オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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なぜ「停戦」が「和平」につながらないのか?





今回の停戦が、とにかく

少しでも長く続くことを願っています。




ただ、それだけでは、解決にならない。





それは、簡単にってしまえば、


弾が飛び交ってない時も、

イスラエルがこれまで日常的に

やってきたことが、

パレスチナ側から見てあまりにもヒドすぎるから、です。





たとえば、イスラエルが定めた「軍令」。


 


「パレスチナ人は、特別の許可なく

地上および地下の水を汲んではならない」


「パレスチナ人は、許可なくして

トラクターその他いかなる農機具も

輸入・使用してはならない」


「パレスチナ人は、果実、野菜、

工業製品、石材、郵便切手、古美術品を

輸出してはならない」


「イスラエル軍当局は、

あらゆる地域を封鎖し、

交通を遮断することができる」等など




(原点は、「エルサレム・メディア&コミュニケーションズ・センター」の「軍令集」。

それを、日本のパレスチナ支援団体「ハジャルナー」が翻訳されたものです)





こんな軍令が、1967年から、1300以上存在していました。  





これによってイスラエル軍は、

パレスチナ中に「合法的に」検問所を設け、

パレスチナの救急車を止め、

臨月の妊婦さんの通行まで拒否する

ということが日常的に起こっていました。




ある検問所では、通行を止められた

その場で陣痛が始まってしまって、

検問所で赤ちゃんを産んだ女性がいました。


彼女は、「チェックポイント(検問所)の母」と呼ばれているそうです。





弾が飛び交ってない時も、

パレスチナの人たちは、普段から、

目に見えない弾にさらされていたのです。






私自身は、ガザ地区を訪問したことはありません。


ガザについては、

現地を訪問した友人たちが実際に聞いた話と、

西岸地区で自分が体験したことと

帰国してから調べたことをもとに、

おぼつかないながらも書いてみたいと思います。




【次回に続きます】  

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June,2002 WestBank, Palestine
2002年6月7日 ヨルダン川西岸地区 ジェニン難民キャンプにて、著者撮影。
一人にカメラを向けると、次々と子供たちが集まってきました。

byしゅくらむ


by shuklm | 2014-08-30 16:11 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)