オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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カテゴリ:エルサレム・和平・国際監視( 17 )

パレスチナ・イスラエル、それぞれの思い〜第2次インティファーダ時に聞いた言葉。



凄惨なニュースが続き、

現地の生の声が聴こえなくなっています。




あの地で暮らしている人たちは、何を感じ、何を願ってきたのか。




私がパレスチナイスラエルを訪れたのは、2002年6月。

第2次インティファーダ真っ只中の時期でしたが、それでも現地では衝突を望まない多くの声を聞きました。



私の体験など限られたものですが、友人が聞いた言葉を含め、少しでもそれを伝えさせてください。






■パレスチナの人たちの声





「自分たちが世界から見捨てられたと思うことが、一番辛い。


あなたたちが来てくれたから、世界から忘れられていないと思える。

それが希望になるんだ


(パレスチナ自治区・ヨルダン川西岸地区の住民)





「世界中の人にパレスチナの味方になって欲しいとは言いません。

ただ、平等に見て欲しいだけなのです」


(ガザ地区・パレスチナ人権センターの職員





「間違えないで欲しい。

占領しているのはイスラエルであって、パレスチナではありません」


(現地訪問ツアーを案内してくれた、エルサレム在住のパレスチナ人コーディネーター)





「イスラエルとは、隣人でした。


以前は、私たちはお互いに訪問しあったり商売をしたりして、友情もあったのです」


(ヨルダン川西岸地区・トゥルカレムの知事)





「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません。


自分たちが暮らしていく権利を勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、問題はなくなります」


(ヨルダン川西岸地区・ジェニン難民キャンプの責任者)








■イスラエルの人たちの声





「永久に戦争を続けることはできない。

そう考えたから、兵役を拒否しようと思ったんだ。


占領があるから、パレスチナ人の憎しみが募る。悪循環だ。

それを断ち切る方法は、たったひとつ。


イスラエルは、もうこれ以上の占領をやめるべきなんだ」


(エルサレム在住、兵役拒否者の30代の男性。

パレスチナ人とイスラエル人が共に運営するNGOの職員)






「私はイスラエルが好きだから。

だから間違ったことはしてほしくない。

私は正しいことをしたい。


占領は正しくない。

だから反対しているの」


(エルサレムで、イスラエルの平和団体が主催した占領反対の集会に、イスラエル国旗を掲げて参加した16歳の少女)






「この戦争は、じいさんばあさんの時代から受け継がれてきたもので、ハッキリ言って、俺には関係ない。

俺は誰のことも憎んでないし、誰のことも殺したくなんかない。


だけど、今のオレの仕事は(徴兵された)兵士で、これをやるしか仕方がないんだ!


俺にはどうすることもできない。

俺には何もできないんだよ!」


(ヨルダン川西岸地区、バリケードで封鎖した街の入り口で銃を構えていた若いイスラエルの兵士)









イスラエルの兵士自身ですら、わざわざ殺し合いなど望んでいなかった。




当時出会った人達、この言葉を発したひとりひとりに、いまどう考えているのかを確かめることはできません。



けれど、少なくともいま現在もイスラエルで占領に反対する声は消えていないし、

占領の実態を自らの口で語り続ける元将兵たちも存在します。




占領とは、パレスチナイスラエルに一体何をもたらしているのか?

イスラエルの将兵たちが「最前線」で体験したその実態とは?



次回以降、それをお伝えしていきたいと思います。





【当ブログ内関連記事】


201524UP記事  哀悼…そして、「紛争地」で望まれている支援とは? ジャーナリストやNGОは、「その場にいるだけで」人道支援になりうる。 ↓

http://syuklm.exblog.jp/24093955/

201499UP記事  ガザからの、伝言。↓

http://syuklm.exblog.jp/23346747/

2014115UP記事  【時事】続・エルサレムでの聖域封鎖/占領しているのは誰なのか? ↓

http://syuklm.exblog.jp/23688371/

2014822UP記事  「イスラエルとは、隣人でした」。↓

http://syuklm.exblog.jp/23210029/

20141012UP記事 ジェニン3・住民の証言 ↓

http://syuklm.exblog.jp/23547863/

20141231UP記事 滞在最後の夜。ついに実現した、兵役拒否者との対話。↓

http://syuklm.exblog.jp/23946863/

2014119UP記事  エルサレムにて2・異彩を放っていた、イスラエル国旗を掲げた少女。↓

http://syuklm.exblog.jp/23709284/

2014816UP記事  終戦の日WEEKに。イスラエル・若い兵士が思わず口にした「心の声」とは。↓

http://syuklm.exblog.jp/23173252/




byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-10-19 20:58 | エルサレム・和平・国際監視など | Comments(0)

【時事】パレスチナで「第3次インティファーダ」の報。直接の原因は?



前回記事の最後に触れた「第3次インティファーダ」と報じられている事態について書きます。


国連総会でも、パレスチナ代表アッバス議長が演説の冒頭で「エルサレムで深刻な事態が起きている。宗教対立が政治的対立に転化することを防止すべきだ」と警鐘を鳴らしていましたが、それが現実となってしまっています。





イスラエル:パレスチナと衝突激化…第3次民衆蜂起の恐れ(毎日新聞 2015年10月06日付)↓

http://mainichi.jp/select/news/20151007k0000m030109000c.html








「また宗教対立」? 「どっちもどっち」?





なぜ衝突が起こっているのか?



今回の直接の原因をたどっていくと、去年10月、エルサレムにある聖域をイスラエル当局が封鎖しイスラム教徒だけ礼拝を出来なくしたことに突き当たります。






エルサレムの聖域について少しだけ図説させていただくと。



古い街並みが残るエルサレム旧市街(四角の枠内、オレンジで囲まれた箇所)

 ※現地で入手したガイドブック「This Weekin Palestine 20026月発行」(FREE COPY)に筆者が加工したものを再掲


封鎖されたハラム・アッシャリフ(図の楕円形内)は、イスラム教とユダヤ教両方の聖域が隣接する丘。



黄金色に輝く屋根で有名な「岩のドーム」や、

イスラム教徒が毎週金曜、礼拝に訪れる「アル・アクサ―・モスク」があるところ。



もともとユダヤ王国最盛期の神殿の跡地なので、ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれています。

その外壁の一部が残っているのが、ユダヤ教徒が祈りを捧げる「嘆きの壁」。




wikipedia「神殿の丘」より再度画像を拝借しました

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AE%BF%E3%81%AE%E4%B8%98


↑手前の壁が、ユダヤ教の「嘆きの壁」。

壁の向こう側の金色の屋根が、イスラム教の「岩のドーム」。

本当に、お互いの聖域が重なり隣接しているのがわかります。







ユダヤ教徒は今まで通り礼拝が出来るのに、イスラム教徒だけが「ハラム・アッシャリフ」への出入りを禁止されたため、現地の緊張が高まっていることを昨年11月当ブログでも書きました。



繰り返しになりますが、敢えて言うと、これは「宗教対立」が原因ではありません。

「片方の宗教だけ不平等に扱うことで生み出されている対立」です。





なぜなら、今まで対立や衝突や戦争があっても、各宗教の聖域への出入りと礼拝の自由は保障されていたからです。


1967年の第3次中東戦争に圧勝したイスラエル軍がエルサレムに入城した時ですら、ここを封鎖することまではしませんでした。






”第三次中東戦争でイスラエル軍がエルサレム旧市街を占領したとき、ダヤン国防相は、イスラムの聖域について、自主管理と礼拝の自由をこれまで通り認めることを、イスラムの長老たちに約束した。”



”その後、歴代のイスラエル政府は、労働党、リクードの別を問わず、ダヤンの「現状維持」と棲み分けの協定を尊重してきた。

イスラエル人や外国人観光客のイスラムの聖域への立ち入りは認めるものの、ユダヤ教徒を含む異教徒の、イスラムの聖域内での礼拝やこれに類似する行為は禁止するなど、ワクフ(イスラム財団)側との合意を、一応誠実に守ってきたと言ってよかろう。”




平山健太郎さん著「ドキュメント 聖地エルサレム」(NHK出版・2004年発行)より引用。



※なお、現在イスラムの聖域「岩のドーム」は、外国人観光客にも非公開になってしまっています。






もともとエルサレムは、イスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も、何百年も一緒に混在して居住していた地域。


デリケートな場所だからこそ、お互いの宗教を侵さずに平等に扱うよう政治的に配慮するのが、いくつもの聖域を頂くこの古都でずっと守られてきた最低限のルールだったわけです。





それなのに、イスラム教の聖域だけが繰り返しバリケードで封鎖され礼拝することができない。

それどころか、「モスクを取り壊してユダヤの神殿を再建すべし」と実力行使を唱えるユダヤ人極右や大臣が、大勢の治安部隊を率いてハラムアッシャリフへ出入りしている。




「治安上、両方出入り禁止」ならわかるけど、

片方の宗教だけ禁止で、片方はスルーって、おかしいでしょ。


全然、「どっちもどっち」じゃないんです。




実際に過去には、ユダヤ人極右が「モスクに神殿を再建するため」の礎石を突然トレーラーで運び込もうとしてイスラム教徒側と騒乱になり、国連調査団まで入ることになった事件も起こったそうです。



イスラム教徒にとって礼拝に行くのは、毎日3度の食事をとるのと同じくらい一連の日常の動作なのにそれが許されず、その真横の広場でユダヤ人極右はガンガン集会を開いてる。




怒って当然ではないですか?




もちろん、ユダヤ人極右の立ち入りを阻止しようとしてユダヤ人極右活動家を襲撃したパレスチナ人の行動を私は支持できません。


しかし、封鎖を解かない限り、これに対する抗議がパレスチナ全域に広がっていくのは、ある意味当然の帰結だと思うのです。








2次インティファーダ(アル・アクサー・インティファーダ)の引き金となった場所





しかもいま立入禁止にされている「アル・アクサー・モスク」は、第2次インティファーダ(民衆蜂起)の引き金となった、まさに因縁の場所です。


メッカのカアバ神殿ができるまで、イスラム教にとっては1番神聖な場とされてきた、異教徒は立ち入ることの出来ない場所。



20009月、このアル・アクサ―・モスクに、当時の首相候補だったシャロン(強硬派リクードの党首)が1,000人の武装したSPを引き連れて乗り込んだことに抗議して、パレスチナ人の大規模な抵抗「第2次インティファーダ」別名アル・アクサー・インティファーダが始まりました。



宗教上も政治上も細心の注意を払うべき場で、あえて「土足で踏みにじるような」挑発的な行動をとることで対立を爆発させ、それを利用する形で首相となったシャロンは、9・11後「テロとの戦い」を前面に掲げてガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻を強行しました。




第2次インティファーダの図(アルアクサ騒乱のニュース写真・2001AP通信)

出典:平山健太郎さん著「ドキュメント 聖地エルサレム」(NHK出版・2004年発行)より


アル・アクサー・モスクへ通じる道を封鎖する武装したイスラエル軍兵士に抗議して、履いていた靴を脱いで投げつけ抗議するパレスチナ人たち


靴なんかじゃ到底かなわないのはわかっていても、整備された石畳では投げつける石も手近になくて、とにかく止むにやまれぬ思いだったのでしょう。



自分たちが大切にしてきたものを、目の前で何度も何度も一方的に踏みにじられても、「それでも黙ってろ」と世界は言えるのでしょうか?








何が必要か?





私がパレスチナ・イスラエル現地を訪れたのは2002年6月。


ちょうどその「第2次インティファーダ」の真っ最中でしたが、

エルサレム旧市街の現地では、それぞれの宗教の人たちが普通に行きかい生活していました。


アルアクサ―モスクへ礼拝に向かうイスラム教徒の人たち、一目でそれと分かるキッパ帽や黒づくめの装束のユダヤ教徒の人たち、イエスが十字架を背負って歩いた道を辿るキリスト教徒の人たち、誰ひとりとして争っている人は見かけませんでした。





だから、とにかくイスラエル当局はハラム・アッシャリフの封鎖を解いて、従来通り各宗教を平等に扱うべきだと思います。



そしてイスラエルは、未成年を含む非武装員への実弾射撃や、裁判なしの「即決処刑」など、あらゆる人道上の犯罪を、停止すべきです。



「占領している側の政府は、占領下の住民を保護する責任を負う」ことは、国際法でも定められています。

占領しているからと言って、何をしてもいい訳ではないのです。





イスラエルとの関係が冷却しているアメリカが介入しようとしない現在、

「パレスチナの抗議や抵抗を武力で抑えようとしても、イスラエルが国際的に孤立するだけで何も解決しない」というメッセージを、国際社会が協働して強く伝えていく必要があるのではないでしょうか。









※今回もニュースソースにさせていただいているのが、「パレスチナ最新情報」。

元外務官僚・天木直人さんのサイトでも「信頼できる情報源」として紹介された、無料メルマガです。


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【当ブログ内関連記事】


2014年11月2日記事 【時事】エルサレムでの「聖地封鎖」は共存を脅かす 

http://syuklm.exblog.jp/23673518/

2014年11月5日記事 【時事】続・エルサレムでの「聖地封鎖」/占領しているのは誰なのか? 

http://syuklm.exblog.jp/23688371/

2014810日 「『宗教対立』というウソ。」

http://syuklm.exblog.jp/23129639/




※文章整理し加筆修正させていただきました(2015.10.13,14)


byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-10-12 16:40 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(5)

【時事】国連総会:国旗掲揚で存在を示したパレスチナ、際立ったイスラエルの孤立。そして第3次インティファーダの報が…。


「爆弾スピーチ」は封印。しかしモトは取った?




「国連総会で、パレスチナ代表がオスロ合意放棄を宣言する可能性アリ」という情報を、以前当ブログでも紹介させていただきました。



実際パレスチナでは、「和平交渉なんてもう無駄だ。イスラエルの占領も入植も全然止まらないじゃないか。オスロ合意なんて知るか!」という声が大きくなっているのですが、

930日のアッバス議長の国連総会演説は、それをそのままぶつけるものではなかったようです。



現在衝突が悪化しているエルサレム情勢やイスラエルの入植等を非難しつつも、

オスロ合意の交渉テーブル自体を叩き壊して最終決別する、とまでは踏み込まなかった。




パレスチナ内では「爆弾発言どころか打ち上げ花火にもならなかった」と揶揄されているようですが、和平を仲介してきた欧米諸国は胸をなでおろしたようです。



私も、ホッとしました。

問題山積のオスロ合意ですが、交渉ドアが無いよりは絶対いい。





印象的だったのは、パレスチナ国旗が掲揚された際のアッバス議長の高揚です。


10/01付 FNNニュースより

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00304550.html





総会演説後、パレスチナ国旗掲揚のセレモニーが行われ、加盟各国の旗と並んで、オブザーバー国家としてのパレスチナ国旗が国連本部前に初めて掲げられました。


日本を含め各国の外交官ら数100人が参列し、パン・ギムン国連事務総長が祝辞。




かつて掲げることすら禁じられたパレスチナ国旗が国際社会の場でひるがえり、アッバス議長も「歴史的な瞬間だ」と感極まっていたようです。




悲願の「加盟国家承認」へ前進し、得るものはあったということろでしょうか。





しかし、状況は全く楽観できません。






対照的だったイスラエルの孤立。危惧される暴発。





国連の場で気にかかったのは、イスラエルのネタニヤフ首相の孤絶です。


パレスチナの国旗掲揚や演説が拍手や喝采に包まれたのに対して、イスラエルの演説は完全アウェーな雰囲気。




アッバス議長の翌日に登壇したネタニヤフ首相は、43分間の演説の間に2度も中断して各国代表を睨みつけ、国連と総会そのものに対して「不当なイスラエルバッシングに走っている」と非難。


そしてそれ以上に、イラン核交渉の6か国協議合意への敵意を露わにし、「イランの核クラブへの乱入を許さない」と、6か国合意を成立させたアメリカなどを激しく攻撃しました。





「パレスチナ国家を承認しない」「イラン核開発絶対阻止」を公約にしてきたネタニヤフ首相としては、完全にメンツを潰された形になっています。


イスラエル国内では、与党党首とはいえ薄氷の連立政権のため、右からは「パレスチナに対して弱腰だ」と非難され、左からは「和平を破壊している」と常に批判にさらされています。




国内でも国際社会でも孤立する中、軍事的手段で一気に挽回しようと「追い詰められた者の暴発」になってしまうのではないか…。

それを本当に危惧しています。






急激に悪化する現地情勢。「第3次インティファーダ」の報道も。



パレスチナ・イスラエル現地では、エルサレムでの流血をきっかけに、ヨルダン川西岸地区全域へ衝突が拡大。


イスラエル治安部隊には実弾射撃が許可され、未成年を含むパレスチナ人が銃撃を受けて毎週数10人単位の死傷者が出ています。

それに対する報復事件も続き、104日には「第3次インティファーダ」という見出しで報じられる事態になっています。




今回の衝突の直接の原因は何だったのか?

なぜこんなことになっているのか?




このことは、別記事で詳しく書きたいと思います。




とにかく、私などの危惧が当たらないことを願います。






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【当ブログ内関連記事】

2015627UP記事   【時事】迫る最終期限・イラン核協議。次の「導火線」となってしまうのか?↓

http://syuklm.exblog.jp/24632262/

2015630UP記事  イスラエル 薄氷の連立政権、組閣の舞台裏。↓

http://syuklm.exblog.jp/24642612/



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by shuklm | 2015-10-11 15:33 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。 その1・その2 の続きです。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

http://syuklm.exblog.jp/24946446/





「オスロ和平合意」へ向かうまでの両者の歴史を、

大掴みで見て行きます。






パレスチナの抵抗の歴史





1967年の第3次中東戦争で、

イスラエルと戦った周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)

6日間で敗走させられ、

完勝したイスラエルがパレスチナ全土を占領。


故郷を追われた70万人のパレスチナ難民が

「祖国」を取り戻す展望は見えなくなりました。





許可なくヨルダン川を渡ってパレスチナに帰ろうとした難民は、

すべて射殺されました。


非武装地帯では、ブルドーザーで村々が破壊され

埋め立てられていきました。


占領地では、水を汲んだだけで逮捕され、

果樹を摘んだだけで銃撃される日常が続いていました。





「自分たちパレスチナ人は、

追い散らされ、世界から見捨てられたまま、

ただ黙って殺されるのを

待つことしかできないのか?」





そういうパレスチナ人の声に対して、

「もはや誰もあてにできない。

自らが闘うしかないんだ」と

武力闘争でイスラエルに対抗したのが、PLOでした。




1968年、ゲリラ戦でイスラエル軍に勝利し

一矢報いたPLOのアラファト氏は、

当時は間違いなくパレスチナのみならず

アラブ世界のヒーローだったのです。




パレスチナゲリラによるミュンヘンオリンピックでの「テロ」や

数々のハイジャック事件によって、

その是非はともかく、

「忘却され殺されるだけだったパレスチナ」へ、

世界の耳目を集めさせることには成功しました。







そして、1973年の第四次中東戦争で、

エジプト・シリア連合軍の奇襲にイスラエルが敗北。



建国以来初めて大敗北と悲惨な潰走を経験したイスラエルでは、

「軍事力で安全保障を得るのというのは

間違っているのではないか?」という

疑問と厭戦気分が広がっていきます。





しかし、イスラエルを決定的に和平へ動かしたのは、

それだけではありませんでした。


最も大きなインパクトを与えたのは、

普通の人達の丸腰の抵抗でした。






戦車やミサイルや戦闘機、核兵器まで保持する

イスラエル正規軍に対して、

なんの武器も持たないパレスチナの人達が

やむにやまれず路傍の石を取り、

礫として投げて抗議の意思を示したのが、

「第1次インティファーダ(民衆の抵抗運動)」。





1987年、占領地のストリートから

自然発生的に湧き起ったこの非暴力の抵抗が、

その後の両者の歴史をクロスさせていくことになります。








■加害者としての姿をイスラエルに突きつけた、「石つぶての抵抗」





イスラエル軍の戦車に向かって、石を投げて抵抗する少年。

小学校の壁に子供たちが描いたインティファーダの絵。

20026月、ヨルダン川西岸地区・トゥルカレムのアッサラーム小学校にて、筆者撮影。

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1980年代、戦車に投石で抵抗する人々の姿を報道で見た時、

イスラエルの人達は言葉にならないほどの衝撃を受けたそうです。



それは、聖書に登場する「ダビデとゴリアテ」

そのままの図でした。




▼「ダビデと対峙するゴリアテ」 Wikipediaより拝借

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%86

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古代イスラエル王国に攻めてきたペリシテ人の最強戦士・

巨人ゴリアテに対して、ユダヤ人の勇敢な若者ダビデが、

投石器だけを手にたったひとりで立ち向かって

脳天直撃の一発で倒してイスラエルを救った、

という旧約聖書の有名なワンシーン。



「ジャイアント・キリング」という語の

由来となっているこのエピソードは、

圧倒的強者に対して弱者が立ち向かうという構図です。




いままで世界で迫害されてきた「被害者」であるユダヤ人は、

圧倒的な敵の攻撃から「弱者である自分たち」を

守らなくてはならないと思ってきたわけです。


それが、完全に真逆になっていた。




「自分たちはずっとダビデ(弱者)の側と思ってたら、

実はゴリアテ(強者)だったんじゃないのか?!」


ある意味、加害者である自分たちの姿を、

初めて鏡に映して見たのではないかと思います。





「自分たちは、こんなことを続けていっていいのか?」



イスラエルの普通の人達の感情がそういう方向に動いたことが、

和平への機運を大きく後押しし、

それが「オスロ合意」への伏流となっていきます。







冷戦終結後、

1991年南アフリカのアパルトヘイト廃止が宣言されるなど、

世界各地の紛争が終結していく流れの中、

1993年にパレスチナとイスラエルの間で

「オスロ合意」が成立。



パレスチナ代表のヤセル・アラファトPLO議長と、

イスラエルのイツハク・ラビン首相が

ビル・クリントン米大統領の前で握手を交わし、

武力衝突を停止し互いの存在を承認する

「2国間共存」が示されました。








折り合うことは不可能なのか?





ようやく長い紛争が終結するかと思われたのですが、

和平交渉はその後迷走します。



交渉を決定的にぶち壊したのが、

20024月、

イスラエル・シャロン首相による

ガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻でした。




パレスチナ人の再びの抵抗が始まります。


これが、「第2次インティファーダ」。





そして、「和平派」PLO

イスラエル軍の侵攻や占領を

止められないことへの不満と怒りが、

新たな「武闘派」ハマスへの支持急増と

「自爆攻撃」という反撃を生み出しました。





和平への道は閉ざされたかに見えました。







その直後の20026月。


なんとか「暴力の応酬」を止める

方途がないのかを知りたくて

市民ツアーで現地を訪れた私は、

そんな中でも、衝突ではない方向を向いている声を聴きました。





パレスチナの人たちは、

「イスラエルを地上から無くせ」と

言っているわけではないのです。






私が現地で直接話を聞いた

ジェニン難民キャンプの住民は、

イスラエル軍の攻撃によって

殺された人たちの遺体が

埋まったままの瓦礫の前で、

語っていました。





「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません」、と。





「自分たちが暮らしていく権利を勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、問題はなくなります」と。






パレスチナの少なからぬ人たちが言っているのは、


「1948年(イスラエル建国)の以前に戻せと言ってるのではない。


国連決議が決めたイスラエルの領地の境界線までは譲歩する。


だけど、自分たちが住む土地と、生きていく権利まで譲ることはできない。


境界線からはみ出して占領し続けているのはやめるべきだ。


国際的にも認められていない軍事占領は終わりにすべきだ」、ということなのです。






「過激派」ハマスですら、現在は

「イスラエル殲滅」を主張していません。






ここまで来てしまったら、

もう時間を戻すことは出来ないのだから、

「ユダヤ人は残らず出て行け」なんて言わない。



ただ、どうやってこれ以上の犠牲を出さずに生きていけるのか、

どうやってお互いの生存を保障していくのか、

ということが具体的な問題なのです。






じゃあ、なぜ、その先の「和平」になかなか着地できないのか?


「オスロ合意」は、なぜ実現できずにここまで来てしまったのか?





和平を難しくしている要因を、ひとつひとつ

「因数分解」して見ていきたいと思います。








【参考】


高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」講談社現代新書・1992年第1刷

高橋和夫さん著「なるほどそうだっだのか!! パレスチナとイスラエル」幻冬舎・2010年第1刷

広河隆一さん著「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で フォト・ジャーナリストが見た三十年」草思社・1998年第1刷





【当ブログ内関連記事】


2014810日記事「宗教対立」というウソ

http://syuklm.exblog.jp/23129639/


20141012UP記事   ジェニン3・住民の証言

http://syuklm.exblog.jp/23547863/


20141231UP記事 「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。

http://syuklm.exblog.jp/23948324/


パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?その1・その2▼

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

http://syuklm.exblog.jp/24746703/

和平関係の記事はコチラのカテゴリにまとめました▼

エルサレム・和平・国際監視



※参考図書を加筆しました(2015.10.13)



byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-10-09 21:00 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

の続きです。






パレスチナから見た歴史と「物語」





パレスチナの側から見た時、

「イスラエル建国」とは、

「故郷の喪失」の始まりでした。





それまでパレスチナの地では、

時代ごとに支配者は変わりつつも、

数千年にわたってユダヤ教徒もイスラム教徒もキリスト教徒も、

お互いを排除するよりも共存して暮らしてきました。



私がパレスチナ現地を訪問した時に

案内してくれたパレスチナ人男性は、

欧州での数百年にわたるユダヤ人迫害の歴史も承知していたし、


「ユダヤ教徒やキリスト教徒(アルメニア系)の人たちが

ヨーロッパで迫害されて逃げてきた時も、

僕たちはずっと受け入れて

一緒に暮らして来たんだよ」と語っていました。








しかし第二次世界大戦後の1947年、

パレスチナの承知しないところで、

国際社会と国連は、「パレスチナの半分を

イスラエルとして認める」という

分割案を決議しました。




この案に対して、周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)も

イスラエル承認を拒み、

1948年、イスラエル対アラブ連合の間で

1次中東戦争が勃発します。





イスラエルがこの「独立戦争」に勝利し、

停戦が成立した時には、

国連決議案をはるかに上回る領土を支配していました。



そして、残りの土地は

エジプトとヨルダンが押さえていました。





この時、パレスチナ人の国は、

地上のどこにも存在しなくなっていました。








この戦争の時、ユダヤ人軍事組織による

「ディール・ヤシーン村の虐殺」をはじめとする、

累計数千人単位の虐殺が起こり、

身の危険を感じて故郷から脱出し国内外へ避難した

70万人以上のパレスチナ人が難民となりました。





無人となった村は、破壊されたり地名変更されたり

あるいはユダヤ人が移り住んだりすることで、

現在、地図上から跡形もなく消失させられています。



さらに1967年の第3次中東戦争で

圧勝したイスラエルは、

パレスチナ全土を占領しました。





こうしたイスラエルの占領は

さすがに国連も容認できず、

1次中東戦争後の国連総会では

「故郷に帰還を希望するパレスチナ難民には帰還を許し、

望まない難民には損失補償を行う」と決議。



また第3次中東戦争後には、

「ヨルダン川西岸地区とガザ地区からの

イスラエルの撤退」を決議しています。





しかし、そのいずれも、イスラエルは拒否。


軍事占領が現在に至るまで続いています。







「2度と故郷を失うことはしたくない」





20026月にガザ地区を訪問した友人が、

パレスチナの精神的な支柱のひとりである

農民詩人のサイード・ダウールさんの話を

聞く機会がありました。



その時彼は、



「私たちは、1948年に一度

自分たちの土地を去ったが、

もう二度と出ていかない。


家を壊されたら、

その瓦礫の上にテントを張って生活し、

殺されたらここに墓を建てる」

と語っていたそうです。






同じような言葉を、

私もヨルダン川西岸地区の

難民キャンプの人たちからも聴きました。






そこまでパレスチナ人が

土地にこだわるのには、

もうひとつ理由があるようです。





帰国後に知ったのですが、

イスラエルが建国される以前、

ユダヤ人による国家建設運動

(シオニズム)が盛んになった時、

自ら土地を売ったパレスチナ人が

少なからず存在したのだそうです。






以下、髙橋和夫さん「アラブとイスラエル」からの引用です。




”ここで、指摘しておきたいのは、

ユダヤ人のパレスチナ人の流入が

土地の買収を通じておこなわれたことだ。”



”シオニスト組織は、世界のユダヤ人からの寄付を募り、

その資金をパレスチナでの土地の購入にあてた。


1937年までにパレスチナの5.7パーセントの土地が

シオニストの手に渡っていた。


これがシオニストが、パレスチナへは正当な手段で移住したのだと

主張する根拠の一つをなしている。





”現在のパレスチナ人が、シオニストに土地を売った

パレスチナ人を非難する理由でもある。


シオニストに土地を売り渡したパレスチナ人は

父祖伝来の土地を次の世代に引き継ぐという

責任を果たさなかったわけだ。”




”彼らの父親の世代が、そして

祖父の世代がしっかりしていれば、

こんな苦難をパレスチナ人が

味あうこともなかったのに、

という無念の感情が強い。”







そこからユダヤ人の移住が進み、

そして戦争が始まった時に

故郷を離れて避難した人たちは、

帰ることが出来ないままでいる。



だからいまのパレスチナ人たちは、

「もう二度と故郷を失うことはしない。

絶対に前の世代のようにはならない」と

決めているのです。




少なくとも父祖の地を自ら去ることだけは絶対にしない、と。




何度ブルドーザーでオリーブの樹々や畑の作物ををなぎ倒されても、

何度戦車が来て家を破壊されて家族を殺されても、

そこで生活し続けることがインティファーダ(民衆の抵抗)だ、と。






それが彼らの心の支えとなっているのです。







パレスチナ・イスラエル双方が、

「前の世代のような弱い自分たちであってはならない」

ということを教訓にしている。



それぞれが共有するアイデンティティーと物語があり、

知れば知るほど簡単なことは言えないとも感じます。






しかし、私は現地を訪れて、

衝突ではない方向を向いている声も聴きました。




それを手掛かりに、

一度は和平へ向かった両者の歴史を

もう少し見て行きたいと思います。




続きはコチラ

「パレスチナ問題」手がかりを探す・その3「インティファーダの衝撃」▼

http://syuklm.exblog.jp/24978557/




【当ブログ内関連記事】


2015726UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?

http://syuklm.exblog.jp/24726992/


201581UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何? その2

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


2015725UP記事  【日常スケッチ】どこまでも続く田園風景。パレスチナの人たちが、今も「イスラエルって呼びたくない」理由。▼

http://syuklm.exblog.jp/24736236/


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エルサレム・和平・国際監視




byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-09-29 21:20 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1




当ブログ記事「パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何?」にて

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

大掴みで把握を試みた話を、前へ進めたいと思います。




どうすれば少しでも解決の方へ向かえるのか?



現地の人たちの言葉などを手掛かりに、

自分なりに考えてみます。







パレスチナ・イスラエル現地を訪れたのは

もう10年以上前ですが、帰ってからも

ずっと気になっていたことがあります。




私が出会ったイスラエル人は皆

穏やかな人物ばかりだったのに、

なぜイスラエルという「国」としての振る舞いは

こんなに酷いことになってしまうのか?



イスラエルの人達は、いったい

どういう心理状態でいるのか?






パレスチナの人たちも、

わざわざ暴力を望んでなどいなかった。



どうすれば折り合うことが出来るのか?







まずイスラエルの側から見てみます。






「2度とホロコーストを繰り返さないために」






イスラエル建国以来の国防観の根底にある考え方は、

「自らの運命を他人に委ねない」ということだそうです。





”イスラエルの若い世代には、

おとなしく羊のようにガス室へと引かれていった

ユダヤ人に対する反発がある。



『なぜ抵抗しなかったのだ?』との批判である。


『なぜもっと抵抗しなかったのか?』という問いかけである。




たとえ結果は同じでも、抵抗すれば

ナチスは六百万発の弾丸を消費せねばならなかったはずだ ”



(高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」より)

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つまり、ユダヤ人がホロコーストから得た最大の教訓とは、


「いいようにやられないためには、

自分たちが強くなるしかない」


ということだったわけです。





ホロコーストで600万人を殺され

「安住の地」の実現を求めたユダヤ人に対して、

欧米や国連が用意した先が、パレスチナ。



でも行ってみたら、そこは全然

「安住の地」じゃなかった。





1948年イスラエル建国後も、

周辺のアラブ諸国(エジプト・シリア・ヨルダン等)

との中東戦争は25年間4回に渡って

断続的に続き、

「周りじゅう敵だらけ。

一回でも敗北したら、地球上から

消滅させられてしまう」

という状況は続きます。






そして、最大の後ろ盾であるはずのアメリカも、

いつも味方とは限らない。



現に、アメリカの援護が得られなかった

4次中東戦争では、

イスラエルは建国以来初の大敗北を喫し、

アメリカの緊急支援を引き出すために

核兵器使用まで示唆したほどでした。





「アメリカもアテにならない。

最後は誰も助けてくれない。


世界中を敵に回しても、

自分の身は自分で守るしかない」と

イスラエルが考えたとしても無理からぬことでしょう。




良し悪しは別として、

「最後はアメリカに助けてもらえばいい」と

自分のケツを拭けない日本より、

よっぽど腹が固まっていると言えます。




しかし、腹を固めて

「現実に取りうるあらゆる手段をつぎ込んで国防をやる」

という路線を突き詰めていくと、

「最大の軍事力であり抑止力である核兵器を

保持することは絶対に譲れない」、

という結論に必然的に行きつくことになります。



当然、周辺国が核開発することも認められないわけです。






でも、イスラエルをそうやって

そこまで追い込んでいるのは、誰なのか?





「周辺国や『過激派』から自衛しないと、

自分たちは生存できない」と

思い込こんでいるのは、

イスラエル人が全部悪いのか?




じゃあ、そもそもその原因を作った

欧米とかはどうなのか?







イスラエルを追い込んでいるのは誰なのか?





ホロコースト以前から、

欧米で何百年も続いてきたユダヤ人迫害。




その迫害から逃れる方策について

ユダヤ人社会内でも論争があって、


実は最初は、「今住んでいる社会で

受け入れられる努力をして順化して、

より多くの権利を勝ち取ろう」という意見の方が

大勢だったらしいのです。




それが、なぜ

「ユダヤ人だけで単独の国を創る

=シオニズム」 になったのか?





直接のきっかけとなったのは、

第一次世界大戦前、

1894年の「ドレフュース事件」。




フランス軍参謀本部に勤務する

ユダヤ人将校ドレフュースが

無実の罪で終身刑にされた冤罪事件。



ユダヤ人の受け入れ・同化が

最も進んでいるはずのフランスが

国家ぐるみで証拠隠滅を図って

ユダヤ人を犯人扱いしたこの事件は、

ユダヤ人社会に大きな衝撃を与えました。




「ほらみろ、どんなに受け入れられるように

努力したって、結局ムダだったじゃないか」


「ユダヤ人だけの国を創って

皆そこへ行くしかないんだ」という

シオニズムが始まります。





拒否され続けてきた歴史が、

ユダヤ人を国家建設に向かわせた。




「どこでもいいから、迫害の心配なく

生活できるところが欲しい」

という希望が先だったんです。


国家の建設先=「パレスチナという『約束の地』」は、

後から決まった。



ホロコーストは、その後の決定打だったに過ぎない。






ユダヤ人を欧米が受け入れていたなら、

ユダヤ人がこんなに「イスラエル」という国に

固執しなくても済んだのです。




 

わかりやすい「悪役」を

イスラエルに押し付けといて、

あんまりじゃないのか?



だから、イスラエルだけを批判するのは

フェアじゃないよなあ、と思うんです。






もちろんどんな理由があろうとも、

これまでイスラエル軍のやってきた

ガザ攻撃も占領も、私は全く一切

正当化できないと思います。




それでも、ただイスラエルを非難するだけでは

彼らを硬化させるだけで、

解決にはつながらないのではないか。



彼らがそう思わざるを得ない状況を踏まえた上で、

その上で何が言えるのか、だと思うのです。







次は、もう一方の「当事者にされてしまった」

パレスチナの側から見た歴史を見ていきたいと思います。





続きはコチラ▼

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる・その2▼

http://syuklm.exblog.jp/24946446/

その3「インティファーダの衝撃」▼

http://syuklm.exblog.jp/24978557/



【当ブログ内関連記事】

2015726UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

201581UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何? その2

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


和平関係の記事はコチラのカテゴリにまとめました▼

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by shuklm | 2015-09-28 07:10 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?





「現地にたった一度しか行ったことがないくせに、

専門家でも研究者でもない奴が何を言う?」と

自分でも思うのですが。




このブログは、

「まずはとにかくハードルを下げて

パレスチナ問題にアクセスしやすくしたい」


「膨大な背景を理解しないと触れられない、

というのを何とかしたい」と思って

書いておりますので、


あえて物凄くざっくり言わせていただきますね。





「パレスチナ問題」を一言で言うと、


「ホロコーストのとばっちり」。






これは別に私のオリジナルの考えではなく、

現地でパレスチナ人から言われた言葉です。




「ユダヤ人はホロコーストに遭って、

気の毒だったと思う。

だけど、なんでパレスチナが

そのツケを払わなくちゃならないの?」。





この言葉を手掛かりに、

考えてみたいと思います。



言い換えると、


「パレスチナに持ち込まれたユダヤ人問題」


だと思います。







イスラエルの場所は、ココじゃなくてもよかった?




パレスチナはずーっっと紛争地

「イスラム教とユダヤ教の聖地エルサレムを奪い合ってるから、

異なる民族同士の争いが絶えない」

みたいな報道のされ方してますが。


ですがね、そもそもイスラエルの領土は

現在の場所である必然性はなかったんですよ?



当初の候補地はパレスチナじゃなかったんです。


なんと、東アフリカとかが挙がっていたんですよ??





19世紀末ヨーロッパに吹き荒れたユダヤ人排斥の中、

「ユダヤ人も自分たちの国を持てばいいんだ。

国なき民に、民なき国を」という

「ユダヤ人の建国運動」が始まった当初。



高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」によると、

当時イギリスの植民地であった

東アフリカのウガンダなどが

具体的な候補地に入っていたそうです。



現在のイスラエルはココ。(Wikipediaより拝借)▼


ちなみに、ウガンダはココ。(同じくWikipediaより拝借)▼

もちろん、エルサレムは含まれてません。


要するに、どこでもよかったんですよ。

世界中のどっかに「独立国」が作れるなら。




「何それ 、どんだけテキトーだったの?!」

って思いますが、これが、

「帝国主義・植民地支配の時代」という

特殊な時代の産物だったわけですね。



「アジアとかアフリカは、

ヨーロッパ人が好きにしていいんだ」的な、

定規で地図上にまっすぐ線を引いて

国境と自分たちの分け前決めちゃうような、

傲慢な発想がまかりとおっていた時代。


(その人工的に引かれた国境線が、

現在のIS問題の種を撒いたわけですが)




イギリスの植民地担当大臣セシル・ローズが、

「出来ることなら惑星をも併合したい」と豪語したのは有名な話。

(東京書籍「世界史図説3訂版」より)▼


ではなぜ、候補地がアフリカから

パレスチナに変わったのか?




ユダヤ人の内部でも、「そうは言っても、

いくらなんでもアフリカに建国するんじゃ必然性がなさすぎる。

世論の支持が得られないだろ」と意見が出たからだそうです。


「聖地エルサレムがあるから」、

「約束の地(エレツ・イスラエル)は、

神から与えられた場所だから」という理由で、

ユダヤ人の宗教層を説得したり必然性を主張するために、

候補地が「聖地」に変わった。





つまり、理由は後付けだったんです。






■「約束の地に帰りたい」よりも、「何処でもいいから安住の地が欲しい」




そうは言っても、第二次世界大戦が終わって、

帝国主義(植民地支配)の時代も終わると、

「いくらなんでもそれは乱暴だろ。無理だよ」

となるはずだった。


パレスチナは「民の住んでいない国」

なんかじゃなかったから。





しかし、「ユダヤ人の国家建設」に

有無を言わせない根拠を、

ホロコーストが与えた。




「ユダヤ人であるという理由だけで

あんだけ殺されたんだから、

ユダヤ人でも生きていけるところをよこせよ!」

って言われたヨーロッパ人は、罪滅ぼしに、

「こちらへどうぞ」とユダヤ人を案内した。



世界中が「アンネ・フランク」のような

ユダヤ人の境遇に深い同情を寄せて、

ユダヤ人国家建設を後押しした。


当のパレスチナ人が承知していないのに、

国連で決議までして、お墨付きを与えた。


で、話をややこしくしたわけです。





もし仮に、ユダヤ人国家なんか作らなくても、

ユダヤ人が生命の危険を感じずに、

ヨーロッパのどこででもユダヤ人であることを認められて

普通に生活していけるのなら、

「イスラエル」は要らなかった。


ヨーロッパが自力で解決できない「ユダヤ人問題」を、

「外部」へ持ち越したわけです。


その持って行き先が、パレスチナだった。





とんでもないとばっちりじゃないですか?



「ホロコーストのとばっちり」を、

なんでパレスチナが受けなくちゃいけないわけ?


ユダヤ人を迫害して虐殺したのは、

パレスチナじゃないのに。





そういう意味では、

「ヨーロッパ、責任とれよ!!」と思います。


少なくとも、ヨーロッパ

イスラエルやパレスチナに

偉そうに何か言える立場じゃないよね


だから、ヨーロッパが

パレスチナ問題を仲裁するのは

難しいんです





じゃあ、なんでヨーロッパは、

「ユダヤ人問題」を解決できなかったのか?


なんであれほどの「ホロコースト」を防げなかったのか?




引き続き、掘り下げてみます。






【その2へ続きます】

パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何?その2・なぜホロコーストを止められなかったのか?↓

http://syuklm.exblog.jp/24746703/



【当ブログ内関連記事】

2014814UP 「ホロコーストを経験したのに、なぜ?」その2↓

http://syuklm.exblog.jp/23154936/

20148月~9UP なぜ停戦が和平につながらないのか? その1~4 ↓

http://syuklm.exblog.jp/23279416/

http://syuklm.exblog.jp/23284486/

http://syuklm.exblog.jp/23290370/

http://syuklm.exblog.jp/23327669/

201497UP なぜイスラエルならOKで、パレスチナだとNGなのか? ↓

http://syuklm.exblog.jp/23335018/



※新しく、「オトナの自由研究」というカテゴリーを追加しました。

 パレスチナ問題を包括的に解き明かすことなど私には到底できませんが、自分自身が知ったこと・調べてわかったこと・学んだことを、理解できた範囲で、少しずつ綴っていきたいと思います。



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by shuklm | 2015-07-26 10:08 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(2)

ガザ攻撃から1年。あらためて考えたい、パレスチナとイスラエルのこと。


「日本の復興が心の支え」。パレスチナの人が語る「希望」



2014年7月イスラエル軍によるガザ攻撃から、1年。


パレスチナ側では、亡くなった人2,131人(うち子供510人)、負傷した人11,100人(うち子供3,374人、女性2,088人、高齢者410人)。

イスラエル側では73人(将兵67人、一般市民6)が亡くなりました。


あらためて、犠牲になった人たちひとりひとりへ、瞑目して想いを至したいと思います。




現在も、依然としてガザ地区は封鎖されており、水も電気もガソリンも制限され、セメントなどの建設資材も搬入できないため、「復興」は遅々として進んでいない状況です。



その中でも、ガザの人たちは、「日本が心の支え」と語っています。



「日本が敗戦後の大変な状況の中からとても早く復興したという、その経験は私たちにはとても大きな支えになります。

自分たちの国をつくることが出来るという希望になるからです」


(出典:認定NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」ニュースレター「サラーム(平和)」最新号 2015718日発行より。

6月、ガザから来日したマジダ・エルサッカさんの言葉)



かつて現地を訪れた時、私自身も同様の言葉を、何人ものパレスチナの人たちから直接聞きました。


「ヒロシマ・ナガサキを経験して、国中が廃墟になったのに、そこから立ち上がって奇跡の経済成長を成し遂げた日本。あなたたちのように、自分たちもいつか必ず再建できると信じているんだ」、と。


パレスチナの人たちは、日本の戦後復興に、自らを重ね見てくれているのです。





動き出した国際法廷。一方で、ISがパレスチナでも伸長。



この1年の間に、パレスチナ自治政府は、ガザ攻撃を戦争犯罪として裁くため、ICC(国際刑事裁判所)への加盟を実現しました。

ICC調査団は、「イスラエルもハマスも、双方が戦犯に値する」という報告書を国連に提出。この報告書が、7月4日、ジュネーブのUNHRC(国連人権保護委員会)で採択されました。


これに対し、イスラエル政府は「自国民を守るための最低限の防衛だ」と猛反発。



パレスチナにとっては大きな外交的前進だったのですが、その一方、ガザ地区ではIS系武装組織が勢力を拡大しています。


ハマスの「10年の停戦」という提案を蹴る形で昨年イスラエルが攻撃を強行。

住民生活はさらに危機に瀕しています。

ハマスのもとでも状況が好転されないことに対して、

「結局ハマスも当てにならない」という住民の失望が、ISの伸長を招いてしまっているようなのです。

現在、ガザ地区住民のうち、実に12%もの人たちがIS系武装組織を支持しているという衝撃の報道もあります。


「停戦」という概念のないISは、イスラエル領内へのロケット弾発射を繰り返しており、「今年の夏、また戦闘があるのではないか」と、緊張が高まっています。




一刻も早い和平の進展が求められています。

イスラエル自身の安全保障のためにも、「手打ち」が必要なはずなのですが。



が、これまでハマスがISを抑え込んでいたのに「ハマスもISも皆テロリスト」と断じてきたネタニヤフ現首相。

しかも「政治サーカス」と評されるほどの不安定な連立政権のため、身動きが取れないようです。



では、仮に、和平派の政権だった場合はどうか。





「和平派政権」でも和平実現が難しい理由



実際には、直近の国会選挙(20153月)で左派が勝利していたとしても、和平の進展は容易なことではありませんでした。


選挙前、左派連合が「(自分たちが政権を取っても)入植地をすべて撤去するわけではない」と主張しているのを聞いて、「これは具体的に交渉を詰めるとなると、かなり厳しいな…」と感じました。

入植地と占領の問題は、和平交渉を何度も座礁させてきた大きな要因だったからです。


入植地とは、イスラエルが占領した土地に造られた、ユダヤ人の居住地。

占領地へ入植することは国際法違反で、国連だけでなくアメリカからでさえも非難されています。


しかし今現在そこで生活しているユダヤ人にとっては、入植地の撤去は「世界中から追われた末にようやく得た『わが家』を追い出される」ことを意味しており、絶対に譲ることが出来ません。


パレスチナと史上初めての和平に合意してノーベル平和賞を受賞したラビン元首相でさえ、「入植地はひとつたりとも手放さない」と主張していました。

(イツハク・ラビン著「ラビン回想録」1996年・ミルトス発行 より)



国内的には「国民の安全を保障」しつつ、国外的には和平を進めて国際社会で立ち位置を確保しなくてはならない。

イスラエルの与党は、両立困難なこの2つの命題の間で、常に曲芸的な政権運営を強いられることになります。



だからこれは、そもそも一政党や一政権で解決できることではないわけです。



「じゃあ、どうすれば和平が進むのか?」

「そもそも、パレスチナ問題ってなんなの?」ということなるんですが。


ここで、身の程知らずを承知の上で、無謀にも「パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何?」っていうのを説明することに挑戦してみたいと思います。


とにかくシンプルに、なるべく短く簡単に。

そして、出来るだけ日常生活の具体的エピソードを交えながら。



今後、数回に分けてUPしていきたいと思っております。

読んでいただけますと嬉しいです。





【当ブログ内関連記事】

20141229日UP記事

ベツレヘムにて3知事の言葉「閉じ込められても、希望はあると信じていた」。↓

http://syuklm.exblog.jp/23941280/

2015320日記事

イラク攻撃から12年目の320日に。「やったもん勝ち」を繰り返させないために、国際法廷でイラク戦争とガザ攻撃を裁くべき。 ↓

http://syuklm.exblog.jp/24266786/

2015630日記事

イスラエル 薄氷の連立政権、組閣の舞台裏。

http://syuklm.exblog.jp/24642612/



※イスラエル側の犠牲者数が誤っており、大変申し訳ありません。訂正させていただきました(2015.7.28)


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筆者が知数少ないアラビア語です。

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by shuklm | 2015-07-25 11:34 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

【時事】続・エルサレムでの聖域封鎖/占領しているのは誰なのか?

前回の記事について、捕捉させて下さい。

11月2日記事 【時事】エルサレムでの「聖域封鎖」は共存を脅かす ↓

http://syuklm.exblog.jp/23673518/




「宗教対立ではないと言いながら、やっぱり結局宗教のハナシになってるのでは?」と自分で違和感があったところへ、友人からの質問。


「もともとユダヤの神殿があったところだったら、ユダヤ人が立ち入りたい、取り戻したいと思っても仕方ない気がする。

 極右ユダヤ人はおかしいかもしれないけど、それをパレスチナ人が銃撃するのはやりすぎじゃない?

 結局は、宗教の問題じゃないの?」



うーん、なるほど。確かに、私の文章ではそのようにも読めます。説明不足ですみません




どんなに行為が赦せないからと言って、極右ユダヤ人が銃撃されて良いなどとは全く思いません。

その銃撃犯とされたパレスチナ人が銃殺されたことも、同じ理由で全く正当化できないことだと思います。




今回「封鎖」されたハラム・アッシャリフ内は、もともと因縁の場所でもあるのですが、それはきちんと独立した記事として書きたいと考えています。




ただ、「パレスチナ問題は、膨大な背景を理解しないとわからない、触れられない」というのを何とかしたいと思ってこのブログは書いておりますので、ここではあえて、単純化して言わせていただきます。




あえて、狭義の聖地の問題」=「宗教問題」ではない、と言いたい。

なぜなら、共存を脅かしているのは、宗教ではないから。





もともと何百年も様々な宗教や民族や人種が往来してきたこの地域。

1948年、イスラエルの「建国」と同時に、当時100万人以上住んでいたパレスチナ人のうち、75万人とも言われる人たちが故郷を追われて難民となりました。

難民の帰還のめどは、いまだにたっていません。



その人達は、かつて自分が住んでいた我が家に、あるいは子や孫に語って聞かせてきた故郷に、いまだ立ち入ることが出来ないままです。


(ちなみに、ハラム・アッシャリフにユダヤ王国の神殿があったのは、紀元前。

そんな昔の話、と切り捨てるつもりはありませんが、今生きている人間がないがしろにされている事実を無視して語れない、と思うのです。)





ユダヤ人は千年来の「故郷」を取り戻した。

パレスチナ人は故郷を取り戻すことが出来ない。


なぜなら、軍事占領が続いているから。




パレスチナ人から見れば、人を追い出して国を創って占領しておいて、その上さらに大切にしているもの(信仰の対象)にまで手を掛けるのか?!」という感情を抱いたとしても無理はないと思います。



今回の「聖地封鎖」については、さすがに 「穏健派」のアッバス議長ですら、「宣戦布告に等しい行為だ」と強い口調で反対を表明しました。







最後に。

私が現地訪問した際、ツアーをコーディネイトしてくれたパレスチナ人が指摘した言葉を記しておきたいと思います。



間違えないで欲しい。

 占領をしているのはイスラエルであって、

 パレスチナではありません」。



12年前に聞いた言葉ですが、今でも本質を突いていると思います。

このこと抜きに「宗教だけの話」にしてしまうと、見えなくなってしまうことがあると思うのです。




byしゅくらむ


by shuklm | 2014-11-05 06:44 | 「聖地」エルサレム関係 | Comments(0)

エルサレムでの「聖域封鎖」は、共存を脅かす。




2014年10月末から、

「エルサレムにあるイスラム教の聖域が

イスラエル当局によって封鎖され緊張が高まっている」

というニュースがしきりと流れ、気が気ではありません。



今後、もしかして分岐点になるような出来事

かもしれないので、少しだけ触れておきたいと思います。





ニュースソース:


NHK「エルサレム聖地開放後も厳戒態勢」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141031/k10015869991000.html>


CNN「イスラエルの聖地封鎖は『宣戦布告だ』パレスチナ議長」

http://www.cnn.co.jp/world/35055964.html


TBS「『聖地の分割』発端に、エルサレム緊張高まる」

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2337098.html






「また宗教対立?」というようなトーンで

報道されていますが、その度に

違和感を感じてしまいます。






私がパレスチナ・イスラエル現地を

訪れたのは、2002年。


「第二次インティファーダ」と呼ばれる、

イスラエルへの大規模な抵抗運動が

パレスチナ全体で起こっている真っ最中でした。



そうした時でさえ、

私が実際に見たエルサレムは、

いくつもの宗教が、日常的に共存している場所でした。





以下の記事も併せてお読みいただけると幸いです ↓

2014810日 「『宗教対立』というウソ。」

http://syuklm.exblog.jp/23129639/





この機会に、あらためて

「聖地エルサレムって、そもそも

どういう構造になってるの?」

というのを、自分なりに簡単に整理してみました。






エルサレム旧市街(四角の枠内、オレンジで囲まれた箇所)


※現地で入手したガイドブック

This Weekin Palestine 20026月発行」

FREE COPY)の地図に筆者が加工。

写真が歪んでいるのは何卒お許し下さい。

b0343370_12501412.jpg


封鎖されたハラム・アッシャリフ(図の楕円形内)は、

エルサレム旧市街にあるイスラム教の聖域。


黄金色に輝く屋根で有名な「岩のドーム」や、

毎週金曜日にイスラム教徒が礼拝に訪れる

大切な「アル・アクサ―・モスク」があるところ。



また、もともとユダヤ王国最盛期の神殿の跡地なので、

ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれる聖域でもあります。


その外壁の一部が残っているのが、

ユダヤ教徒が祈りに訪れる「嘆きの壁」。




wikipedia「神殿の丘」より、画像を拝借。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AE%BF%E3%81%AE%E4%B8%98

手前の壁が、「嘆きの壁」。壁の向こう側の金色の屋根が「岩のドーム」↓

b0343370_19194867.jpg


そして、エルサレム旧市街には、

キリスト教徒の聖域もあります。


イエス・キリストが磔にされた

ゴルゴダの丘に建てられた「聖墳墓教会」。



さらに、ほとんど知られていないのですが、

アルメニア正教徒(キリスト教の一派)の

居住区もあります。





城壁に囲まれたエルサレム旧市街の広さは、

わずか1キロ四方ほど。


その中にギュッと圧縮されたように、

本当に、お互いの聖域が隣接しているのがわかります。


いままでも、何度も危機的な状況はありながらも、

この小さな空間の中で、居を構えたり商売したり、

学校に通ったり礼拝に行ったりして、

ご近所さん同士として、毎日一緒に

暮らしてきてるんです。


日常的に相手の宗教を否定したり攻撃したりはせずに。





今回の衝突の発端となった要因の一つは、

「聖地奪還」を叫ぶ極右ユダヤ人たちが、

ハラム・アッシャリフにどんどん出入りしようと

活動していたからです。


個人的な意見を言わせてもらえば、

相手の神経を逆なでするような行動をしている、

極右ユダヤ人活動家たちがおかしいと思います

(ユダヤ教徒がすべておかしい訳ではありません)。





そもそも、「嘆きの壁」の前は、

入場は自由ですが、ユダヤ教を

信仰していない人は入れません。


新約聖書を持ってる観光客は、

入口で置いていかないといけません。

(「地球の歩き方20132014」より)。


それなのに、自分の宗教だけを絶対視して

相手の聖域に出入りするっていうのは、

アウトでしょう。





イスラエルのネタニヤフ首相は、

この件については事態を沈静化しようとしてるようですが、

イスラム教徒の聖域のみ封鎖して礼拝を制限しても、

問題は解決しないのではないかと思います。




現地のイスラム教の人にとって、

「礼拝に行く」という行為は、

毎日当たり前に、朝起きたら顔洗って、

トイレ行って、ご飯食べて服着替えて出掛ける、

のと同じくらい、日常の一連の動作の一つ。


「礼拝に行くな」というのは、

「今日から顔洗うな、服着替えるな、

トイレ行くな」って禁止されたようなもの。


私だったら、「なんだそりゃ?! 

どういうことだよ?!」って、怒ると思います。





「お互いが大切にしているものは、侵してはならない」。


それだけは、絶対に守らなくてはいけない、

最低限のラインなのではないでしょうか。




それによって均衡が保たれきた。

その均衡が崩されそうな、今。




とにかく、事態がこれ以上悪化しないことを願って、

注視していきたいと思います。




エルサレムを巡る問題については、

簡単には論じられないので、

また別途詳しく書きたいと思います。





PS

新しく、「時事・ニュース」のカテゴリを追加しました。折々、気になった事をUPしていきます。



※「聖地ハラムアッシャリフ」と「聖地エルサレム」との区別が分かりづらいと思いましたので、とりあえず当ブログではハラムアッシャリフを「聖域」、それを含むエルサレム全体を「聖地」と表記することにしました。

それに伴い、タイトル・文章を修正しました(2015.10.11)



byしゅくらむ


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by shuklm | 2014-11-02 10:22 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)