6月3日、日本とトルコ「100年の友情の始まりの日」。知られざる2つの救出実話
現在進行形の、結構凄くイイ話。
今日は、トルコの親日感情の源となった「エルトゥールル号事件」が起こった日。
1890年6月3日。
和歌山県串本町沖で、オスマン帝国の親善訪日団を乗せた軍艦エルトゥールル号が台風で座礁、爆発。
その時、遭難したトルコ人達を、地元串本町の住民が嵐の海に飛び込んで命懸けで救出し、
自分達が飢えることになるかもれない危険も顧みずに非常食までも分けて、人肌で温めて介抱したそうです。
生き残ってトルコまで送り届けられたトルコ人達は、「自分たちはこの救出劇を祖国で語り継ぎ、日本が危機に陥るときは必ずこの恩を返す」と約束したそうです。
凄いのはココから。
実にその約100年後の1985年、イラン・イラク戦争時。
イラクによって突然「48時間以後、領空を飛行する航空機は無差別攻撃する」という宣言が出され、200人以上の日本人がイランに取り残されました。
日本政府が救援機を出せない中、大使館員が奔走するもどこの国も自国民の救出を優先して飛行チケットを譲ってもらうことも不可能で、万策尽きたかと思われたその時、脱出用飛行機を飛ばすという英断をしてくれたトルコ政府。
その理由は、「エルトゥールル号の恩返しですよ」…と。
しかも、現地で同じく救出を待っていたトルコ人500人以上が、「今こそ恩返しするべき時だ」と席を譲ってくれて、自分たちは陸路でトルコへ帰ると申し出てくれたんだそうです。
当の日本人自身が知らなかった出来事を語り継いでくれていたトルコの人たちのお陰で、日本人全員無事に帰国できたという実話です。
さらにコレ、「昔あったいい話」でなく、エルトゥールル号救出劇の現場の串本町では、現在も追悼式典が開催されており、海底に沈むエルトゥールル号の遺品を探す作業が、地元住民の方々が協力して今も続けられているんだそうです。
▼2015年2月16日 NHKニュース「おはよう日本」より
遺品発掘調査に取り組む
トゥファン・トゥランルさん
「いまも発掘を続けられていることに、
とても感謝しています」
11年前の発掘開始当初から
協力を続けている地元のダイバー中村洋介さん
「トゥファンさんの人柄に魅力を感じています。
それが続いている理由です」
いまもこんな友情が続いてるなんて、
皆さんご存知でしたか?
私は知りませんでした。
最近、東京ジャーミイ・トルコ文化センターを見学時にショップでたまたま見かけた本「海の翼」と、NHKニュースで知ったんです。
これはぜひもっと多くの人に知ってほしい!と思い、記事にしてみました。
この2つの救出劇を取り上げた映画が日本トルコ合作で制作され、今年12月公開されるとのこと。
日本政府全面バックアップで安倍首相自ら映画プロジェクトのトップを務めているということで、原発輸出をしたい日本政府としてトルコと関係強化したいという思惑があるんじゃないかと勘ぐってしまう自分の性格が悲しいのですが、映画自体は純粋に楽しんで観たいと思っています。
いずれにせよ、今日は、トルコが示してくれた「100年の友情」に感謝し、今も続く人の繋がりに思いを馳せる日にしたいです。
シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ここでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュクラム!
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