オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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なぜ「停戦」が「和平」につながらないのか?その4



2007年、パレスチナ自治区で

初めて実施された選挙で、

ハマスが圧倒的な支持を受けて、

多数派となりました。




それまでパレスチナを代表してきた

ファタハは、「和平」合意を優先して、

「占領」や「入植」などの問題は、

具体的解決を先送りしました。





ガザ地区とヨルダン川西岸地区から

イスラエル軍が徐々に撤退するという

約束のはずが、なかなか撤退が進まず、

逆にイスラエルはユダヤ人だけの居住地域(入植地)を拡大していったのです。



「そんな不公平な和平は受け入れられない」

と異議を唱えるハマスへの支持が

広がっていったのは、ある意味当然だと思います。






また、残念ながらファタハは、

西側から得た莫大な支援を

自分たちの利益誘導に使い、

パレスチナの貧困状態を解決しようとはしませんでした。



これに対してハマスは、

軍事組織であると同時に、

主な予算のほとんどを医療・福祉・教育

に使っているガザ最大の社会福祉NGOで、

住民生活を支えるセーフティネットでもありました。


住民にとって、不可欠な存在になっていたのです。




しかし、

ハマスが勝利した選挙結果に対して、

西側諸国は「ハマスは過激派だから」

という理由で、援助を停止してしまいました。


この「西側」には、日本政府も含まれていました。




ガザで食料・燃料・医療品などが不足する

危機的な状態に陥ったのは、

援助停止も大きな要因でした。





国際的に認められた正規の手続きを踏んで

選挙を行って、正当に代表を選んだのに、

「国際社会」はそれを認めないという。




欧米の言い分(和平とか選挙)

受け入れた結果、状況は悪化した。





これ以上、一体どうしろというんだ? 

というパレスチナの問いに、

「国際社会」は、いまだに応えていないのです。






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June 2002 Jenin WestBank Palestine

2002年6月7日、ジェニン難民キャプにて 筆者撮影


byしゅくらむ


by shuklm | 2014-09-06 09:42 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)