中国からの声part3:天安門事件のキッカケになった胡耀邦の死。日本人に託した「遺言」とは??
1■天安門事件の遠因に日中友好があった…!?■
前回記事
中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~
https://syuklm.exblog.jp/29287187/ の続きです。
ソ連のゴルバチョフ書記長が口火を切り、
燎原の火のように瞬く間に広まった
1989年東欧民主化運動の奔流。
同時期に中国でも民主化を推進しようとしたのが、
当時の総書記・胡耀邦(こようほう)でした▼
しかし保守派の反対に遭い、道半ばで失脚、
1989年4月死去。
その死を悼む学生・市民たちが自主的に
天安門広場に集まり、民主化運動が始まります。
彼らが求めた要求の1つが、
「胡耀邦の名誉回復」でした。
なぜ彼の死が民主化運動の発火点となったのか?
彼がやろうとしてたのは何だったのか?
その肉声を伝えるドキュメンタリーがありました。
▼NHKスペシャル スクープドキュメント
「総書記 遺された声~日中友好45年目の秘史~」
(2017年放送)
貼り付け元 <https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017082010SA000/>
見返してみて改めてハッキリ認識したのですが、
失脚の原因は民主化のためだけではなかった。
最大の理由は、日中友好を推進しようとしたから
だったんです。
胡耀邦は国内民主化改革と同時に、
日中関係の改善に政治生命を懸けていました。
それがために党内保守派から解任されてしまう
こととなるのですが、彼がどのように難局を
乗り切ろうとしていたのか、
極秘外交文書や関係者の新証言などによって
番組で明らかにされています。
見応え充分なので全部視聴いただきたいのですが、
今回ぜひフォーカスしたいのは、
日本の私達と天安門は全く無関係ではなく、
胡耀邦という回路を通じて繋がっていたということなんです。
なぜ胡耀邦は日中友好をそれほどまでに
実現しようとしていたのか?
それについて、彼自身が日本人に向けて
遺言ともいうべきメッセージを残していました。
そこに、今の日本に生きている私たちにとって
大きなヒントがあると感じましたので、
ご紹介させていただきます。
(実在人物のセリフは番組より書き起こしていますが、
この文章については番組に学びつつ筆者が補足し
噛み砕いて書いておりますことご承知おきください。
なお、胡耀邦個人を祀り上げる意図はないことを申し添えます)
2■なぜ胡耀邦は民主化と日中友好を推進しようとしたのか?■
民主化改革を進めようとしたのは、
「文化大革命」での、胡耀邦自身の
過酷な体験から得た教訓ゆえでした。
文化大革命とは、1966年、
毛沢東が実権を奪還するために
若者に直接「反革命分子の摘発」を
呼びかけて発動した、
中国全土を揺るがした大衆動員運動です。
「反革命・ブルジョワ」と認定された人達は、
政治家から宗教者・市民・労働者にいたるまで
罪の印の三角帽子と看板を被せられ
街中を引き回されました。
胡耀邦も自己批判を迫る集会で吊し上げられ、
地方で3年間、農作業等の労働に従事させられます。
極端な思想と群集心理の暴走を目の当たりにした
胡耀邦の信念はここで培われます。
それについて、
元・毛沢東秘書で胡耀邦と交遊も深かった
李鋭氏(100歳)が語っています。
「胡耀邦は話していました。
『誰かを盲目的に信じるのではなく、
独立した思考であるべきだ。
党 組織 国家はみな、
正常化 民主化 法治化すべきである。
1人の人間の言ったことがすべて
ということに反対しなければならない』、と」
(胡耀邦の言葉を書き留めたメモより)
党中央に復帰し、共産党総書記(最高指導者)に
就任した胡耀邦は1986年、
「百花斉放・百家争鳴」を提唱します。
いろいろな花が一斉に花開くように、
様々な思想・意見を自由に発表し論争することが
人民の利益に繋がる、という意図でした。
毛沢東時代に一度頓挫していたこの運動の
復活は大歓迎され、
胡耀邦は「開明的指導者」として支持されます。
「天安門世代」にとっては、民主化の守護者と
映ったことでしょう。
そして胡耀邦が同時に掲げたのが、
「報復主義の克服」でした。
二次大戦後、例えばソ連は国際法に違反して
日本人捕虜のシベリア抑留などの報復的措置を
いますが、中国共産党指導部はそうしませんでした。
1972年、田中角栄と周恩来の間で実現した
日中国交正常化の際も、中国政府は
「あの戦争で悪かったのは軍部であって
日本人が悪いわけではない」という
スタンスを取っています。
その際発表された日中共同声明において、
日本は「戦争を通じて中国に重大な損失を与えた
ことについての責任を痛感し、深く反省する」
中国は「両国国民の友好のために、
日本に対する戦争賠償請求を放棄する」
これが戦後日中関係の基礎である、と
宣言されました。
これによって、
日本から中国への経済支援が始まります。
ある意味手打ちにしたわけですが、
党内にも納得しない声が少なからずありました。
胡耀邦はそれに対して、
「国家の主人公はあくまで人民である。
日中のためだけでなく、
世界のためにも日中友好を進めたい。
日本国民と中国人民が対立する必要はない」と、
説き続けたそうです。
日本に中国が報復すれば、
世界中の国々でも報復が止まらなくなる。
それはもうやめよう、
報復の連鎖を断とうと言いたかったのではないでしょうか。
日中国交正常化から10年後に
胡耀邦が総書記に就任した1982年、
日本は既に目覚ましい戦後復興を遂げるだけでなく
世界第2位の経済大国に躍進していました。
一方、文化大革命等で疲弊していた
当時の中国の国力は、日本の4分の1程度。
経済を立て直し近代化するため
改革開放経済を進めようとした胡耀邦は、
日本の資金と技術力を必要としていました。
タテマエとかイデオロギーでなく、
有用なものはどんどん採り入れる現実路線は、
プラグマティスト鄧小平路線の継承でもありました。
しかしここで胡耀邦は、現在の日中関係に連なる
困難な課題に直面することになります。
いわゆる「歴史認識を巡る問題」です。
3■日中友好・「偏狭な愛国主義」を超えて■
胡耀邦が総書記に就任した年、
日中の間で初めて歴史認識を巡る対立が起きます。
1つ目が歴史教科書問題。
これは、文部省検定の高校用教科書で
中国への「侵略」が「進出」に書き換えられた、
と誤って報じられたことがきっかけでした。
最高指導者である胡耀邦の方針とは裏腹に、
共産党機関紙「人民日報」が
対日批判キャンペーンを開始します。
これは、長く党を牛耳ってきた八大元老
(革命世代の陰の実力者達)によるものでした。
特に、胡耀邦の政策に反対していた保守派の重鎮・
陳雲の影響下に置かれていた人物が
この対日キャンペーンを指示していたことが、
外交機密文書から明らかになっています。
さらに中曽根首相が現役総理として初めて
靖国神社に参拝すると、
首都北京で数千人規模のデモが発生。
「日本の軍国主義復活反対」「中曽根打倒」を
叫び、デモは天安門広場にまで及びました。
背後の味方からも弾丸を喰らう形で
最大の試練に晒された胡耀邦ですが、
その信念は揺らぎませんでした。
あらゆる手段を尽くして
対話と状況改善に動いていたことが
番組では詳細に取材されています。
胡耀邦の元側近・阮銘氏は、
日中関係における愛国主義について
語っていたことを覚えているそうです。
「胡耀邦は一貫して、極端な民族主義と
狭い愛国主義に陥ってはならないと主張しました」
中国残留日本人孤児を題材にした長編小説
「大地の子」の取材で訪中した作家・
山崎豊子氏との会談の席でも、
胡耀邦は語っています。
「愛国主義を提唱しているのに
世界各国の人々に友好的でないなら、
これは愛国主義とは言えません。
国を誤るという『誤国思想』、
『誤国主義』です。
みなさんには『誤国主義』を
防いでほしいと思います。
私たちも『誤国主義』を
防がなければならないのです」
困難な歴史問題について、
時間が解決すると考えていた胡耀邦が
希望を見出していたのは、
日中の若者たちでした。
「3000人の日本の皆様を中国に1週間招待します」
と宣言し、日中の若者同士の
大規模な交流事業を実現させます。
この事業に参加した若者達が、
次世代の政治家となっていきます。
また、翌年の靖国参拝を中止した中曽根首相を
北京に招き、握手を交わしています。
しかしこの2か月後、胡耀邦は
対立を続けてきた八大元老によって
党書記を解任されます。
解任の理由として伝えられるのは6項目。
中でも、
「日本青年3000人を独断で中国に招いた」として、
外交姿勢が独断的だったのが
理由の一つとされました。
中国社会科学院日本研究所の初代所長
何方(かほう)氏は証言します。
「胡耀邦たちは中日友好を主張していましたが、
これは一致した方針ではありませんでした。
彼が不幸だったのは、最高権力者となった時
実際に権力を握っていたのは、
鄧小平と保守派の陳雲、
長老2人だったことです」。
この解任劇は、のちの共産党指導者たちに
「親日的な政策はリスクになる」ということを
刻印することになりました。
解任の3か月前の1986年10月23日、
胡耀邦は山崎氏との最後の会談で
自らの運命を悟るかのような発言を
録音テープに残しています。
「より若い人と友達になってください。
私が4年後にいるかどうかわかりません。
3年後にいるかどうか…」
李鋭氏
「胡耀邦なき後、再び過去の
中国の状態に戻ってしまいました。
言いたいことが言えなくなったのです」。
胡耀邦の息子・胡徳華氏は訴えます。
「父は深く心に決めていました。
人様が何と言おうと、
いかなるレッテルを貼られようと
いかに多くの犠牲を払おうと、
中国や人民のために
断固として日中友好を進めると」
総書記を解任された後も、
日本の情報を集めるなど、
その情熱は衰えていなかったそうです。
しかし1989年4月15日、
政治局の会議中に倒れ、
そのまま帰らぬ人となりました。
その死を悼む学生や市民らが
花や遺影や花輪をそれぞれに掲げて街頭に溢れ、
天安門広場を埋め尽くしました。
「自由万歳!」「民主万歳!」
「胡耀邦同志は永遠に不滅だ!!」
そして6月4日、天安門事件ーーー。
こうして近年まで胡耀邦は、
天安門とともに中国でタブー視され
封印されることになったのでした。
4■天安門と親日リスクと愛国教育■
事件後、中国政府は急速に愛国主義を
強化していきます。
天安門事件直後、鄧小平が発表した講話です。
「この10年間の最大の過ちは教育にあった。
これまでの苦しい道のり
かつて中国がどのようであったか
そしてこれからどのような国に
なっていくべきであるのかについて
わずかな教育しか行わなかったのだ。
これが我々の甚だ大なる過ちだった」。
この路線転換について、
東アジア研究の世界的権威で
鄧小平についての著書もある
ハーバード大学名誉教授の
エズラ・ボーゲル氏が指摘しています。
「天安門事件が
その後の日中関係を決定づけた」と。
ボーゲル氏
「天安門事件のあと、中国を統一するために
(指導者たちには)学生は本当に我々の指導者を
支持するかどうか疑問があった。
愛国主義の教育が必要と考えたのだ」
「愛国主義が始まってから、
一番効果があるのはやっぱり
反日の気持ちが根強かった」。
いまもなお両国の間には、
複雑な関係が横たわったままです。
首相の靖国神社参拝への中国の反発。
一方、尖閣諸島領有化や海洋進出に
脅威を感じる日本人も増えています。
2016年に言論NPOが実施した世論調査では、
相手国に対する「良くない印象」
日本91.6%
中国76.7%
という結果が現れました。
5■天安門から受け取ったカケラを活かす道は?■
胡耀邦が日中友好実現のため尽力していたことを、
日本人に未来を託そうとしていたことを、
日本の私達はどれくらい
知っていたでしょうか?
私はこの番組を見るまで知りませんでした。
胡耀邦が政治生命を懸けた日中友好が、
胡耀邦の政治生命を奪った。
それが民主化運動、ひいては
天安門事件の引き金となった。
その反動が、中国共産党支配の
正当化のための反日愛国主義路線を
選択させることとなった。
そして、「天安門事件こそが現在の
日中関係を決定づけた」のだとすれば。
日中関係が冷え込んでいる今だからこそ、
改めて噛み締めたいのが、このワードです。
「愛国主義を提唱しているのに
世界各国の人々に友好的でないなら、
それは愛国主義ではなく『誤国主義』です。
みなさんには『誤国主義』を防いでほしい。
私たちも『誤国主義』を
防がなければならないのです」
日本人に託された遺言のようなこの言葉は、
時代を超えていまなお胸に迫ってきます。
私はこれを受け止めたいと思いました。
ココで私達が誤国主義(偏狭な愛国主義)に
陥ってはならないのです。
互いが誤国主義(反日VS嫌中)で応酬すれば、
中国政府内の反日路線を正当化させる根拠を
与えることになる。
党内の反日強硬派・保守派の基盤を強化し、
穏健派・改革派の力を削ぐことになってしまう。
だから、誤国主義に陥らないこと、
つまり、ヘイトをしないこと。
それが胡耀邦の「遺言」を活かすことであり、
天安門で潰えた目標を少しでも実現に近づける道
なのではないでしょうか。
いまの私たちだから、出来ることがある。
ヘイトを直接やめさせることは難しくても、
自分がしないことは今すぐ始められる。
知らなくても理解できなくても、排除しない。
「?」と感じたら、イイねやリツイートやシェアをしない。
「知らないから怖い・わからないから嫌い」を、
なんでそう思うのか?それはどこから来たのか?と
一瞬立ち止まって再考してみる。
ひとつひとつは小さな選択に過ぎない
かもしれませんが、
逆のベクトルに世論が雪崩打って暴走するのを
止めることができるのは、
そういう日常の小さな小さな選択の積み重ね
なのではないでしょうか。
チャイメリカやこの番組を通じて私達が、
遠く離れた天安門から受け取った
カケラがあるとするならば、
それを活かす道は私達ひとりひとりの
手の中にあると思うのです。
【参考】
◇NHKスペシャル
「総書記 遺された声~日中友好45年目の秘史~」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017082010SA000/>
NHKオンデマンドで配信中!
49分間の番組で単品216円なのでサクッと見れます。
いや別にNHKの回し者ではないですよ、念のため!(笑)
良質の番組を作っている方々を応援したいだけです。
中国からの声part1:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~
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