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オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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【時事】イスラエルが「民主国家」を捨てようとしている?

イスラエルの政治や国家を大きく変えるようなことが進行しています。


ニュースソースは、「アル・ジスル-日本とパレスチナを結ぶ(略称JSR)」発行のメルマガです。

そちらによると、


『クネセト(イスラエル国会)に大変な法案が提出されることになりました。

これが法律になると、イスラエルの「基本法」(憲法に近いもの)が改正(!)され、イスラエル国家の定義「ユダヤ民主国家」(Jewish and democratic countryから、「民主」の文字が消されます。代わって、「ユダヤ人民のネーション・ステート」(the Nation-State of the Jewish People)となるのです。』(原文は末尾に)

つまり、イスラエルは「民主国家」をやめる、と。


曲がりなりにも、「民主的な選挙で政権選んで、民主的な運営してます」っていう建前を維持してきたわけですが、それさえもかなぐり捨てるということを、公然と言ってる。


これには驚きました。これから先、もっと酷いことが起こるんじゃないかと、とても心配になっています。


それにしても、なんで、こんな法案が出てきてしまうのか。自分なりに、考えてみました。



イスラエルの現政権は、リクードと極右政党との連立政権。

前回選挙では、第一会派リクードだけでは過半数を維持できず、躍進した極右と組みました。


「強硬派」リクードよりも、さらに強硬路線を主張する極右に対して、ネタニヤフ首相(リクード党首)は、政権維持のために、常にもっと強硬なことを言わなくちゃいけない構造にあります。「誰が一番強くて頼りがいがあるのか」という競争になっている。



このままいくと、どうなるか。



歴代のイスラエル首相は、皆軍人出身で、ネタニヤフも元イスラエル軍将校。

「中東戦争をリアルタイムで経験した世代」です。


しかし、その後の世代の政治家や、宗教政党は、戦争を経験していません。

(宗教者は、宗教的理由から兵役を免除されているので、自分たちが血を流すことはありません)


ネタニヤフ自身は全く穏健派ではありませんが、もし、次の総選挙で「強硬派」リクード(ネタニヤフ)が負けて、

その後の世代や、もっと強硬な極右がさらに議席を増やすと、「戦争を知らない人々」による、イスラエルで初めての政権が成立することになる。

つまり、「今よりももっと本当に加減を知らない人々」が政権を担当することになる。

ものすごく危険なことだと思います。



次のイスラエル総選挙は、20171月。


それまでに、和平の道筋をつけないと。


ハマスとファタハがパレスチナの統一政権樹立に合意したことで、いまは本当は和平をすすめるチャンスのはずなのです。

今回の法案は、それを後退させてしまう。


時間はあまりない、と思うのです。



関連記事:

814日「ホロコーストを経験したのに、なぜ?」その2 ↓

http://syuklm.exblog.jp/23154936/


***ニュースソース原文引用ここから**********


141124

━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛JSRメルマガ

┏━━━━━━━┓

■□ ニュース速報 □■

┗━━━━━━━┛

クネセト(イスラエル国会)に大変な法案が提出されることになりました。これが法律になると、イスラエルの「基本法」(憲法に近いもの)が改正(!)され、イスラエル国家の定義「ユダヤ民主国家」(Jewish and democratic countryから、「民主」の文字が消されます。代わって、「ユダヤ人民のネーション・ステート」(the Nation-State of the Jewish People)となるのです。

ネタニヤーフ政権は、長期にわたり、パレスチナ側との交渉でも、イスラエルを「ユダヤ国家」と認めるよう、再三、迫っていて、パレスチナ側が当然ながら拒否してきました。

この時期に基本法まで変え、国際孤立を深めてまで独自路線を貫こうとするイスラエル右派政権の意図とはなんでしょうか。パレスチナ側との交渉再会はあり得ないというメッセージも、含まれているかも知れません。


**************引用ここまで***


P.S.

「ほぼ、隔日刊 パレスチナ・イスラエル」とうたっておきながら、かなり間が空いてしまいました…申し訳ありません!

それでも見に来て下さる方、ご心配いただいた方に、感謝です。

胃痛でしばらくお休みさせていただいていましたが、無理のない範囲で続けて参ります


byしゅくらむ

# by shuklm | 2014-11-30 20:19 | 時事・ニュース

「この世に正義なんてないよ」。パレスチナ人の本音に、言葉を失う。



200269日。

テルアビブからエルサレムへ

向かうタクシーにて。


話を聞きたいと思っていた

イスラエルの兵役拒否者と

接触できずに焦っていた私は、

パレスチナ人コーディネーターに、

兵役拒否者に会いに行きたいことを

相談しました。




彼の反応は、思いがけないものでした。




「兵役拒否者? Fuck Youだね。

 彼らは、パレスチナのことを考えて

拒否しているんじゃない。


自分が占領地に行くのがイヤだから、

イスラエルが国際的に孤立したくない

から、拒否してるだけでしょ」。




初めて吐露した、パレスチナ人としての本音。


普段は穏やかで、

イスラエル人の友人も多い、

その彼をしてそう言わしめるほどに、

パレスチナの人々の絶望と怒りは深い

ということを、迂闊にも私はその時、

初めて思い知らされたのです。



当時、イスラエルの兵役拒否者たちが

海外メディアで大きく取り上げられて

いたことに比して、

パレスチナ人が日々無差別に

殺されていく不条理は報道されない。

この「あまりにもアンバランス」な

状況に、強い不満を持っている、と。




私は必死に説明しました。


「対テロ戦争」を掲げてアフガンに

「報復」侵攻したアメリカ。


それを支援するために自衛隊を出した

日本の私たちは、「対テロ戦争」を

進めると称して、加害者の側に立ってしまった。


同じ立場のイスラエルの、

心ある人たちと協力し合って

状況を変えたいんだ、と。




「大丈夫だよ、わかってる。

 そんなこと、全部わかっているよ」。



私をなだめるようにそう言いながら、

彼は兵役拒否者と会えるよう

調整してみると約束してくれました。




タクシーの窓から、ヘブライ語で書かれた大きな横断幕が、

幹線道路沿いに幾つも並んで掲げられているのが見えました。




「なんて書いてあるの?」と聞くと、


「『ここはユダヤ人のものだ!』って」と

教えてくれました。




「ここには、昔、『ディール・ヤシーン』

というパレスチナ人の村があったんだ」。



それは、私が現地を訪問する前に読んだ本に

出てきた地名でした。



イスラエル「建国」時、

ユダヤ人軍事組織の

「イルグン・ツヴァイ・レウミ」

によって、パレスチナ住民が

無差別に殺害される事件が起こった場所。


「ディール・ヤシーン? 

イルグン・ツヴァイ!」




私が反射的に叫ぶと、

彼は驚いた様子で、

「知ってるの?」と目を向けました。



その軍事組織イルグンを率いた軍人は、

後にイスラエルの首相となり、

そして、かつてのディール・ヤシーン村の付近には、

現在はホロコースト犠牲者の

記念碑が建っている…と、

本にはありました。

(高橋和夫さん著『アラブとイスラエル』より)





さらに、パレスチナ人の帰還を

拒否することを意味する、

さっきの巨大な横断幕。





「ここだったんだね。

今、こんなことになってるんだ…」。


私の声にわずかに頷いた彼は、

窓の外を見やったまま、

長い沈黙の後、呟くように

こう漏らしました。






「この世に、正義なんてないよ」。






彼がそう言ったことの重さに、

胸を衝かれました。




そんなことはない、とは

私には言えなかった。




パレスチナ人として、私には

想像もつかない日常を

生き抜いてきたであろう彼に対して、

所詮私は、安全地帯からやって来て、

安全地帯へまた帰っていく

訪問者に過ぎない。




私は無力だった。





「本当にそうだ。私も悔しい。

 ごめん。本当に、ごめん」と、

彼の服の端をつかんだまま、

顔をまともに見ることもできませんでした。



「でもね、パレスチナの人たちに

もらったことは、絶対、

絶対無駄にしないから」。



そう絞り出すのが精一杯でした。






タクシーは、いつの間にか

エルサレムに到着していました。





そうして、彼のおかげで、

滞在最後の夜に、私は

兵役拒否者と会うことができたのです。




byしゅくらむ



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# by shuklm | 2014-11-24 13:01 | パレスチナ自治区 現地レポなど

パレスチナ人にとって絶対に忘れられない数字、「48」。




このままでは、帰れない。




ツアーに再合流することになった私を、

ツアーコーディネーターのパレスチナ人が、

テルアビブの宿までタクシーで迎えに来てくれることになりました。





「携帯で電話するから、僕がそっちに着いたら、

絶対、すぐ外に出られるように準備しておいてね」と、

何度も念押しされたのですが、

はじめは意味が分かりませんでした。




理由は、彼が現れた時に判りました。


入口のドアを彼が開けた瞬間、

さっとその場の空気が変わったのです。




陽気な宿のフロントマンの顔が強張り、

ロビーで談笑していた宿泊客の表情が固まりました。


誰も声を発しませんでしたが、その眼は一様に、

「パレスチナ人が来た!」「ここへ何しに来たんだ?!」

、問うていました。



チェックアウトでモタついていた私は、慌てて

彼のことは私、知ってる! 彼、私の友だちだから!」

大声で説明しながら、荷物をロッカーから引っ張り出して

宿を走り出ました。




ドアの外で、歪んだ表情のまま、

彼は待っていました。






ここは、イスラエルの「首都」テルアビブ。


ユダヤ人が人工的に造った巨大都市。


そして、私が宿泊していた宿の名前は、「ハ・ヤルコン48」

宿を選んだ時には待った意識していなかったのですが、

「48」というのは、イスラエル「建国」の1948年。


イスラエルにとっては記念すべき、縁起のいい数字。




一方で、パレスチナにとっては、「破局」の年

何万人もの人が故郷を追われて、難民となった年。


よりによって、パレスチナ人にとって、

忘れたくても絶対に忘れようのないことを

想起させる記号だったのです



パレスチナ人とイスラエル人の間に横たわる溝。

その深さと昏さを垣間見た出来事でした。




byしゅくらむ


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# by shuklm | 2014-11-22 11:06 | イスラエルサイド

テルアビブにて・4。「テロの脅威」に、勝手にビビる。






行く先々で、大人数がいる場所では

厳しいセキュリティーチェックを課され、

ショッピングモールで兵士の大群に遭遇し、

パン屋ではおばあさんに怯えられた後。





テルアビブの中心街を、

たった一人で歩いていた時のこと。




イスラエル人が日々抱えている恐怖心が、

知らぬ間に伝染したのか。




雑踏の中で、ふいに何の前触れもなく、

漠然とした戦慄に襲われました。




「たった今、ここで、『自爆テロ』に

巻き込まれたらどうしよう」、と。








当時(2002年6月)、

大勢の人が集まるところは

テロの危険があるから行かない方がいい」と

言われていました。




自分の目の前で何一つ具体的なことが

起こったわけでもないのに、

突然、リアルに想像してしまったのです。



ここで起こったら、逃げるすべがない、と。






ひとりで滞在を延長したので、

日本にいる身内にも、

行く先を詳しく伝えていませんでした。




いま自分がこの場にいることは、

誰も知らない。


ここで死んでも、

誰にも知られないかもしれない。




「世界中の誰にも知られずに死ぬのはイヤだ!」
という思いに背筋を突き上げられました。






つい昨日までパレスチナ自治区に滞在していて、


イスラエル軍の占領下の

理不尽な現実をさんざん目にして、

それを止めたいと願って、

イスラエルサイドでは

占領に反対する集会にも参加してきたのに。



ジェニン難民キャンプで、

イスラエル軍の砲撃の音に囲まれても、

恐怖は感じなかったのに。






ツアーの団体行動から離れて、

身一つで、生身の自分を守るのは

己しかない状況になった瞬間、

そう思ってしまった自分自身に

心底ゾッとしました。






「ああ、人間って、状況が変わると、

あっという間に左右されるんだ。



『テロの脅威』にとらわれたイスラエル人

になるのは、こんなに簡単なんだ」。






身をもって思い知らされた瞬間でした。








byしゅくらむ


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# by shuklm | 2014-11-19 07:30 | イスラエルサイド

テルアビブにて・3。パン屋で、おばあさんに怯えられる。





20026月の晴れた午後、

イスラエルの首都テルアビブにて。




おなかが減ってきたので、

とりあえず大通りから

一本それた通りにあった

パン屋さんに入りました。




テルアビブの中心街。

(宿泊していたユースホステル「ハ・ヤルコン48」の

パンフレットの案内図より)

MAP by Hayarcon48

テルアビブにて・3。パン屋で、おばあさんに怯えられる。_b0343370_07470438.jpg




この地図上だと、⑫から③へ向かう途中、たぶん、

カプラン通りかディゼンコフ通りからちょっと入ったあたり。





白い外装の、こじんまりとしたお店。


品揃えは、日本の普通のパン屋さんと

変わらない感じでした。




トングとトレイを持ちながら、

「せっかくイスラエルまで来たんだから、

ベーグルでも食べたいなあ」と物色中、


ふと気づくと、レジの奥で、

店番のおばあさんが硬直している…。





私が、自治区で買ったショールを

日除けに首に巻いていたせいか、

パレスチナ人だと思ったのでしょうか。




よくよく見渡してみると、

周囲にアラブ風の習俗の通行人は皆無。


多分、この人は、普段の生活圏で

目にすることのなかった人間に遭遇したのでしょう。




トレイに商品をのせ、お勘定をしても、

お釣りを渡す手を動かすだけで、

その眼は、ずっとこちらを凝視したまま。



恐怖に凍り付く、というのは

こういう状態を言うのでしょうか。





「怖がらないで、大丈夫。

 私、日本人。パレスチナ人じゃありませんよ」。


そう言おうとしている自分に気づいて、ハッとしました。




「パレスチナ人はテロリスト」

というステレオタイプを、

自分が補強しようとしている…。




何も言えず、逃げるように店を出ました。





byしゅくらむ


# by shuklm | 2014-11-17 07:50 | イスラエルサイド(現地レポ等)