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カテゴリ:エルサレム・和平・国際監視( 21 )

私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題


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▲エルサレム首都認定1週間 「平穏壊さないで」

神奈川新聞1213日付(共同通信)





■トランプ発言でギリギリの緊張状態に■






イスラム教徒のパレスチナ人、

ハニさん(37


「これまでもこれからも、われわれは

ここで一緒に暮らしていくしかない。

そのためには平和が一番大切なんだ」





土産物屋を営むユダヤ人、

タミル・ドゥエクさん(40



10日前には(イスラム教徒が多い)

東エルサレムで昼食を食べたが、

今は危なくて行けない。

トランプ氏はここで暮らす全員を

危険にさらしている」


「われわれはもう十分傷つけ合ったのに」





キリスト教徒のパレスチナ人、

サミーラ・ハバシュさん(55


「平穏な生活が続くことを願うが、

何が起きるか全く予想がつかない」









■私が見たエルサレムも、共存を願っていた■





2002年、私がエルサレムを訪問したのは

2次インティファーダ(民衆蜂起)の

真っ只中でしたが、そんな時でさえ、

異なる宗教の人達がごく普通に

行き交っている街でした。


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▲NHK「時事公論」より、3大宗教の聖域




イスラム教の聖域、黄金色に輝く

「岩のドーム」側の礼拝から

帰ってくるスカーフ姿や

Tシャツ姿のアラブ人も、


そのすぐ裏側の「嘆きの壁」へ

向かう、キッパ帽をかぶったり

黒づくめのユダヤ教徒も、


キリストが磔になったゴルゴダの丘

跡に建てられた「聖墳墓教会」で

祈りを捧げるキリスト教徒も、

誰も争っている人はいませんでした。







市民ツアーコーディネイターの

パレスチナ人男性は言っていました。


「何百年も前から、ヨーロッパで

キリスト教徒が困ってやって来た時も、

ユダヤ人が世界中で迫害された時も、

僕たちはずっと受け入れて

一緒に暮らしてきたんだよ」。





西エルサレムに住むイスラエル人男性は、

「軍事占領が続いているから、

パレスチナ人の憎しみが募る。

イスラエルは、これ以上の占領を

やめるべきなんだ」と、

パレスチナ占領地での軍務を拒否しました。





西エルサレムのイスラエル首相官邸前で

毎週金曜に開催されていた平和集会では、


「Stop the occupation」

(占領を終わらせよう)、

「1City 2Capitals

(ひとつの都市、二国家の首都)

というスローガンが、

英語・アラビア語・ヘブライ語で

掲げられていました。

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こうした集会は今も続けられています。

共存への願いは、今も変わっていないのです。






それを困難にさせているのは誰なのか?

和平を困難にしている要因のひとつとされる

「エルサレム帰属問題」は、何が難しいのか?







■エルサレムってどんな街?■






そもそもエルサレムって

どういう構造になってるのか?


改めて整理してみます。




エルサレムには、ざっくり3つのエリア

(西エルサレム、東エルサレム、

エルサレム旧市街)があります。




西エルサレム側は、クネセト

(イスラエル国会議事堂)や

首相官邸がある、比較的新しい街。



東エルサレム側は、

ムスリム居住区などがあります。



そしてエルサレム旧市街に、

3大宗教の聖地が集中しています。




有名なイメージはこの旧市街ですが、

もっとざっくり、東エルサレムに

旧市街を含めて報道されることが多いですね。



▼エルサレム全体図。オレンジの囲みの中が旧市街、

その右側が東エルサレム、左側が西エルサレム。

※現地で入手したガイドブック「This Weekin Palestine 20026月発行」(FREE COPY)より

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▼エルサレム旧市街の詳細(上記地図に、しゅくらむが加工)

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古い城壁に囲まれた旧市街は、

わずか1キロ四方ほど。

その中にギュッと圧縮されたように、

お互いの聖域が隣接しています。




紀元前からのエルサレム光芒の歴史を

ここでまとめるなど到底できませんが、

少なくともハッキリしていることがひとつ。




何百年もの間、

今まで何度も支配者が変わり、

危機的な状況に遭っても、

多くの人達は、何世代にも渡って

この小さな空間の中で居を構え、

商いを続け、礼拝に行ったり

学校に通ったりして、

ご近所さん同士として、毎日一緒に

暮らし続けてきているんです。




だからこれは、宗教対立じゃない。

政治の問題なのです。







■エルサレム帰属問題の変転■



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▲パレスチナ境界線の変遷

「ドキュメント 聖地エルサレム」より




1947年、国連決議が定めた

パレスチナ・イスラエル分割案では、

「エルサレムは国連管理下の

国際都市とする」ことになっていました。



しかし、1948年の

第一次中東戦争の結果、

西エルサレム側をイスラエルが、

東エルサレム側(旧市街含む)を

ヨルダンが占領。



そして1967年の第三次中東戦争で、

今度はイスラエル軍によって

東エルサレム(旧市街含む)が

併合されてしまいます。



直後の国連安保理242号決議では、

占領地からの撤退が決議されていますが、

イスラエルは応じていません。




パレスチナ側の、「将来の2国家共存で

東エルサレム側を首都に」という願いは

宙に浮いたままです。







■エルサレム帰属問題の「落としどころ」はどこに?■



◆イスラエル平和活動家が展望するエルサレムの未来◆



エルサレム問題の解決策について、

日本在住のイスラエル人平和活動家

ダニー・ネフセイさんが

非常に明快に示されていたので、

ご紹介させていただきます。



ダニー・ネフセイさん126日付FBより



***シェアココから****


「私のエルサレム問題についての意見。


西エルサレム=イスラエルの首都

エルサレム=パレスチナの首都

嘆きの壁・岩のドーム・近隣の

キリスト教会=国際管理地域。

これしかないのです。


いずれはそうなると信じています、期待しています。


しかしこれは実現するのは次の中東戦争の前かあとか?

戦争の前に実現出来るように声をあげ続けます。

貼り付け元 <https://www.facebook.com/search/top/?q=%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%BC%20%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%80%80%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0>


***シェアココまで********



本当にその通りと思います。

私も賛同します。


その実現によって和平を具体化しようと

渾身の努力を続けてきた人達も

パレスチナ・イスラエル双方にいるからです。


(この件は、Part3:難民帰還権の際に書きたいと思います)





◆100%の答えは存在しなくても◆




もちろん実現が容易ではないのは

承知しています。



そもそも国連の分割案自体が、

パレスチナ人が承知しないところで

決められてしまったものです。


一方イスラエルから見れば、

戦争で勝利して手に入れた領土

(違法にせよ、既に人が生活している)

を手放すわけですから、

双方失うものがゼロというのはありえない。



そして、日本人の私が、

「二国家共存」と言い切ることで、

納得していないパレスチナ人を

傷つけることになるのではないか

という怖れも持っています。




それでも、

誰もが納得する答などない中で、

少なくとも、

これ以上の流血を起こさせないために、

次善の政治的解決策を現地の人達が選択

できるように、周りが支援するべき

なのではないでしょうか。



ギリギリで踏みとどまっている

共存への望みの糸を、

外側から引きちぎるようなことが

あってはならないと思うのです。




日本でも、

「私達はトランプ発言を支持していない」

「二国家共存を支持している」

という声を可視化していきましょう。



# 1City 2Capitals

(ひとつの都市、二国家の首都)

# Stop the occupation!

(占領を終わらせよう!)

# We don't support Trump's declaration

(私たちはトランプ発言を支持しません)

# We support peace!

(平和を支持します!)




ぜひ一緒にお願いします!




また、エルサレム現地で活動している

平和団体のURLを貼ります。

イイねやシェアで支えていきましょう!!





AIC(オルタナティブ・インフォメーション・センター)

私が話を聞いた兵役拒否者の男性が務めていた

パレスチナ・イスラエル共同のNGO

エルサレムを中心に活動。



▼ピース・ナウ

イスラエル最大の平和団体。

エルサレムやテルアビブで平和集会を共催。

イスラエル議会内和平派や中間層に大きな影響力を持つ。


JVC(日本国際ボランティアセンター)さんが

「パレスチナを支援するイスラエルのNGO」についてまとめてくださってます!!

パレスチナを支援するイスラエルのNGO



特にこちら、世界最大の紛争防止NGO

Search for Common Ground」は、

エルサレム聖地を巡る問題を

対話により解決するために取り組んでいるそうです!

https://www.facebook.com/sfcg.org/




【当ブログ内関連記事】



【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視



【参考図書など】


高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎

「アラブとイスラエル」

1992年 講談社現代新書


平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版




byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
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by shuklm | 2017-12-17 00:01 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題







■オスロ和平合意は、なぜうまく行かなかったのか?■





2002年に現地を訪れた時、

「(1993年の)オスロ合意について

どう思う?」と、街なかで尋ねると、

パレスチナ人からもイスラエル人からも

異口同音に、「オスロ合意は死んだ」

という答えが返ってきました。




それはなぜか??



確かに、

「とにかくこれ以上の流血を止める、

お互いを交渉相手として認め、

恒久的解決を目指す」、

という合意は成立しました。



しかし問題だったのは、

その二国家実現のための具体論。


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和平を難しくしている要因は、

ざっくり3点と言われています。



1、土地と水利権の問題

2、エルサレムの帰属問題

3、難民帰還権の問題




こうした重要な問題を解決してから

議論に移れればよかったのですが、

オスロ合意内容は

「とりあえず外堀埋めてから、

大事なことはそのうち決めようね」

というものでした。



合意前の矛盾はそのまま

先送りされ、拡大しまったのです。



オスロ合意後、新たな交渉が

すべて座礁したのも、結局この3点を

クリアできなかったからでした。





今回は、土地と水利権について、

高橋和夫さんの著書や

田中宙さんのメルマガ等を手掛かりに、

書いてみます。







■なし崩しの入植と、分離壁建設■





パレスチナとイスラエルの

土地の取り分問題について、

例え話でよく言われるのが、


「ピザの分け方を決めている途中に、

一方がどんどん食べちゃってる状態」。





1967年の第3次中東戦争で

パレスチナ全土を占領したイスラエル。


それは1947年の国連決議ラインを

大きくはみ出していました。




オスロ合意成立後、イスラエル軍は

暫時撤退するとなっていたのですが、

実現したのは4割程度。



一方で、すでに1970年代から、

占領地にイスラエル人が入って定住していました。


さらに2000年代、その入植地を囲んで

巨大な分離壁が建設されていきます。


事実上のイスラエルへの併合でした。

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▲延々と続く分離壁

写真元はコチラの映像

「Veterans For Palestine」▼

https://youtu.be/lVCuhkzSb-M







まさに、「ピザの食べちゃったところ」

に当たるのが、入植地。

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▲高橋和夫さん著「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」より



降雨量の少ないこの地域で、

実質上の水利権が減り、

人や物資の往来も困難となった

パレスチナ経済は、大打撃を受けます。






虫食い状態のパレスチナの土地が、

将来の二国家の領土を決める前に、

さらになし崩し的に削られていく。


「これはあまりにもフェアじゃない、

どうやって仲良くできるんだ?」

というのがパレスチナ側の憤りです。




それは全くその通りだと思います。





占領地への入植は国際法違反であり、

国連安保理決議や国際司法裁判所が

何度もやめるよう求めましたが、

イスラエルは応じてきませんでした。




では、なぜ国際的非難の大きい入植を

イスラエルはやめられないのか?


入植者とはどんな人たちなのか?







■政治活動・「西部開拓」としての入植■





田中宙さんは、特異な政治活動家である

入植者たちの姿を、

パレスチナ人という「インディアン」を

撲滅させて自分たちの国を作るという

現代版「西部開拓」だと指摘しています。






田中宙さんメルマガ200575日付より



****引用ココから*****



”イスラエル国内では「これらの土地(占領地)は、

聖書やバルフォア宣言によって、

イスラエルの領土になると約束された場所であり、

返還する必要はない」という意見が出てきた。



そしてその主張に基づき、

1970年代半ばごろから、

イスラエル人が立ち入りを禁じられていた

軍政下の西岸やガザに入り込み、

パレスチナ人が使っていない乾燥した丘の上などに

簡素な家を建てて住み、

そこを事実上イスラエルの一部にしてしまう

という政治運動を拡大していったのが、入植者だった。”




”入植者は、周辺の町や村のパレスチナ人の土地を

有刺鉄線で囲んだりして奪取し、

翌日パレスチナ人と銃撃戦など衝突になると、

それを抑えるためと称してイスラエル軍が

入植地を警備するようになり、

軍に守られるかたちで、

入植地が拡大していった。



パレスチナ人から見れば、

入植者は「テロリスト」そのものだった。”





”(しかし)イスラエルには43万人の入植者が

いることになるが、このうち活動家の入植者は

おそらく2-3万人と思われる。”




*****引用ココまで**



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時2005年のもの





実は、こうした確信犯的・

特異な政治集団は一部で、

入植者の大部分が、

イスラエル国内の低所得層

という事実があるそうです。



ではその人たちは、

どういう動機で入植しているのか?







■入植地内の低額住宅へ―イスラエルの格差問題■






1980年代後半頃まで、

入植者は不足していたそうです。




高橋和夫さん著書「アラブとイスラエル」より

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****引用ココから****




”熱狂的な宗教心に燃え、

シオニストの夢の実現のために

アラブから土地を奪って住み着こう

というユダヤ人はそんなに

無尽蔵にいるものではない。



そこで(イスラエル)政府は、

入植地の建設に補助金を与えて、

入植地なら安く住宅が手に入るような

仕掛けにして入植者を募り始めた。



結果として、入植者といっても実情は

グリーン・ライン(軍事境界線)内部では

住宅を手に入れられなかった、

埼玉都民や千葉都民のような人々が増えていた。



占領地からイスラエルへ通勤するわけである。



入植地のアパートなら

政府の援助のおかげで

安く手に入るからという理由の

「占領地都民」の「入植」であった。




入植地という言葉からは

砦のようなものを想像しがちだが、

実際は公団住宅や

私鉄沿線の新興住宅地

といった風情の場所もある。



「入植者」の85%は、

エルサレムかテルアヴィヴまで

30分の通勤圏に居住している。




だが、入植者の動機が、

イデオロギーであろうが

住宅難であろうが、結果として

パレスチナ人の土地が奪われることには変わりはない”




**********



※( )は、しゅくらむが補った箇所です

文中の数字は発行時1992年のもの







中道左派の労働党によると、

イスラエルでもワーキングプアが

増大しているそうです。





そんな中で入居した人達にとって

入植地を手放すということは、

ようやく手に入れた我が家と

今の生活を放棄するということ。


だからやめたくてもやめられない。




そして入植者は、

現政権与党である右派リクードの

強力な支持基盤となっています。


脆弱な政権であるネタニヤフ首相

(現リクード党首)としても、いま

入植をやめるわけにいかないのです。




ここでも政策を左右しているのは、

「票田への配慮」でした。








■どう考えていけばいいのか??■






私が直接話を聞くことが出来た

パレスチナの人たちも、

和平交渉の最前線にいた人達も、

語っていた解決策は同じでした。




「入植地の建設をやめること。


ユダヤ人に、全土から出ていけ

とは言わない。


1967年の第3次中東戦争前まで

撤退してくれればいいんだ」と。





どうすればそれを実現できるのか?





もちろん国際社会の介入が

不可欠だと思いますが、

ここでは別の視点であえて書いてみます。





和平実現を困難にしている入植地。

その入植者の多くが、イスラエルの

比較的所得が低い人たち。


つまり、イスラエル国内の格差問題・

貧困問題が、パレスチナへ

しわ寄せされているということです。




であるならば、

格差問題として考えればどうでしょうか。


入植地にわざわざ住まなくても、

低所得者が暮らしていけるようになるとしたら?






そもそもアラファト議長とラビン首相が

和平へ舵を切ったのも、

経済的理由が大きかったのです。



ラビン首相は、アラブとイスラエルの

巨大市場「中東経済構想」を唱え、

実際にオスロ合意直後、

欧米・日本・世界銀行などが次々と

数億ドル単位の援助を表明し、

経済効果はその数倍と言われました。


これが和平崩壊によって失われたのです。





そしてイスラエル国民に、

軍事費だけが重い税負担として

のしかかっています。




先進国とされているイスラエルですが、

2013年OECD実施の調査では、

加盟34か国のうち、

最も相対的貧困率が高く、

最も格差が大きい国となっています。


(イスラエルの左派新聞『ハアレツ』

および『日本語版ハフティンポスト』

20130522日付より)






トランプやサンダースを大統領候補に

押し上げたのも、格差問題。

ネタニヤフを下支えしているのも格差問題。



トランプやネタニヤフを非難するだけでは変わらない。




世界を覆う格差・貧困問題の解決は、

打開の糸口のひとつとして、

落としてはいけない視座だと思うのです。






和平を難しくしているものpart2:

「エルサレムの帰属・

難民帰還権の問題」は

次回掘り下げたいと思います。




【当ブログ内関連記事】


パレスチナ問題や

オスロ合意までのざっくり歴史は

コチラに書きました。

よろしかったらご覧ください▼


「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」

パレスチナで何が起こってきたのか?【最新現地動画byVFP 有り!】


【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視




【主な参考図書など】


高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎


「アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図」

1992年 講談社現代新書



田中宙さん 無料メールマガジン

「田中宙の国際ニュース解説」



広河隆一さん著

「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で」

1998年 草思社



平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版



イツハク・ラビン著

「ラビン回想録」

1996年 ミルトス







byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-12 06:59 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

パレスチナで何が起こってきたのか?【最新現地動画byVFP 有り!】



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F16戦闘機で破壊された小学校の校庭に散らばる教科書
          






◆私が見たパレスチナ◆







小学校が戦闘機で攻撃される▼

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救急車が検問所で停車させられる▼

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民家が住んでる人ごと轢き潰される▼

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(もちろんすべて国際人道法違反です)






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私自身も、イスラエル軍の

戦車の砲撃音が迫り来るのを聴き、

真夜中、照明弾を目にし、

戦車部隊に包囲されて

一晩を過ごしました。






もう10年以上も前の2002年、

市民交流ツアーに参加した時のことですが。







オスロ合意を成立させたイスラエルの

ラビン首相が暗殺された後、

シャロン首相がパレスチナ自治区に

突然軍事侵攻し、ついに

第2次インティファーダ(民衆蜂起)が

始まった頃。








それでもその中で出会った人達は、

朝が来ればご飯を食べ、

決まった時間に礼拝し、

学校や職場へ行き、

家族や友人たちと談笑しながら

サッカーワールドカップに熱中する

ごく普通の生活を送っていました。





▼破壊された小学校の校門から

そーーっと覗いていた恥ずかしがり屋のこどもたち。

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▼ジェニン難民キャンプ、瓦礫の前で。

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▼ヨルダン川西岸地区トゥルカレムの街中で。
障害があっても人懐っこい笑顔の少女。
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アラファトPLO議長の元で

ゲリラ戦を闘った

歴戦の老指揮官は語っていました。


「オスロ合意後、

イスラエルとは隣人でした」と。▼

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イスラエル軍戦車と軍用ヘリと

ブルドーザーで破壊された

ジェニン難民キャンプの瓦礫の前で、

キャンプの責任者の方は言いました。


「ユダヤ人を憎んでいるわけでは

ありません」、と。

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誰も紛争など望んでいなかったのです。










◆「過激派」が支持された理由◆






確かに「過激派」ハマスなどの

「自爆」攻撃もありました。




ハマスが支持されたのは、

和平合意を反故にして

軍事侵攻してきたイスラエルに対して、

和平合意を捨てないPLOファタハ

(パレスチナ暫定自治政府)が

無策に映ったからでした。



「ただ殺されるのを待っているより

一矢報いたい」と、「自殺攻撃」に

志願した若者も多かった。



さらに、かつての英雄アラファトや

暫定自治政府の腐敗に比べて、

社会保障などに注力するハマスは

具体的でまともな勢力だったのです。





しかし、すべてのパレスチナ人が

「自爆」=自殺攻撃を支持している

わけではありませんでした。


「暴力によらない手段で

パレスチナの未来を創りたい」と

活動する個人や団体とも交流しました。




いまも、非暴力の抵抗は続いています。










◆最新現地動画、撮って出し! byVFP






今年2月、平和を求めるアメリカの元軍人たち

ベテランズ・フォー・ピース(VFP)が、

パレスチナ自治区のガザ地区と

ヨルダン川西岸地区を訪れ、

軍事占領への非暴力抵抗行動に参加しました。



その動画が公開されています▼

https://youtu.be/tJaD_N-hkoI



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軍事占領下、「テロを防ぐ」という名目で

建設された巨大な「分離壁」で

ズタズタに分断されてしまった

パレスチナの大地▼

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銃声がこだまし、催涙弾が飛来する

緊迫した状況での非暴力直接行動▼

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動画にも登場するVFPメンバーの

マイク・ヘインズさんも、

「いままでのVFPの活動の中でも

最も危険を伴う行動だった」と

語っていました。



米軍最強の特殊部隊の出身者ですら

そう実感するような現場。








それでも、

そこに暮らし続けている人たちがいる、

諦めない人たちが人たちがいるのだと、

伝え続けたいのです。





私がパレスチナを離れる時、

滞在中にお世話になった

エルサレム旧市街前の

宿のオーナーが

別れ際に贈ってくれたのは、


「いつの日か、平和になった

パレスチナで会おう」という

言葉だったからです。








▼よろしければ、パレスチナ現地レポは

こちらからご覧下さい


【関連カテゴリー】

パレスチナ自治区 現地レポなど




なお、このブログは、

「こんなに酷いイスラエル」というのを

確認して糾弾して終わり、というのが

本意ではありません。


パレスチナ問題ってなんなのか?

どこに解決の手掛かりがあるのか?

について、及ばずながらも考え続け、

少しでも可能性を広げたいのです。


よろしければこちらも併せて

ご覧いただけると有難いです▼


「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?


「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1


「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2


「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」


エルサレムでの「聖域封鎖」は、共存を脅かす。




【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視

イスラエル 現地レポなど



※動画「Veterans For Palestine」のリンクを張り直しました(2017.12.11)




byしゅくらむ


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筆者が知る数少ないアラビア語です。
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by shuklm | 2017-12-07 22:33 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(2)

トランプ米大統領「エルサレムはイスラエルの首都」は何故アカンか?ざっくり書いてみた。※追記アリ

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米トランプ政権 エルサレムをイスラエルの首都と認定へ

12月6日 11時02分 NHKニュース速報

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171206/k10011248121000.html

【写真はすべてNHKニュースより】

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◆何がモンダイか??あえて単純化してまとめると。◆





・「永遠の都エルサレム」は、

イスラム教徒もユダヤ教徒も

(もちろんキリスト教徒も)

ずーっと共存してきて、

「将来の共同首都」というのが

パレスチナ・イスラエル和平で

目指されていたから。



・オスロ和平合意後、一時期は

パレスチナ・イスラエル間で、

エルサレム共同管理のために、

水道や電気等のインフラを

どう分割して引くかとかまで

具体的な詰めの作業まで進んでいたから。



・その後、イスラエルの軍事占領や

それへの抵抗で、対話が途絶え、

パレスチナからもイスラエルからも

「オスロ合意は死んだ」って

言われて久しいけど、

「共同首都」構想は

唯一崩壊していなかった。

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・それなのに今になって

イスラエルだけに首都と

認めるってことは、

そのオスロ合意すら

ちゃぶ台返しするってことになってしまう。



・不完全な合意内容だったけど、

それでもないよりはマシだった。


国際社会が介入して、

50年がかりでようやく成立した

その和平合意以前に逆戻りするってことです。


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◆「エルサレム首都認定」がもたらす意味◆





1948年の第1次中東戦争から

1967年の第3次の中東戦争まで、

アメリカなどの後押しを受けた

イスラエルに惨敗したアラブ諸国と、

第4次中東戦争でエジプト・シリアに

潰走させられたイスラエル。



その後、お互いに睨み合ったまま

危ういところで保たれていた中東の均衡。




そして1980年代、

イスラエルの軍事占領に対して、

それへの抵抗として

戦車に石を投げて始まった

インティファーダ(民衆蜂起)。




そうしたパレスチナ紛争の

解決を目指して、

オスロ合意を取りまとめたのは、

当時の米大統領、ビル・クリントン。




この数少ないアメリカの

外交的成果まで消失させ

中東政策の場当たりさを晒した、

今回のトランプ発言。


もし首都移転が現実化されれば、

中東の不安定化を一挙に加速させてしまう。



(「IS掃討」でかき消されていましたが、

もともと彼らの怒りの根源は、

パレスチナ問題にもあったからです)





深刻なのは、

おそらくトランプ大統領自身が

一番デリケートなスイッチであることを

まったく理解しないままで、

ど真ん中を押そうとしてるってことだと思います。






なんでそんな危険なことを??◆





世界最新鋭の兵器市場イスラエルへの

テコ入れというのはあるかもしれませんが、

個人的には、もっとも直截的な理由は、

もっと近視眼的だと思います。



大統領選挙でも大きな影響力を発揮した、

トランプの票田「キリスト教福音派」。


「エルサレムに神殿再建設」を掲げています。


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▲エルサレムの神殿の丘

(イスラム教徒やユダヤ教徒が

祈りを捧げてる聖域)


ココにいきなりトレーラーで乗り付けて、

デッカい建設資材とか運び込んで

建設強行しようとした極右宗教団体と

同様の主張をしてるような人達です。



(NHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」に

再建強行未遂の詳細記述があります)





フツーにアカンでしょう、ソレ。






そんな特殊な「票田への配慮」のために

中東全体が付き合わされるなんて、

たまったもんじゃない。


パレスチナやイスラエルの良心的な

和平派の人たちが孤立することに

なってはいけないと思います。






今回はまともな日本政府の対応◆





12月6日現在、日本政府は、

「テルアビブの日本大使館を

エルサレムに移転する予定はない」と

エルサレムを首都として認めない旨

表明していますが、これは賢明だと思います。



私は安倍政権自体は全く支持しませんが、

個別の外交課題について

対米一辺倒でないのは

ちゃんと評価して後押しすべきかと。


「トランプに脅されてもOKするなよ」と。



「米国の真の友人」と言うのなら、

そのスイッチの意味を伝えるべきでしょう。







日本の私たちに出来ることは??◆




パレスチナ・イスラエルの和平派を

支えていく必要があると思います。



「エルサレム首都認定」を唱える

イスラエルのネタニヤフ首相は、

国会では絶対多数を確保していません。


和平派・中道派への後押しが重要です。




パレスチナ・イスラエル双方の

和平に取り組んでいる団体の

URLFBを末尾に貼ります。



ぜひイイねやシェアや応援コメントで

勇気づけましょう!




すべて英語メインですが、

(語学力がなくて訳せなくて

申し訳ありません…)


I support you from Japan!

(日本からあなた達を支持してるよ!)

だけでもいいと思います!!





【関連アドレス】




▼「Palestine Center for Rapprochement Between People

Rapprochementは「国家間の親善」の意。

1988年(第1次インティファーダ開始直後)、

パレスチナとイスラエル双方で設立。

http://www.rapprochement.org/



▼ピース・ナウ

イスラエル最大の平和団体。

議会内の和平派や中間層に大きな影響力を持つ。



▼「Bleaking The Silence (沈黙を破る)

イスラエル元将兵が、パレスチナ占領地での

自らの体験(人道的犯罪)と向き合い、語り継ぐ活動。

https://www.facebook.com/BreakingTheSilenceIsrael?fref=pb&hc_location=profile_browser

http://www.breakingthesilence.org.il/



【当ブログ内関連記事】


「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」

パレスチナ・イスラエル、それぞれの思い〜第2次インティファーダ時に聞いた言葉。

「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。



※追記※
エルサレム神殿の丘にトレーラーで乗り付けたのは、
「テンプルマウント・フェイスフル」というイスラエルの極右宗教団体です。
主張は「福音派」と同じ「エルサレム神殿再建」ですが、
両者を混同する書き方をしてしまったので訂正させていただきました。
また、出典はNHK出版「ドキュメント・聖地エルサレム」でした。
こちらも訂正させていただきました(2017.12.6)

※追記2※
イスラエル最大の平和団体「ピース・ナウ」にリンクを張り替えました。
ぜひシェアを!!(2017.12.7)

※追記3※
より正確な文言に修正しました。
オスロ合意ではエルサレム帰属問題は確定しておらず、合意後に将来の共同首都について協議して行くことになっていたので、「和平で目指されていた」に修正しました。
中東戦争でイスラエルを支援していたのはアメリカだけではなくフランスや旧ソ連もあったので、「アメリカなどの後押しを受けたイスラエル」と修正しました。
大急ぎで書いたとはいえ、不正確な表現で申し訳ありませんでした。(2017.12.13)



byしゅくらむ


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by shuklm | 2017-12-06 22:02 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

パレスチナ・イスラエル、それぞれの思い〜第2次インティファーダ時に聞いた言葉。



凄惨なニュースが続き、

現地の生の声が聴こえなくなっています。




あの地で暮らしている人たちは、何を感じ、何を願ってきたのか。




私がパレスチナイスラエルを訪れたのは、2002年6月。

第2次インティファーダ真っ只中の時期でしたが、それでも現地では衝突を望まない多くの声を聞きました。



私の体験など限られたものですが、友人が聞いた言葉を含め、少しでもそれを伝えさせてください。






■パレスチナの人たちの声





「自分たちが世界から見捨てられたと思うことが、一番辛い。


あなたたちが来てくれたから、世界から忘れられていないと思える。

それが希望になるんだ


(パレスチナ自治区・ヨルダン川西岸地区の住民)





「世界中の人にパレスチナの味方になって欲しいとは言いません。

ただ、平等に見て欲しいだけなのです」


(ガザ地区・パレスチナ人権センターの職員





「間違えないで欲しい。

占領しているのはイスラエルであって、パレスチナではありません」


(現地訪問ツアーを案内してくれた、エルサレム在住のパレスチナ人コーディネーター)





「イスラエルとは、隣人でした。


以前は、私たちはお互いに訪問しあったり商売をしたりして、友情もあったのです」


(ヨルダン川西岸地区・トゥルカレムの知事)





「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません。


自分たちが暮らしていく権利を勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、問題はなくなります」


(ヨルダン川西岸地区・ジェニン難民キャンプの責任者)








■イスラエルの人たちの声





「永久に戦争を続けることはできない。

そう考えたから、兵役を拒否しようと思ったんだ。


占領があるから、パレスチナ人の憎しみが募る。悪循環だ。

それを断ち切る方法は、たったひとつ。


イスラエルは、もうこれ以上の占領をやめるべきなんだ」


(エルサレム在住、兵役拒否者の30代の男性。

パレスチナ人とイスラエル人が共に運営するNGOの職員)






「私はイスラエルが好きだから。

だから間違ったことはしてほしくない。

私は正しいことをしたい。


占領は正しくない。

だから反対しているの」


(エルサレムで、イスラエルの平和団体が主催した占領反対の集会に、イスラエル国旗を掲げて参加した16歳の少女)






「この戦争は、じいさんばあさんの時代から受け継がれてきたもので、ハッキリ言って、俺には関係ない。

俺は誰のことも憎んでないし、誰のことも殺したくなんかない。


だけど、今のオレの仕事は(徴兵された)兵士で、これをやるしか仕方がないんだ!


俺にはどうすることもできない。

俺には何もできないんだよ!」


(ヨルダン川西岸地区、バリケードで封鎖した街の入り口で銃を構えていた若いイスラエルの兵士)









イスラエルの兵士自身ですら、わざわざ殺し合いなど望んでいなかった。




当時出会った人達、この言葉を発したひとりひとりに、いまどう考えているのかを確かめることはできません。



けれど、少なくともいま現在もイスラエルで占領に反対する声は消えていないし、

占領の実態を自らの口で語り続ける元将兵たちも存在します。




占領とは、パレスチナイスラエルに一体何をもたらしているのか?

イスラエルの将兵たちが「最前線」で体験したその実態とは?



次回以降、それをお伝えしていきたいと思います。





【当ブログ内関連記事】


201524UP記事  哀悼…そして、「紛争地」で望まれている支援とは? ジャーナリストやNGОは、「その場にいるだけで」人道支援になりうる。 ↓

http://syuklm.exblog.jp/24093955/

201499UP記事  ガザからの、伝言。↓

http://syuklm.exblog.jp/23346747/

2014115UP記事  【時事】続・エルサレムでの聖域封鎖/占領しているのは誰なのか? ↓

http://syuklm.exblog.jp/23688371/

2014822UP記事  「イスラエルとは、隣人でした」。↓

http://syuklm.exblog.jp/23210029/

20141012UP記事 ジェニン3・住民の証言 ↓

http://syuklm.exblog.jp/23547863/

20141231UP記事 滞在最後の夜。ついに実現した、兵役拒否者との対話。↓

http://syuklm.exblog.jp/23946863/

2014119UP記事  エルサレムにて2・異彩を放っていた、イスラエル国旗を掲げた少女。↓

http://syuklm.exblog.jp/23709284/

2014816UP記事  終戦の日WEEKに。イスラエル・若い兵士が思わず口にした「心の声」とは。↓

http://syuklm.exblog.jp/23173252/




byしゅくらむ


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by shuklm | 2015-10-19 20:58 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

【時事】パレスチナで「第3次インティファーダ」の報。直接の原因は?



前回記事の最後に触れた「第3次インティファーダ」と報じられている事態について書きます。


国連総会でも、パレスチナ代表アッバス議長が演説の冒頭で「エルサレムで深刻な事態が起きている。宗教対立が政治的対立に転化することを防止すべきだ」と警鐘を鳴らしていましたが、それが現実となってしまっています。





イスラエル:パレスチナと衝突激化…第3次民衆蜂起の恐れ(毎日新聞 2015年10月06日付)↓

http://mainichi.jp/select/news/20151007k0000m030109000c.html








「また宗教対立」? 「どっちもどっち」?





なぜ衝突が起こっているのか?



今回の直接の原因をたどっていくと、去年10月、エルサレムにある聖域をイスラエル当局が封鎖しイスラム教徒だけ礼拝を出来なくしたことに突き当たります。






エルサレムの聖域について少しだけ図説させていただくと。



古い街並みが残るエルサレム旧市街(四角の枠内、オレンジで囲まれた箇所)

 ※現地で入手したガイドブック「This Weekin Palestine 20026月発行」(FREE COPY)に筆者が加工したものを再掲


封鎖されたハラム・アッシャリフ(図の楕円形内)は、イスラム教とユダヤ教両方の聖域が隣接する丘。



黄金色に輝く屋根で有名な「岩のドーム」や、

イスラム教徒が毎週金曜、礼拝に訪れる「アル・アクサ―・モスク」があるところ。



もともとユダヤ王国最盛期の神殿の跡地なので、ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれています。

その外壁の一部が残っているのが、ユダヤ教徒が祈りを捧げる「嘆きの壁」。




wikipedia「神殿の丘」より再度画像を拝借しました

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AE%BF%E3%81%AE%E4%B8%98


↑手前の壁が、ユダヤ教の「嘆きの壁」。

壁の向こう側の金色の屋根が、イスラム教の「岩のドーム」。

本当に、お互いの聖域が重なり隣接しているのがわかります。







ユダヤ教徒は今まで通り礼拝が出来るのに、イスラム教徒だけが「ハラム・アッシャリフ」への出入りを禁止されたため、現地の緊張が高まっていることを昨年11月当ブログでも書きました。



繰り返しになりますが、敢えて言うと、これは「宗教対立」が原因ではありません。

「片方の宗教だけ不平等に扱うことで生み出されている対立」です。





なぜなら、今まで対立や衝突や戦争があっても、各宗教の聖域への出入りと礼拝の自由は保障されていたからです。


1967年の第3次中東戦争に圧勝したイスラエル軍がエルサレムに入城した時ですら、ここを封鎖することまではしませんでした。






”第三次中東戦争でイスラエル軍がエルサレム旧市街を占領したとき、ダヤン国防相は、イスラムの聖域について、自主管理と礼拝の自由をこれまで通り認めることを、イスラムの長老たちに約束した。”



”その後、歴代のイスラエル政府は、労働党、リクードの別を問わず、ダヤンの「現状維持」と棲み分けの協定を尊重してきた。

イスラエル人や外国人観光客のイスラムの聖域への立ち入りは認めるものの、ユダヤ教徒を含む異教徒の、イスラムの聖域内での礼拝やこれに類似する行為は禁止するなど、ワクフ(イスラム財団)側との合意を、一応誠実に守ってきたと言ってよかろう。”




平山健太郎さん著「ドキュメント 聖地エルサレム」(NHK出版・2004年発行)より引用。



※なお、現在イスラムの聖域「岩のドーム」は、外国人観光客にも非公開になってしまっています。






もともとエルサレムは、イスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も、何百年も一緒に混在して居住していた地域。


デリケートな場所だからこそ、お互いの宗教を侵さずに平等に扱うよう政治的に配慮するのが、いくつもの聖域を頂くこの古都でずっと守られてきた最低限のルールだったわけです。





それなのに、イスラム教の聖域だけが繰り返しバリケードで封鎖され礼拝することができない。

それどころか、「モスクを取り壊してユダヤの神殿を再建すべし」と実力行使を唱えるユダヤ人極右や大臣が、大勢の治安部隊を率いてハラムアッシャリフへ出入りしている。




「治安上、両方出入り禁止」ならわかるけど、

片方の宗教だけ禁止で、片方はスルーって、おかしいでしょ。


全然、「どっちもどっち」じゃないんです。




実際に過去には、ユダヤ人極右が「モスクに神殿を再建するため」の礎石を突然トレーラーで運び込もうとしてイスラム教徒側と騒乱になり、国連調査団まで入ることになった事件も起こったそうです。



イスラム教徒にとって礼拝に行くのは、毎日3度の食事をとるのと同じくらい一連の日常の動作なのにそれが許されず、その真横の広場でユダヤ人極右はガンガン集会を開いてる。




怒って当然ではないですか?




もちろん、ユダヤ人極右の立ち入りを阻止しようとしてユダヤ人極右活動家を襲撃したパレスチナ人の行動を私は支持できません。


しかし、封鎖を解かない限り、これに対する抗議がパレスチナ全域に広がっていくのは、ある意味当然の帰結だと思うのです。








2次インティファーダ(アル・アクサー・インティファーダ)の引き金となった場所





しかもいま立入禁止にされている「アル・アクサー・モスク」は、第2次インティファーダ(民衆蜂起)の引き金となった、まさに因縁の場所です。


メッカのカアバ神殿ができるまで、イスラム教にとっては1番神聖な場とされてきた、異教徒は立ち入ることの出来ない場所。



20009月、このアル・アクサ―・モスクに、当時の首相候補だったシャロン(強硬派リクードの党首)が1,000人の武装したSPを引き連れて乗り込んだことに抗議して、パレスチナ人の大規模な抵抗「第2次インティファーダ」別名アル・アクサー・インティファーダが始まりました。



宗教上も政治上も細心の注意を払うべき場で、あえて「土足で踏みにじるような」挑発的な行動をとることで対立を爆発させ、それを利用する形で首相となったシャロンは、9・11後「テロとの戦い」を前面に掲げてガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻を強行しました。




第2次インティファーダの図(アルアクサ騒乱のニュース写真・2001AP通信)

出典:平山健太郎さん著「ドキュメント 聖地エルサレム」(NHK出版・2004年発行)より


アル・アクサー・モスクへ通じる道を封鎖する武装したイスラエル軍兵士に抗議して、履いていた靴を脱いで投げつけ抗議するパレスチナ人たち


靴なんかじゃ到底かなわないのはわかっていても、整備された石畳では投げつける石も手近になくて、とにかく止むにやまれぬ思いだったのでしょう。



自分たちが大切にしてきたものを、目の前で何度も何度も一方的に踏みにじられても、「それでも黙ってろ」と世界は言えるのでしょうか?








何が必要か?





私がパレスチナ・イスラエル現地を訪れたのは2002年6月。


ちょうどその「第2次インティファーダ」の真っ最中でしたが、

エルサレム旧市街の現地では、それぞれの宗教の人たちが普通に行きかい生活していました。


アルアクサ―モスクへ礼拝に向かうイスラム教徒の人たち、一目でそれと分かるキッパ帽や黒づくめの装束のユダヤ教徒の人たち、イエスが十字架を背負って歩いた道を辿るキリスト教徒の人たち、誰ひとりとして争っている人は見かけませんでした。





だから、とにかくイスラエル当局はハラム・アッシャリフの封鎖を解いて、従来通り各宗教を平等に扱うべきだと思います。



そしてイスラエルは、未成年を含む非武装員への実弾射撃や、裁判なしの「即決処刑」など、あらゆる人道上の犯罪を、停止すべきです。



「占領している側の政府は、占領下の住民を保護する責任を負う」ことは、国際法でも定められています。

占領しているからと言って、何をしてもいい訳ではないのです。





イスラエルとの関係が冷却しているアメリカが介入しようとしない現在、

「パレスチナの抗議や抵抗を武力で抑えようとしても、イスラエルが国際的に孤立するだけで何も解決しない」というメッセージを、国際社会が協働して強く伝えていく必要があるのではないでしょうか。









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【当ブログ内関連記事】


2014年11月2日記事 【時事】エルサレムでの「聖地封鎖」は共存を脅かす 

http://syuklm.exblog.jp/23673518/

2014年11月5日記事 【時事】続・エルサレムでの「聖地封鎖」/占領しているのは誰なのか? 

http://syuklm.exblog.jp/23688371/

2014810日 「『宗教対立』というウソ。」

http://syuklm.exblog.jp/23129639/




※文章整理し加筆修正させていただきました(2015.10.13,14)


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by shuklm | 2015-10-12 16:40 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(5)

【時事】国連総会:国旗掲揚で存在を示したパレスチナ、際立ったイスラエルの孤立。そして第3次インティファーダの報が…。




「爆弾スピーチ」は封印。しかしモトは取った?





「国連総会で、パレスチナ代表が

オスロ合意放棄を宣言する可能性アリ」

という情報を、以前当ブログでも

紹介させていただきました。




実際パレスチナでは、

「和平交渉なんてもう無駄だ。

イスラエルの占領も入植も

全然止まらないじゃないか。

オスロ合意なんて知るか!」という

声が大きくなっているのですが、

930日のアッバス議長の国連総会演説は、

それをそのままぶつけるものではなかったようです。




現在衝突が悪化しているエルサレム情勢や

イスラエルの入植等を非難しつつも、

オスロ合意の交渉テーブル自体を

叩き壊して最終決別する、とまでは

踏み込まなかった。





パレスチナ内では「爆弾発言どころか

打ち上げ花火にもならなかった」と

揶揄されているようですが、

和平を仲介してきた欧米諸国は

胸をなでおろしたようです。





私も、ホッとしました。


問題山積のオスロ合意ですが、

交渉ドアが無いよりは絶対いい。






印象的だったのは、パレスチナ国旗が

掲揚された際のアッバス議長の高揚でした。


10/01付 FNNニュースより

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00304550.html





総会演説後、パレスチナ国旗掲揚の

セレモニーが行われ、加盟各国の旗と並んで、

オブザーバー国家としてのパレスチナ国旗が

国連本部前に初めて掲げられました。



日本を含め各国の外交官ら数100人が参列し、

パン・ギムン国連事務総長が祝辞。





かつて掲げることすら禁じられたパレスチナ国旗が

国際社会の場でひるがえり、アッバス議長も

「歴史的な瞬間だ」と感極まっていたようです。




悲願の「加盟国家承認」へ前進し、

得るものはあったということろでしょうか。






しかし、状況は全く楽観できません。







対照的だったイスラエルの孤立。危惧される暴発。





国連総会の場で気にかかったのは、

イスラエルのネタニヤフ首相の孤絶です。



パレスチナの国旗掲揚や演説が

拍手や喝采に包まれたのに対して、

イスラエルの演説は完全アウェーな雰囲気。




アッバス議長の翌日に登壇した

ネタニヤフ首相は、43分間の演説の間に

2度も中断して各国代表を睨みつけ、

国連と総会そのものに対して

「不当なイスラエルバッシングに走っている」と非難。



そしてそれ以上に、イラン核交渉の

6か国協議合意への敵意を露わにし、

「イランの核クラブへの乱入を許さない」と、

6か国合意を成立させたアメリカなどを激しく攻撃しました。






「パレスチナ国家を承認しない」

「イラン核開発絶対阻止」を公約にしてきた

ネタニヤフ首相としては、完全に

メンツを潰された形になっています。



イスラエル国内では、与党党首とはいえ

薄氷の連立政権のため、

右からは「パレスチナに対して弱腰だ」と非難され、

左からは「和平を破壊している」と

常に批判にさらされています。




国内でも国際社会でも孤立する中、

軍事的手段で一気に挽回しようと

「追い詰められた者の暴発」に

なってしまうのではないか…。

それを本当に危惧しています。






急激に悪化する現地情勢。「第3次インティファーダ」の報道も。



パレスチナ・イスラエル現地では、

エルサレムでの流血をきっかけに、

ヨルダン川西岸地区全域へ衝突が拡大。


イスラエル治安部隊には実弾射撃が許可され、

未成年を含むパレスチナ人が銃撃を受けて

毎週数10人単位の死傷者が出ています。

それに対する報復事件も続き、

104日には「第3次インティファーダ」

という見出しで報じられる事態になっています。





今回の衝突の直接の原因は何だったのか?

なぜこんなことになっているのか?




このことは、別記事で詳しく書きたいと思います。




とにかく、私などの危惧が当たらないことを願います。






※今回もニュースソースにさせていただいたのが、「パレスチナ最新情報」。

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2015627UP記事   【時事】迫る最終期限・イラン核協議。次の「導火線」となってしまうのか?↓

http://syuklm.exblog.jp/24632262/

2015630UP記事  イスラエル 薄氷の連立政権、組閣の舞台裏。↓

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by shuklm | 2015-10-11 15:33 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。 その1・その2 の続きです。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

http://syuklm.exblog.jp/24946446/





「オスロ和平合意」へ向かうまでの両者の歴史を、

大掴みで見て行きます。






パレスチナの抵抗の歴史





1967年の第3次中東戦争で、

イスラエルと戦った周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)

6日間で敗走させられ、

完勝したイスラエルがパレスチナ全土を占領。


故郷を追われた70万人のパレスチナ難民が

「祖国」を取り戻す展望は見えなくなりました。





許可なくヨルダン川を渡ってパレスチナに帰ろうとした難民は、

すべて射殺されました。


非武装地帯では、ブルドーザーで村々が破壊され

埋め立てられていきました。


占領地では、水を汲んだだけで逮捕され、

果樹を摘んだだけで銃撃される日常が続いていました。





「自分たちパレスチナ人は、

追い散らされ、世界から見捨てられたまま、

ただ黙って殺されるのを

待つことしかできないのか?」





そういうパレスチナ人の声に対して、

「もはや誰もあてにできない。

自らが闘うしかないんだ」と

武力闘争でイスラエルに対抗したのが、PLOでした。




1968年、ゲリラ戦でイスラエル軍に勝利し

一矢報いたPLOのアラファト氏は、

当時は間違いなくパレスチナのみならず

アラブ世界のヒーローだったのです。




パレスチナゲリラによるミュンヘンオリンピックでの「テロ」や

数々のハイジャック事件によって、

その是非はともかく、

「忘却され殺されるだけだったパレスチナ」へ、

世界の耳目を集めさせることには成功しました。







そして、1973年の第四次中東戦争で、

エジプト・シリア連合軍の奇襲にイスラエルが敗北。



建国以来初めて大敗北と悲惨な潰走を経験したイスラエルでは、

「軍事力で安全保障を得るのというのは

間違っているのではないか?」という

疑問と厭戦気分が広がっていきます。





しかし、イスラエルを決定的に和平へ動かしたのは、

それだけではありませんでした。


最も大きなインパクトを与えたのは、

普通の人達の丸腰の抵抗でした。






戦車やミサイルや戦闘機、核兵器まで保持する

イスラエル正規軍に対して、

なんの武器も持たないパレスチナの人達が

やむにやまれず路傍の石を取り、

礫として投げて抗議の意思を示したのが、

「第1次インティファーダ(民衆の抵抗運動)」。





1987年、占領地のストリートから

自然発生的に湧き起ったこの非暴力の抵抗が、

その後の両者の歴史をクロスさせていくことになります。








■加害者としての姿をイスラエルに突きつけた、「石つぶての抵抗」





イスラエル軍の戦車に向かって、石を投げて抵抗する少年。

小学校の壁に子供たちが描いたインティファーダの絵。

20026月、ヨルダン川西岸地区・トゥルカレムのアッサラーム小学校にて、筆者撮影。

b0343370_18181641.jpg



1980年代、戦車に投石で抵抗する人々の姿を報道で見た時、

イスラエルの人達は言葉にならないほどの衝撃を受けたそうです。



それは、聖書に登場する「ダビデとゴリアテ」

そのままの図でした。




▼「ダビデと対峙するゴリアテ」 Wikipediaより拝借

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%86

b0343370_20384455.jpg



古代イスラエル王国に攻めてきたペリシテ人の最強戦士・

巨人ゴリアテに対して、ユダヤ人の勇敢な若者ダビデが、

投石器だけを手にたったひとりで立ち向かって

脳天直撃の一発で倒してイスラエルを救った、

という旧約聖書の有名なワンシーン。



「ジャイアント・キリング」という語の

由来となっているこのエピソードは、

圧倒的強者に対して弱者が立ち向かうという構図です。




いままで世界で迫害されてきた「被害者」であるユダヤ人は、

圧倒的な敵の攻撃から「弱者である自分たち」を

守らなくてはならないと思ってきたわけです。


それが、完全に真逆になっていた。




「自分たちはずっとダビデ(弱者)の側と思ってたら、

実はゴリアテ(強者)だったんじゃないのか?!」


ある意味、加害者である自分たちの姿を、

初めて鏡に映して見たのではないかと思います。





「自分たちは、こんなことを続けていっていいのか?」



イスラエルの普通の人達の感情がそういう方向に動いたことが、

和平への機運を大きく後押しし、

それが「オスロ合意」への伏流となっていきます。







冷戦終結後、

1991年南アフリカのアパルトヘイト廃止が宣言されるなど、

世界各地の紛争が終結していく流れの中、

1993年にパレスチナとイスラエルの間で

「オスロ合意」が成立。



パレスチナ代表のヤセル・アラファトPLO議長と、

イスラエルのイツハク・ラビン首相が

ビル・クリントン米大統領の前で握手を交わし、

武力衝突を停止し互いの存在を承認する

「2国間共存」が示されました。








折り合うことは不可能なのか?





ようやく長い紛争が終結するかと思われたのですが、

和平交渉はその後迷走します。



交渉を決定的にぶち壊したのが、

20024月、

イスラエル・シャロン首相による

ガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻でした。




パレスチナ人の再びの抵抗が始まります。


これが、「第2次インティファーダ」。





そして、「和平派」PLO

イスラエル軍の侵攻や占領を

止められないことへの不満と怒りが、

新たな「武闘派」ハマスへの支持急増と

「自爆攻撃」という反撃を生み出しました。





和平への道は閉ざされたかに見えました。







その直後の20026月。


なんとか「暴力の応酬」を止める

方途がないのかを知りたくて

市民ツアーで現地を訪れた私は、

そんな中でも、衝突ではない方向を向いている声を聴きました。





パレスチナの人たちは、

「イスラエルを地上から無くせ」と

言っているわけではないのです。






私が現地で直接話を聞いた

ジェニン難民キャンプの住民は、

イスラエル軍の攻撃によって

殺された人たちの遺体が

埋まったままの瓦礫の前で、

語っていました。





「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません」、と。





「自分たちが暮らしていく権利を勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、問題はなくなります」と。






パレスチナの少なからぬ人たちが言っているのは、


「1948年(イスラエル建国)の以前に戻せと言ってるのではない。


国連決議が決めたイスラエルの領地の境界線までは譲歩する。


だけど、自分たちが住む土地と、生きていく権利まで譲ることはできない。


境界線からはみ出して占領し続けているのはやめるべきだ。


国際的にも認められていない軍事占領は終わりにすべきだ」、ということなのです。






「過激派」ハマスですら、現在は

「イスラエル殲滅」を主張していません。






ここまで来てしまったら、

もう時間を戻すことは出来ないのだから、

「ユダヤ人は残らず出て行け」なんて言わない。



ただ、どうやってこれ以上の犠牲を出さずに生きていけるのか、

どうやってお互いの生存を保障していくのか、

ということが具体的な問題なのです。






じゃあ、なぜ、その先の「和平」になかなか着地できないのか?


「オスロ合意」は、なぜ実現できずにここまで来てしまったのか?





和平を難しくしている要因を、ひとつひとつ

「因数分解」して見ていきたいと思います。








【参考】


高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」講談社現代新書・1992年第1刷

高橋和夫さん著「なるほどそうだっだのか!! パレスチナとイスラエル」幻冬舎・2010年第1刷

広河隆一さん著「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で フォト・ジャーナリストが見た三十年」草思社・1998年第1刷





【当ブログ内関連記事】


2014810日記事「宗教対立」というウソ

http://syuklm.exblog.jp/23129639/


20141012UP記事   ジェニン3・住民の証言

http://syuklm.exblog.jp/23547863/


20141231UP記事 「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。

http://syuklm.exblog.jp/23948324/


パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?その1・その2▼

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

http://syuklm.exblog.jp/24746703/

和平関係の記事はコチラのカテゴリにまとめました▼

エルサレム・和平・国際監視



※参考図書を加筆しました(2015.10.13)



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by shuklm | 2015-10-09 21:00 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その2・「二度と故郷を失いたくない」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

の続きです。






パレスチナから見た歴史と「物語」





パレスチナの側から見た時、

「イスラエル建国」とは、

「故郷の喪失」の始まりでした。





それまでパレスチナの地では、

時代ごとに支配者は変わりつつも、

数千年にわたってユダヤ教徒も

イスラム教徒もキリスト教徒も、

お互いを排除するよりも共存して暮らしてきました。



私がパレスチナ現地を訪問した時に

案内してくれたパレスチナ人男性は、

欧州での数百年にわたる

ユダヤ人迫害の歴史も承知していたし、


「ユダヤ教徒やキリスト教徒

(アルメニア系)の人たちが

ヨーロッパで迫害されて逃げてきた時も、

僕たちはずっと受け入れて

一緒に暮らして来たんだよ」

と語っていました。








しかし第二次世界大戦後の1947年、

パレスチナの承知しないところで、

国際社会と国連は、

「パレスチナの半分を

イスラエルとして認める」という

分割案を決議しました。




この案に対して、周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)は

イスラエル承認を拒み、1948年、

イスラエル対アラブ連合の間で

1次中東戦争が勃発します。





イスラエルがこの「独立戦争」に勝利し、

停戦が成立した時には、

国連決議案をはるかに上回る領土を支配していました。



そして、残りの土地は

エジプトとヨルダンが押さえていました。





この時、パレスチナ人の国は、

地上のどこにも存在しなくなっていました。








この戦争の時、ユダヤ人軍事組織による

「ディール・ヤシーン村の虐殺」をはじめとする、

累計数千人単位の虐殺が起こり、

身の危険を感じて故郷から脱出し

国内外へ避難した70万人以上の

パレスチナ人が難民となりました。





無人となった400もの村は、

破壊されたり、地名変更されたり、

あるいはユダヤ人が移り住んだりすることで、

現在、地図上から跡形もなく消失させられています。





さらに1967年の第3次中東戦争で

圧勝したイスラエルは、

パレスチナ全土を占領しました。





こうしたイスラエルの占領は

さすがに国連も容認できず、

1次中東戦争後の国連総会では

「故郷に帰還を希望するパレスチナ難民には帰還を許し、

望まない難民には損失補償を行う」と決議。



また第3次中東戦争後には、

「ヨルダン川西岸地区とガザ地区からの

イスラエルの撤退」を決議しています。





しかし、そのいずれも、イスラエルは拒否。


軍事占領が現在に至るまで続いています。








「2度と故郷を失うことはしたくない」





20026月にガザ地区を訪問した友人が、

パレスチナの精神的な支柱のひとりである

農民詩人のサイード・ダウールさんの話を

聞く機会がありました。



その時彼は、



「私たちは、1948年に一度

自分たちの土地を去ったが、

もう二度と出ていかない。


家を壊されたら、

その瓦礫の上にテントを張って生活し、

殺されたらここに墓を建てる」

と語っていたそうです。






同じような言葉を、

私もヨルダン川西岸地区の

難民キャンプの人たちからも聴きました。







そこまでパレスチナ人が

土地にこだわるのには、

もうひとつ理由があるようです。





帰国後に知ったのですが、

イスラエルが建国される以前、

ユダヤ人による国家建設運動

(シオニズム)が盛んになった時、

自ら土地を売ったパレスチナ人が

少なからず存在したのだそうです。






以下、髙橋和夫さん「アラブとイスラエル」からの引用です。



***********



”ここで、指摘しておきたいのは、

ユダヤ人のパレスチナ人の流入が

土地の買収を通じておこなわれたことだ。”



”シオニスト組織は、世界のユダヤ人からの寄付を募り、

その資金をパレスチナでの土地の購入にあてた。


1937年までにパレスチナの5.7パーセントの土地が

シオニストの手に渡っていた。


これがシオニストが、パレスチナへは正当な手段で移住したのだと

主張する根拠の一つをなしている。





”現在のパレスチナ人が、シオニストに土地を売った

パレスチナ人を非難する理由でもある。


シオニストに土地を売り渡したパレスチナ人は

父祖伝来の土地を次の世代に引き継ぐという

責任を果たさなかったわけだ。”




”彼らの父親の世代が、そして

祖父の世代がしっかりしていれば、

こんな苦難をパレスチナ人が

味あうこともなかったのに、

という無念の感情が強い。”



***引用ココまで******





そこからユダヤ人の移住が進み、

そして戦争が始まった時に

故郷を離れて避難した人たちは、

帰ることが出来ないままでいる。




だからいまのパレスチナ人たちは、

「もう二度と故郷を失うことはしない。

絶対に前の世代のようにはならない」と

決めているのです。




少なくとも、父祖の地を

自ら去ることだけは絶対にしない、と。




何度ブルドーザーでオリーブの樹々や

畑の作物ををなぎ倒されても、

何度戦車が来て家を破壊されて

家族を殺されても、

そこで生活し続けることが

インティファーダ(民衆の抵抗)だ、と。






それが彼らの心の支えとなっているのです。







パレスチナ・イスラエル双方が、

「前の世代のような弱い自分たちであってはならない」

ということを教訓にしている。



それぞれが共有するアイデンティティーと物語があり、

知れば知るほど簡単なことは言えないとも感じます。






しかし、私は現地を訪れて、

衝突ではない方向を向いている声も聴きました。




それを手掛かりに、

一度は和平へ向かった両者の歴史を

もう少し見て行きたいと思います。




続きはコチラ

「パレスチナ問題」手がかりを探す・その3「インティファーダの衝撃」▼

http://syuklm.exblog.jp/24978557/




【当ブログ内関連記事】


2015726UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?

http://syuklm.exblog.jp/24726992/


201581UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何? その2

http://syuklm.exblog.jp/24746703/


2015725UP記事  【日常スケッチ】どこまでも続く田園風景。パレスチナの人たちが、今も「イスラエルって呼びたくない」理由。▼

http://syuklm.exblog.jp/24736236/


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by shuklm | 2015-09-29 21:20 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す。その1・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。




当ブログ記事「パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何?」にて

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

大掴みで把握を試みた話を、前へ進めたいと思います。




どうすれば少しでも解決の方へ向かえるのか?



現地の人たちの言葉などを手掛かりに、

自分なりに考えてみます。







パレスチナ・イスラエル現地を訪れたのは

もう10年以上前ですが、帰ってからも

ずっと気になっていたことがあります。




私が出会ったイスラエル人は皆

穏やかな人物ばかりだったのに、

なぜイスラエルという「国」としての振る舞いは

こんなに酷いことになってしまうのか?



イスラエルの人達は、いったい

どういう心理状態でいるのか?






パレスチナの人たちも、

わざわざ暴力を望んでなどいなかった。



どうすれば折り合うことが出来るのか?







まずイスラエルの側から見てみます。






「2度とホロコーストを繰り返さないために」






イスラエル建国以来の国防観の根底にある考え方は、

「自らの運命を他人に委ねない」ということだそうです。




*********



”イスラエルの若い世代には、

おとなしく羊のようにガス室へと引かれていった

ユダヤ人に対する反発がある。



『なぜ抵抗しなかったのだ?』との批判である。


『なぜもっと抵抗しなかったのか?』という問いかけである。




たとえ結果は同じでも、抵抗すれば

ナチスは六百万発の弾丸を消費せねばならなかったはずだ ”


*******


(高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」より)

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つまり、ユダヤ人がホロコーストから得た最大の教訓とは、


「いいようにやられないためには、

自分たちが強くなるしかない」


ということだったわけです。






ホロコーストで600万人を殺され

「安住の地」の実現を求めたユダヤ人に対して、

欧米や国連が用意した先が、パレスチナ。



でも行ってみたら、そこは全然

「安住の地」じゃなかった。






1948年イスラエル建国後も、

周辺のアラブ諸国(エジプト・シリア・ヨルダン等)

との中東戦争は25年間4回に渡って

断続的に続き、

「周りじゅう敵だらけ。

一回でも敗北したら、地球上から

消滅させられてしまう」

という状況は続きます。






そして、最大の後ろ盾であるはずのアメリカも、

いつも味方とは限らない。




現に、アメリカの援護が得られなかった

4次中東戦争では、

イスラエルは建国以来初の大敗北を喫し、

アメリカの緊急支援を引き出すために

核兵器使用まで示唆したほどでした。






「アメリカもアテにならない。

最後は誰も助けてくれない。


世界中を敵に回しても、

自分の身は自分で守るしかない」と

イスラエルが考えたとしても

無理からぬことでしょう。




良し悪しは別として、

「最後はアメリカに助けてもらえばいい」と

自分のケツを拭けない日本より、

よっぽど腹が固まっていると言えます。





しかし、腹を固めて

「現実に取りうるあらゆる手段を

つぎ込んで国防をやる」という

路線を突き詰めていくと、

「最大の軍事力であり抑止力である

核兵器を保持することは絶対に譲れない」、

という結論に必然的に行きつくことになります。



当然、周辺国が核開発することも

認められないわけです。






でも、イスラエルをそうやって

そこまで追い込んでいるのは、誰なのか?





「周辺国や『過激派』から自衛しないと、

自分たちは生存できない」と

思い込こんでいるのは、

イスラエル人が全部悪いのか?




じゃあ、そもそもその原因を作った

欧米とかはどうなのか?







イスラエルを追い込んでいるのは誰なのか?





ホロコースト以前から、

欧米で何百年も続いてきたユダヤ人迫害。




その迫害から逃れる方策について

ユダヤ人社会内でも論争があって、


実は最初は、「今住んでいる社会で

受け入れられる努力をして順化して、

より多くの権利を勝ち取ろう」という

意見の方が大勢だったらしいのです。




それがなぜ、

「ユダヤ人だけで単独の国を創る

=シオニズム」 になったのか?





直接のきっかけとなったのは、

第一次世界大戦前、

1894年の「ドレフュース事件」。




フランス軍参謀本部に勤務する

ユダヤ人将校ドレフュースが

無実の罪で終身刑にされた冤罪事件。



ユダヤ人の受け入れ・同化が

最も進んでいるはずのフランスが

国家ぐるみで証拠隠滅を図って

ユダヤ人を犯人扱いしたこの事件は、

ユダヤ人社会に大きな衝撃を与えました。





「ほらみろ、どんなに受け入れられるように

努力したって、結局ムダだったじゃないか」


「ユダヤ人だけの国を創って

皆そこへ行くしかないんだ」という

シオニズムが始まります。






拒否され続けてきた歴史が、

ユダヤ人を国家建設に向かわせた。




「どこでもいいから、迫害の心配なく

生活できるところが欲しい」

という希望が先だったんです。



国家の建設先=「パレスチナ

という『約束の地』」は、

後から決まった。



ホロコーストは、その後の

決定打だったに過ぎない。






ユダヤ人を欧米が受け入れていたなら、

ユダヤ人がこんなに「イスラエル」という国に

固執しなくても済んだのです。




 

わかりやすい「悪役」を

イスラエルに押し付けといて、

あんまりじゃないのか?



だから、イスラエルだけを批判するのは

フェアじゃないよなあ、と思うんです。






もちろんどんな理由があろうとも、

これまでイスラエル軍のやってきた

ガザ攻撃も占領も、私は全く一切

正当化できないと思います。




それでも、

ただイスラエルを非難するだけでは

彼らを硬化させるだけで、

解決にはつながらないのではないか。



彼らがそう思わざるを得ない状況を踏まえた上で、

その上で何が言えるのか、だと思うのです。







次は、もう一方の「当事者にされてしまった」

パレスチナの側から見た歴史を

見ていきたいと思います。





続きはコチラ▼

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その2「二度と故郷を失いたくない」▼

http://syuklm.exblog.jp/24946446/

その3「インティファーダの衝撃」▼

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【当ブログ内関連記事】

2015726UP記事パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?

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