中国からの声part1:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~
1■中国の人たちの想いを知っていますか?■
突然、中国の話を始めるのをお許しください。
天安門事件を真正面から題材にした
舞台「CHIMERICA チャイメリカ」に
触発されて書いています。
チケット完売で観劇できず
脚本を読んだだけなのですが、それでも
立ち上がれないほどの衝撃を受けました。
その一方で、
政治的に色のないと思われる層の方からの
「やっぱりあの国ヤバい」という反応を見かけ、
天安門事件にかかわった中国の人の思いを
直接聴いた自分としては、どうにも
居ても立ってもいられず、
拙いことを承知で発信します。
▼「悲劇喜劇」2019年3月号
チャイメリカ脚本全編が収録されています
私自身は、1989年6月4日
天安門事件の時は大学1年生、
リアルタイムで日本で
ニュースを目撃した世代です。
民主化を求めて、
中国政治の中心地の直近・天安門広場を埋めた
120万人の学生・知識人・市民たち。
この非暴力の訴えを、中国政府は
人民解放軍の戦車部隊の出動と歩兵の発砲で、
2千人とも3万人ともいわれる流血によって
強制終了させました。
この時、世界中に衝撃を与えたのが、
戦車隊の前にたった一人で立ちはだかって
止めようとした無名の中国人男性、
「Tank Man(戦車男)」の姿でした。
私はこの映像や写真を見る度に、
今でも涙を抑えることが出来ません。
高校時代に勢いでツアー旅行に
参加してしまうほどの熱狂的な
中国フリークだった自分は、
あの6月に完膚なきまでに叩きのめされ、
以来ずっと「気になっていても近づけない」
胸に刺さった棘のような状態でした。
事件から10年以上経って、
中国が一気に経済成長した2000年代。
偶然、友人となった中国人の男性と、
天安門事件や中国政治の現状や
思うところ等を話す機会を得ました。
ほんの一瞬の交流ですが、その肉声を
とにかくお伝えしておきたく記します。
2■垣間見えた本音は…■
30代の中国人男性チャンさん(仮名)との
会話のキッカケは、経済についてでした。
1992年、中国政府が
「社会主義市場開放経済」に完全に舵を切った後、
瞬く間の経済成長と建設ラッシュで、上海には
イーストタワー(当時アジア1の高さ)がそびえ、
街中がコカコーラやマクドナルドの
広告で埋め尽くされ、
何よりも人が変わっていました。
開放前の1987年に訪中した時は、
「写真撮っていい?」と聞くと
都会の上海の中学生の子ですら
恥ずかしがって「キャーー」と
顔を隠して逃げていたのに、
2000年代には地方都市の子でさえ
自分から日本語で話しかけてきて、
「ミッキーマウスが大好きで
観光ガイドになりたい」と
誇らしげに一緒に写真におさまっていく。
短期間で激変した中国社会を、
中国人自身はどう捉えているのだろう。
「今の中国をどう思いますか?
中国はこれから先、
どうなったらいいと思いますか?」
と尋ねるとチャンさんは、
「もっと経済的に豊かになること。
それから、共産党以外の政党が、
あと2つ3つ出てくること」。
さらなる経済成長と、複数政党制に
展望を持っているのなら、
共産党の一党独裁体制に
ついてはどう思っているのだろう。
思い切って踏み込んでみました。
1995年公開のドキュメンタリー「天安門」で、
学生リーダー達が語っていた
自由化・民主化への希望や
経済格差・党幹部腐敗の是正。
そして運動の内情について
どう思う?と水を向けると、
少しの間を置いてから
彼は私に告げました。
「私、その時、天安門にいたよ」
「えっホントに!? いつですか??」
「4月から6月4日まで」
なんと!
民主化運動が始まった時期から
学生達が人民解放軍に排除される
衝撃の結末の日まで現場にいた当事者と、
偶然にも会えるなんて!
当時、彼は北京の大学の学生で、
特別に政治的関心があった訳ではなく、
友達に誘われて座り込みに参加。
それでも、「これは何か大変なことが
起こっている。見極めたい」と、
毎日通い詰めたそうです。
戦車が広場を包囲した時には、
学生達はその前に身を投げ出して
侵入を阻止しようとしていた。
北京にある70以上の大学の
大半の学生が参加したこの運動は、
市民の70~80%以上が支持していたと思う
…と彼は語りました。
実際、運動の最盛期には、
学生を支持する1000万人もの市民が
中国全土で街をデモ行進し、
その数は北京だけでも100万人以上に
達していました。
デモに笑顔で応える、地元北京の兵士もいた。
膠着状態の中、学生リーダーと党の穏健派との
話し合いによる解決も模索されていました。
しかしそれらは全て、理不尽な
暴力によって断ち切られたのです。
北京の兵士達は広場突入前夜に総入れ替えされ、
前線に配置されたのは
北京語の通じない地方出身の兵士達。
そして人々に降り注いだ、
威嚇なしの一斉水平射撃…。
チャンさんはふいに、
「私、いま政治に、全然興味ないよ」と
この話を終わらせるかのように言いました。
しかし、それまでずっと私の目を見て
話していた彼が目を伏せたので、
彼の中に未だくすぶっているものが
あることを感じました。
嘘だよね?
一切興味が無いなら、
そんな眼はしないよね??
なおも食い下がる私に、
彼は中国の政治の実態を明かしてくれました。
3■中国の政治の現状は…■
例えば、選挙。
中国でももちろん選挙権は認められている。
日本の国会に当たる人民代表大会の
代表者は、各地方から選挙で選ばれる。
しかし実際には、候補者の名前しか公示されない。
どこに住んでいて、何歳で、
どういう業績があって公約は何か、
といったことは誰も知らない。
性別すらわからないのに投票する。
(中国名は漢字表記だけでは
男女の判断が出来ない)
しかも投票結果は最初から決まっている。
あるいは、党幹部の特権。
例えば不動産売買について、
自分と持ち主が1平方m1万円で契約したとする。
契約書を作って、代金を払って、所有権が移る。
ところがその後に建設大臣の息子が
「その土地、1平方千円で」と所望したら、
全部チャラにされてしまう。
こんなことはいくらでもある…と。
こうした実情の一部を聴いただけで、
彼が政治的無関心になるのも
無理はないと思わざるを得ませんでした。
まともな人ほどやってられないでしょう。
天安門に集った人達が求めた事のうち、
確かに経済や文化の自由化は実現しました。
しかし豊かな人は更に富み、
貧しい人はより貧しくなっている。
モラルはどんどん悪くなり、
若者はファッションと音楽のことは
よく知っているけれど、情報は規制されている。
悲願の民主化の扉は固く閉ざされたまま。
チャンさんも映画「天安門」について、
その存在すら知りませんでした。
ビデオを郵送しようと思いましたが、
すべて検問でひっかかってしまうので、
彼の政治的立場が悪くなるのを
避けるために断念せざるを得ませんでした。
「北京在住時に北京の市民権を取得しておけば
よかったのだけど、それが無いから、
日本に行くのも何年待ち」なのだそうです。
かなりのエリートで、経済的にも
成功している彼が、不自由な祖国から
出ることも叶わない。
どん詰まりの状況の中で、
経済成長に突き進む以外に出口が無くなっている。
その経済成長の行き着いた先の
環境破壊や精神的荒廃などを
既に知ってしまっている
日本人の私にとって、チャンさんの
展望はあまりにも切なく聞こえました。
しかし、私に何が言えたでしょうか。
それでいいの?と、それ以上
尋ねることはできませんでした。
おそらく彼だって、祖国の現状を
良いなんて思っていない。
恥を忍んで話してくれたに違いないのです。
でも変えたくても変えられない。
身をもってその困難さと代償を
思い知らされてしまったから。
辛うじて、
「話してくれて本当に有難う。
貴方の幸運を祈ってる」とだけ
伝えて別れましたが、
その後連絡が途絶えてしまい、
彼が今どこでどうしているのか、
知る術を私は持っていません。
(上記の中国政治の現状も
2000年代当時に聴き書いたもので、
2019年現在と必ずしも合致して
いるとは限らず、裏を取るのも
困難であることをご理解ください)
4■チャイメリカに繋がる思い■
30年経ってすら、
天安門のことは中国ではいまだ
公然と語ることは禁じられています。
あの日、彼と一緒にあの場に居た
活動家や知識人の多くは
亡命や沈黙や諦めを強いられ、
中国で発言を続ける人は、
ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏
(昨年死去)など、限られています。
それでも、可視化されない声を、
表に現れてこない思いを抱えたまま、
無数の人達があの国で今日も暮らしている。
そのことだけは多くの方に知っていてほしい。
「やっぱり怖い国」という結論で
終わらせないでほしいのです。
そして、舞台「チャイメリカ」がいま
上演される意味は、そこにあるのでは
ないでしょうか。
天安門であの「戦車男」を撮影した
アメリカ人ジャーナリストが
戦車男の軌跡を追うというストーリイを借りて
伝えようとしていたのは、
そういう単純な枠で括らないで欲しい、
というメッセージなのではないか…と
個人的に感じています。
勝手な解釈ですが、イギリス人脚本家の
ルーシー・カークウッド氏は、
いわゆる西側社会に身を置きながら、
ナショナルな枠組みではなく
人間同士の生の感情が切り結ばれる場を通じて、
私達が観ているものと
見落としてしまうものを、同時に
眼前に差し出そうとしたのではないか。
私達もその中にいて、
同じ世界を生きている…という
メッセージとして受け取りました。
脚本・翻訳の方をはじめ、
政治的難しさもあるこの企画を
今回日本で実現させ演出された方、
全身全霊で演じている俳優の方々、
舞台を支えるスタッフさん方、
そして主催・企画制作・後援等で、
かかわっているすべての方々に
心からの敬意を表したいと思います。
5■お願いと予告■
最後に付け加えさせていただくと、
当ブログで取り上げたチャンさんの
政治的立場を悪くする危険を回避するため、
固有名詞・実年齢や、いつどこで
どうやって知り合ったか等の
特定できる情報について、今後も一切
当ブログで書くつもりはありません。
また、それがために、
「だからあの国はヤバい」という根拠に
使われることは一切お断りします。
たとえ善意でも、一部を切り取って
流用するのは絶対にやめていただきたいのです。
もし彼の想いを受け取って
シェアやリツイートくださるのでしたら、
どうか記事丸ごとお願いします。
それですら意図が伝わりきらない
ことがあるのですから。
私は現在の中国政府の姿勢を
とても擁護などできませんが、
しかしただ批判を言い募るだけでは
解決しない問題であることを
少なくともわきまえた上で、
それでも僅かでも手掛かりを
探したいと思うのです。
◆
チャイメリカ観劇後・観劇前の
友人と話をしていて、
「予備知識なしでも充分感動できたけど、
天安門事件や中国のことを
もっと深く知りたくなった」
という感想も聞きました。
チャンさんのこと等を話したところ
凄く参考になると言ってもらえて、
30年間出口のなかった思考を
受け取ってもらえたことで、
私自身が随分救われました。
その御礼として、この場でも
自分の知りうる範囲のことを
もう少しお伝えしたいと思います。
例えば…
・天安門事件のキッカケとなった
胡耀邦ってどんな人?
・天安門広場では何が起こっていたの?
・中国の民主化はなぜ難しいの?等々…
全貌を語るなど到底叶いませんが、
数回に分けて、なるべくひとくちサイズで
物凄くざっくり整理を試みてみます。
専門家でも研究者でもないシロウトの
全くの個人的見解ですが、
もしよろしければご参考に
おつきあいいただけると幸いです。
#天安門
#天安門事件
#チャイメリカ
【参考】
戯曲「CHIMERICA チャイメリカ」公式HP 世田谷パブリックシアター▼
「悲劇喜劇」2019年3月号 早川書房 ハヤカワオンライン▼
映画「天安門 THE GATE OFTHE HEAVENLY PEACE」
リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン共同監督
1995年(日本配給:UPLINK)
【当ブログ内関連記事】
同じ空の下にいることを信じている
中国の友人に、この記事を捧げます。
また、最初に想いを受け止めてくれた友人2人と、
この記事が妥当たりえるよう助力してくれた恩人2人に
心からの多謝を贈ります。
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