ジェニン難民キャンプへ・軍事境界線を越えて
2002年6月7日、午前9時。
市民交流ツアーのバスは、
ヨルダン川西岸地区トゥルカレムを出発。
4月にイスラエル軍の大規模な攻撃に遭った
ジェニン難民キャンプを目指しました。
当時、国連の調査団はジェニン入りを拒否され、
日本の大手新聞では「虐殺はなかった」
という報道もされていました。
▼パレスチナ地図と、軍事境界線。地図上のグリーンの線です。
ジェニンは西岸地区の1番北側。この地図ですと、1番上の位置、JENINと書いてあるところです。
(地図は、現地で入手したガイドブック「This Week in Palestine 2002年6月発行」より)
まずは、正面突破にトライ。
幹線道路からジャラメ検問所を経由して
キャンプに入ろうとしましたが、
検問所はフル装備のイスラエル兵によって
完全に封鎖されており、
通過を拒否されました。
主催者とパレスチナ人の
コーディネーターらが話し合い、
やむなく、裏道から崖を通って、
グリーンライン(軍事境界線)を
越えることになりました。
サレムという村までバスで回り込み、
そこでバスを降りて、徒歩で崖を下って
2キロ離れた隣村ロマーナまで行き、
さらにタクシーを拾ってジェニンに入る
というルートです。
立ち入り禁止表示がないので
合法的に通行できますが、
「グリーンライン(軍事境界線)を
突破すると、イスラエル兵に見つかれば
拘束されたり狙撃される可能性もある」
と説明を受けました。
このツアーの目的は、
「パレスチナ・イスラエルの
市民との交流」と同時に、
イスラエル軍に対して
「国際監視の目」と
なることも目指していました。
しかしもちろん、危険も伴うため、
ツアー行程については、
「参加する・しない」を、
その都度参加メンバー個人の責任で、
自由に選ぶことができました。
自分としては、
「ここまで来たからには、
絶対に辿り着きたい」という思いだけでした。
ジェニン行きを決めたメンバーを
乗せたバスがサレム村に向かう途上、
ジェニン方面から、白煙がいくつも
上がっているのが見えました。
今も、イスラエル軍の攻撃に
さらされているのです。
その白煙の先へ向かいます。
【次回へ続きます】
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