するだけでは

彼らを硬化させるだけで、

解決にはつながらないのではないか。



彼らがそう思わざるを得ない状況を踏まえた上で、

その上で何が言えるのか、だと思うのです。







次は、もう一方の「当事者にされてしまった」

パレスチナの側から見た歴史を

見ていきたいと思います。





続きはコチラ▼

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その2「二度と故郷を失いたくない」▼

http://syuklm.exblog.jp/24946446/


「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」▼

http://syuklm.exblog.jp/24978557/



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by shuklm | 2015-09-28 07:10 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?




「現地にたった一度しか行ったことがないくせに、

専門家でも研究者でもない奴が何を言う?」と

自分でも思うのですが。




このブログは、

「まずはとにかくハードルを下げて

パレスチナ問題にアクセスしやすくしたい」


「膨大な背景を理解しないと触れられない、

というのを何とかしたい」と思って

書いておりますので、


あえて物凄くざっくり言わせていただきますね。





「パレスチナ問題」を一言で言うと、


「ホロコーストのとばっちり」。






これは別に私のオリジナルの考えではなく、

現地でパレスチナ人から言われた言葉です。




「ユダヤ人はホロコーストに遭って、

気の毒だったと思う。

だけど、なんでパレスチナが

そのツケを払わなくちゃならないの?」。





この言葉を手掛かりに、

考えてみたいと思います。



言い換えると、


「パレスチナに持ち込まれたユダヤ人問題」


だと思います。







イスラエルの場所は、ココじゃなくてもよかった?




パレスチナはずーっっと紛争地」、

「イスラム教とユダヤ教の聖地・

エルサレムを奪い合ってるから、

異なる民族同士の争いが絶えない」

みたいな報道のされ方してますが。



ですがね、そもそもイスラエルの領土は

現在の場所である必然性はなかったんですよ?



当初の候補地はパレスチナじゃなかったんです。


なんと、東アフリカとかが挙がっていたんですよ??





19世紀末、ヨーロッパに吹き荒れた

ユダヤ人排斥の中、

「ユダヤ人も自分たちの国を持てばいいんだ。

国なき民に、民なき国を」という

「ユダヤ人の建国運動」=シオニズムが始まった当初。



高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」によると、

当時イギリスの植民地であった

東アフリカのウガンダなどが

具体的な候補地に入っていたそうです。




現在のイスラエルはココ。(Wikipediaより拝借)▼



ちなみに、ウガンダはココ。(同じくWikipediaより拝借)▼

もちろん、エルサレムは含まれてません。


要するに、どこでもよかったんですよ。

世界中のどっかに「独立国」が作れるなら。




「何ソレ 、どんだけテキトーだったの?!」

って思いますが、これが、

「帝国主義・植民地支配の時代」という

特殊な時代の産物だったわけですね。



「アジアとかアフリカは、

ヨーロッパ人が好きにしていいんだ」的な、

定規で地図上にまっすぐ線を引いて

国境や分け前を決めちゃうような、

傲慢な発想がまかりとおっていた時代。


(その人工的に引かれた国境線が、

現在のIS問題の種を撒いたわけですが)




当時のイギリスの植民地担当大臣

セシル・ローズが、

「出来ることなら惑星をも併合したい」と

豪語したのは有名な話ですよね。

(東京書籍「世界史図説3訂版」より)▼





ではなぜ、候補地がアフリカから

パレスチナに変わったのか?




ユダヤ人の内部でも、

「そうは言っても、いくらなんでも

アフリカに建国するんじゃ必然性がなさすぎる。

世論の支持が得られないだろ」と

意見が出たからだそうです。


「聖地エルサレムがあるから」、

「約束の地(エレツ・イスラエル)は、

神から与えられた場所だから」という理由で、

ユダヤ人の宗教層を説得したり

必然性を主張するために、

候補地が「聖地」に変わった。






つまり、理由は後付けだったんです。







■「約束の地に帰りたい」よりも、「何処でもいいから安住の地が欲しい」





そうは言っても、第二次世界大戦が終わって、

帝国主義(植民地支配)の時代も終わると、

「いくらなんでもそれは乱暴だろ。無理だよ」

となるはずだった。



パレスチナは「民の住んでいない国」

なんかじゃなかったから。





しかし、「ユダヤ人の国家建設」に

有無を言わせない根拠を、

ホロコーストが与えた。




「ユダヤ人であるという理由だけで

あんだけ殺されたんだから、

ユダヤ人でも生きていけるところをよこせよ!」

って言われたヨーロッパ人は、罪滅ぼしに、

「こちらへどうぞ」とユダヤ人を案内した。



世界中が「アンネ・フランク」のような

ユダヤ人の境遇に深い同情を寄せて、

ユダヤ人国家建設を後押しした。



当のパレスチナ人が承知していないのに、

国連で決議までして、お墨付きを与えた。


で、話をややこしくしたわけです。






もし仮に、ユダヤ人国家なんか作らなくても、

ユダヤ人が生命の危険を感じずに、

ヨーロッパのどこででも

ユダヤ人であることを認められて

普通に生活していけるのなら、

「イスラエル」は要らなかった。




ヨーロッパが自力で解決できない

「ユダヤ人問題」を、

「外部」へ持ち越したわけです。



その持って行き先が、パレスチナだった。





とんでもないとばっちりじゃないですか?




「ホロコーストのとばっちり」を、

なんでパレスチナが受けなくちゃいけないわけ?


ユダヤ人を迫害して虐殺したのは、

パレスチナじゃないのに。






そういう意味では、

「ヨーロッパ、責任とれよ!!」と思います。


少なくとも、ヨーロッパ

イスラエルやパレスチナに

偉そうに何か言える立場じゃないよね


だから、ヨーロッパが

パレスチナ問題を仲裁するのは

難しいんです






じゃあ、なんでヨーロッパは、

「ユダヤ人問題」を解決できなかったのか?


なんであれほどの「ホロコースト」を

防げなかったのか?




引き続き、掘り下げてみます。







【その2へ続きます】


パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何?その2・なぜホロコーストを止められなかったのか?↓

http://syuklm.exblog.jp/24746703/




【当ブログ内関連記事】

2014814UP 「ホロコーストを経験したのに、なぜ?」その2↓

http://syuklm.exblog.jp/23154936/


20148月~9UP なぜ停戦が和平につながらないのか? その1~4 ↓

http://syuklm.exblog.jp/23279416/

http://syuklm.exblog.jp/23284486/

http://syuklm.exblog.jp/23290370/

http://syuklm.exblog.jp/23327669/


201497UP なぜイスラエルならOKで、パレスチナだとNGなのか? ↓

http://syuklm.exblog.jp/23335018/



※新しく、「オトナの自由研究」というカテゴリーを追加しました。

 パレスチナ問題を包括的に解き明かすことなど私には到底できませんが、自分自身が知ったこと・調べてわかったこと・学んだことを、理解できた範囲で、少しずつ綴っていきたいと思います。



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by shuklm | 2015-07-26 10:08 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(2)

イスラエルにて。滞在最後の夜、ついに実現した兵役拒否者との対話。






日本へ帰る前夜、最後の最後に、

念願だったイスラエルの兵役拒否者と

会えることになり、

ツアーから離れて一人、

待ち合わせ場所である

エルサレム新市街へ向かいました。









2002612日の夜。





同じエルサレムでも新市街は、

歴史的建造物や石畳が残る

旧市街とは別世界





一歩足を踏み入れるとそこには、

お洒落な店が軒を連ね、

飲食店街には、コシェル(ユダヤ教の戒律に沿った料理)

の店だけでなく、

中近東料理、イタリア、モロッコ、

中華、和風、韓国料理まで、

各国料理のレストラン

カフェやバーやファーストフード店が

所狭しと立ち並んでいました。





その一角にあるスペイン料理の

庶民的なお店で、

眼鏡をかけた、背の高い

ラテン系の顔立ちの男性が

待っていてくれました。






彼の名前もスペイン系で、

「イスラエル人」というのは

世界中からやってきた人たちなんだなあと、

改めて感じました。






私が個人的に話を聞くことが

できたその兵役拒否者は、

イスラエル人とパレスチナ人が

一緒に運営するNGOに勤務している、

エルサレム在住の30代の男性。




英語もロクに話せず、

辞書を引き引き質問する私に、

平易な言葉で答えてくれました。






「『テロ』と報復のエスカレーション

を断ち切るためには、

どうしたらよいと思いますか?」

という私の問いに対して、

彼は明快に答えました。





「イスラエルが占領をやめることだ」。





「たった400人(当時)の入植者を守るために、

何万人ものイスラエル軍が配備される。


占領があるから、

パレスチナ人の憎しみが募る。


その悪循環を断つことだ」――と。






パレスチナ・イスラエル間の1993年の

「オスロ和平合意」については、

意外にも彼は否定的でした。



それは、「合意事項の中で、占領について

何一つ解決していないからだ」。





21歳で兵役拒否を決意した理由について、

「永久に戦争を続けることはできない

と考えたからだ」と述べていましたが、

その判断は、

「地球の資源を無限に使い続けることは

できない」という事実と同じくらい、

おそろしく現実的だと感じました。





とはいえ、

イスラエル社会の中で

まっとうな判断を下して実行するのは、

想像を絶する困難を伴うであろうとも思われました。





2001年9月、イスラエルの高校生ら

10代の若者62人が連名で

シャロン首相(当時)あてに

兵役拒否の手紙を送ったことが

大きく報道され、

彼らに続いて兵役を拒否する者が

増える一方で、

イスラエル社会での風当たりは

厳しさを増し、最近は

大手の新聞もテレビ番組も

彼らについては全く報道しなくなり、

黙殺されているとのこと。


また、海外メディアだけに

大きく取り上げられたため、

多くの拒否者はひどく

ナーバスになっていて、

外国人は皆インタビュアーだと

思って会いたがらない

という話も聞きました。






そういう孤立した状況の中で、

それでも決意を貫けたのは、

何故だったのか。

それは、両親のサポートが大きかった

と彼は語っていました。





「支えてくれる人たちがいたから、

自分の(兵役拒否という)意思を失わずに

続けることが出来たんだ」。






実際に兵役拒否者と会って

話をしてみて実感したのは、

「強固な信念を持った特別な人たち」ではないということ。



少数派の彼らが踏ん張れるかどうかは、

誰かの支えがあるかどうかに

大きくかかっている、

ということでした。





逆風の中だからこそ、

彼らの良心の声を

かき消させてはならないと

改めて強く思いました。





たどたどしい英語で、

「会えてよかった。本当に有難う。

あなたたちのことを支持している人が

日本にもいることを、

覚えていてほしい」と伝え、

握手を交わして別れました。







byしゅくらむ


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by shuklm | 2014-12-31 10:02 | イスラエル 現地レポなど | Comments(0)

なぜ、イスラエルならOKで、パレスチナだとNGなのか?




2002年6月、パレスチナを訪れた時。

現地ツアーをコーディネイトしてくれた

パレスチナ人の男性に、私は訴えました。




「『自爆』してほしくない。

あなたに死んでほしくない。

これ以上誰も死なないでほしいし、

殺さないでほしい」。





後から考えると、

ものすごく残酷な言葉を、

私は彼に言ったのです。




彼は、

「大丈夫だよ、そんなことしないよ」

と言いながら、

「でも、じゃあ、他にどうしろっていうんだ?」と問いかけてきました。




「イスラエルがやってることは戦争だ。


僕は、ハマスとかイスラミックジハードとかじゃない。

(いずれも武力闘争組織。当時は少数派


だけど、彼らがイスラエルに抵抗していることは、

何が悪いの?って思うよ。

手段は違っても、同じ目的を果たそうとしているだけだ」。




私は、答えられませんでした。






不当な支配や占領に対するレジスタンスは、

国際法でも認められている、正当な権利です。


 

現に、第二次世界大戦後に独立した国々は、

レジスタンス運動で旧政権を倒したり、

占領者を追い出して独立を実現しました。



アフリカ諸国しかり、イスラエルしかり。


イスラエルは、当時の委任統治国

イギリスから「独立」するために、

「テロ」を行使しました。



オスロ合意でアラファト議長と握手し

「パレスチナとイスラエルの歴史的和平」

に貢献したとしてノーベル平和賞を

受賞したラビン首相も、もともとは

有名なユダヤ人軍事抵抗組織の「テロリスト」でした。





いま、パレスチナが抵抗すると、それは糾弾される。




なんでイスラエルがやることはOKで、

パレスチナだとNGなのか?


それは、あんまりにも不公正で、

不公平じゃないのか?





実際、「やったもん勝ち」の世界になってる。






私自身は、ハマスの自爆攻撃や

ロケット攻撃には、賛同することはできません。



けれども、

「あなた達に死んでほしくな

誰も殺さないでほしい」とは言えても、

彼らがそうせざるを得ないくらい

追いつめられている中で、

反撃をするなというのは、

「何も抵抗せずに、このまま

黙って殺されるのを待て」

いうのと同じなのです。






※記事の不正確な部分を一部修正させていただきました(2014.10.11)

b0343370_18205165.jpg

June 2002, at elementary school, drawn by children   Tulkarem WestBank Palestine

2002年6月、ヨルダン川西岸地区トゥルカレムにて、筆者撮影。

アッサラーム小学校の外壁に、子供たちが描いた絵。


イスラエル兵の銃撃に対して、

物陰に息子をかばって「撃たないでくれ!」と訴える父親。

この後、撃たれた息子が自分の腕の中で息絶えるのを、

なすすべなく見ているしかなかった。

その一部始終は映像で配信され、世界中に衝撃を与えた。


この絵は、その映像を見た子供たちが描いたと思われる。



byしゅくらむ


by shuklm | 2014-09-07 12:01 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

なぜ「停戦」が「和平」につながらないのか?その4



2007年、パレスチナ自治区で

初めて実施された選挙で、

ハマスが圧倒的な支持を受けて、

多数派となりました。




それまでパレスチナを代表してきた

ファタハは、「和平」合意を優先して、

「占領」や「入植」などの問題は、

具体的解決を先送りしました。





ガザ地区とヨルダン川西岸地区から

イスラエル軍が徐々に撤退するという

約束のはずが、なかなか撤退が進まず、

逆にイスラエルはユダヤ人だけの居住地域(入植地)を拡大していったのです。



「そんな不公平な和平は受け入れられない」

と異議を唱えるハマスへの支持が

広がっていったのは、ある意味当然だと思います。






また、残念ながらファタハは、

西側から得た莫大な支援を

自分たちの利益誘導に使い、

パレスチナの貧困状態を解決しようとはしませんでした。



これに対してハマスは、

軍事組織であると同時に、

主な予算のほとんどを医療・福祉・教育

に使っているガザ最大の社会福祉NGOで、

住民生活を支えるセーフティネットでもありました。


住民にとって、不可欠な存在になっていたのです。




しかし、

ハマスが勝利した選挙結果に対して、

西側諸国は「ハマスは過激派だから」

という理由で、援助を停止してしまいました。


この「西側」には、日本政府も含まれていました。




ガザで食料・燃料・医療品などが不足する

危機的な状態に陥ったのは、

援助停止も大きな要因でした。





国際的に認められた正規の手続きを踏んで

選挙を行って、正当に代表を選んだのに、

「国際社会」はそれを認めないという。




欧米の言い分(和平とか選挙)

受け入れた結果、状況は悪化した。





これ以上、一体どうしろというんだ? 

というパレスチナの問いに、

「国際社会」は、いまだに応えていないのです。






b0343370_13173253.jpg
June 2002 Jenin WestBank Palestine

2002年6月7日、ジェニン難民キャプにて 筆者撮影


byしゅくらむ


by shuklm | 2014-09-06 09:42 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

ドサクサまぎれに、何やってんの?!

「イスラエル ヨルダン川西岸 土地接収を発表」 神奈川新聞 201492日付

b0343370_21312381.jpg

『イスラエル軍は831日、

ヨルダン川西岸の土地 約4平方キロメートルの接収を発表した。


イスラエルの平和団体ピースナウは 

1980年代以降、最大の面積と指摘。


ユダヤ人入植地を拡大する狙いがあるとみられ、

イスラエルとパレスチナの緊張は 

一層高まる恐れがある。』(改行・一文字空きは筆者による)






ちょっと待て!!!!






また「停戦中」に、こーゆーことを

ドサクサまぎれにやるか?!



「接収」じゃなくて「強奪」でしょう





イスラエルが、こーゆー

「見えない弾丸」を撃つから、

「和平」に向かえないんだよ!!




(すみません、興奮してしまいました…)






ベツレヘム近郊の、接収対象となった

土地に住んでいる、彼の声を聴いて下さい↓





『同地で42年の間、野菜やオリーブを

育ててきたという農家の男性(66)は、

他人の犯罪の責めをなぜ自分が

負わなければいけないのか分からないと話し、


「イスラエルの人たちは隣人だ」

「水も空気も何もかも分け合っている。

共に生きる道を見つけなければならない」と訴えている。』



イスラエル、ヨルダン川西岸の土地接収 国連などが非難」(Yahoo!ニュース)

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140902-35053187-cnn-int




by しゅくらむ


by shuklm | 2014-09-02 21:35 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)