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オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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いまだから伝えたい、韓半島からの声:元慰安婦ハルモニと少女像のメッセージ「語り継ぎたいのは反日じゃない」




■「反日のシンボル」は本当??■




日韓関係が最悪と言われる状況になる中、

あまにりもセンシティブな話題に

なってしまった従軍慰安婦などの問題。


96回目の関東大震災の日に、

いまだからこそ、

ひとりひとりの声に耳を澄ませたい。



「従軍慰安婦」「少女像」「請求権」

イコール反日のシンボルのように

報じられていまずが、

そもそも本当にそうなのか?




1990年代、

来日した元従軍慰安婦の人たちから

実際に話を聞く機会があったのですが。


いま報じられるような反日一辺倒では全然なくて、

もう少し違ったトーンだったはず…?と、

違和感を抱き、

その対話会の企画者とやり取りして

確認したことを含め書きます。


私が直接見聞きしたり学んだことなど

限られていますが、事実として

「反日を煽るためでなく、

日韓の若者の未来のため」という

願いが存在していたことは伝えたいのです。






■元従軍慰安婦の人たちが語った意外な言葉■




元慰安婦のハルモニ(お婆さん)から

聞かされたのは、予想していなかった言葉でした。


「韓国では、戦後もずっと

私たち(従軍慰安婦)は差別されてきた。


だから、韓国は嫌いだ。


日本の兵隊で好きになった人もいた。

でも、その人も他の人も、皆

死んでしまった。


だから、戦争はもっと嫌い。


日本の若い人には知っていてほしい」




自分が語るのは日韓関係の問題じゃない、

と明言されていました。


語り継ぎたいのは、反日ではないのだ。と。



日本よりもずっと「貞操観念」が強固な

韓国社会で、彼女たちは半世紀も苦しんできた。


日本の若者に恋もした、

人生の一番輝いていたはずの時期。


それが自由を奪われて過ごしたこと、

そしてその渦中で、やはり

人生を奪われた日本兵達がいたこと。


日韓の若者が同じような思いをしないために、

自分はここまで来て語っているのだと。

死ぬ前に伝えておかなくてはならないと。


対立を煽るためでなく、未来のために。


それは確かに重く痛苦な体験談でしたが、

何の強圧的な糾弾でもなく、

お互いが前へ進む提案として

受け止められるものでした。





■「表現の不自由展」と「少女像」と「請求権」のモンダイは別々!■



そこで、今回の

「表現の不自由展」で 撤去された少女像です。

結局は何がモンダイなのか??


まず問題をバラして考えよう!ということで。

一番核心を突いてて

わかりやすかったのはコチラ!



▼せやろがいおじさん

愛知トリエンナーレ表現の不自由展について【せやろがいおじさん】

貼り付け元 <https://www.youtube.com/watch?v=Ej93yBVLtm8>




次に、請求権とはどういうモンダイなのか??


日韓請求権の問題について、

一番シンプルで平易な言葉で

解説してくださってたのは、

高橋源一郎さんでした



▼高橋源一郎さんtwitter

https://twitter.com/takagengen/status/1160530657149243392

twitterという媒体ではもちろん限界があるにせよ)






■歴史的事実としての戦後補償■



そして押さえておきたいこと3点。



◆事実1


そもそも旧宗主国として、

旧植民地側の住民に、

最低限の法的補償をしてないのは

日本だけ。


いわゆる帝国主義国家、

イギリス、フランスなどの本土に居た

植民地出身者は、戦後、望めば

旧宗主国の国籍を得ることが出来ました。

その権利は無条件で享受可能だった。


一方、「五族協和」を掲げ、

日本・朝鮮・中国・満州・モンゴル

5つの民族衣装を着た民族が

手をつないでいるのが大日本帝国だ、

という理想を喧伝していた日本。


しかし戦争が終われば、

「大日本帝国国民」だった

事実などなかったかのように

一転して放り出した。

日本で生活してきたひと達は、

国籍を一方的に剥奪されたのです。




◆事実2



1965年の日韓請求権協定で

戦後補償を手打ちにしたのは、

韓国軍事独裁政権だということ。



1948年、朝鮮戦争後に成立した

軍事政権は1987年まで続きました。

(李承晩~朴正煕大統領まで)


請求権協定を結んだ朴正煕大統領は、

金大中拉致事件を起こした当人です。

日本滞在中の民主活動家を拉致し

暗殺しようとした事実を韓国政府も

正式に認めています。


さらにその後の軍事政権も酷かった。

例えば、

1980年の全斗煥による軍事クーデターに

抗議した「光州民主化運動」に対しては

最強空挺団で鎮圧して、自国民を

3000人規模で死傷させるような

人権侵害がまかり通っていました。


日本に補償を求める以前に、

民主化政権成立までの長い間、

韓国民衆が声を挙げることが

難しい状況があったことは

理解しておくべきだと思います。




◆事実3



むしろ戦後補償(個人請求権)

について踏み込んだのは、

日本政府の方だということ。



1987年、盧泰愚民主政権成立後、

「このままでは死んでも死にきれない」と

声を挙げた元従軍慰安婦たちがいて、

国連などでも俎上に載る中、

日本政府も調査を実施、

自民党の河野洋平官房長官が関与を謝罪。


強制の事実は書面上確認できなかったとしても、

戦争による女性の悲劇はなかったことにはできないと。



1995年、自民党・社会党・さきがけの

連立政権にて、村山富市首相も

公式の国家的謝罪を表明し、民間の

「女性のためのアジア平和国民基金」が

設立されました。



しかしこれはハルモニたちが望んでいた

ことだろうか…と危惧を感じたのですが、

やはり、

「お金が目当てでやってきたのではない」

と見舞金の受け取りを拒否した人も

少なくありませんでした。



お金じゃない。

手打ちにしたいわけでもない。

どんなことをしても、

もう取り戻せない。


それでもせめて、

戦争を起こしたのは国家で、

それによって意思を無視した

性交を強いられ、

性欲処理装置としてしか

存在できなかったことを、

自己責任にしないでほしい。



そして

同じく戦争で人生を奪われた

日本兵達の、明日をも知れぬ

呻吟があったことを、

忘れ去らないでほしい。




そうした思いをどう活かせるのか、

向き合い方の問題なのだと思います。




その際に、現在参考になると思ったのが、

「ベトナムのピエタ(少女像)」の例です。





■加害の歴史とどう向き合うのか/

ベトナムのピエタが投げかけるもの




トリエンナーレから撤去されてしまった

少女像の作者、

彫刻家のキム・ソギョンさんと

キム・ウンソンさん夫妻は、

少女像展示の際には

来場者と少しでも対話したいと

その場に来られていたそうです。


反日の意図ではない、と。




そして、

私も今回初めて知ったのですが、

韓国の加害の歴史を題材にした

作品も制作されていたんですね。

それがこちら「ベトナムのピエタ(少女像)」。


▼安田菜津紀さんtwitter

https://twitter.com/NatsukiYasuda/status/1161251544215351296




ベトナム戦争時の韓国軍による

民間人虐殺等という

負の歴史に向き合うため、

ベトナムと韓国双方にピエタ像を

作成したのだそうです。



また韓国では、

「日本に謝罪を求めるなら、

韓国もベトナムに謝罪すべきだ」

という声が大きくなって寄付が集まり、

ピエタ像設置に至ったのだとか。


2016-01-26付ハンギョレ新聞

日本に謝罪求めるなら韓国もベトナムに謝るべき 高まる「ピエタ像」設置運動

貼り付け元 <http://japan.hani.co.kr/arti/politics/23166.html>




こうした負の歴史との向き合い方は、

国を問わず共有したいことではないでしょうか。



もちろん日本にだって悪い面だけでなく

いい面もあったでしょう。当たり前ですが。

韓国だからなんでも正しい訳じゃない。


実際、反日感情も存在しているでしょうし、

残念ながら政治的に相互利用

されている面もあるでしょう。




それでも、大事なことは見失わずにいたい。




いま必要なのは、

良いも悪いもひっくるめて、

都合よい切り取りではない

過去を活かす方途を探っていく

ことなのではないでしょうか。



糾弾でなく対話を求める声を、

かき消させないようにしたいのです。




どうか、疑問を感じている方に届きますように。

心ある方に繋がり、

受け取っていただけますように。







【当ブログ内関連記事】


2017.11.17UP 韓国の友人へのインタビュー

▼韓国人青年に聞いてみたPart3;日本の皆さんに伝えたいこと。「嫌韓」・東日本復興支援・反日の中で見た希望

https://syuklm.exblog.jp/27670684/


2016.9.1UP 加藤直樹さん著「九月、東京の路上で」 レビュー

93回目の関東大震災の日に。「虐殺」に走った人と、とめた人を分けたのは、何だったのか?

https://syuklm.exblog.jp/26158073/





PS

89日長崎原爆の日で、

ブログ5周年になりました。

久々の更新となります。

今まで読んでくださっていた皆様、

大変なご無沙汰恐縮です。


介護や仕事に追われつつ、

6月天安門事件について書いて

30年分のケジメを注ぎ込み、

少々燃え尽きたのもあります。


創作活動でリカバリしてきましたが

でもそれだけではやはり充足できなくて、

それもこれも全部込みで必要だと。


これからも、細々とでも発信することを通じて、

自分の持てるリソースを使って繋がり、

少しでも社会がよりよくなることに

貢献できることを願っています。


可能な範囲での更新となりますが、

また繋がれれば嬉しいです。





byしゅくらむ



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# by shuklm | 2019-09-02 23:58 | 元韓国兵士が語るリアル・韓半島からの声 | Comments(0)

中国からの声part4:64天安門事件30年目に・大きすぎて向き合えなかった宿題と向き合う。





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▲2019年2月〜世田谷パブリックシアターで

上演された翻訳劇「チャイメリカ」。

いままで天安門事件とアクセスすることのなかった人も含め

話題にする機会になった。





大きすぎて向き合えなかった64・あそこに私の友人もいた■




1989年6月4日、天安門事件の30年目の日。


「民主化を求める学生の運動が

中国政府によって武力制圧された日」

として、様々なメディアで報道されました。


対して 、

「民主化を弾圧した中国政府は酷い、

民主化運動を応援すべき」という

主張がある一方で

「青臭い学生の理想に乗せられた軽挙妄動」

「学生が知識人を排除して破局を招いた」という批判もあります



そのどちらからもこぼれ落ちてしまっているものを感じます。



私は中国の専門家でも研究者でもなく、

中国民主化のために四六時中ずっと活動してきた

訳でもないシロウトです。それでも

これだけは伝えておかなくてはと感じたことを記します。



自分自身のことを少々書かせていただくと、

元々はただの中国オタクです。


NHKスペシャル「シルクロード」や

「大黄河」に魅入られて中国に憧れ

1980年代ツアー旅行の訪問先で日本の過去の加害に直面し、

それでも日中友好を求める人たちと出会いました。


しかしその憧憬を1989年天安門事件で打ち砕かれ、

以来、中国に背を向けてきました。


2000年代、天安門事件の当事者である

中国人の友人の痛切な胸の内を知る機会を得ながら

その想いを活かす道を見いだせず、

あまりの問題の大きさにどう向き合っていいのかわからいまま

気がつくと事件から30年が経っていました。




あそこに、私の友人がいたんです。


それをずっと言えなかった。





「戦車男」とCHIMERIKAからのバトン■




この重い宿題に向き合う力を与えてくれた

直接のきっかけは、今年開上演された戯曲「チャイメリカ」でした。


天安門事件を正面から題材にした脚本を読み、

衝撃のあまり書いたブログ記事を通じて

思いもかけず得た新しい友人たちとの出会いが

背中を押してくれました。



中国の友人との縁などについての記事シリーズはコチラです↓

中国からの声part1:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~


中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~


中国からの声part3:天安門事件のキッカケになった胡耀邦の死。日本人に託した「遺言」とは??




■伝えたいこと


そしてさらに、天安門事件に関わった人達に

この30年ずっと深く想いを寄せてきた友人とも

長いやり取りを交わし、多くのことを知りました。



ひとつは、あの民主化運動は

「学生だけの独りよがり」ではなかったことです



食料や水やアイスキャンディーを差し入れる北京市民がいて、

全国から応援の労働者が駆けつけたそうです。


ゴルバチョフ書記長の訪中取材に来た

外国メディアによって「天安門で革命が起こっている」

と大々的に報じられたあの光景。

広場前を埋めて「応援」の横断幕を掲げて歩む

途切れない数十万の人の波の映像は

その人たちの姿だったのです。


だからこそ2か月もの長い間運動が継続したのです。



改めて映画「天安門」を見返すと、

3時間の長尺の中で、その姿が映し出されています。



たとえば人民解放軍が介入しようとした当初

兵士に呼びかける労働者たち。


「学生が何か間違ったことをしてるなら、

俺たち労働者がぶちのめしてやる。

だからお前たち(兵士)の出る幕じゃない。

帰れ帰れ」、と。



人民解放軍の車両を囲んで止めようとする市民たち

「あなたたち、何をしようとしているか

わかっているの?兄弟なのよ?」


解放軍は2日間足止めを食らって一歩も動けず、

市民や子供達から手渡しで食べ物や花を

差し入れられて、ついには泣きながら

市民と握手を交わしつつ撤退していきます。



学生市民たちと地面に車座になって

解放軍の歌を一緒に歌い上げる兵士の姿もありました。

「人民解放軍は、人民から髪の毛一本も奪わない」と。


少なくともこの時5月は、まだ解放軍は人民のものだったのです。




6月4日未明の虐殺の後、

戦車の前に立ちはだかって止めようとした彼は、

「解放軍の本来の姿を取り戻してくれ」と

言いたかったのではないか。


そして実際に、制圧命令を拒否して実刑を受けた兵士もいたのです。



戦車男の背中にも前にも、おそらく無数の戦車男が存在したように、

無数の無名の抵抗者たちがいた。



もちろん、そうであるがゆえに、事件によって

人生を暗転させられた労働者や市民も大勢いました。


だから決して綺麗ごとではないのは百も承知しています。




しかしそれでも、歌い継がれる希望があることは伝えたいのです


今もなお、中国本土・台湾・香港で、

天安門事件に寄せて歌い継がれている曲に託された希望は、

活動家だけのものではない、ということを私は友人から教えてもらいました。



このことは、ぜひ伝えたい。



同時に改めて考えたい。


あの流血の事態は避け得なかったのか?

あの時あの場所で何が起こっていたのか?

何を求めて、何が変わり、何が残ったのか?





一挙に書くには体力的時間的に制約があるため、

この6月、じっくり向き合ってひとつずつ

形にしてきたいと思います。



おつきあいいただけると幸いです





【参考史料】


◆映画「天安門 THE GATE OF THE HEAVENLY PEACE

リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン共同監督/1995年公開

◆「天安門 十年の夢」 譚 璐美 著/1999年新潮社

◆「八九六四 天安門事件は再び起きるか」安田峰俊著/2018年角川書店

※「天安門」は評価が分かれる映画ですが、

その限界を踏まえつつも、 過去80年の歴史的映像と250時間以上の膨大な現場の映像資料は必見と思いますので取り上げています。

またその他に、ニュースソースとして主にAFP通信を参考にしています。AFPはどんなに危険でも現地に記者を送って記事を配信するのを原則としているので、信頼できるメディアと考えています。



今日は本当にまとまらない文章でごめんなさい。

ブログ記事の文字制限が200,000字と表示されて大幅に削らざるを得ず、

とにかくそれでも今日は発信することが仁義と思い上げさせていただきました。



byしゅくらむ

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# by shuklm | 2019-06-04 23:58 | 中東・アジア・イスラム世界からの声 | Comments(0)

8回目の311に。台湾・韓国・パレスチナ…世界中から寄せられた想いを、忘れない。



あれからもう8年。


今日は一旦

中国シリーズをお休みにして、

東北に想いを馳せたく、

ささやかながら書かせていただきます。



いまもなお復興半ば。

地域によって状況も様々だけれど

いまも終わっていない震災のこと、

忘れないでいたい。




それと同時に、あの震災の時に

世界中の多くの人が心を寄せてくれたこと、

駆けつけてくれたボランティアの人達、

義援金や支援物資や復興支援などのことも、

忘れずにいたいのです。





韓国人の友人は、震災後、何度も

復興支援のボランティアに来てくれていました。


日韓関係が歴史問題できしんでいた頃。


その後サッカー日韓戦で日本を非難する

プラカードがあった一方で、同じ会場で

「東北を助けてくれてありがとう」という

プラカードも掲げられていたそうです。


▼韓国人青年に聞いてみたPart3;日本の皆さんに伝えたいこと。「嫌韓」東日本復興支援反日の中で見た希望

https://syuklm.exblog.jp/27670684/






台湾の人たちは、震災後すぐに

有名人から地方の小学生まで、

「一元でも半元でもいいから送ろう」と

援助の運動を開始してくれたそうです。


▼それがどれだけ心に寄り添ってくれるものだったか、

福島県出身の深谷かほるさんが

台湾で「謝謝」を伝えた様子が

WEB漫画「夜廻り猫」で描かれています。





また、パレスチナの子供たちは、

破壊された瓦礫の残る中でも、

追悼と復興を願ってくれていました。


「戦後、日本が廃墟から復活したように、

震災からも立ち直ることを信じている、

自分たちも日本のように復興するんだ」と。


▼【シェア】震災5年、追悼の凧揚げ=釜石訪問の子供も参加-ガザ

https://syuklm.exblog.jp/25508611/






そして歴史を辿れば、

関東大震災の際にも

世界中から支援の声や

義援金が届けられています。



▼こちらのページが非常にわかりやすく伝えて下さっています

「忘れられた国際支援」(木下真さん)

https://www.blog.crn.or.jp/lab/06/21.html






支えられて繋がって今があることを、

改めて思い起こす日にもしたいのです。






【当ブログ内関連記事】


▼友人の堀切さとみ監督が福島県双葉町の人たちの声を伝えています

6回目の311に。本日1605NHKラジオ第一にて放送!「かなわぬ願いを抱えたままで」被災者が託したメッセージとは…

https://syuklm.exblog.jp/26711204/


▼敬愛する豊田直己さん共同監督した映画、福島県飯館村の800日。

5度目の311に。福島に密着したドキュメンタリー「遺言」、DVD発売!

https://syuklm.exblog.jp/25474538/






byしゅくらむ



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# by shuklm | 2019-03-11 06:41 | 沖縄・原発・震災など | Comments(0)

中国からの声part3:天安門事件のキッカケになった胡耀邦の死。日本人に託した「遺言」とは??



1■天安門事件の遠因に日中友好があった…!?■




前回記事

中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~

https://syuklm.exblog.jp/29287187/ の続きです。



ソ連のゴルバチョフ書記長が口火を切り、

燎原の火のように瞬く間に広まった

1989年東欧民主化運動の奔流。



同時期に中国でも民主化を推進しようとしたのが、

当時の総書記・胡耀邦(こようほう)でした▼

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しかし保守派の反対に遭い、道半ばで失脚、

19894月死去。


その死を悼む学生・市民たちが自主的に

天安門広場に集まり、民主化運動が始まります。


彼らが求めた要求の1つが、

「胡耀邦の名誉回復」でした。




なぜ彼の死が民主化運動の発火点となったのか?

彼がやろうとしてたのは何だったのか?



その肉声を伝えるドキュメンタリーがありました。


▼NHKスペシャル スクープドキュメント

「総書記 遺された声~日中友好45年目の秘史~」

(2017年放送)

貼り付け元 <https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017082010SA000/>



見返してみて改めてハッキリ認識したのですが、

失脚の原因は民主化のためだけではなかった。

最大の理由は、日中友好を推進しようとしたから

だったんです。



胡耀邦は国内民主化改革と同時に、

日中関係の改善に政治生命を懸けていました。



それがために党内保守派から解任されてしまう

こととなるのですが、彼がどのように難局を

乗り切ろうとしていたのか、

極秘外交文書や関係者の新証言などによって

番組で明らかにされています。


見応え充分なので全部視聴いただきたいのですが、

今回ぜひフォーカスしたいのは、

日本の私達と天安門は全く無関係ではなく、

胡耀邦という回路を通じて繋がっていたということなんです。




なぜ胡耀邦は日中友好をそれほどまでに

実現しようとしていたのか?


それについて、彼自身が日本人に向けて

遺言ともいうべきメッセージを残していました。


そこに、今の日本に生きている私たちにとって

大きなヒントがあると感じましたので、

ご紹介させていただきます。



(実在人物のセリフは番組より書き起こしていますが、

この文章については番組に学びつつ筆者が補足し

噛み砕いて書いておりますことご承知おきください。

なお、胡耀邦個人を祀り上げる意図はないことを申し添えます)






2■なぜ胡耀邦は民主化と日中友好を推進しようとしたのか?■




民主化改革を進めようとしたのは、

「文化大革命」での、胡耀邦自身の

過酷な体験から得た教訓ゆえでした。



文化大革命とは、1966年、

毛沢東が実権を奪還するために

若者に直接「反革命分子の摘発」を

呼びかけて発動した、

中国全土を揺るがした大衆動員運動です。


「反革命・ブルジョワ」と認定された人達は、

政治家から宗教者・市民・労働者にいたるまで

罪の印の三角帽子と看板を被せられ

街中を引き回されました。

 


胡耀邦も自己批判を迫る集会で吊し上げられ、

地方で3年間、農作業等の労働に従事させられます。


極端な思想と群集心理の暴走を目の当たりにした

胡耀邦の信念はここで培われます。




それについて、

元・毛沢東秘書で胡耀邦と交遊も深かった

李鋭氏(100歳)が語っています。


「胡耀邦は話していました。


『誰かを盲目的に信じるのではなく、

独立した思考であるべきだ。

党 組織 国家はみな、

正常化 民主化 法治化すべきである。

1人の人間の言ったことがすべて

ということに反対しなければならない』、と」


(胡耀邦の言葉を書き留めたメモより)






党中央に復帰し、共産党総書記(最高指導者)に

就任した胡耀邦は1986年、

「百花斉放・百家争鳴」を提唱します。



いろいろな花が一斉に花開くように、

様々な思想・意見を自由に発表し論争することが

人民の利益に繋がる、という意図でした。


毛沢東時代に一度頓挫していたこの運動の

復活は大歓迎され、

胡耀邦は「開明的指導者」として支持されます。


「天安門世代」にとっては、民主化の守護者と

映ったことでしょう。






そして胡耀邦が同時に掲げたのが、

「報復主義の克服」でした。



二次大戦後、例えばソ連は国際法に違反して

日本人捕虜のシベリア抑留などの報復的措置を

いますが、中国共産党指導部はそうしませんでした。




1972年、田中角栄と周恩来の間で実現した

日中国交正常化の際も、中国政府は

「あの戦争で悪かったのは軍部であって

日本人が悪いわけではない」という

スタンスを取っています。


その際発表された日中共同声明において、

日本は「戦争を通じて中国に重大な損失を与えた

ことについての責任を痛感し、深く反省する」

中国は「両国国民の友好のために、

日本に対する戦争賠償請求を放棄する」

これが戦後日中関係の基礎である、と

宣言されました。




これによって、

日本から中国への経済支援が始まります。


ある意味手打ちにしたわけですが、

党内にも納得しない声が少なからずありました。



胡耀邦はそれに対して、

「国家の主人公はあくまで人民である。

日中のためだけでなく、

世界のためにも日中友好を進めたい。

日本国民と中国人民が対立する必要はない」と、

説き続けたそうです。


日本に中国が報復すれば、

世界中の国々でも報復が止まらなくなる。

それはもうやめよう、

報復の連鎖を断とうと言いたかったのではないでしょうか。




日中国交正常化から10年後に

胡耀邦が総書記に就任した1982年、

日本は既に目覚ましい戦後復興を遂げるだけでなく

世界第2位の経済大国に躍進していました。



一方、文化大革命等で疲弊していた

当時の中国の国力は、日本の4分の1程度。


経済を立て直し近代化するため

改革開放経済を進めようとした胡耀邦は、

日本の資金と技術力を必要としていました。


タテマエとかイデオロギーでなく、

有用なものはどんどん採り入れる現実路線は、

プラグマティスト鄧小平路線の継承でもありました。





しかしここで胡耀邦は、現在の日中関係に連なる

困難な課題に直面することになります。


いわゆる「歴史認識を巡る問題」です。





3■日中友好・「偏狭な愛国主義」を超えて■




胡耀邦が総書記に就任した年、

日中の間で初めて歴史認識を巡る対立が起きます。



1つ目が歴史教科書問題。



これは、文部省検定の高校用教科書で

中国への「侵略」が「進出」に書き換えられた、

誤って報じられたことがきっかけでした。




最高指導者である胡耀邦の方針とは裏腹に、

共産党機関紙「人民日報」が対日批判キャンペーンを開始します。


これは、長く党を牛耳ってきた八大元老

(革命世代の陰の実力者達)によるものでした。


特に、胡耀邦の政策に反対していた保守派の重鎮・

陳雲の影響下に置かれていた人物が

この対日キャンペーンを指示していたことが、

外交機密文書から明らかになっています。



さらに中曽根首相が現役総理として初めて

靖国神社に参拝すると、 

首都北京で数千人規模のデモが発生。


「日本の軍国主義復活反対」「中曽根打倒」を

叫び、デモは天安門広場にまで及びました。




背後の味方からも弾丸を喰らう形で

最大の試練に晒された胡耀邦ですが、

その信念は揺らぎませんでした。


あらゆる手段を尽くして

対話と状況改善に動いていたことが

番組では詳細に取材されています。




胡耀邦の元側近・阮銘氏は、

日中関係における愛国主義について

語っていたことを覚えているそうです。


「胡耀邦は一貫して、極端な民族主義と

狭い愛国主義に陥ってはならないと主張しました」




中国残留日本人孤児を題材にした長編小説

「大地の子」の取材で訪中した作家・

山崎豊子氏との会談の席でも、

胡耀邦は語っています。



「愛国主義を提唱しているのに

世界各国の人々に友好的でないなら、

これは愛国主義とは言えません。


国を誤るという『誤国思想』、

『誤国主義』です。


みなさんには『誤国主義』を

防いでほしいと思います。


私たちも『誤国主義』を

防がなければならないのです」




困難な歴史問題について、

時間が解決すると考えていた胡耀邦が

希望を見出していたのは、日中の若者たちでした。


3000人の日本の皆様を中国に1週間招待します」

と宣言し、日中の若者同士の大規模な交流事業を実現させます。

この事業に参加した若者達が、

次世代の政治家となっていきます。



また、翌年の靖国参拝を中止した中曽根首相を

北京に招き、握手を交わしています。




しかしこの2か月後、胡耀邦は

対立を続けてきた八大元老によって

党書記を解任されます。



解任の理由として伝えられるのは6項目。

中でも、

「日本青年3000人を独断で中国に招いた」として、

外交姿勢が独断的だったのが理由の一つとされました。




中国社会科学院日本研究所の初代所長 

何方(かほう)氏は証言します。


「胡耀邦たちは中日友好を主張していましたが、

これは一致した方針ではありませんでした。


彼が不幸だったのは、最高権力者となった時

実際に権力を握っていたのは、鄧小平と

保守派の陳雲、長老2人だったことです」。





この解任劇は、のちの共産党指導者たちに

「親日的な政策はリスクになる」ということを

刻印することになりました。




解任の3か月前の1986年10月23日、

胡耀邦は山崎氏との最後の会談で

自らの運命を悟るかのような発言を

録音テープに残しています。


「より若い人と友達になってください。

私が4年後にいるかどうかわかりません。

3年後にいるかどうか…」




李鋭氏

「胡耀邦なき後、再び過去の

中国の状態に戻ってしまいました。

言いたいことが言えなくなったのです」。




胡耀邦の息子・胡徳華氏は訴えます。


「父は深く心に決めていました。

人様が何と言おうと、

いかなるレッテルを貼られようと

いかに多くの犠牲を払おうと、

中国や人民のために 

断固として日中友好を進めると」



総書記を解任された後も、

日本の情報を集めるなど、

その情熱は衰えていなかったそうです。


しかし1989415日、政治局の会議中に倒れ、

そのまま帰らぬ人となりました。




その死を悼む学生や市民らが

花や遺影や花輪をそれぞれに掲げて街頭に溢れ、

天安門広場を埋め尽くしました。


「自由万歳!」「民主万歳!」

「胡耀邦同志は永遠に不滅だ!!」



そして64日、天安門事件ーーー。




こうして近年まで胡耀邦は、

天安門とともに中国でタブー視され

封印されることになったのでした。





4■天安門と親日リスクと愛国教育■




事件後、中国政府は急速に愛国主義を

強化していきます。



天安門事件直後、鄧小平が発表した講話です。

「この10年間の最大の過ちは教育にあった。

これまでの苦しい道のり

かつて中国がどのようであったか

そしてこれからどのような国に

なっていくべきであるのかについて

わずかな教育しか行わなかったのだ

これが我々の甚だ大なる過ちだった」。




この路線転換について、

東アジア研究の世界的権威で

鄧小平についての著書もある

ハーバード大学名誉教授の

エズラ・ボーゲル氏が指摘しています。


「天安門事件が

その後の日中関係を決定づけた」と。



ボーゲル氏

「天安門事件のあと、中国を統一するために

(指導者たちには)学生は本当に我々の指導者を

支持するかどうか疑問があった。

愛国主義の教育が必要と考えたのだ」

「愛国主義が始まってから、

一番効果があるのはやっぱり

反日の気持ちが根強かった」。





いまもなお両国の間には、

複雑な関係が横たわったままです。



首相の靖国神社参拝への中国の反発。

一方、尖閣諸島領有化や海洋進出に

脅威を感じる日本人も増えています。


2016年に言論NPOが実施した世論調査では、

相手国に対する「良くない印象」

日本91.6

中国76.7

という結果が現れました。




5■天安門から受け取ったカケラを活かす道は?■




胡耀邦が日中友好実現のため尽力していたことを、

日本人に未来を託そうとしていたことを、

日本の私達はどれくらい知っていたでしょうか?



私はこの番組を見るまで知りませんでした。



胡耀邦が政治生命を懸けた日中友好が、

胡耀邦の政治生命を奪った。

それが民主化運動、ひいては天安門事件の

引き金となった。

その反動が、中国共産党支配の正当化のための

反日愛国主義路線を選択させることとなった。


そして、「天安門事件こそが現在の

日中関係を決定づけた」のだとすれば。



日中関係が冷え込んでいる今だからこそ、

改めて噛み締めたいのが、このワードです。


「愛国主義を提唱しているのに

世界各国の人々に友好的でないなら、

それは愛国主義ではなく『誤国主義』です。

みなさんには『誤国主義』を防いでほしい。

私たちも『誤国主義』を

防がなければならないのです」



日本人に託された遺言のようなこの言葉は、

時代を超えていまなお胸に迫ってきます。



私はこれを受け止めたいと思いました。




ココで私達が誤国主義(偏狭な愛国主義)に

陥ってはならないのです。




互いが誤国主義(反日VS嫌中)で応酬すれば、

中国政府内の反日路線を正当化させる根拠を

与えることになる。


党内の反日強硬派・保守派の基盤を強化し、

穏健派・改革派の力を削ぐことになってしまう。




だから、誤国主義に陥らないこと、

つまり、ヘイトをしないこと。


それが胡耀邦の「遺言」を活かすことであり、

天安門で潰えた目標を少しでも実現に近づける道

なのではないでしょうか。



いまの私たちだから、出来ることがある。


ヘイトを直接やめさせることは難しくても、

自分がしないことは今すぐ始められる。


知らなくても理解できなくても、排除しない。

「?」と感じたら、イイねやリツイートやシェアをしない。

「知らないから怖い・わからないから嫌い」を、

なんでそう思うのか?それはどこから来たのか?と

一瞬立ち止まって再考してみる。




ひとつひとつは小さな選択に過ぎない

かもしれませんが、

逆のベクトルに世論が雪崩打って暴走するのを

止めることができるのは、

そういう日常の小さな小さな選択の積み重ね

なのではないでしょうか。




チャイメリカやこの番組を通じて私達が、

遠く離れた天安門から受け取った

カケラがあるとするならば、

それを活かす道は私達ひとりひとりの

手の中にあると思うのです。




#チャイメリカ






【参考】

◇NHKスペシャル

「総書記 遺された声~日中友好45年目の秘史~」

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017082010SA000/>

NHKオンデマンドで配信中!

49分間の番組で単品216円なのでサクッと見れます。

いや別にNHKの回し者ではないですよ、念のため!()

良質の番組を作っている方々を応援したいだけです。



◇ワイルド・スワン ユン・チァン著

◇私の紅衛兵時代 陳凱歌 著




【当ブログ内関連記事】

中国からの声part:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~

https://syuklm.exblog.jp/29269982/






byしゅくらむ&サラーム


※お恥ずかしいのですが、
今回のイラストは筆者しゅくらむと
パートナーのサラームの合作です
胡耀邦の情報が少なくて、でもやっぱり
だからこそイメージをお伝えしたく。
お目汚し失礼しましたm(_ _)m


シュクラムはアラビア語で「ありがとう」、
サラームは「平和」。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、
感謝をこめて。
シュックラム!
そしてアッサラーム!(平和あれ)




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# by shuklm | 2019-03-05 07:55 | 中東・アジア・イスラム世界からの声 | Comments(0)

中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~



1■当時の中国はどんな日常を生きていたのか?■




前回記事

中国からの声part:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~

https://syuklm.exblog.jp/29269982/

をキッカケに、


「実は自分も中国とかかわりがあった」と

打ち明けて下さる方が何人もいらっしゃいました。



あまりにも問題が大きすぎて重すぎて、

容易に口にすることが出来なかった。

それは私も同じです。



また、「チャイメリカを観て初めて天安門のことを

知った」という反応も少なくありませんでした。



生きてきた年代によっても全く認識が異なる、

そういう人間同士が想いを交わし合う

キッカケを与えてくれた舞台「チャイメリカ」。

俳優さん、関係者の方々には感謝しかありません。




いまだからこそ、ささやかでも

ベーシックな土台を共有したい。



改めて勉強しなおして

膨大な情報量に溺れそうになりつつも、

ビギナーの方にもなるべくわかりやすく

専門的になりすぎないよう、

また多少なりともご存知の方にも

叩き台となるよう、試みてみました。




では、

あの広場に集ったのは、どんな人達だったのか?


あの頃の中国の人たちは、どんな街に暮らし、

どんな日常を送っていたのか?




百聞は一見に如かず、

まずはぜひコチラを観て下さい。



イギリスのポップデュオ・ワムの

公式MVに収められているのは、

1985年の中国ツアーの様子です。


ロードムービー的映像から

当時の雰囲気がリアルに伝わってきます。


▼Wham! - Freedom (Official Music Video)

https://www.youtube.com/watch?v=BFwOs-jy53A>






改革開放前、まだ個人の外国人渡航が

許可されていなかった頃。



素朴で無邪気で恥ずかしがり屋で

気難しくて気さくな人たちの姿は、

私が1987年に見たそのままの光景でした。







2■「西側」に初めて出会った若者たち■






Wham!は、英米のアーティストとして

初めて大々的に中国で公演を実施。


つまりそれは、

東西冷戦期に建国した中国の人達が

初めて触れた「西側音楽」でした。



MVのクライマックス、

世界的ヒット曲「freedom」の熱唱に、

最盛期ブリティッシュポップの熱量と、

生で出会った「西側音楽」に思わず

共振する中国の若者たちの姿に、

胸アツと同時に切なくなります。



ビートルズが初来日した時、熱狂のあまり

失神者続出した頃の日本を彷彿とさせます。

(さすがにその当時をワタシは

リアルタイムでは知りませんが(^^;)





まさにここに映っているような若者が、

天安門広場に集った学生リーダーたち、

王丹やウアルカイシや柴玲などの

自由を信じ希求する「天安門世代」に

繋がっていったのでした。





学生リーダーの1人だった

新疆ウイグル自治区出身のウアルカイシは、

映画「天安門」のインタビューで語っています。



「建国されてから40年で、僕らが初めてだ。


強く海外に憧れる世代、

党の指導者を批判する世代は。



僕らに何がある?


目指すべきゴールもない、

上の世代(革命世代)にあった理想主義もない。



僕らは何を求める?


ナイキ・シューズ、女の子と遊ぶ時間、

出口を求めて討論する自由、

そして社会からの尊敬だ」。




それは、時代状況に強く後押しされたものでもありました。







3■時代背景:確実に変わっていた空気■







天安門事件を理解する上で

この時代背景は外せないと思いますので、

あえてざっくりまとめさせていただくと。




時は、東西冷戦終結の直前。



アメリカとソ連の核軍拡競争のエスカレートで、

ターミネーターや北斗の拳で描かれたような

「核戦争による人類滅亡の危機」が

リアリティを持っていた頃です




1985年、当時の

ソビエト連邦共産党書記長(最高指導者)に

ミハイル・ゴルバチョフ氏が就任。


核軍拡と経済危機とチェルノブイリ事故で

疲弊した国内の立て直しのため、

ペレストロイカ(政治改革)を掲げ、

西側諸国との対話外交を開始。


東側陣営(社会主義・共産圏)と

西側陣営(西欧など自由主義圏)との

軍事的緊張の緩和が進むと同時に、

体制維持のために長く押さえつけられていた

自由に発言出来ない社会への不満、

共産党一党独裁への批判が噴出。



それは、1989

11月の東西ベルリンの壁の崩壊に象徴される

「東欧共産圏の終焉」の始まりでした。



この同じ年、6月から12月までの僅か半年間に、

ポーランド・東ドイツ・ハンガリー等の5国が

雪崩を打って共産主義の旗を降ろすという激変の年となります。



多くの国で、天安門広場のような

国会前にあたる広場を数万人単位の民衆が埋め、

民主化を求めてデモやストライキ等で訴えました。



チェコスロバキアやポーランドのように

政権の平和的移行を軟着陸させた国もあれば、

ルーマニアのように市民と治安部隊の市街戦の末に

チャウシェスク大統領の処刑という形に

帰結した国もありました。



天安門事件はまさにその1989年6月に起こり、

「民主化を弾圧する共産主義」への

世界的失望によって

東欧革命にも強烈な影響を及ぼしたのでした。





ではなぜ、中国の学生たちが望んだような

素朴で若者らしい欲求は、

流血の事態に帰結しなくてはならなかったのか?


あの広場での7週間、何が起こっていたのか?


流血を回避する方途はなかったのか?


その先の展望はどこに存在するのか?





続きはまた数回に分けて

少しずつお伝えしていきますね。




次回は、

天安門事件の直接のキッカケとなった

改革派・胡耀邦の死と、

日本人に託されたメッセージについてです。


彼の「遺言」を辿ることで、

天安門と私たちが繋がる回路と

希望が見えてくると思っています。




おつきあいいただけますと幸いです。







なお私自身の立ち位置を表明させていただければ、

中東やアジアでの欧米の振る舞いを見るにつけ、

いわゆる西欧的な「自由と民主主義」について

無条件に支持することはできないし、

市場自由化と経済成長がすべてを解決するわけでは

ないとも考えています。


しかしそれを何の労苦も無く享受してきた自分が、

中国の人たちがそれを希求するのを

止めることは出来ないとも思っています。


それゆえ、

「中国共産党一党独裁さえ倒せば全て解決する」

などと短絡的に外部から批判するのではなく、

広場に集った人が何を望んでいたのかを伝え、

出来る限り客観的な史実と

出来る限り内在的な考察を綴ることで、

ほんの少しでも、かの地の人たちの力になりたいと願っています。




#チャイメリカ





【参考】



◇映画「天安門 THE GATE OFTHE HEAVENLY PEACE

リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン共同監督 1995年(日本配給:UPLINK



◇人々の声が世界を変えた!―特派員が見た「紛争から平和へ」

伊藤千尋 (著) 2002/10 大村書店発行

東欧民主革命の市街戦の命懸けレポ有り。

著者の伊藤さんと私は

政治的見解が必ずしも一致しない部分もありますが、

現場に身を置くジャーナリストの方々には心から敬意を表します。


Amazon▼

<https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%81%AE%E5%A3%B0%E3%81%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%81%9F-%E2%80%95%E7%89%B9%E6%B4%BE%E5%93%A1%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%9F%E3%80%8C%E7%B4%9B%E4%BA%89%E3%81%8B%E3%82%89%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%B8%E3%80%8D-%E4%BC%8A%E8%97%A4-%E5%8D%83%E5%B0%8B/dp/4756330177/ref=asap_bc?ie=UTF8>




今回紹介の動画の情報提供は、

この中国シリーズを書く手助けをしてくれた

台湾にゆかりのある恩人からです。

深く感謝です!!





byしゅくらむ



シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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# by shuklm | 2019-03-02 21:23 | 中東・アジア・イスラム世界からの声 | Comments(0)