オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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カテゴリ:中東・イスラムなどからの声( 12 )

希望はココに宿ってる!パレスチナ・イスラエル・ヨルダンの女性たち数千人が「希望への行進」。






どんなに困難な状況にあっても、

平和の実現を求める声は消えていない。




同じ思いが届きますように。


願いをこめて、

日本語字幕付き動画、

コメントごとシェアさせていただきます!




*****シェアココから*****




安保関連法に反対するママの会@埼玉さんのFacebookより




常に紛争、戦争に見舞われてきた地、

パレスチナ、イスラエル、ヨルダンの女性たち

数千人が集まって、

平和を求めるパレードを開催しました。



私たちも、連帯します。


戦争は、もういらない。




https://www.facebook.com/mothers.against.war.saitama/videos/361306247542952/





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***【希望への行進】日本語字幕***






イスラエルとパレスチナの女性たちが

2週間ともに過ごし

イスラエルとその西岸を行進しました。


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「私は平和を創るために

すべての隣人と共にここへ来ました。


ヨルダン、パレスチナ、イスラエルから参加した私たちは

平和と共に生きます」




これらのグループは

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤ現首相の

自宅前に歌を歌うなど

平和に対する強い想いをアピールしました






*****シェアココまで*****









byしゅくらむ


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by shuklm | 2016-10-29 13:04 | 中東・イスラム・アジアからの声 | Comments(0)

【シェア】「パリのテロでは世界中が祈ったのに、なぜトルコではそうならない?」青年の投稿は世界に響いた






胸を打つ訴え。


追悼の意を込めて、

取り急ぎシェアさせていただきます!




「ハフティンポスト」

2016年03月17日付より




****シェアココから****



「パリのテロでは世界中が祈ったのに、なぜトルコではそうならない?」

青年の投稿は世界に響いた


The HuffingtonPost | 執筆者: Chris D'Angelo





2016年3月13日、トルコの首都アンカラで

車に積まれた爆弾が爆発し、

37人が死亡し大勢が負傷した。




このテロの数時間後、

トルコの首都に住む23歳の

ジェームス・テイラーさんが

Facebookにこう投稿した。




「人々は『私はシャルリー』と言い、

パリのために祈りました。


だけどアンカラのためには?」






「私たちはパリです。


私たちはアンカラです。


私たちはシリアです。


私たちはコートジボアールです。



でも何よりもまず、

私たちは人間なのです」






本文はコチラ↓↓

http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/16/prayed-for-paris-what-about-ankara_n_9482352.html






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byしゅくらむ


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by shuklm | 2016-03-17 21:35 | 中東・イスラム・アジアからの声 | Comments(0)

トルコ現地の声「テロに屈しない。平常心を失わず、日常を送ること」。ーイスタンブール在住日本人の方のブログより






「テロ」翌日の、現地からの発信





1月12日、トルコ最大の都市イスタンブールの

観光の中心地で起こった「自爆テロ」で、

観光客が犠牲になったというニュース。



そして続いてジャカルタでも爆破事件の報が…。





トルコ政府が即座にIS(シリア・イラク)への

攻撃強化を表明する一方で、

そうではない方向を向いている声を見つけたので、

ご紹介させていただきます。




イスタンブール在住の日本人女性の方が運営する

Novaroma-トルコ雑貨・トルコ土産のオンラインショップ」

ブログ(2016113日付)より、

一部抜粋させていただきました(アドレスは末尾に)






****シェアココから****





テロは起こったその日だけでは終わりません。



本当に素敵な国なので


「トルコは危ない国」


そんなイメージが定着してしまったのが一番悲しいです





家でずっとニュースを見ていて、本当に怒り心頭の私でしたが、


今日からは通常通りの生活に戻ります。




トルコに住んでいる私に出来るのは、


テロの脅威に怯えることなく


平常心を忘れることなく、


通常通りの生活を送ることだと思います。





****シェアココまで***




ブログ全文はコチラから↓

http://ameblo.jp/novaroma/entry-12116830883.html






恐怖や激情に駆られて報復へ向かうのではなく、

日常生活を続けることが理不尽な暴力への抵抗だ、と。




もしかしたら自分や家族知人が犠牲になったかもしれない

日常圏で起こったことに対して、

この向き合い方は、本当に素晴らしいと思います。


心から賛同したい。






パレスチナでも同じ思いが





個人的には、このブログを拝見していて

涙が出そうになりました。


以前、パレスチナの人たちが

まったく同じような想いを語っていたからです。




2002年第2次インティファーダの最中、

現地を訪問した知人が聞いたのは、こんな言葉でした。




「大切な人を奪われても、家や店を壊されても、

これまでと変わらない日常を続けること。


昨日と同じように店を開けて、仕事をして、

子供を学校にやって、ここで暮らし続けること。


それが私たちの抵抗なんだ」、と。






「テロ」や「報復」といった単語が飛び交う世界でも、

同じような想いのひとが存在しているんだ

ということをお伝えしたくて書きました。




勿論それぞれの状況は異なりますが、

大きく報道されることのないこうした声を、

決して忘れずにいたいのです。








冒頭ご紹介したブログは、

去年偶然ネットで見つけて一目惚れした、

トルコ雑貨専門のオンラインショップです。


パッと目を惹くフラワーモチーフや繊細な手刺繍など、

目移りしてしまうくらいオシャレな製品が満載で、オススメです!



ショップアドレスはコチラ↓↓

www.novaromashop.com

https://www.facebook.com/novaromashop






※下書き段階でUPしてしまい申し訳ありません。基本的な間違いを修正させていただきました(2016.1.15)



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by shuklm | 2016-01-15 21:14 | 中東・イスラム・アジアからの声 | Comments(0)

「今のイランって、どうなってるの?」→私はこのブログで知りました!ふだん着の魅力的なイラン。※追記アリ※






2016年、年明け早々から、

イランとサウジアラビアの断交や

北朝鮮の核実験が報じられ、

世界に衝撃が走りました。





何かあると「中東ってどうなっちゃってるの?」

「やっぱり難しいところ」というトーンになりがち。



確かにイランの核開発が可能となった事で、

サウジも負けじと核を持とうとして、

アメリカのパワー低下で抑えが効かないため

中東情勢のバランスが崩れつつある、

というのはおそらく間違いないでしょう。




ただ、それがすべてじゃない。


こういう中でも、普通の人たちの

普通の暮らしがあることを

忘れたくないと思うのです。





「ふだん着」のイランを見ることができるコチラのブログがオススメです!




イラン在住の日本人ママが子育てしながら綴ってらっしゃる

「特派員ママ!@イラン」↓

http://ameblo.jp/iranmama/




「ゆかいなイランの生活情報!

イランって怖い? なマイナスイメージが変わる、

楽しいリポートです」と

ブログ紹介文にもある通り。




私にとってイラン(ペルシャ)は、

「憧れだけど謎の国」だったのですが、

このブログを読んでとても親近感が湧きました。





パレスチナ・イスラエルでも、

現地の人たちは市場に行ったり買い物したり

料理作ったり農作業したり商売したり

ネット発信したりというフツーの日常があったのですが、

「なあんだ、イランも一緒なんだ!」って。


あたりまえなんですけど。




でも、知らないと、その

「あたりまえ」に気付けないんですよね。





ぜひチェックしてみてください!






※※追記※※



ここでご紹介した「特派員ママ@イラン!」は、

ブログ主さんがイランから帰国されるとのことで、

2017年3月で終了となったそうです。

ブログ終了を知り、本当にショック…。



イランの風景・文化・習俗などなどが、

みきハヌーンさんの飾らないお人柄やフラットな視点、

愛情いっぱいのご家族と交友関係などに彩られていて、

読んでいる間しばし幸せな小トリップを堪能させていただきました。

この場をお借りして御礼したいと思います。


ブログは閉鎖しないで今後も読めるそうですよ~~!










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by shuklm | 2016-01-11 10:31 | 中東・イスラムなどからの声 | Comments(0)

【シェア】アフガン人からのメッセージ「日本に平和で、非暴力的な国家であってほしいのです」



これはアフガンの人たちだけでなく、中東の人たちから等しく日本へ向けられている想いだと感じます。

この思いに応えられる日本でありたい。




**シェアココから*******



Ngo非戦ネット



「わたしたちは日本を平和のシンボルのような国だと思っていました」

「(安保法制が通れば)日本はこれまで平和国家として得てきた尊敬を失うでしょう」

「日本に平和で、非暴力的な国家であってほしいのです」




日本国際ボランティアセンター(JVC)

アフガニスタン事務所 治安担当 サビルラ・メムラワル氏

2015917日都内のNGO非戦ネット関連イベントでの発言




youtube版はこちら

https://youtu.be/gKz_BJb68Pg


アフガン人らが賛同する国際共同声明についてはこちら

http://ngo-nowar.net/20//11/reportpressconference20150910/

(正確には、200以上のアフガン国内NGOが参加するANCBが賛同しているという形です)




****シェアココまで**




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by shuklm | 2015-09-26 20:37 | 中東からの声(パレスチナ、シリアなど | Comments(0)

私たちの戦後70年談話・その2。日本の勘違いの始まり。日露戦争での「アジアからの期待」を、なぜ裏切ってしまったのか?




首相の戦後70年談話について。


言いたいことはいろいろありますが、

私がココで問題にしたいのは、特に最初の方のくだり。




100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。

圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。


その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。


アジアで最初に立憲主義を打ち立て、独立を守り抜きました。

日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」





歴史的事実として、日本が「アジアの憧れ」の対象だった時代は、確かにあった。

だけど結果的に、アジアからの期待を大きく裏切ってしまった。

なぜそうなってしまったのか、その歴史をちゃんと省みる必要があると思います。




当時アジアの新興国家でしかなかった日本は、大国の清やロシアに勝てるわけがないと言われていた。

実際には薄氷ギリギリ・首の皮一枚だったものの、立て続けに「奇跡の大勝利」を挙げた。

で、勘違いしちゃったんだと思うんです。自分だけの力で列強と肩を並べたと。


実際には、特に日露戦争はアジアからの様々な協力があったから勝てたのに。




日露戦争で日本が勝利した時は、アジア中から喝采が贈られ、日本は憧れの対象だった。

辛亥革命を成就させた孫文も、韓国独立運動の安重根も、インドの首相となったネルーも、賛辞を送っていました。

当時のトルコ皇帝アブドゥル・ハミト2世は、明治維新で奇跡的な近代化を実現した明治天皇を尊敬し、日本のような近代化を標榜していたそうです。




日露戦争の時、トルコから日本にどのような協力があったことで勝利につながったのか、「海の翼 エルトゥールル号の奇跡」(秋月達郎さん著・2014年PHP学芸文庫刊)で描かれています。

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当時、世界最大・最強だったロシアの黒海艦隊とバルチック艦隊。

もしふたつの艦隊が同時に日本近海へ向けて出撃したら、

ひとつしか艦隊を持たない日本海軍に到底勝ち目はなかった。



黒海艦隊が出撃するには、トルコのボスポラス・ダーダネルス海峡を通過しないと地中海へ出られない。

ロシアと100年近く戦争を続けてきたトルコは、

共通の敵ロシアと戦う日本を支援するため、

海峡を眺め渡せるガラタ塔で通過船舶を昼夜交代で監視にあたり、

190474日の朝、動きを察知。


知らせを受けた現地の日本人・山田寅次郎は、

オリエント急行でウィーンまで奔り、日本行使館へ連絡。



この情報が、戦況を決定した。

バルチック艦隊だけなら、対馬沖で迎え撃てる。

そう確信して布陣を一点集中した日本海軍は、勝利することができた――。






それから100年以上。

トルコや中東の国々で現在も日本への強いシンパシーが続いている一方で、

日本が植民地支配を敷いたり占領をした国々の多くでは、

その期待は反転しました。



伊藤博文を暗殺した安重根には、

日露戦争で応援していた日本が欧米帝国主義国と同じになってしまうことを阻みたい、

という思いがあったようです。



日本が目指したのは「脱亜入欧」であって、

その内実は「アジアと共に生きる」ことではなかった。


そこに、日本の近代化の限界があったと思います。




日本の近代化も、戦後復興も、日本の単独の力だけで成しえた訳ではない。

そのことは、戦後何十年を経ても、忘れてはいけないことだと思うのです。


いまも、いまだからこそ。






【当ブログ内関連記事】

201563UP 

6月3日、日本とトルコ「100年の友情の始まりの日」。知られざる2つの救出実話

http://syuklm.exblog.jp/24546590/

2015815UP 

私たちの戦後70年談話。28年前、日本の加害の歴史に直面した南京。

http://syuklm.exblog.jp/24791832/

201589UP 

「なんでそんな遠い所のことを?」 ~戦後70年の8月に。社会で働き20年、人生ままならないからこそ、伝えたいこと。

http://syuklm.exblog.jp/24771441/



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by shuklm | 2015-08-15 23:39 | 中東・イスラム・アジアからの声 | Comments(0)

私たちの戦後70年談話。28年前、日本の加害の歴史に直面した南京。


テレビ番組で「私たちの70年談話」を募集したり、

市民レベルでも「民衆談話」を発信しようという

ムーブメントが動いています。


それぞれが身の丈の言葉で発信していくことが大切だと思うので、

私も自分の体験から言えることを書いてみます。





1987年、16歳の高校生の時に、

ツアー旅行で中国を訪れたことがあります。


日中友好を目指すボランティア団体の主催だったので、

行程には日中戦争の戦跡訪問も入っていました。



1985年に落成したばかりの、南京大虐殺の資料館。

建物の外壁に大きく掲示された建物名は、

「南京大屠殺遇難同胞紀念館」。



「大屠殺」という中国語表記のあまりのストレートさに

たじろぎながら入館すると、

文字通り家畜のように無造作に殺されて穴に遺棄された

「万人坑」の再現に足がすくみました。


「100人斬り」を競った日本人将校の写真パネルや、

万人坑から実際に掘り出された何人もの人骨の展示もありました。



私たちのツアー参加者以外は、来館者は中国の人ばかり。


食い入るように展示物を見据えたまま、

身じろぎもしない男性。


お線香や献花を手向けるスペースで、

嗚咽し続けていた女性。


「いま自分が日本人だとわかったら、

生きて出られないんじゃないか」と

感じるほどの雰囲気でした。




全ての展示を見終えて、いたたまれずに、

おそるおそるツアーガイドの中国人の男性に尋ねました。



「恨んでいませんか…?」と。



30代の彼は静かに首を振って、

「恨んでいませんよ。

悪かったのは日本の軍国主義です。

あなたたち日本人は悪くないです」

と言ってくれました。





当時は、改革開放経済が始まる前。


中国ではまだ個人旅行は解禁されておらず、

入国できる日本人は団体旅行のごく限られた人間だけでした。


ツアーガイドの人たちも全員が国家公務員で、

公式見解を口にした面はあるでしょう。



それでも、中国の人たちが

「日本人に敵討ちはしない」と赦してくれているから、

今の日本は存在できている。


そう感じて救われたと思った次の瞬間、

同じツアーの日本人男性が「シナ人が、シナ人が」と

連発しているのを聞いて飛び上がりました。


「やめて下さい!」


いま日本人が「シナ」でやってきた歴史を見て来たばかりなのに、

中国の人たちの感情を逆なでするようなことをなんでするのか?!



しかし昔中国に滞在していたというその高齢男性から

「今の若い人にはわからないからねえ」と全く取り合われず、

論理立てて止めさせることもできず、

自分の無力さ加減に生まれて初めて悔しくて涙しました。






南京大虐殺については、

犠牲者の数などについて事実が確定していないと論争があるのは承知していますが、

私は現在でも、虐殺は数の問題ではない、と

考えています。



30万人でなく3万人ならOKなのか? 

そうではないでしょう。


数が少ないからと言って、

その事実自体が無かったことにはできるわけではない。





少なくとも、中国政府も

「中国人も日本人も日本軍部の犠牲者。

悪かったのは軍部で、日本人が悪かったわけではない」

というレトリックで、

「戦後賠償も永劫に求めるわけではない」と

手打ちにしてくれたから、

戦後の日本の独立と復興・経済成長は可能だったわけです。






残念ながら、

現在の中国が軍事的な拡張を進めていることは事実でしょう。


国内の不満をそらすために

対外的にわかりやすい「敵」を仕立てるのは、

どこの国の政治屋も同じです。


だけど、その種を日本が撒いてきたとしたら?


「中国がお人好しにしてたから、

欧米列強や日本などの帝国主義にやられた」と

いう教訓を与えてしまったとしたら?


「もうお人好しにしててやられたりしない」と。





私たちを受け入れてくれた中国の人たちが

いま日本のことをどう感じているのか、

私には知るすべがありません。


外国人や日本人が珍しくて、

泥だらけの子どもたちが恥ずかしがりながら近づいてきて、

鐘楼に登れば人だかりができていたのは、

30年近く前のこと。


いまはきっと彼らも変わってしまっているでしょう。




だけど少なくとも、

こちらから「もうこれ以上謝るもんか」と

扉を閉ざすことはしたくない。


本音はともあれ、

でも現実の行動で赦してくれた人たちがいたことを

忘れたくないと思うのです。






byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-08-15 21:02 | 中東・イスラム・アジアからの声 | Comments(0)

中東の友人の言葉「日本は『戦争をしない特別な国』でしょ?だから、間違わないで欲しいんだ」。 

これは、シリア人の友人から言われた言葉です。

同様のことを、パレスチナやイラクの人たちからもききました。


それはいま現在も私達へ向けられている信頼です。



当ブログでは何度も書いてきたことですが、安保関連法案が15日にも委員会強行採決と報じられ事態が切迫しているので、再度書かせて下さい。




思い出してみて欲しいんです。

今年1月、日本人人質事件の時、イスラム圏の人たちが、拘束された日本人の無事を願って祈りを捧げ、解放を求める声明を出してくれていたことを。


その理由は、こう述べられていました。



”(人質を即時に無条件で解放すべき)最も重要な理由は、日本が、いかなる国に対しても宣戦布告をしない、世界で唯一の国であるということです”


”なぜならば、日本の領土が侵された際の自己防衛の場合を除いて、

いかなる軍事活動も、憲法によってはっきりと禁止されているからです。”



122日付 イスラミックセンタージャパンの声明より)




「平和国家日本」だからこそ、出来ることがある。

だから日本の友人達よ、どうか道を誤ってくれるな、と。



中東・アラブ・イスラムの心ある人たちから寄せられている想いに対して、

もうこれ以上、私達は間違えてはならないし、間違えたくないと思うのです。





【当ブログ内関連記事】

201528UP記事

「日本の友人たちよ、道を誤ってくれるな」。日本人だからこそ出来ることがあると教えてくれた、中東からの眼差し

http://syuklm.exblog.jp/24109189/


2015215UP記事 「邦人救出できない法は変えるべし」という主張が無視しているもの。イラクでもアフガンでも、「日本人だから攻撃されにくかった」理由。↓

http://syuklm.exblog.jp/24136507/


2015530UP記事

パレスチナが日本に望んでいた、「東ティモールのような支援」とは?↓

http://syuklm.exblog.jp/24534571/



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by shuklm | 2015-07-14 22:46 | 中東・イスラム・アジアからの声 | Comments(0)

6月3日、日本とトルコ「100年の友情の始まりの日」。知られざる2つの救出実話

現在進行形の、結構凄くイイ話。

今日は、トルコの親日感情の源となった「エルトゥールル号事件」が起こった日。


1890年6月3日。

和歌山県串本町沖で、オスマン帝国の親善訪日団を乗せた軍艦エルトゥールル号が台風で座礁、爆発。


その時、遭難したトルコ人達を、地元串本町の住民が嵐の海に飛び込んで命懸けで救出し、

自分達が飢えることになるかもれない危険も顧みずに非常食までも分けて、人肌で温めて介抱したそうです。


生き残ってトルコまで送り届けられたトルコ人達は、「自分たちはこの救出劇を祖国で語り継ぎ、日本が危機に陥るときは必ずこの恩を返す」と約束したそうです。



凄いのはココから。

実にその約100年後の1985年、イラン・イラク戦争時。

イラクによって突然「48時間以後、領空を飛行する航空機は無差別攻撃する」という宣言が出され、200人以上の日本人がイランに取り残されました。

日本政府が救援機を出せない中、大使館員が奔走するもどこの国も自国民の救出を優先して飛行チケットを譲ってもらうことも不可能で、万策尽きたかと思われたその時、脱出用飛行機を飛ばすという英断をしてくれたトルコ政府。

その理由は、「エルトゥールル号の恩返しですよ」…と。


しかも、現地で同じく救出を待っていたトルコ人500人以上が、「今こそ恩返しするべき時だ」と席を譲ってくれて、自分たちは陸路でトルコへ帰ると申し出てくれたんだそうです。

当の日本人自身が知らなかった出来事を語り継いでくれていたトルコの人たちのお陰で、日本人全員無事に帰国できたという実話です。



さらにコレ、「昔あったいい話」でなく、エルトゥールル号救出劇の現場の串本町では、現在も追悼式典が開催されており、海底に沈むエルトゥールル号の遺品を探す作業が、地元住民の方々が協力して今も続けられているんだそうです。



▼2015年2月16日 NHKニュース「おはよう日本」より

遺品発掘調査に取り組むトゥファン・トゥランルさん

「いまも発掘を続けられていることに、とても感謝しています」

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毎回、黙祷を捧げてから海中へ

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▼現場は潮の流れの速い難所で、地元の協力が欠かせない

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▼11年前の発掘開始当初から協力を続けている地元のダイバー中村洋介さん

「トゥファンさんの人柄に魅力を感じています。それが続いている理由」

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いまもこんな友情が続いてるなんて、皆さんご存知でしたか?

私は知りませんでした。

最近、東京ジャーミイ・トルコ文化センターを見学時にショップでたまたま見かけた本「海の翼」と、NHKニュースで知ったんです。

これはぜひもっと多くの人に知ってほしい!と思い、記事にしてみました。



この2つの救出劇を取り上げた映画が日本トルコ合作で制作され、今年12月公開されるとのこと。


日本政府全面バックアップで安倍首相自ら映画プロジェクトのトップを務めているということで、原発輸出をしたい日本政府としてトルコと関係強化したいという思惑があるんじゃないかと勘ぐってしまう自分の性格が悲しいのですが、映画自体は純粋に楽しんで観たいと思っています。



いずれにせよ、今日は、トルコが示してくれた「100年の友情」に感謝し、今も続く人の繋がりに思いを馳せる日にしたいです。




byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-06-03 07:47 | 中東からの声(パレスチナ、シリアなど | Comments(0)

パレスチナ人からの質問。「なんで再会した時にハグしないの?」 ~「東日本大震災級」地震の翌日に思う、一期一会。




2002年、パレスチナ現地訪問ツアーから帰国した後。



現地プログラムをコーディネートしてくれたパレスチナ人男性が来日しました。


同じツアーに参加したメンバーと一緒に空港で出迎えると、

男性陣と再会した彼は、お互い肩を叩きあって喜びを表現していました。






中東・アラブ系の人たちは、とにかく感情表現がとても豊か。



喜ぶ時は、陽気に全身で表すし、

怒る時は、いつ止まるのかと思うくらい機関銃のように延々と話しまくるし、

「どうしようもない」「ありえなーい」という時には、

大げさに肩をすくめて口をホントにへの字に曲げて表現します。




ある意味ラテンなノリと言うか、

男性同士でも大っぴらにハグしたりキスしたりするんで(頬ですけど)、

現地では、慣れるまで結構目のやり場に困ったりもしました。







数か月ぶりに再会した彼から、質問されました。


「なんで日本人は、また会えたのに、ハグしないの?」。



その時は彼の奥さんも一緒だったので、

その前で抱き合うのもなんだかはばかられて、

いや、こっちでは、普段あんまりそういう習慣ないからさと、

モジモジ答えていたのですが。






いま改めて思い返すと、その重さがわかります。


もともとの文化的習慣だけでもないとも思うのです。





いまのパレスチナでは、今日あった人と、

2度と会えるかわからない


「もう一度会えることがあたりまえじゃない




いつ戦車に包囲されるかわからない、


いつ標的になるかわからない。




一晩でも、自分も彼らと一緒にそれを体験したから、実感しました。






でも。


「昨日と同じように明日が続くとは限らない」、というのは、

日本だって同じことだと、私たちは311で思い知らされました。



昨日の「東日本大震災級」の大きな地震は

たまたま震源が深くて被害は少なかったですが、

世界中で自然災害がこれだけ多発する中で

無事で誰かと出会うことが出来るっていうのは、

本当に奇跡なのかもしれないと改めて思います。





いま、彼が何処でどうしているのか、私にはわかりません。

「自爆」を巡る考え方の違いで、私が連絡を絶ってしまったからです。






だから、もし、もう一度彼に会えるのなら

その時は、抱き合って、喜びあいたいと思うのです。





神も仏も信じていないけど、もしそれが叶うのなら、

自分の手の届かないものに対して、

心からの感謝を伝えると思います








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byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。

筆者が知数少ないアラビア語です。

ここでの出会いと、ここまで読んで下さったことに感謝をこめて。

シュクラム!



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by shuklm | 2015-05-31 13:22 | 中東からの声 | Comments(0)