オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。





2002年6月。



お世話になったエルサレム旧市街前の宿の

パレスチナ人オーナーが、

別れ際に贈ってくれた言葉です。





「いつの日か、近い将来、

 本当に平和になったパレスチナで、

もう一度会おう」。





「本当にそんな日が来るのかなあ…?」

半信半疑だった私は、とっさに

どう反応していいのか迷いました。


 



「きっとだよ」。

  



彼は力強く頷き、大きなその手を

差し出しました。





柔道選手かお相撲さんのような

立派な体格の彼の掌は

思いのほか柔らかく、

握り返した両手を、気がつくと私は

何度もブンブン振り回していました。



傍から見ると、大人に子供が

ぶら下がっているようにしか

見えなかったと思いますが、

つたない英語で必死に伝えました。




「そうだよね。本当にそうだ。

 そうであることを、私も願ってる」。





あとは、言葉になりませんでした。







この人たちは、こんな状況でも、

希望を捨てていない。






ベツレヘム知事も、希望を語っていた。



イスラエルの兵役拒否者も、

和平をあきらめていない。





その言葉を直に聞いて、

眼を見開かされる思いでした。









2002613日早朝。





タクシーで一人、テルアビブ近郊の

ベングリオン空港へ向かい、
飛行機で日本への帰路につきました。






入国審査時に散々足止めされて

懲りていたので、

帰りはなんとしても

トラブルを回避したくて頭を絞り、

写真やメモ没収されたり

咎められたりしないよう、

デジカメデータ等はすべて事前に

宅急便で日本へ送ってありました。




しかしそのせいで、今度は

中身が空っぽのカメラを

爆発物疑われて


「これはなんだ?! 

なんで何も入っていないんだ?!」と

詰問されることに。


「金属チェックの時にデータが

ダメになるかもって聞いたから、

抜いただけだってば!」と、

これまた中学レベル英語で

必死に説明し、

なんとか通過できたものの、


結局、出国審査でまた数時間を

取られることなってしまいました。





最後の最後まで、

「『テロ』の脅威に怯えるイスラエル」

の姿を見ることになりましたが、

しかし、彼らがそうならざるを

得ない心情も現地で体感したし、

そしてその姿が

イスラエルのすべてではないことも

知りました。






帰りの飛行機に乗り込んで、

無事離陸。





あっという間の、

しかしあまりにも忘れがたい、

8日間のパレスチナ・イスラエル

訪問が終わりました。






眼下には一面、

晴れ渡った空が広がっていました。









****************






パレスチナ・イスラエル現地で

体験したことは、

今回で一区切りとなります。



実際に見たこと、

現地の人に聞いたこと、

受け止めた思いをお伝えしたくて、

ここまで書いてきました。


ここまで読んでいただいて、

本当に有難うございます。




ここから先は、帰ってから

ずっと考え続けたことを、

ひとつひとつ整理しながら、

少しずつ綴っていきたいと思っています。

(もちろん、合間に閑話休題や時事なども挟みつつ)



そのため今後は、週に1回程度の更新になるかと思いますが、

引き続きお付き合いいただけますと、幸いです。







byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2014-12-31 12:39 | パレスチナ自治区 現地レポなど | Comments(0)