
▲2019年2月〜世田谷パブリックシアターで
上演された翻訳劇「チャイメリカ」。
いままで天安門事件とアクセスすることのなかった人も含め
話題にする機会になった。
■大きすぎて向き合えなかった64・あそこに私の友人もいた■
1989年6月4日、天安門事件の30年目の日。
「民主化を求める学生の運動が
中国政府によって武力制圧された日」
として、様々なメディアで報道されました。
対して 、
「民主化を弾圧した中国政府は酷い、
民主化運動を応援すべき」という
主張がある一方で、
「青臭い学生の理想に乗せられた軽挙妄動」
「学生が知識人を排除して破局を招いた」という批判もあります。
そのどちらからもこぼれ落ちてしまっているものを感じます。
私は中国の専門家でも研究者でもなく、
中国民主化のために四六時中ずっと活動してきた
訳でもないシロウトです。それでも、
これだけは伝えておかなくてはと感じたことを記します。
自分自身のことを少々書かせていただくと、
元々はただの中国オタクです。
NHKスペシャル「シルクロード」や
「大黄河」に魅入られて中国に憧れ、
1980年代ツアー旅行の訪問先で日本の過去の加害に直面し、
それでも日中友好を求める人たちと出会いました。
しかしその憧憬を1989年天安門事件で打ち砕かれ、
以来、中国に背を向けてきました。
2000年代、天安門事件の当事者である
中国人の友人の痛切な胸の内を知る機会を得ながら、
その想いを活かす道を見いだせず、
あまりの問題の大きさにどう向き合っていいのかわからいまま
気がつくと事件から30年が経っていました。
あそこに、私の友人がいたんです。
それをずっと言えなかった。
■ 「戦車男」とCHIMERIKAからのバトン■
この重い宿題に向き合う力を与えてくれた
直接のきっかけは、今年開上演された戯曲「チャイメリカ」でした。
天安門事件を正面から題材にした脚本を読み、
衝撃のあまり書いたブログ記事を通じて、
思いもかけず得た新しい友人たちとの出会いが、
背中を押してくれました。
中国の友人との縁などについての記事シリーズはコチラです↓
中国からの声part1:友人が語った天安門と中国政治と望み~戯曲「CHIMERICA」に寄せて~
中国からの声part2;天安門で民主化を求めたのはどんな人たちだったのか?~自由と出会った若者、後押しした時代~
中国からの声part3:天安門事件のキッカケになった胡耀邦の死。日本人に託した「遺言」とは??
■伝えたいこと
そしてさらに、天安門事件に関わった人達に
この30年ずっと深く想いを寄せてきた友人とも
長いやり取りを交わし、多くのことを知りました。
ひとつは、あの民主化運動は
「学生だけの独りよがり」ではなかったことです。
食料や水やアイスキャンディーを差し入れる北京市民がいて、
全国から応援の労働者が駆けつけたそうです。
ゴルバチョフ書記長の訪中取材に来た
外国メディアによって「天安門で革命が起こっている」
と大々的に報じられたあの光景。
広場前を埋めて「応援」の横断幕を掲げて歩む
途切れない数十万の人の波の映像は、
その人たちの姿だったのです。
だからこそ2か月もの長い間運動が継続したのです。
改めて映画「天安門」を見返すと、
3時間の長尺の中で、その姿が映し出されています。
たとえば人民解放軍が介入しようとした当初、
兵士に呼びかける労働者たち。
「学生が何か間違ったことをしてるなら、
俺たち労働者がぶちのめしてやる。
だからお前たち(兵士)の出る幕じゃない。
帰れ帰れ」、と。
人民解放軍の車両を囲んで止めようとする市民たち。
「あなたたち、何をしようとしているか
わかっているの?兄弟なのよ?」
解放軍は2日間足止めを食らって一歩も動けず、
市民や子供達から手渡しで食べ物や花を
差し入れられて、ついには泣きながら
市民と握手を交わしつつ撤退していきます。
学生市民たちと地面に車座になって
解放軍の歌を一緒に歌い上げる兵士の姿もありました。
「人民解放軍は、人民から髪の毛一本も奪わない」と。
少なくともこの時5月は、まだ解放軍は人民のものだったのです。
6月4日未明の虐殺の後、
戦車の前に立ちはだかって止めようとした彼は、
「解放軍の本来の姿を取り戻してくれ」と
言いたかったのではないか。
そして実際に、制圧命令を拒否して実刑を受けた兵士もいたのです。
戦車男の背中にも前にも、おそらく無数の戦車男が存在したように、
無数の無名の抵抗者たちがいた。
もちろん、そうであるがゆえに、事件によって
人生を暗転させられた労働者や市民も大勢いました。
だから決して綺麗ごとではないのは百も承知しています。
しかしそれでも、歌い継がれる希望があることは伝えたいのです。
今もなお、中国本土・台湾・香港で、
天安門事件に寄せて歌い継がれている曲に託された希望は、
活動家だけのものではない、ということを私は友人から教えてもらいました。
このことは、ぜひ伝えたい。
同時に改めて考えたい。
あの流血の事態は避け得なかったのか?
あの時あの場所で何が起こっていたのか?
何を求めて、何が変わり、何が残ったのか?
一挙に書くには体力的時間的に制約があるため、
じっくり向き合って少しずつひとつずつ
形にしてきたいと思います。
おつきあいいただけると幸いです
【参考史料】
◆映画「天安門 THE GATE OF THE HEAVENLY PEACE」
リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン共同監督/1995年公開
◆「天安門 十年の夢」 譚 璐美 著/1999年新潮社
◆「八九六四 天安門事件は再び起きるか」安田峰俊著/2018年角川書店
※「天安門」は評価が分かれる映画ですが、
その限界を踏まえつつも、 過去80年の歴史的映像と250時間以上の膨大な現場の映像資料は必見と思いますので取り上げています。
またその他に、ニュースソースとして主にAFP通信を参考にしています。AFPはどんなに危険でも現地に記者を送って記事を配信するのを原則としているので、信頼できるメディアと考えています。
今日は本当にまとまらない文章でごめんなさい。
ブログ記事の文字制限が200,000字と表示されて大幅に削らざるを得ず、
とにかくそれでも今日は発信することが仁義と思い上げさせていただきました。