「生産性が無い人間は無価値」。杉田発言・相模原事件・優生保護法を貫く「善意による抹殺」に向き合うために。
■「消されていたかもしれない人間」から言わせてもらえば■
大変なご無沙汰恐れ入ります。
アトピー療養で、しばらく
お休みさせていただいていましたが。
自民党の杉田水脈衆議院議員が
月刊誌への寄稿で
(BuzzFeed2018/07/23付)について、
「生産性のない人間は不要」という思考は、
LGBTだけに向けられたものでなく、
やまゆり園事件を起こした
植松被告の主張、
優生保護法を推進した医療関係者に
通底するもので、
到底素通りできるものではありませんでした。
NHK ETV特集 2016年放映
「それはホロコーストの
リハーサルだった
~障害者虐殺70年目の真実~」HP▼
600万人もが犠牲になった
ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は、
その前段で、約30万人もの
ドイツ人の精神障害者や知的障害者、
てんかんやパーキンソン病など、
回復見込み無しとされた病人たちが
ガス室などで殺害されていた…
それも、
「生産力のない障害者を
社会のために減らす」という
「善意」によって、です。
私自身、発達障害当事者です。
てんかん傾向があり、また
以前そこそこ重めの精神症状
(壁が喋っている幻聴)も患いました。
なので、
ナチスT4作戦や
優生保護法下であれば、
収容所送りか、
不妊手術を強制されていた
部類の人間です。
そして現代のこの日本で、
「お前は不要」と宣言されたようなものです。
ですが、それが何か??
私が必要か否かを、
勝手に決めるなと言いたい。
幸か不幸かは私自身が決める。
私達の人生は #誰にも決められない
その大前提の上で、
世界的に稀に見る人権問題という点だけでなく
ココではあえて少し違う視点から
なるべく冷静に反証を試みてみます。
■物差しは相対的なモノ■
まず、
#生産性がないと罪悪とか言うけど、
じゃあ例えば「楢山節孝」とかどうなの??
「楢山節孝」とは、
カンヌ国際映画祭で
パルムドールを獲った、
今村昌平監督の映画。
農業生産力が極端に低い
日本の寒村、村落共同体においては、
子供が増えることはムラの死を意味する。
その状況下では、
「生産性が高いことは害悪」だった。
つまり、物差しなんて、
その時々の時代や共同体や状況によって
いくらでも変わりうる相対的なモノ
に過ぎないということです。
■生物学的な生存戦略は「弱肉強食」ではない!■
また、
「人工透析を受け入ている患者は死ね」
と書いて炎上した長谷川豊アナもいましたが、
2重の意味で間違っていると思います。
https://matome.naver.jp/odai/2147442769155632201?&page=1
理由は、まず、上記で指摘されている通り、
「糖尿病の8~9割は自業自得」
といった認識自体が事実ではなかった
ことがありますが。
もうひとつ。
糖尿病の原因となる遺伝子は、
飢餓が日常的だった時代には
極めて有効だったということ。
人類は、生存戦略として
あえて弱いと思われる遺伝子も
含めて、多様であることによって、
生存可能性を増やそうとしたということです。
これについて、非常に明快な
説明があります。
ご存知かもしれませんが、
改めて拡散いただきたいので貼りますね。
▼Yahoo!知恵袋
「弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、
疑問に思ったのでお答え頂ければと思い…」
という強烈な質問に対しての回答が秀逸だと話題に
貼り付け元 <https://fundo.jp/5661>
***シェアココから
一部抜粋させていただきました****
”よくある勘違いなんですが、
自然界は「弱肉強食」ではありません”
”種レベルでは「適者生存」”
”「強い者」が残るのではなく、
「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、
「個体が生き延びる」という意味で無く
「遺伝子が次世代に受け継がれる」
の意味であることに注意)”
”必ずしも活発なものが残るとは限らず、
ナマケモノや深海生物のように
極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、
速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、
大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在する
ことは御存じの通り
「適応」してさえいれば、
強かろうが弱かろうが関係無いんです”
”「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ”
”あるのは
「ある特定の環境において、
有効であるかもしれない遺伝子」です”
”遺伝子によって発現される
どういう”形質”が、
どういう環境で生存に有利に
働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって
「障害」としかみなされない形質も、
将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り
多くのパターンの「障害
(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」
を抱えておく方が、
生存戦略上の「保険」となるんです”
”我々全員が「弱者」であり、
「弱者」を生かすのがホモ・
サピエンスの生存戦略だということです”
****シェアココまで****
絶対的に「優秀な遺伝子」なるものは無い。
私たちは誰もが「弱者」であり、
誰もが「強者」になりうる。
ただ相対的な状況次第だということ。
物凄く納得がいきませんか?
■「障碍者にだって生産性がある」の危うさ■
その上で、ここであえて
付け加えるとすれば。
生産性に対する対する反論として、
「障碍者にだって生産性はある」
という対置は、ちょっと危険
なんじゃないかとも考えます。
もし、
「稼いでる障碍者だっている」
「アートを生み出す障害者だっている」
「障碍者だってこんなに生産性がある」って
同じ土俵に乗ってしまったら、
「そんなものが生産になるか!」
とか、価値観の相違で、
永久論争にしかならないんじゃないか。
そう感じていたところで、
非常に共感した文章に出会ったので、
ご紹介させていただきます。
▼「生産性は本当に『人』の価値ですか?」
義足の女優の思い
障害者、LGBT、相模原事件
7/26(木)付BuzzFeed
貼り付け元 <https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20180726-00090748/>
そうなんです。
「生きていることそのものの価値」を
どうやって伝えていくのか、
それを考えたいのです。
今回の件、一番問題なのは、
「善意による抹殺」という思考。
杉田議員の主張、
植松被告の論理も、
優生保護法を推進した医療関係者も、
主観的には「善意」で、
しかもそれを支持している層
(良しとしてきた層)がいる。
小田嶋隆さんも指摘されていますが、
奇矯な特定の一個人の見解でなく、
「ひとつの民意である」という事実。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明
杉田水脈氏と民意の絶望的な関係 2018年7月27日付
貼り付け元 <https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/072600152/>
絶望的ではありますが、
事実としてはその通りでしょう。
ですが、絶望して終われないのです。
それとどう向き合っていくのかを考えたいのです。
【体調が許せば、後日part2を
書きたいと思います】
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