オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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カテゴリ:エルサレム・和平・国際監視( 23 )

乾杯で応援!和平を願って醸造されたパレスチナ産ビール☆新年やお祝いにいかがですか?









1993年のオスロ合意の後、

和平の継続を願って、

94年にパレスチナ初の地ビールが

誕生しました。


それが「タイベビール」!▼

今までも何回か取り上げてきましたが、今回は起業ヒストリーについて等)

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生産地は、ヨルダン川西岸地区・

エルサレム郊外のタイベ村。


聖書の中でキリスト最後の隠遁の地・

エフライムとして登場するこの村は、

現在100%キリスト教徒のコミュニティです。





戒律でお酒が飲めないイスラム教徒が

多いパレスチナですが、

クリスチャンも大勢住んでいるんですね。




そのクリスチャンの村ならではの

起業として作られたビール醸造所。




アラビア語でズバリ「美味」と

名づけられたタイベビールは、

ビール通からも高く評価され、

ドイツ、ベルギー、デンマーク、

スウェーデン、そしてイスラエルでも

販売されるようになり、

占領下で失業者も多いパレスチナでの

新しいビジネスモデルとなりました。




タイベビール「サクセス物語と挑戦」動画

https://www.youtube.com/watch?v=FDjbYmECQ-Q




創業者のコウリ―さん

「私たちは自分達の国を持っていないが、

パレスチナ人皆のビール、

パレスチナ人全体の製品を持っている」。






さらに、イスラム教徒も一緒に飲める

ノンアルコールビールも開発。


そして、タイベ村のビールフェスタは

村の名物になり、いまや毎年

世界中から来場者が訪れる

一大イベントに!


タイベ・オクトーバーフェスト動画

https://www.facebook.com/taybeh 4 oktoberfest/videos/1210974958965915/





このタイベビール、

日本でも飲めます!





パレスチナ産品専門のフェアトレードショップ・

「セーブ・ザ・オリーブ」で取り扱っています。



一緒にパレスチナを訪問した友人が

帰国後立ち上げたこのお店で、

2005年からずっと販売し支援してきました。





買って飲んで味わって、

一緒に和平を応援しましょう!




セーブザオリーブ

オンラインショップはコチラから

http://savetheolives.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=2179302&csid=0




新年のご挨拶やお祝いにご希望の方は

下記HPご確認の上、お早めに☆





***セーブザオリーブ年末年始配送について

オンラインショップよりシェアココから****





【年末年始の配送につきまして】




☆年内発送最終日:1227日(水)

15時までのご入金確認で、

 最終日に発送いたします)


☆年始発送開始日:15日(金)


☆休業日:1229日(金)~14日(木) 


※緊急の場合はメール、FAX、お電話を。


貼り付け元 <http://savetheolives.shop-pro.jp/>



****シェアココまで******







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https://www.facebook.com/savetheolives/


タイベビール(Taybeh BeerFacebookはコチラ

https://www.facebook.com/taybehbeer/





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【当ブログ内関連記事】


パレスチナの暮らしと心を支えるフェアトレード ※追記アリ※


パレスチナでいま、ノンアルコールビールが大人気らしい件☆


【現地情報】オクトーバーフェストinパレスチナ &Newブリュワリー誕生!


Xmasにオススメ!パレスチナ産品を使った超カンタンレシピ☆




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パレスチナ産品&レシピ








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by shuklm | 2017-12-24 13:11 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない・パレスチナ和平を難しくしているものPart3;難民帰還という悲願





パレスチナ和平を難しくしているもの 最終回、
Part1;土地と水利権の問題、
Part2;エルサレムの帰属問題 の続き です。




私がエルサレム帰属問題と

難民帰還権の問題について

詳しく知ったのは、

NHKスペシャル「ドキュメント・エルサレム」2004放映)

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【写真はNHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」表紙より】



パレスチナ・イスラエル双方で

和平実現へ渾身の努力を続ける人たちと、

彼らをめぐる過酷な現実に肉薄する、

人生で最も衝撃を受けた番組のうちの1つでした。



今回は、主にこの番組と書籍を手掛かりに書いてみます。









■なぜパレスチナ難民が発生したのか?■






難民帰還権の話に入る前に、

基本的なところを確認しておきますと。



なぜパレスチナ人が難民にならなくてはならなかったのか?



一番わかりやすかったのは、

高橋和夫さんのこの解説。





***高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」より

  引用ココから*******





(パレスチナ難民の発生については)

”イスラエルとアラブ側で異なった歴史が語られている。





イスラエルの歴史によれば、

1948年の第一次中東)戦争中にアラブ側が

パレスチナ人に避難を呼びかけた。


アラブの軍がシオニストを攻撃するので、

その邪魔にならないように、一時脱出するように

との指令がラジオで流されたというのである。


アラブの軍隊の勝利の後に帰還すればよいと

思ったパレスチナ人たちは、そのため故郷を

離れたというわけである。”






”一方、アラブ側の歴史によれば、

アラブ諸国はそのような呼びかけはおこなっていない。


イスラエルがパレスチナ人を追い出したというのである。


その方法の一つとして取られたのが、

ディール・ヤシーン村の虐殺であった。




この村を包囲したシオニストの軍事組織

の一つ「イルグン・ツヴァイ・レウミ」の

一部隊が、老若男女を問わず村の住民の皆殺しをおこなった。


この虐殺のニュースはパレスチナ人の

あいだに広まり、恐怖にとりつかれた

パレスチナ人の大脱出が始まった。”






”この両者の中間に位置する以下のような説もある。


ディール・ヤシーン村民の虐殺が始まると、

これに気付いた付近の村のユダヤ人が、この虐殺を止めた。


だがアラブ側のラジオが、

ディール・ヤシーン村の女性に対する

暴行が起こったと脚色を加えて放送した。


これがパレスチナ人の避難を引き起こした。”






難民となったパレスチナ人への支援は

けっして充分ではなかった。


テントが不足し、上半身のみをテントに入れ、

足を出して寝たという悲惨なありさまであった。”





”イスラエルではパレスチナ人の「放棄」した

財産の没収、地名の変更、村落の破壊など、

パレスチナ人の生活の痕跡の抹消

ための施策がつぎつぎと実行に移された。



だがイスラエルのこうした政策も、

難民キャンプで呻吟するパレスチナ人の

脳裏からパレスチナの記憶を消し去ることはなかった。




こうして、パレスチナで少数派であった

ユダヤ人が多数派に変身し、

多数派であったパレスチナ人が少数派に転落した。”







****引用ココまで******






■故郷へ帰ることを願い続けて70年■






どの説が正しいのか断言できる根拠を

私は持っていません。

しかし少なくとも確かな事実は、

パレスチナの400以上の村が地図から消えたということです。

(フォトジャーナリスト広河隆一さんの調査による)




1948年の「独立戦争」に勝利した

ユダヤ人が、「故郷を取り戻す」

という悲願を果たした一方で、

故郷を追われ避難したパレスチナ人は

70万人(国連統計による)。


シリア内戦が激化するまで、

世界最大の難民はパレスチナ人であり

世界の難民の4人に1人がパレスチナ人でした。


参考:「パレスチナ子どものキャンペーン2015年次報告」






来年2018年で実に70年が経過、

その数はいまや1,000万人にのぼり、

帰郷を果たせないまま亡くなる1世代目、

生まれてから一度も「故郷」を

見たことのない4世代目も大勢います。





国連決議も帰還権を

認めているにもかかわらず、

帰るべき故郷がない。


なぜならイスラエルの軍事占領が続き、

そこで生活しているイスラエル人がいるから。




どちらかを立てればどちらかが立たない、

難題中の難題です。







■オスロ合意後、難民帰還権という核心に正面から向き合った2人■






NHKスペシャル

「ドキュメント・エルサレム」は、

そうした背景を含む、

パレスチナとイスラエルの

100年の歴史を縦軸に、


和平を推進しようとする

パレスチナ人サリー・ヌセイべ氏と、

イスラエル人メロン・べンベニスティ氏

2人の男性の人生を横軸に進みます。





パレスチナ人の大学教授

サリー・ヌセイべ氏は、

オスロ合意後、アラファト議長に抜擢され

和平実現に奔走した人物。


イスラエル人の歴史家

メロン・べンベニスティ氏は、

4次中東戦争後のエルサレム市の助役。




この二人の間で、エルサレムを

将来の2国の首都として共同管理すべく、

具体的に水道や電気などのライフラインを

どう分割していくのかまで、

細かい交渉が進められていきます。




同時に、土地の問題、難民帰還権の問題が

俎上に載せられます。






しかし、

「パレスチナ人にも同等の権利を

与えるべき」と主張した

ベンベ二スティ氏は、

ユダヤ人の反発を買って辞任することに。






さらに2000年、

当時のイスラエル首相シャロンが、

エルサレムのイスラム聖域に立ち入り。


歴代イスラエル政権さえ実行しなかった

暴挙に対して、パレスチナ人の

溜まりに溜まっていた不満が爆発。


第2次インティファーダが始まると、

シャロンはこれに軍事侵攻で応え、

和平プロセスは完全に暗礁に乗り上げます。







パレスチナ・イスラエル双方の

世論の理解がえられず、

困難を極める状況を打開するため、

下野したヌセイベ氏は思い切った策に打って出ます。




「現実的なパレスチナ国家建設を

認めさせるために、パレスチナ難民の

帰還を諦めるべき」と公言、

タブーに踏み込んだのです。



イスラエルの新聞の1面に

全身写真と意見広告を掲載し、

イスラエル世論へも訴えかける

一大キャンペーンを展開します。




が、この行為は

パレスチナ人からは激しく非難され、

街を歩いていても「裏切り者!」と罵られます。







それでもヌセイベ氏は訴え続けます。



「第一次中東戦争の前まで住んでいた

土地に戻れるという夢…。


その夢はもはや実現しないということを

パレスチナの人々に勇気を持って

伝えなければなりません。


その代わりに自分たちの国家をつくれば

新しい生活が始まるのだということを

人々に示す必要があるのです」。






ベンベニスティ氏も、

右派の台頭と分離壁建設が

和平を破壊すると発信を続けます。



「失ったのは私の方ではありません。


しかし、彼らが失ったものを

理解しようとすること。

分かち合おうとすること。

苦悩を負わせたのは私たちの側なんだ

という罪の重荷を抱えること。


それは、決して偽善にはならないと考えています」








「永遠の都エルサレム」に向かって

二人の思いがクロスする場面で、

番組は終わります。


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【写真はNHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」表紙より】








パレスチナ人であるヌセイベ氏が、

同胞の感情を傷つけることを承知の上で

それでもなお「諦めろ」と

言わねばならないという現実が

あまりにも切なくて、

番組を観終わった後も

言葉をつぐ事が出来ませんでした。







和平は、「仲良くするか・しないか」の

問題ではない。




「誰が何を諦めるか・諦めさせるか」、

という問題なのです。









■これが「和平」なのか??■





◆政治的には妥当な選択だとしても…◆





難民帰還権を放棄し、

イスラエル国家を承認するかわりに、

パレスチナ国家の独立を得る。



これ以上の流血を止めさせ、

具体的的和平を実現するためには、

おそらく政治的選択肢としては

一番現実的なオプションでしょう。



それは私も理解できます。





しかし、中東戦争で

イスラエルに故郷を追われた時に、

かつて住んでいた家の鍵を

ずっと大切に代々の家宝にしながら、

「いつか、あの我が家に帰るんだ」

ということだけを心の支えにして

これまで生きてきたパレスチナ難民が、

いったいどれほどいることか。



その夢を諦めろ、と

私はパレスチナの人達には言えません。



とても言えない。



どれほどの想いを

葬り去らせることになるのか。


その和平はあまりにも公正ではない。






◆ディール・ヤシーン村は、いま◆





パレスチナ難民発生のきっかけの

1つとなったディール・ヤシーン村。


2002年、シャロンの軍事侵攻が続く中

パレスチナを訪れた時、

偶然通りがかる機会がありました。




そこには生活の痕跡は跡形もなく、

代わりに「ヤド・ヴァシェム」

(ホロコースト犠牲者の記念碑)が建ち、

「ここはユダヤ人のものだ!」という

ヘブライ語の横断幕が掲げられていました。





それを見やりがら、

パレスチナ人の友人は言いました。



「この世に正義なんてないよ」、と。




そうではない、と言い切れる人がいるでしょうか?






ユダヤ人は、千年来の故郷に帰還を果たした。

では、なぜパレスチナ人は故郷に還れないのか。



この問いに答えられる人がいるでしょうか?








■パレスチナ・イスラエルが諦められない理由■






「いつか自分たちの国に帰るんだ」、

それだけを心の支えに生きていく。

それはかつてのユダヤ人の姿と同じです。


いま、そのユダヤ人によって

パレスチナ人が離散させられているという事実。






そもそも、何故イスラエルが建国され、

パレスチナ人が追い出され

なくてはならなかったのか?



ユダヤ人が何百年も迫害され、

ナチスに虐殺され、

「このままでは自分たちの居場所がない」

と思い詰めたから、

「安住の地」イスラエルが必要だった。




今も、「イスラエルを失ったら

自分達は世界中のどこにも行き場がない」

と思い詰めているから、絶対に譲れない。




現に、2014年のイスラエル軍による

ガザ攻撃時、ヨーロッパでユダヤ人への

排斥が悪化し、身の危険を感じて

イスラエルへ移住するユダヤ人が

急増したという事実もあります。


参考:2014年8月6日付 神奈川新聞記事





もし世界中のどこででも

生きていけると思えるなら、

こんなにもユダヤ人が

イスラエルという国家形態に

固執することはないはずです。





ユダヤ人がユダヤ人として

当たり前に暮らしていくことが

出来ない世界。


それが変わらない限り、

不安を抱えるユダヤの人たちの

固執がやむことはないでしょう。






これは世界中にかえってくる問題です。







パレスチナ難民が帰還権を捨てられないのは、

それ以外の希望や夢を叶える機会を

ずっと奪われてきたからです。



あまりにも理不尽で不公正が

まかりとおってきたから

それに未来を託すしかない。



パレスチナへの不公正がやまない限り、

彼らから望郷の念を消すことは

出来ないでしょう。







これは私たちの生きている世界の問題です。








だからこそ、そうであればこそ、

私たちの生きている世界を変えることで、

変えられる事があるはずなのです。







何かを成しましょう。


私たちの世界を取り戻すために。


その可能性を広げていくために。









※文章一部加筆しました(2017・12・19)


この文章は、10年書きたくても書けずお蔵入りしていたものでした。

読んでくださる皆様のお陰で形にすることが出来ました。

今回シェアしてくださった方々に特に御礼申し上げたいです。

何がしかのお役に立てれば本望です。





【当ブログ内関連記事】



▼和平について


和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題


私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題






▼ディール・ヤシーン村をめぐるやりとり

「この世に正義なんてないよ」。パレスチナ人の本音に、言葉を失う。  



▼ざっくりパレスチナ問題、オスロ合意まで

「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」



【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視




【参考図書など】


平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版


※2004年放映された番組「ドキュメント・エルサレム」は

2017年現在、NHKオンデマンドでは見れないようですが、

上記の番組プロジェクト書籍が発行されています。

ぜひNHKにオンデマンドリクエストをしてみてください!!




高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎

「アラブとイスラエル」

1992年 講談社現代新書


広河隆一さん著

「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で」

1998年 草思社


イツハク・ラビン著 

「ラビン回想録」

1996年 ミルトス

竹田純子さん訳・早良哲夫さん監修




byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-18 22:03 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題


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▲エルサレム首都認定1週間 「平穏壊さないで」

神奈川新聞1213日付(共同通信)





■トランプ発言でギリギリの緊張状態に■






イスラム教徒のパレスチナ人、

ハニさん(37


「これまでもこれからも、われわれは

ここで一緒に暮らしていくしかない。

そのためには平和が一番大切なんだ」





土産物屋を営むユダヤ人、

タミル・ドゥエクさん(40



10日前には(イスラム教徒が多い)

東エルサレムで昼食を食べたが、

今は危なくて行けない。

トランプ氏はここで暮らす全員を

危険にさらしている」


「われわれはもう十分傷つけ合ったのに」





キリスト教徒のパレスチナ人、

サミーラ・ハバシュさん(55


「平穏な生活が続くことを願うが、

何が起きるか全く予想がつかない」









■私が見たエルサレムも、共存を願っていた■





2002年、私がエルサレムを訪問したのは

2次インティファーダ(民衆蜂起)の

真っ只中でしたが、そんな時でさえ、

異なる宗教の人達がごく普通に

行き交っている街でした。


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▲NHK「時事公論」より、3大宗教の聖域





イスラム教の聖域、黄金色に輝く

「岩のドーム」側の礼拝から

帰ってくるスカーフ姿や

Tシャツ姿のアラブ人も、


そのすぐ裏側の「嘆きの壁」へ

向かう、キッパ帽をかぶったり

黒づくめのユダヤ教徒も、


キリストが磔になったゴルゴダの丘

跡に建てられた「聖墳墓教会」で

祈りを捧げるキリスト教徒も、

誰も争っている人はいませんでした。







市民ツアーコーディネイターの

パレスチナ人男性は言っていました。


「何百年も前から、ヨーロッパで

キリスト教徒が困ってやって来た時も、

ユダヤ人が世界中で迫害された時も、

僕たちはずっと受け入れて

一緒に暮らしてきたんだよ」。





西エルサレムに住むイスラエル人男性は、

「軍事占領が続いているから、

パレスチナ人の憎しみが募る。

イスラエルは、これ以上の占領を

やめるべきなんだ」と、

パレスチナ占領地での軍務を拒否しました。





西エルサレムのイスラエル首相官邸前で

毎週金曜に開催されていた平和集会では、


「Stop the occupation」

(占領を終わらせよう)、


「1City 2Capitals

(ひとつの都市、二国家の首都)


というスローガンが、

英語・アラビア語・ヘブライ語で掲げられていました。

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こうした集会は今も続けられています。

共存への願いは、今も変わっていないのです。






それを困難にさせているのは誰なのか?


和平を困難にしている要因のひとつとされる

「エルサレム帰属問題」は、何が難しいのか?








■エルサレムってどんな街?■







そもそもエルサレムって

どういう構造になってるのか?


改めて整理してみます。





▼エルサレム全体図。オレンジの囲みの中が旧市街、

その右側が東エルサレム、左側が西エルサレム。

※現地で入手したガイドブック「This Weekin Palestine 20026月発行」(FREE COPY)より

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エルサレムには、ざっくり3つのエリア

(西エルサレム、東エルサレム、

エルサレム旧市街)があります。




西エルサレム側は、クネセト

(イスラエル国会議事堂)や

首相官邸がある、比較的新しい街。



東エルサレム側は、

ムスリム居住区などがあります。



そしてエルサレム旧市街に、

3大宗教の聖地が集中しています。




有名なイメージはこの旧市街ですが、

もっとざっくり、東エルサレムに

旧市街を含めて報道されることが多いですね。







▼エルサレム旧市街の詳細(上記地図に、しゅくらむが加工)

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古い城壁に囲まれた旧市街は、

わずか1キロ四方ほど。

その中にギュッと圧縮されたように、

お互いの聖域が隣接しています。




紀元前からのエルサレム光芒の歴史を

ここでまとめるなど到底できませんが、

少なくともハッキリしていることがひとつ。




何百年もの間、

今まで何度も支配者が変わり、

危機的な状況に遭っても、

多くの人達は、何世代にも渡って

この小さな空間の中で居を構え、

商いを続け、礼拝に行ったり

学校に通ったりして、

ご近所さん同士として、毎日一緒に

暮らし続けてきているんです。




だからこれは、宗教対立じゃない。

政治の問題なのです。








■エルサレム帰属問題の変転■



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▲パレスチナ境界線の変遷

「ドキュメント 聖地エルサレム」平山健太郎さん著・NHK出版より





1947年、国連決議が定めた

パレスチナ・イスラエル分割案では、

「エルサレムは国連管理下の

国際都市とする」ことになっていました。




しかし、1948年の第一次中東戦争の結果、

西エルサレム側をイスラエルが、

東エルサレム側(旧市街含む)を

ヨルダンが占領。



そして1967年の第三次中東戦争で、

今度はイスラエル軍によって

東エルサレム(旧市街含む)が

併合されてしまいます。




直後の国連安保理242号決議では、

占領地からの撤退が決議されていますが、

イスラエルは応じていません。




パレスチナ側の、「将来の2国家共存で

東エルサレム側を首都に」という願いは

宙に浮いたままです。









■エルサレム帰属問題の「落としどころ」はどこに?■






◆イスラエル平和活動家が展望するエルサレムの未来◆





エルサレム問題の解決策について、

日本在住のイスラエル人平和活動家

ダニー・ネフセイさんが

非常に明快に示されていたので、

ご紹介させていただきます。






ダニー・ネフセイさん126日付FBより




***シェアココから****



「私のエルサレム問題についての意見。


西エルサレム=イスラエルの首都

エルサレム=パレスチナの首都

嘆きの壁・岩のドーム・近隣の

キリスト教会=国際管理地域。

これしかないのです。


いずれはそうなると信じています、期待しています。



しかしこれは実現するのは次の中東戦争の前かあとか?

戦争の前に実現出来るように声をあげ続けます。

貼り付け元 <https://www.facebook.com/search/top/?q=%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%BC%20%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%80%80%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0>





***シェアココまで********






本当にその通りと思います。

私も賛同します。



その実現によって和平を具体化しようと

渾身の努力を続けてきた人達も

パレスチナ・イスラエル双方にいるからです。


(この件は、Part3:難民帰還権の際に書きたいと思います)








◆100%の答えは存在しなくても◆







もちろん実現が容易ではないのは

重々承知しています。




そもそも国連の分割案自体が、

パレスチナ人が承知しないところで

決められてしまったものです。



一方イスラエルから見れば、

戦争で勝利して手に入れた領土

(違法にせよ、既に人が生活している)

を手放すわけですから、

双方失うものがゼロというのはありえない。




そして、日本人の私が、

「二国家共存」と言い切ることで、

納得していないパレスチナ人を

傷つけることになるのではないか

という怖れも持っています。





それでも、

誰もが納得する答などない中で、

少なくとも、

これ以上の流血を起こさせないために、

次善の政治的解決策を現地の人達が選択

できるように、周りが支援するべき

なのではないでしょうか。




ギリギリで踏みとどまっている

共存への望みの糸を、

外側から引きちぎるようなことが

あってはならないと思うのです。





日本でも、

「私達はトランプ発言を支持していない」

「二国家共存を支持している」

という声を可視化していきましょう。




# 1City 2Capitals

(ひとつの都市、二国家の首都)

# Stop the occupation!

(占領を終わらせよう!)

# We don't support Trump's declaration

(私たちはトランプ発言を支持しません)

# We support peace!

(平和を支持します!)





ぜひ一緒にお願いします!





また、エルサレム現地で活動している

平和団体のURLを貼ります。

イイねやシェアで支えていきましょう!!





AIC(オルタナティブ・インフォメーション・センター)

私が話を聞いた兵役拒否者の男性が務めていた

パレスチナ・イスラエル共同のNGO

エルサレムを中心に活動。



▼ピース・ナウ

イスラエル最大の平和団体。

エルサレムやテルアビブで平和集会を共催。

イスラエル議会内和平派や中間層に大きな影響力を持つ。




JVC(日本国際ボランティアセンター)さんが

「パレスチナを支援するイスラエルのNGO」についてまとめてくださってます!!

パレスチナを支援するイスラエルのNGO



特にこちら、世界最大の紛争防止NGO

Search for Common Ground」は、

エルサレム聖地を巡る問題を

対話により解決するために取り組んでいるそうです!

https://www.facebook.com/sfcg.org/








【当ブログ内関連記事】




和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題



【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視





【参考図書など】


高橋和夫さん著


「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎


「アラブとイスラエル」

1992年 講談社現代新書



平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版






byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-17 00:01 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(3)

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題







■オスロ和平合意は、なぜうまく行かなかったのか?■





2002年に現地を訪れた時、

「(1993年の)オスロ合意について

どう思う?」と、街なかで尋ねると、

パレスチナ人からもイスラエル人からも

異口同音に、「オスロ合意は死んだ」

という答えが返ってきました。




それはなぜか??





確かに、

「とにかくこれ以上の流血を止める、

お互いを交渉相手として認め、

恒久的解決を目指す」、

という合意は成立しました。




しかし問題だったのは、

その二国家実現のための具体論。


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和平を難しくしている要因は、

ざっくり3点と言われています。



1、土地と水利権の問題

2、エルサレムの帰属問題

3、難民帰還権の問題




こうした重要な問題を解決してから

議論に移れればよかったのですが、

オスロ合意内容は

「とりあえず外堀埋めてから、

大事なことはそのうち決めようね」

というものでした。



合意前の矛盾はそのまま

先送りされ、拡大しまったのです。



オスロ合意後、新たな交渉が

すべて座礁したのも、結局この3点を

クリアできなかったからでした。






今回は、土地と水利権について、

高橋和夫さんの著書や

田中宙さんのメルマガ等を手掛かりに、

書いてみます。







■なし崩しの入植と、分離壁建設■





パレスチナとイスラエルの

土地の取り分問題について、

例え話でよく言われるのが、


「ピザの分け方を決めている途中に、

一方がどんどん食べちゃってる状態」。





1967年の第3次中東戦争で

パレスチナ全土を占領したイスラエル。


それは1947年の国連決議ラインを

大きくはみ出していました。




オスロ合意成立後、イスラエル軍は

暫時撤退するとなっていたのですが、

実現したのは4割程度。



一方で、すでに1970年代から、

占領地にイスラエル人が入って定住していました。


さらに2000年代、その入植地を囲んで

巨大な分離壁が建設されていきます。


事実上のイスラエルへの併合でした。

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▲延々と続く分離壁

写真元はコチラの映像

「Veterans For Palestine」▼

https://youtu.be/lVCuhkzSb-M







まさに、「ピザの食べちゃったところ」

に当たるのが、入植地。

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▲高橋和夫さん著「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」より



降雨量の少ないこの地域で、

実質上の水利権が減り、

人や物資の往来も困難となった

パレスチナ経済は、大打撃を受けます。






虫食い状態のパレスチナの土地が、

将来の二国家の領土を決める前に、

さらになし崩し的に削られていく。


「これはあまりにもフェアじゃない、

どうやって仲良くできるんだ?」

というのがパレスチナ側の憤りです。




それは全くその通りだと思います。





占領地への入植は国際法違反であり、

国連安保理決議や国際司法裁判所が

何度もやめるよう求めましたが、

イスラエルは応じてきませんでした。




では、なぜ国際的非難の大きい入植を

イスラエルはやめられないのか?


入植者とはどんな人たちなのか?







■政治活動・「西部開拓」としての入植■





田中宙さんは、特異な政治活動家である

入植者たちの姿を、

パレスチナ人という「インディアン」を

撲滅させて自分たちの国を作るという

現代版「西部開拓」だと指摘しています。






田中宙さんメルマガ200575日付より



****引用ココから*****



”イスラエル国内では「これらの土地(占領地)は、

聖書やバルフォア宣言によって、

イスラエルの領土になると約束された場所であり、

返還する必要はない」という意見が出てきた。



そしてその主張に基づき、

1970年代半ばごろから、

イスラエル人が立ち入りを禁じられていた

軍政下の西岸やガザに入り込み、

パレスチナ人が使っていない乾燥した丘の上などに

簡素な家を建てて住み、

そこを事実上イスラエルの一部にしてしまう

という政治運動を拡大していったのが、入植者だった。”




”入植者は、周辺の町や村のパレスチナ人の土地を

有刺鉄線で囲んだりして奪取し、

翌日パレスチナ人と銃撃戦など衝突になると、

それを抑えるためと称してイスラエル軍が

入植地を警備するようになり、

軍に守られるかたちで、

入植地が拡大していった。



パレスチナ人から見れば、

入植者は「テロリスト」そのものだった。”





”(しかし)イスラエルには43万人の入植者が

いることになるが、このうち活動家の入植者は

おそらく2-3万人と思われる。”




*****引用ココまで**



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時2005年のもの





実は、こうした確信犯的・

特異な政治集団は一部で、

入植者の大部分が、

イスラエル国内の低所得層

という事実があるそうです。



ではその人たちは、

どういう動機で入植しているのか?







■入植地内の低額住宅へ―イスラエルの格差問題■






1980年代後半頃まで、

入植者は不足していたそうです。




高橋和夫さん著書「アラブとイスラエル」より

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****引用ココから****




”熱狂的な宗教心に燃え、

シオニストの夢の実現のために

アラブから土地を奪って住み着こう

というユダヤ人はそんなに

無尽蔵にいるものではない。



そこで(イスラエル)政府は、

入植地の建設に補助金を与えて、

入植地なら安く住宅が手に入るような

仕掛けにして入植者を募り始めた。



結果として、入植者といっても実情は

グリーン・ライン(軍事境界線)内部では

住宅を手に入れられなかった、

埼玉都民や千葉都民のような人々が増えていた。



占領地からイスラエルへ通勤するわけである。



入植地のアパートなら

政府の援助のおかげで

安く手に入るからという理由の

「占領地都民」の「入植」であった。




入植地という言葉からは

砦のようなものを想像しがちだが、

実際は公団住宅や

私鉄沿線の新興住宅地

といった風情の場所もある。



「入植者」の85%は、

エルサレムかテルアヴィヴまで

30分の通勤圏に居住している。




だが、入植者の動機が、

イデオロギーであろうが

住宅難であろうが、結果として

パレスチナ人の土地が奪われることには変わりはない”




**********



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時1992年のもの







中道左派の労働党によると、

イスラエルでもワーキングプアが

増大しているそうです。





そんな中で入居した人達にとって

入植地を手放すということは、

ようやく手に入れた我が家と

今の生活を放棄するということ。


だからやめたくてもやめられない。




そして入植者は、

現政権与党である右派リクードの

強力な支持基盤となっています。


脆弱な政権であるネタニヤフ首相

(現リクード党首)としても、いま

入植をやめるわけにいかないのです。




ここでも政策を左右しているのは、

「票田への配慮」でした。








■どう考えていけばいいのか??■






私が直接話を聞くことが出来た

パレスチナの人たちも、

和平交渉の最前線にいた人達も、

語っていた解決策は同じでした。




「入植地の建設をやめること。


ユダヤ人に、全土から出ていけ

とは言わない。


1967年の第3次中東戦争前まで

撤退してくれればいいんだ」と。





どうすればそれを実現できるのか?





もちろん国際社会の介入が

不可欠だと思いますが、

ここでは別の視点であえて書いてみます。





和平実現を困難にしている入植地。

その入植者の多くが、イスラエルの

比較的所得が低い人たち。


つまり、イスラエル国内の格差問題・

貧困問題が、パレスチナへ

しわ寄せされているということです。




であるならば、

格差問題として考えればどうでしょうか。


入植地にわざわざ住まなくても、

低所得者が暮らしていけるようになるとしたら?






そもそもアラファト議長とラビン首相が

和平へ舵を切ったのも、

経済的理由が大きかったのです。



ラビン首相は、アラブとイスラエルの

巨大市場「中東経済構想」を唱え、

実際にオスロ合意直後、

欧米・日本・世界銀行などが次々と

数億ドル単位の援助を表明し、

経済効果はその数倍と言われました。


これが和平崩壊によって失われたのです。





そしてイスラエル国民に、

軍事費だけが重い税負担として

のしかかっています。




先進国とされているイスラエルですが、

2013年OECD実施の調査では、

加盟34か国のうち、

最も相対的貧困率が高く、

最も格差が大きい国となっています。


(イスラエルの左派新聞『ハアレツ』

および『日本語版ハフティンポスト』

20130522日付より)






トランプやサンダースを大統領候補に

押し上げたのも、格差問題。

ネタニヤフを下支えしているのも格差問題。



トランプやネタニヤフを非難するだけでは変わらない。




世界を覆う格差・貧困問題の解決は、

打開の糸口のひとつとして、

落としてはいけない視座だと思うのです。






和平を難しくしているものpart2:

「エルサレムの帰属・

難民帰還権の問題」は

次回掘り下げたいと思います。




【当ブログ内関連記事】


パレスチナ問題や

オスロ合意までのざっくり歴史は

コチラに書きました。

よろしかったらご覧ください▼


「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」

パレスチナで何が起こってきたのか?【最新現地動画byVFP 有り!】


【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視




【主な参考図書など】


高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎


「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」

1992年 講談社現代新書



田中宙さん 無料メールマガジン

「田中宙の国際ニュース解説」



広河隆一さん著

「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で」

1998年 草思社



平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版



イツハク・ラビン著

「ラビン回想録」

1996年 ミルトス







byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-12 06:59 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

パレスチナで何が起こってきたのか?【最新現地動画byVFP 有り!】



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▲2002年6月。F16戦闘機で破壊された小学校の校庭に散らばる教科書
          






◆私が見たパレスチナ◆







小学校が戦闘機で攻撃される▼

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救急車が検問所で停車させられる▼

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民家が住んでる人ごと轢き潰される▼

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(もちろんすべて国際人道法違反です)






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私自身も、イスラエル軍の

戦車の砲撃音が迫り来るのを聴き、

真夜中、照明弾を目にし、

戦車部隊に包囲されて

一晩を過ごしました。






もう10年以上も前の2002年、

市民交流ツアーに参加した時のことですが。







オスロ合意を成立させたイスラエルの

ラビン首相が暗殺された後、

シャロン首相がパレスチナ自治区に

突然軍事侵攻し、ついに

第2次インティファーダ(民衆蜂起)が

始まった頃。








それでもその中で出会った人達は、

朝が来ればご飯を食べ、

決まった時間に礼拝し、

学校や職場へ行き、

家族や友人たちと談笑しながら

サッカーワールドカップに熱中する

ごく普通の生活を送っていました。





▼破壊された小学校の校門から

そーーっと覗いていた恥ずかしがり屋のこどもたち。

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▼ジェニン難民キャンプ、瓦礫の前で。

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▼ヨルダン川西岸地区トゥルカレムの街中で。
障害があっても人懐っこい笑顔の少女。
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アラファトPLO議長の元で

ゲリラ戦を闘った

歴戦の老指揮官は語っていました。


「オスロ合意後、

イスラエルとは隣人でした」と。▼

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イスラエル軍戦車や軍用ヘリや

ブルドーザー等で破壊された

ジェニン難民キャンプの瓦礫の前で、

キャンプの責任者の方は言いました。


「ユダヤ人を憎んでいるわけでは

ありません」、と。

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誰も紛争など望んでいなかったのです。










◆「過激派」が支持された理由◆






確かに「過激派」ハマスなどの

「自爆」攻撃もありました。




ハマスが支持されたのは、

和平合意を反故にして

軍事侵攻してきたイスラエルに対して、

和平合意を捨てないPLOファタハ

(パレスチナ暫定自治政府)が

無策に映ったからでした。



「ただ殺されるのを待っているより

一矢報いたい」と、「自殺攻撃」に

志願した若者も多かった。



さらに、かつての英雄アラファトや

暫定自治政府の腐敗に比べて、

社会保障などに注力するハマスは

具体的でまともな勢力だったのです。





しかし、すべてのパレスチナ人が

「自爆」=自殺攻撃を支持している

わけではありませんでした。


「暴力によらない手段で

パレスチナの未来を創りたい」と

活動する個人や団体とも交流しました。





いまも、非暴力の抵抗は続いています。










◆最新現地動画、撮って出し! byVFP






今年2月、平和を求めるアメリカの元軍人たち

ベテランズ・フォー・ピース(VFP)が、

パレスチナ自治区のガザ地区と

ヨルダン川西岸地区を訪れ、

軍事占領への非暴力抵抗行動に参加しました。




その動画が公開されています▼

https://youtu.be/tJaD_N-hkoI



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軍事占領下、「テロを防ぐ」という名目で

建設された巨大な「分離壁」で

ズタズタに分断されてしまった

パレスチナの大地▼

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銃声がこだまし、催涙弾が飛来する

緊迫した状況での非暴力直接行動▼

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動画にも登場するVFPメンバーの

マイク・ヘインズさんも、

「いままでのVFPの活動の中でも

最も危険を伴う行動だった」と

語っていました。



米軍最強の特殊部隊の出身者ですら

そう実感するような現場。








それでも、

そこに暮らし続けている人たちがいる、

諦めない人たちが人たちがいるのだと、

伝え続けたいのです。





私がパレスチナを離れる時、

滞在中にお世話になった

エルサレム旧市街前の

宿のオーナーが

別れ際に贈ってくれたのは、


「いつの日か、平和になった

パレスチナで会おう」という

言葉だったからです。









▼よろしければ、パレスチナ現地レポは

こちらからご覧下さい


【関連カテゴリー】

パレスチナ自治区 現地レポなど




なお、このブログは、

「こんなに酷いイスラエル」というのを

確認して糾弾して終わり、というのが

本意ではありません。


パレスチナ問題ってなんなのか?

どこに解決の手掛かりがあるのか?

日本の私達が出来ることは何なのか?

について、及ばずながらも考え続け、

少しでも可能性を広げたいのです。


よろしければこちらも併せて

ご覧いただけると有難いです▼


「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?


「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1


「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2


「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」


エルサレムでの「聖域封鎖」は、共存を脅かす。




【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視

イスラエル 現地レポなど



※動画「Veterans For Palestine」のリンクを張り直しました(2017.12.11)




byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-07 22:33 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(2)

トランプ米大統領「エルサレムはイスラエルの首都」は何故アカンか?ざっくり書いてみた。※追記アリ





【写真は2017年12月6日11時02分NHKニュース速報より】
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米トランプ政権 エルサレムをイスラエルの首都と認定へ

12月6日 11時02分 NHKニュース速報

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171206/k10011248121000.html

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【写真は12月6日11時02分NHKニュース速報より】






◆何がモンダイか??あえて単純化してまとめると。◆





・「永遠の都エルサレム」は、

イスラム教徒もユダヤ教徒も

(もちろんキリスト教徒も)

ずーっと共存してきて、

「将来の共同首都」というのが

パレスチナ・イスラエル和平で

目指されていたから。



・オスロ和平合意後、一時期は

パレスチナ・イスラエル間で、

エルサレム共同管理のために、

水道や電気等のインフラを

どう分割して引くかとかまで

具体的な詰めの作業まで進んでいたから。



・その後、イスラエルの軍事占領や

それへの抵抗で、対話が途絶え、

パレスチナからもイスラエルからも

「オスロ合意は死んだ」って

言われて久しいけど、

「共同首都」構想は

唯一崩壊していなかった。


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【写真は12月6日11時02分NHKニュース速報より】




・それなのに今になって

イスラエルだけに首都と

認めるってことは、

そのオスロ合意すら

ちゃぶ台返しするってことになってしまう。



・不完全な合意内容だったけど、

それでもないよりはマシだった。


国際社会が介入して、

50年がかりでようやく成立した

その和平合意以前に逆戻りするってことです。


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【写真は12月6日11時02分NHKニュース速報より】







◆「エルサレム首都認定」がもたらす意味◆





1948年の第1次中東戦争から

1967年の第3次の中東戦争まで、

アメリカなどの後押しを受けた

イスラエルに惨敗したアラブ諸国と、

第4次中東戦争でエジプト・シリアに

潰走させられたイスラエル。



その後、お互いに睨み合ったまま

危ういところで保たれていた中東の均衡。




そして1980年代、

イスラエルの軍事占領に対して、

それへの抵抗として、

丸腰のパレスチナ人たちが

戦車に石を投げて始まった

インティファーダ(民衆蜂起)。





そうしたパレスチナ紛争の

解決を目指して、

オスロ合意を取りまとめたのは、

当時の米大統領、ビル・クリントン。




この数少ないアメリカの

外交的成果まで消失させ

中東政策の場当たりさを晒した、

今回のトランプ発言。


もし首都移転が現実化されれば、

中東の不安定化を一挙に加速させてしまう。



(「IS掃討」でかき消されていましたが、

もともと彼らの怒りの根源は、

パレスチナ問題にもあったからです)






深刻なのは、

おそらくトランプ大統領自身が

一番デリケートなスイッチであることを

まったく理解しないままで、

ど真ん中を押そうとしてるってことだと思います。







なんでそんな危険なことを??◆






世界最新鋭の兵器市場イスラエルへの

テコ入れというのはあるかもしれませんが、

個人的には、もっとも直截的な理由は、

もっと近視眼的だと思います。




大統領選挙でも大きな影響力を発揮した、

トランプの票田「キリスト教福音派」。


「エルサレムに神殿再建設」を掲げています。





【写真は12月6日11時02分NHKニュース速報より】

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▲エルサレムの神殿の丘

(イスラム教徒やユダヤ教徒が

祈りを捧げてる聖域)




ココにいきなりトレーラーで乗り付けて、

デッカい建設資材とか運び込んで

神殿建設強行しようとした極右宗教団体と

同様の主張をしてるような人達です。



(NHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」に

再建強行未遂の詳細記述があります)





フツーにアカンでしょう、ソレ。






そんな特殊な「票田への配慮」のために

中東全体が付き合わされるなんて、

たまったもんじゃない。



パレスチナやイスラエルの良心的な

和平派の人たちが孤立することに

なってはいけないと思います。







今回はまともな日本政府の対応◆





2017年12月6日現在、日本政府は

「(首都)テルアビブの日本大使館を

エルサレムに移転する予定はない」と

エルサレムを首都として認めない旨を

表明していますが、これは賢明だと思います。



私は安倍政権自体は全く支持しませんが、

個別の外交課題について

対米一辺倒でないのは

ちゃんと評価して後押しすべきかと。


「トランプに脅されてもOKするなよ」と。



「米国の真の友人」と言うのなら、

そのスイッチの意味を伝えるべきでしょう。







日本の私たちに出来ることは??◆





パレスチナ・イスラエルの和平派を

支えていく必要があると思います。




「エルサレム首都認定」を唱える

イスラエルのネタニヤフ首相は、

国会では絶対多数を確保していません。



和平派・中道派への後押しが重要です。




パレスチナ・イスラエル双方の

和平に取り組んでいる団体の

URLFBを末尾に貼ります。



ぜひイイねやシェアや応援コメントで

勇気づけましょう!




すべて英語メインですが、

(語学力がなくて訳せなくて

申し訳ありません…)


I support you from Japan!

(日本からあなた達を支持してるよ!)

だけでもいいと思います!!






【関連アドレス】



▼ピース・ナウ

イスラエル最大の平和団体。

議会内の和平派や中間層に大きな影響力を持つ。



▼PeaceNow2018年5月14日付けバナー ぜひ拡散を!!

「トランプ、エルサレムはあんたのオモチャじゃない!!」 

b0343370_17393825.jpg

Facebook

https://www.facebook.com/PeaceNowIsrael?fref=ts


Twitter






▼「Palestine Center for Rapprochement Between People

Rapprochementは「国家間の親善」の意。

1988年(第1次インティファーダ開始直後)、

パレスチナとイスラエル双方で設立。

http://www.rapprochement.org/



▼「Bleaking The Silence (沈黙を破る)

イスラエル元将兵が、パレスチナ占領地での

自らの体験(人道的犯罪)と向き合い、語り継ぐ活動。

https://www.facebook.com/BreakingTheSilenceIsrael?fref=pb&hc_location=profile_browser

http://www.breakingthesilence.org.il/





【当ブログ内関連記事】




私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題




和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない・パレスチナ和平を難しくしているものPart3;難民帰還という悲願



「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」




「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。





※追記※

エルサレム神殿の丘にトレーラーで乗り付けたのは、
「テンプルマウント・フェイスフル」というイスラエルの極右宗教団体です。
主張は「福音派」と同じ「エルサレム神殿再建」ですが、
両者を混同する書き方をしてしまったので訂正させていただきました。
また、出典はNHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」でした。
こちらも訂正させていただきました(2017.12.6)


※追記2※
イスラエル最大の平和団体「ピース・ナウ」にリンクを張り替えました。
ぜひシェアを!!(2017.12.7)


※追記3※
より正確な文言に修正しました。
オスロ合意ではエルサレム帰属問題は確定しておらず、合意後に将来の共同首都について協議して行くことになっていたので、「和平で目指されていた」に修正しました。
中東戦争でイスラエルを支援していたのはアメリカだけではなくフランスや旧ソ連もあったので、「アメリカなどの後押しを受けたイスラエル」と修正しました。
大急ぎで書いたとはいえ、不正確な表現で申し訳ありませんでした。(2017.12.13)


※追記4※
「ピース・ナウ」のエルサレム大使館移転反対バナーを追加しました
ぜひシェアを!!(2018.5.14)




byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-06 22:02 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

パレスチナ・イスラエル、それぞれの思い〜第2次インティファーダ時に聞いた言葉。



凄惨なニュースが続き、

現地の生の声が聴こえなくなっています。




あの地で暮らしている人たちは、

何を感じ、何を願ってきたのか。





私がパレスチナ・イスラエルを

訪れたのは、2002年6月。


第2次インティファーダ

真っ只中の時期でしたが、

それでも現地では

衝突を望まない多くの声を聞きました。





私の体験など限られたものですが、

友人が聞いた言葉を含め、

少しでもそれを伝えさせてください。







■パレスチナの人たちの声





「自分たちが、世界から

見捨てられたと思うことが、一番辛い。



あなたたちが来てくれたから、

世界から忘れられていないと思える。


それが希望になるんだ




(パレスチナ自治区・

ヨルダン川西岸地区の住民)





「世界中の人に、

パレスチナの味方になって欲しい

とは言いません。


ただ、平等に見て欲しいだけなのです」




(ガザ地区・

パレスチナ人権センターの職員








「間違えないで欲しい。


占領しているのは

イスラエルであって、

パレスチナではありません」


(現地訪問ツアーを案内してくれた、

エルサレム在住の

パレスチナ人コーディネーター)







「イスラエルとは、隣人でした。


以前は、私たちはお互いに

訪問しあったり商売をしたりして、

友情もあったのです」




(ヨルダン川西岸地区・

トゥルカレムの知事)








「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません。


自分たちが暮らしていく権利を

勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、

問題はなくなります」




(ヨルダン川西岸地区・

ジェニン難民キャンプの責任者)









■イスラエルの人たちの声





「永久に戦争を続けることはできない。

そう考えたから、

兵役を拒否しようと思ったんだ。




占領があるから、

パレスチナ人の憎しみが募る。

悪循環だ。


それを断ち切る方法は、

たったひとつ。




イスラエルは、

もうこれ以上の占領を

やめるべきなんだ」




(エルサレム在住、

兵役拒否者の30代の男性。

パレスチナ人とイスラエル人が

共に運営するNGOの職員)








「私はイスラエルが好きだから。


だから間違ったことはしてほしくない。

私は正しいことをしたい。



占領は正しくない。

だから反対しているの」



(エルサレムで、

イスラエルの平和団体が主催した

占領反対の集会に、

イスラエル国旗を掲げて参加した16歳の少女)








「この戦争は、じいさんばあさんの

時代から受け継がれてきたもので、

ハッキリ言って、俺には関係ない。



俺は誰のことも憎んでないし、

誰のことも殺したくなんかない。



だけど、今のオレの仕事は

(徴兵された)兵士で、

これをやるしか仕方がないんだ!


俺にはどうすることもできない。

俺には何もできないんだよ!」




(ヨルダン川西岸地区、

バリケードで封鎖した街の入り口で

銃を構えていた若いイスラエルの兵士)









イスラエルの兵士自身ですら、

わざわざ殺し合いなど望んでいなかった。




当時出会った人達、

この言葉を発したひとりひとりに、

いまどう考えているのかを確かめることはできません。





けれど、少なくともいま現在も

イスラエルで占領に反対する声は

消えていないし、

占領の実態を自らの口で

語り続ける元将兵たちも存在します。




占領とは、パレスチナ・イスラエルに

一体何をもたらしているのか?


イスラエルの将兵たちが「最前線」で

体験したその実態とは?





次回以降、それをお伝えしていきたいと思います。




【元イスラエル将兵が語る占領リアル】


元イスラエル兵が語る占領リアルpart1・ついこの間までニンテンドウのゲームをやってた18・19歳の少年が、人間的に壊れてしまう理由。


「自分がモンスターだと自覚したら、次の日2度と起き上がれないだろう」。イスラエル元兵士が語る占領リアルpart2


「水曜にパレスチナ人の車を装甲車で踏み潰して、週末にイスラエル内で赤信号をじっと待てると思いますか?」元イスラエル兵が語る占領リアルpart3




【その他の当ブログ内関連記事】


201524UP記事  哀悼…そして、「紛争地」で望まれている支援とは? ジャーナリストやNGОは、「その場にいるだけで」人道支援になりうる。 ↓

http://syuklm.exblog.jp/24093955/


201499UP記事  ガザからの、伝言。↓

http://syuklm.exblog.jp/23346747/


2014115UP記事  【時事】続・エルサレムでの聖域封鎖/占領しているのは誰なのか? ↓

http://syuklm.exblog.jp/23688371/


2014822UP記事  「イスラエルとは、隣人でした」。↓

http://syuklm.exblog.jp/23210029/


20141012UP記事 ジェニン3・住民の証言 ↓

http://syuklm.exblog.jp/23547863/


20141231UP記事 滞在最後の夜。ついに実現した、兵役拒否者との対話。↓

http://syuklm.exblog.jp/23946863/


2014119UP記事  エルサレムにて2・異彩を放っていた、イスラエル国旗を掲げた少女。↓

http://syuklm.exblog.jp/23709284/


2014816UP記事  終戦の日WEEKに。イスラエル・若い兵士が思わず口にした「心の声」とは。↓

http://syuklm.exblog.jp/23173252/




byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-10-19 20:58 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

【時事】パレスチナで「第3次インティファーダ」の報。直接の原因は?



前回記事の最後に触れた

「第3次インティファーダ」と

報じられている事態について書きます。



国連総会でも、

パレスチナ代表アッバス議長が

演説冒頭で「エルサレムで深刻な事態が

起きている。宗教対立が政治的対立に

転化することを防止すべきだ」と

警鐘を鳴らしていましたが、

それが現実となってしまっています。






イスラエル:パレスチナと衝突激化…第3次民衆蜂起の恐れ(毎日新聞 2015年10月06日付)↓

http://mainichi.jp/select/news/20151007k0000m030109000c.html








「また宗教対立」? 「どっちもどっち」?






なぜ衝突が起こっているのか?



今回の直接の原因をたどっていくと、

去年10月、エルサレムにある聖域を

イスラエル当局が封鎖し

イスラム教徒だけ礼拝を出来なくしたことに突き当たります。






エルサレムの聖域について

少しだけ図説させていただくと。




古い街並みが残るエルサレム旧市街(四角の枠内、オレンジで囲まれた箇所)

 ※現地で入手したガイドブック「This Weekin Palestine 20026月発行」(FREE COPY)に筆者が加工したものを再掲


封鎖されたハラム・アッシャリフ(図の楕円形内)は、イスラム教とユダヤ教両方の聖域が隣接する丘。



黄金色に輝く屋根で有名な「岩のドーム」や、

イスラム教徒が毎週金曜、礼拝に訪れる「アル・アクサ―・モスク」があるところ。



もともとユダヤ王国最盛期の神殿の跡地なので、ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれています。

その外壁の一部が残っているのが、ユダヤ教徒が祈りを捧げる「嘆きの壁」。




wikipedia「神殿の丘」より再度画像を拝借しました

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AE%BF%E3%81%AE%E4%B8%98


↑手前の壁が、ユダヤ教の「嘆きの壁」。

壁の向こう側の金色の屋根が、イスラム教の「岩のドーム」。

本当に、お互いの聖域が重なり隣接しているのがわかります。







ユダヤ教徒は今まで通り礼拝が出来るのに、

イスラム教徒だけがハラム・アッシャリフ

への出入りを禁止されたため、

現地の緊張が高まっていることを

昨年11月当ブログでも書きました。




繰り返しになりますが、

敢えて言うと、これは

「宗教対立」が原因ではありません。


「片方の宗教だけ不平等に扱うことで生み出されている対立」です。






なぜなら、

今まで対立や衝突や戦争があっても、

各宗教の聖域への出入りと

礼拝の自由は保障されていたからです。



1967年の第3次中東戦争に圧勝した

イスラエル軍がエルサレムに入城した

時ですら、ここを封鎖することまではしませんでした。






”第三次中東戦争でイスラエル軍が

エルサレム旧市街を占領したとき、

ダヤン国防相は、イスラムの聖域について、

自主管理と礼拝の自由をこれまで通り

認めることを、イスラムの長老たちに約束した。”



”その後、歴代のイスラエル政府は、

労働党、リクードの別を問わず、

ダヤンの「現状維持」と棲み分けの協定を尊重してきた。


イスラエル人や外国人観光客の

イスラムの聖域への立ち入りは認めるものの、

ユダヤ教徒を含む異教徒の、

イスラムの聖域内での礼拝や

これに類似する行為は禁止するなど、

ワクフ(イスラム財団)側との合意を、

一応誠実に守ってきたと言ってよかろう。”




平山健太郎さん著「ドキュメント 聖地エルサレム」(NHK出版・2004年発行)より引用。



※なお、現在イスラムの聖域「岩のドーム」は、外国人観光客にも非公開になってしまっています。






もともとエルサレムは、

イスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も、

何百年も一緒に混在して居住していた地域。



デリケートな場所だからこそ、

お互いの宗教を侵さずに平等に

扱うよう政治的に配慮するのが、

いくつもの聖域を頂くこの古都で

ずっと守られてきた最低限のルールだったわけです。





それなのに、イスラム教の聖域だけが

繰り返しバリケードで封鎖され礼拝することができない。


それどころか、「モスクを取り壊して

ユダヤの神殿を再建すべし」と

実力行使を唱えるユダヤ人極右や大臣が、

大勢の治安部隊を率いてハラムアッシャリフへ出入りしている。




「治安上、両方出入り禁止」ならわかるけど、

片方の宗教だけ禁止で、

片方はスルーって、おかしいでしょ。



全然、「どっちもどっち」じゃないんです。




実際に過去には、ユダヤ人極右が

「モスクに神殿を再建するため」の礎石を

突然トレーラーで運び込もうとして

イスラム教徒側と騒乱になり、

国連調査団まで入ることになった事件も起こったそうです。




イスラム教徒にとって礼拝に行くのは、

毎日3度の食事をとるのと同じくらい

一連の日常の動作なのにそれが許されず、

その真横の広場でユダヤ人極右はガンガン集会を開いてる。





怒って当然ではないですか?





もちろん、ユダヤ人極右の立ち入りを

阻止しようとしてユダヤ人極右活動家を

襲撃したパレスチナ人の行動を私は支持できません。



しかし、封鎖を解かない限り、

これに対する抗議がパレスチナ全域に

広がっていくのは、ある意味

当然の帰結だと思うのです。








2次インティファーダ(アル・アクサー・インティファーダ)の引き金となった場所





しかもいま立入禁止にされている

「アル・アクサー・モスク」は、

2次インティファーダ(民衆蜂起)

の引き金となった、まさに因縁の場所です。




メッカのカアバ神殿ができるまで、

イスラム教にとっては1番神聖な場

とされてきた、

異教徒は立ち入ることの出来ない場所。




20009月、このアル・アクサ―・モスクに、

当時の首相候補だったシャロン

(強硬派リクードの党首)が

1,000人の武装したSPを引き連れて

乗り込んだことに抗議して、

パレスチナ人の大規模な抵抗

「第2次インティファーダ」=

別名アル・アクサー・インティファーダが始まりました。



宗教上も政治上も細心の注意を払うべき場で、

あえて「土足で踏みにじるような」

挑発的な行動をとることで対立を爆発させ、

それを利用する形で首相となったシャロンは、

9・11後「テロとの戦い」を前面に掲げて

ガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻を強行しました。




第2次インティファーダの図(アルアクサ騒乱のニュース写真・2001AP通信)

出典:平山健太郎さん著「ドキュメント 聖地エルサレム」(NHK出版・2004年発行)より


アル・アクサー・モスクへ通じる道を封鎖する武装したイスラエル軍兵士に抗議して、履いていた靴を脱いで投げつけ抗議するパレスチナ人たち


靴なんかじゃ到底かなわないのはわかっていても、

整備された石畳では投げつける石も手近になくて、

とにかく止むにやまれぬ思いだったのでしょう。



自分たちが大切にしてきたものを、

目の前で何度も何度も一方的に踏みにじられても、

「それでも黙ってろ」と世界は言えるのでしょうか?








何が必要か?





私がパレスチナ・イスラエル現地を訪れたのは2002年6月。



ちょうどその「第2次インティファーダ」の真っ最中でしたが、

エルサレム旧市街の現地では、

それぞれの宗教の人たちが普通に行きかい生活していました。



アルアクサ―モスクへ礼拝に向かうイスラム教徒の人たち、

一目でそれと分かるキッパ帽や黒づくめの装束のユダヤ教徒の人たち、

イエスが十字架を背負って歩いた道を辿るキリスト教徒の人たち、

誰ひとりとして争っている人は見かけませんでした。





だから、とにかくイスラエル当局は

ハラム・アッシャリフの封鎖を解いて、

従来通り各宗教を平等に扱うべきだと思います。



そしてイスラエルは、

未成年を含む非武装員への実弾射撃や、

裁判なしの「即決処刑」など、

あらゆる人道上の犯罪を、停止すべきです。



「占領している側の政府は、

占領下の住民を保護する責任を負う」

ことは、国際法でも定められています。


占領しているからと言って、

何をしてもいい訳ではないのです。





イスラエルとの関係が冷却している

アメリカが介入しようとしない現在、

「パレスチナの抗議や抵抗を

武力で抑えようとしても、

イスラエルが国際的に孤立するだけで

何も解決しない」というメッセージを、

国際社会が協働して

強く伝えていく必要があるのではないでしょうか。









※今回もニュースソースにさせていただいているのが、「パレスチナ最新情報」。

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【当ブログ内関連記事】


2014年11月2日記事 【時事】エルサレムでの「聖地封鎖」は共存を脅かす 

http://syuklm.exblog.jp/23673518/

2014年11月5日記事 【時事】続・エルサレムでの「聖地封鎖」/占領しているのは誰なのか? 

http://syuklm.exblog.jp/23688371/

2014810日 「『宗教対立』というウソ。」

http://syuklm.exblog.jp/23129639/




※文章整理し加筆修正させていただきました(2015.10.13,14)


byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-10-12 16:40 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(5)

【時事】国連総会:国旗掲揚で存在を示したパレスチナ、際立ったイスラエルの孤立。そして第3次インティファーダの報が…。




「爆弾スピーチ」は封印。しかしモトは取った?





「国連総会で、パレスチナ代表が

オスロ合意放棄を宣言する可能性アリ」

という情報を、以前当ブログでも

紹介させていただきました。




実際パレスチナでは、

「和平交渉なんてもう無駄だ。

イスラエルの占領も入植も

全然止まらないじゃないか。

オスロ合意なんて知るか!」という

声が大きくなっているのですが、


930日のアッバス議長の国連総会演説は、

それをそのままぶつけるものではなかったようです。





現在衝突が悪化しているエルサレム情勢や

イスラエルの入植等を非難しつつも、

オスロ合意の交渉テーブル自体を

叩き壊して最終決別する、とまでは

踏み込まなかった。





パレスチナ内では「爆弾発言どころか

打ち上げ花火にもならなかった」と

揶揄されているようですが、

和平を仲介してきた欧米諸国は

胸をなでおろしたようです。





私も、ホッとしました。



問題山積のオスロ合意ですが、

交渉ドアが無いよりは絶対いい。






印象的だったのは、パレスチナ国旗が

掲揚された際のアッバス議長の高揚でした。


10/01付 FNNニュースより

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00304550.html





総会演説後、パレスチナ国旗掲揚の

セレモニーが行われ、加盟各国の旗と並んで、

オブザーバー国家としてのパレスチナ国旗が

国連本部前に初めて掲げられました。



日本を含め各国の外交官ら数100人が参列し、

パン・ギムン国連事務総長が祝辞。





かつて掲げることすら禁じられた

パレスチナ国旗が国際社会の場でひるがえり、

アッバス議長も「歴史的な瞬間だ」と

感極まっていたようです。




悲願の「加盟国家承認」へ前進し、

得るものはあったということろでしょうか。






しかし、状況は全く楽観できません。







対照的だったイスラエルの孤立。危惧される暴発。






国連総会の場で気にかかったのは、

イスラエルのネタニヤフ首相の孤絶です。




パレスチナの国旗掲揚や演説が

拍手や喝采に包まれたのに対して、

イスラエルの演説は完全アウェーな雰囲気。




アッバス議長の翌日に登壇した

ネタニヤフ首相は、43分間の演説の間に

2度も中断して各国代表を睨みつけ、

国連と総会そのものに対して

「不当なイスラエルバッシングに走っている」と非難。



そしてそれ以上に、イラン核交渉の

6か国協議合意への敵意を露わにし、

「イランの核クラブへの乱入を許さない」と、

6か国合意を成立させたアメリカなどを激しく攻撃しました。






「パレスチナ国家を承認しない」

「イラン核開発絶対阻止」を公約にしてきた

ネタニヤフ首相としては、完全に

メンツを潰された形になっています。



イスラエル国内では、与党党首とはいえ

薄氷の連立政権のため、

右からは「パレスチナに対して弱腰だ」と非難され、

左からは「和平を破壊している」と

常に批判にさらされています。




国内でも国際社会でも孤立する中、

軍事的手段で一気に挽回しようと

「追い詰められた者の暴発」に

なってしまうのではないか…。

それを本当に危惧しています。






急激に悪化する現地情勢。「第3次インティファーダ」の報道も。





パレスチナ・イスラエル現地では、

エルサレムでの流血をきっかけに、

ヨルダン川西岸地区全域へ衝突が拡大。



イスラエル治安部隊には実弾射撃が許可され、

未成年を含むパレスチナ人が銃撃を受けて

毎週数10人単位の死傷者が出ています。


それに対する報復事件も続き、

104日には「第3次インティファーダ」

という見出しで報じられる事態になっています。






今回の衝突の直接の原因は何だったのか?

なぜこんなことになっているのか?




このことは、別記事で詳しく書きたいと思います。




とにかく、私などの危惧が当たらないことを願います。






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【当ブログ内関連記事】

2015627UP記事   【時事】迫る最終期限・イラン核協議。次の「導火線」となってしまうのか?↓

http://syuklm.exblog.jp/24632262/

2015630UP記事  イスラエル 薄氷の連立政権、組閣の舞台裏。↓

http://syuklm.exblog.jp/24642612/



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by shuklm | 2015-10-11 15:33 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。 その1・その2 の続きです。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

http://syuklm.exblog.jp/24946446/





「オスロ和平合意」へ向かうまでの両者の歴史を、

大掴みで見て行きます。






パレスチナの抵抗の歴史





1967年の第3次中東戦争で、

イスラエルと戦った周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)

6日間で敗走させられ、

完勝したイスラエルがパレスチナ全土を占領。


故郷を追われた70万人のパレスチナ難民が

「祖国」を取り戻す展望は見えなくなりました。






許可なくヨルダン川を渡ってパレスチナに帰ろうとした難民は、

すべて射殺されました。



非武装地帯では、ブルドーザーで村々が破壊され

埋め立てられていきました。



占領地では、水を汲んだだけで逮捕され、

果樹を摘んだだけで銃撃される日常が続いていました。






「自分たちパレスチナ人は、

追い散らされ、世界から見捨てられたまま、

ただ黙って殺されるのを

待つことしかできないのか?」





そういうパレスチナ人の声に対して、

「もはや誰もあてにできない。

自らが闘うしかないんだ」と

武力闘争でイスラエルに対抗したのが、PLOでした。




1968年、ゲリラ戦でイスラエル軍に勝利し

一矢報いたPLOのアラファト氏は、

当時は間違いなくパレスチナのみならず

アラブ世界のヒーローだったのです。




パレスチナゲリラによるミュンヘンオリンピックでの「テロ」や

数々のハイジャック事件によって、

その是非はともかく、

「忘却され殺されるだけだったパレスチナ」へ、

世界の耳目を集めさせることには成功しました。







そして、1973年の第四次中東戦争で、

エジプト・シリア連合軍の奇襲に、イスラエルが敗北。



建国以来の初めて大敗北と

悲惨な潰走を経験したイスラエルでは、

「軍事力で安全保障を得るのというのは

間違っているのではないか?」という

疑問と厭戦気分が広がっていきます。






しかし、イスラエルを決定的に和平へ動かしたのは、

それだけではありませんでした。


最も大きなインパクトを与えたのは、

普通の人達の丸腰の抵抗でした。






戦車やミサイルや戦闘機、核まで保持する

イスラエル正規軍に対して、

なんの武器も持たないパレスチナの人達が

やむにやまれず路傍の石を取り、

礫として投げて抗議の意思を示したのが、

「インティファーダ(民衆の抵抗運動)」。





1987年、占領地のストリートから

自然発生的に湧き起ったこの非暴力の抵抗が、

その後の両者の歴史をクロスさせていくことになります。








■加害者としての姿をイスラエルに突きつけた、「石つぶての抵抗」





イスラエル軍の戦車に向かって、石を投げて抵抗する少年。

小学校の壁に子供たちが描いたインティファーダの絵。

20026月、ヨルダン川西岸地区・トゥルカレムのアッサラーム小学校にて、筆者撮影。

b0343370_18181641.jpg




1980年代、まさにこの絵のように

戦車に投石で抵抗する人々の姿を

報道で見た時、イスラエルの人達は

言葉にならないほどの衝撃を受けたそうです。



それは、

聖書に登場する「ダビデとゴリアテ」

そのままの図でした。




▼「ダビデと対峙するゴリアテ」 Wikipediaより拝借

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%86

b0343370_20384455.jpg



古代イスラエル王国に攻めてきた

ペリシテ人の最強戦士・巨人ゴリアテに

対して、ユダヤ人の勇敢な若者ダビデが、

投石器だけを手にたった1人で立ち向い

脳天直撃の一発で倒しイスラエルを救った、

という旧約聖書の有名なワンシーン。



「ジャイアント・キリング」という語の

由来となっているこのエピソードは、

圧倒的強者に対して弱者が立ち向かうという構図です。




いままで世界で迫害されてきた

「被害者」であるユダヤ人は、

圧倒的な敵の攻撃から「弱者である自分たち」を

守らなくてはならないと思ってきたわけです。



それが、完全に真逆になっていた。





「自分たちはずっとダビデ(弱者)の側と思ってたら、

実はゴリアテ(強者)だったんじゃないのか?!」


ある意味、加害者である自分たちの姿を、

初めて鏡に映して見たのではないかと思います。





「自分たちは、こんなことを続けていっていいのか?」




イスラエルの普通の人達の感情が

そういう方向に動いたことが、

和平への機運を大きく後押しし、

それが「オスロ合意」への伏流となっていきます。







冷戦終結後、

1991年、南アフリカのアパルトヘイト廃止が宣言されるなど、

世界各地の紛争が終結していく流れの中、

1993年にパレスチナとイスラエルの間で

「オスロ合意」が成立。



パレスチナ代表のヤセル・アラファトPLO議長と、

イスラエルのイツハク・ラビン首相が

ビル・クリントン米大統領の前で握手を交わし、

武力衝突を停止し互いの存在を承認する

「2国間共存」が示されました。








折り合うことは不可能なのか?





ようやく長い紛争が終結するかと思われたのですが、

和平交渉はその後迷走します。




交渉を決定的にぶち壊したのが、

20024月、

イスラエル・シャロン首相による

ガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻でした。




パレスチナ人の再びの抵抗が始まります。


これが、「第2次インティファーダ」。





そして、「和平派」PLO

イスラエル軍の侵攻や占領を

止められないことへの不満と怒りが、

新たな「武闘派」ハマスへの支持急増と

「自爆攻撃」という反撃を生み出しました。





和平への道は閉ざされたかに見えました。







その直後の20026月。


なんとか「暴力の応酬」を止める

方途がないのかを知りたくて、

市民ツアーでパレスチナ・イスラエル現地を訪れた私は、

そんな中でも、衝突ではない方向を向いている声を聴きました。





パレスチナの人たちは、

「イスラエルを地上から無くせ」と

言っているわけではないのです。






私が現地で直接話を聞いた

ジェニン難民キャンプの住民は、

イスラエル軍の攻撃によって

殺された人たちの遺体が

埋まったままの瓦礫の前で、

語っていました。





「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません」、と。





「自分たちが暮らしていく権利を

勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、

問題はなくなります」と。






パレスチナの少なからぬ人たちが言っているのは、


「1948年(イスラエル建国)の以前に

戻せと言ってるのではない。


国連決議が決めたイスラエルの領地の

境界線までは譲歩する。


だけど、自分たちが住む土地と、

生きていく権利まで譲ることはできない。



境界線からはみ出して占領し続けているのはやめるべきだ。


国際的にも認められていない

軍事占領は終わりにすべきだ」、ということなのです。






「過激派」ハマスですら、現在は

「イスラエル殲滅」を主張していません。






ここまで来てしまったら、

もう時間を戻すことは出来ないのだから、

「ユダヤ人は残らず出て行け」なんて言わない。



ただ、どうやってこれ以上の犠牲を出さずに生きていけるのか、

どうやってお互いの生存を保障していくのか、

ということが具体的な問題なのです。






じゃあ、なぜ、その先の「和平」に

なかなか着地できないのか?


「オスロ合意」は、なぜ実現できずに

ここまで来てしまったのか?





和平を難しくしている要因を、

ひとつひとつ因数分解して

見ていきたいと思います。








【参考】


高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」講談社現代新書・1992年第1刷

高橋和夫さん著「なるほどそうだっだのか!! パレスチナとイスラエル」幻冬舎・2010年第1刷

広河隆一さん著「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で フォト・ジャーナリストが見た三十年」草思社・1998年第1刷





【当ブログ内関連記事】


和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題


私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない・パレスチナ和平を難しくしているものPart3;難民帰還という悲願



2014810日記事「宗教対立」というウソ

http://syuklm.exblog.jp/23129639/


20141012UP記事   ジェニン3・住民の証言

http://syuklm.exblog.jp/23547863/


20141231UP記事 「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。

http://syuklm.exblog.jp/23948324/


パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?その1・その2▼

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


和平関係の記事はコチラのカテゴリにまとめました▼

エルサレム・和平・国際監視



※参考図書を加筆しました(2015.10.13)



byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2015-10-09 21:00 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)