オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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ジェニンにて・3。生き残った住民の証言





今回、少しハードな話になりますが、

よろしければお付き合いください。






20026月7日。


ヨルダン川西岸地区の

ジェニン難民キャンプにて。




キャンプの責任者と、

赤新月社(アラブ版赤十字社)の人に

伺った話です。


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OnJune 7th,2002, Jenin Camp, WestBank,Palestine








「イスラエル軍の侵攻が

始まったのは、2002年4月2日の夜。




戦車、武装ヘリコプターの

コブラやアパッチ、

軍用車、ブルドーザー、

あらゆる軍用機が動員され、

キャンプ周辺の高い建物から

見えるすべての物に

ミサイルが撃ち込まれた」。






ジェニン難民キャンプは、

約1キロ平方。


そこに13,900人がひしめき合う

ように生活していました。







「840軒の家と、水道・ガス・

電気などのインフラが破壊された。


救急車の搬送も、

消防車の活動も拒否された。


負傷者を助け出そうとすると撃たれた。




ジャーナリストも医者も

入ることもできず、

キャンプにいたたった一人の医者だけでは

とても手が回らない。






 侵攻後6日目。






イスラエル軍は、武装ヘリコプターアパッチで

48時間にわたる空爆を強行。





キャンプの若者たちは

銃を取って抵抗したが、

7日目にはこのハワシーン地区へ

追い込まれ、抵抗者の家を中心に、

徹底的な破壊を受けた。






ある若者は、隣村サレムに

着くまでの間、

死ぬまで殴られ続けた。



別の男性は、腰痛で

コルセットをしていたために、

爆弾を抱えていると

恐怖に駆られた若いイスラエル兵に

銃を乱射されて即死した」。








「瓦礫の中には、まだ

人が埋まっている」。






一帯から死臭がすると、

戦争を知っている世代の

ツアーメンバーの方も呟いていました。








ただ、強く印象に残っているのは、

こんな廃墟の中でも、

キャンプの方が感情をあらわに

することなく

語っておられた言葉です。







「ユダヤ人を憎んでいる

訳ではありません。



自分たちが暮らしていく

権利を勝ち取るために

抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、

問題はなくなります」と。








※私は、ジェニン難民キャンプ侵攻の全貌を

把握している訳ではありません。




詳細について知りたい方は、

実際に現地を取材された

ジャーナリストの方々の

レポート等をどうぞご覧ください。




ご参考までに


土井敏邦さん著・「パレスチナ ジェニンの人々は語る」

岩波ブックレット

広河隆一さんネットコラム「HIRORESS.net

映画「ジェニン・ジェニン」ムハンマド・バクリ監督




【次回へ続きます】


byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2014-10-12 08:16 | パレスチナ自治区 現地レポなど | Comments(0)