人気ブログランキング | 話題のタグを見る

オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

syuklm.exblog.jp

和平は「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているものPart1;土地と水利権の問題







■オスロ和平合意は、なぜうまく行かなかったのか?■





2002年に現地を訪れた時、

「(1993年の)オスロ合意について

どう思う?」と、街なかで尋ねると、

パレスチナ人からもイスラエル人から も

異口同音に、「オスロ合意は死んだ」

という答えが返ってきました。




それはなぜか??





確かに、

「とにかくこれ以上の流血を止める、

お互いを交渉相手として認め、

恒久的解決を目指す」、

という合意は成立しました。




しかし問題だったのは、

その二国家実現のための具体論。




今回はコチラを参考に見ていきます。

国際政治学者 高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!

パレスチナとイスラエル」▼

和平は「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているものPart1;土地と水利権の問題_b0343370_20462429.jpg



和平を難しくしている要因は、

ざっくり3点と言われています。



1、土地と水利権の問題

2、エルサレムの帰属問題

3、難民帰還権の問題




こうした重要な問題を解決してから

議論に移れればよかったのですが、

オスロ合意内容は

「とりあえず外堀埋めてから、

大事なことはそのうち決めようね」

というものでした。



合意前の矛盾はそのまま

先送りされ、拡大しまったのです。



オスロ合意後、新たな交渉が

すべて座礁したのも、結局この3点を

クリアできなかったからでした。






今回は、土地と水利権について、

高橋和夫さんの著書や

田中宙さんのメルマガ等を手掛かりに、

書いてみます。







■なし崩しの入植と、分離壁建設■





パレスチナとイスラエルの

土地の取り分問題について、

例え話でよく言われるのが、


「ピザの分け方を決めている途中に、

一方がどんどん食べちゃってる状態」。





1967年の第3次中東戦争で

パレスチナ全土を占領したイスラエル。


それは1947年の国連決議ラインを

大きくはみ出していました。




オスロ合意成立後、イスラエル軍は

暫時撤退するとなっていたのですが、

実現したのは4割程度。



一方で、すでに1970年代から、

占領地にイスラエル人が入って定住していました。


さらに2000年代、その入植地を囲んで

巨大な分離壁が建設されていきます。


事実上のイスラエルへの併合でした。

和平は「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているものPart1;土地と水利権の問題_b0343370_20455766.png
▲コレが「分離壁」。
パレスチナを分断して延々と続く

写真元はコチラの映像

「Veterans For Palestine」

(VFPに許可を得て掲載)▼

https://youtu.be/lVCuhkzSb-M







まさに、「ピザの食べちゃったところ」

に当たるのが、入植地。






降雨量の少ないこの地域で、

実質上の水利権が減り、

人や物資の往来も困難となった

パレスチナ経済は、大打撃を受けます。






虫食い状態のパレスチナの土地が、

将来の二国家の領土を決める前に、

さらになし崩し的に削られていく。


「これはあまりにもフェアじゃない、

どうやって仲良くできるんだ??」

というのがパレスチナ側の憤りです。




それは全くその通りだと思います。





占領地への入植は国際法違反であり、

国連安保理決議や国際司法裁判所が

何度もやめるよう求めましたが、

イスラエルは応じてきませんでした。




では、なぜ国際的非難の大きい入植を

イスラエルはやめられないのか?


入植者とはどんな人たちなのか?







■政治活動・「西部開拓」としての入植■





田中宙さんは、特異な政治活動家である

入植者たちの姿を、

パレスチナ人という「インディアン」を

撲滅させて自分たちの国を作るという

現代版「西部開拓」だと指摘しています。






田中宙さんメルマガ200575日付より



****引用ココから*****



”イスラエル国内では「これらの土地(占領地)は、

聖書やバルフォア宣言によって、

イスラエルの領土になると約束された場所であり、

返還する必要はない」という意見が出てきた。



そしてその主張に基づき、

1970年代半ばごろから、

イスラエル人が立ち入りを禁じられていた

軍政下の西岸やガザに入り込み、

パレスチナ人が使っていない乾燥した丘の上などに

簡素な家を建てて住み、

そこを事実上イスラエルの一部にしてしまう

という政治運動を拡大していったのが、入植者だった。”




”入植者は、周辺の町や村のパレスチナ人の土地を

有刺鉄線で囲んだりして奪取し、

翌日パレスチナ人と銃撃戦など衝突になると、

それを抑えるためと称してイスラエル軍が

入植地を警備するようになり、

軍に守られるかたちで、

入植地が拡大していった。



パレスチナ人から見れば、

入植者は「テロリスト」そのものだった。”





”(しかし)イスラエルには43万人の入植者が

いることになるが、このうち活動家の入植者は

おそらく2-3万人と思われる。”




*****引用ココまで**



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時2005年のもの





実は、こうした確信犯的・

特異な政治集団は一部で、

入植者の大部分が、

イスラエル国内の低所得層

という事実があるそうです。



ではその人たちは、

どういう動機で入植しているのか?







■入植地内の低額住宅へ―イスラエルの格差問題■






1980年代後半頃まで、

入植者は不足していたそうです。




▼高橋和夫さん著書「アラブとイスラエル」

和平は「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているものPart1;土地と水利権の問題_b0343370_20465010.jpg



****引用ココから****




”熱狂的な宗教心に燃え、

シオニストの夢の実現のために

アラブから土地を奪って住み着こう

というユダヤ人はそんなに

無尽蔵にいるものではない。



そこで(イスラエル)政府は、

入植地の建設に補助金を与えて、

入植地なら安く住宅が手に入るような

仕掛けにして入植者を募り始めた。



結果として、入植者といっても実情は

グリーン・ライン(軍事境界線)内部では

住宅を手に入れられなかった、

埼玉都民や千葉都民のような人々が増えていた。



占領地からイスラエルへ通勤するわけである。



入植地のアパートなら

政府の援助のおかげで

安く手に入るからという理由の

「占領地都民」の「入植」であった。




入植地という言葉からは

砦のようなものを想像しがちだが、

実際は公団住宅や

私鉄沿線の新興住宅地

といった風情の場所もある。



「入植者」の85%は、

エルサレムかテルアヴィヴまで

30分の通勤圏に居住している。




だが、入植者の動機が、

イデオロギーであろうが

住宅難であろうが、結果として

パレスチナ人の土地が

奪われることには変わりはない”




**********



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時1992年のもの







中道左派の労働党によると、現在

イスラエルでもワーキングプアが

増大しているそうです。





そんな中で入居した人達にとって

入植地を手放すということは、

ようやく手に入れた我が家と

今の生活を放棄するということ。


だからやめたくてもやめられない。




そして入植者は、

現政権与党である右派リクードの

強力な支持基盤となっています。



脆弱な政権であるネタニヤフ首相

(現リクード党首)としても、いま

入植をやめるわけにいかないのです。




ここでも政策を左右しているのは、

「票田への配慮」でした。








■どう考えていけばいいのか??■






私が直接話を聞くことが出来た

パレスチナの人たちも、

和平交渉の最前線にいた人達も、

語っていた解決策は同じでした。




「入植地の建設をやめること。


ユダヤ人に、全土から出ていけ

とは言わない。


1967年の第3次中東戦争前まで

撤退してくれればいいんだ」と。





どうすればそれを実現できるのか?





もちろん国際社会の介入が

不可欠だと思いますが、

ここでは別の視点であえて書いてみます。





和平実現を困難にしている入植地。

その入植者の多くが、イスラエルの

比較的所得が低い人たち。



つまり、

イスラエル国内の格差問題・

貧困問題が、パレスチナへ

しわ寄せされているということです。




であるならば、

格差問題として考えればどうでしょうか。



入植地にわざわざ住まなくても、

低所得者が暮らしていけるようになるとしたら?






そもそも、

アラファト議長とラビン首相が

和平へ舵を切ったのも、

経済的理由が大きかったのです。



ラビン首相は、

アラブとイスラエルの巨大市場

「中東経済構想」を提唱。


実際にオスロ合意直後、

欧米・日本・世界銀行などが

次々と数億ドル単位の援助を表明し、

経済効果はその数倍と言われました。


これが和平崩壊によって失われたのです。





そしてイスラエル国民に、

軍事費だけが重い税負担として

のしかかっています。




先進国とされているイスラエルですが、

2013年OECD実施の調査では、

加盟34か国のうち、なんと

最も相対的貧困率が高く、

最も格差が大きい国となっています。


(イスラエルの左派新聞『ハアレツ』

および『日本語版ハフティンポスト』

20130522日付より)






トランプやサンダースを大統領候補に

押し上げたのも、格差問題。

ネタニヤフを下支えしているのも

格差問題。



トランプやネタニヤフを

非難するだけでは変わらない。





世界を覆う格差・貧困問題の解決は、

打開の糸口のひとつとして、

落としてはいけない視座だと思うのです。







和平を難しくしているものpart2:

「エルサレムの帰属・

難民帰還権の問題」は

次回以降掘り下げたいと思います。





【当ブログ内関連記事】


▼私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものpart2・エルサレム帰属問題




▼和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているものpart3;難民帰還という悲願






パレスチナ問題や

オスロ合意までのざっくり歴史は

コチラに書きました。

よろしかったらご覧ください▼


「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」

パレスチナで何が起こってきたのか?【最新現地動画byVFP 有り!】


【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視




【主な参考図書など】


高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎


「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」

1992年 講談社現代新書



田中宙さん 無料メールマガジン

「田中宙の国際ニュース解説」



広河隆一さん著

「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で」

1998年 草思社



平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版



イツハク・ラビン著

「ラビン回想録」

1996年 ミルトス







byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



↓よろしかったらポチポチっと押していただけますと励みになります↓

にほんブログ村 旅行ブログ 中東旅行へ   

にほんブログ村   人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
by shuklm | 2017-12-12 06:59 | エルサレム・和平・国際監視