オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない・パレスチナ和平を難しくしているものPart3;難民帰還という悲願




パレスチナ和平を難しくしているもの 最終回、
Part1;土地と水利権の問題
Part2;エルサレムの帰属問題 の続き です。




私がエルサレム帰属権と

難民帰還権の問題について

詳しく知ったのは、

NHKスペシャル「ドキュメント・エルサレム」

2004放映)

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パレスチナ・イスラエル双方で

和平実現へ渾身の努力を続ける人たちと、

彼らをめぐる過酷な現実に肉薄する、

人生で最も衝撃を受けた番組のうちの1つでした。



今回は、主にこの番組と書籍を手掛かりに書いてみます。




2017年現在、NHKオンデマンドでは見れないようですが、

上記 番組プロジェクトの書籍が発行されています。








■なぜパレスチナ難民が発生したのか?■






難民帰還権の話に入る前に、

基本的なところを確認しておきますと。


一番わかりやすかったのは、

高橋和夫さんのこの解説。





***高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」より

  引用ココから*******





(パレスチナ難民の発生については)

”イスラエルとアラブ側で異なった歴史が語られている。





イスラエルの歴史によれば、

1948年の第一次中東)戦争中にアラブ側が

パレスチナ人に避難を呼びかけた。


アラブの軍がシオニストを攻撃するので、

その邪魔にならないように、一時脱出するように

との指令がラジオで流されたというのである。


アラブの軍隊の勝利の後に帰還すればよいと

思ったパレスチナ人たちは、そのため故郷を

離れたというわけである。”






”一方、アラブ側の歴史によれば、

アラブ諸国はそのような呼びかけはおこなっていない。


イスラエルがパレスチナ人を追い出したというのである。


その方法の一つとして取られたのが、

ディール・ヤシーン村の虐殺であった。




この村を包囲したシオニストの軍事組織

の一つ「イルグン・ツヴァイ・レウミ」の

一部隊が、老若男女を問わず村の住民の皆殺しをおこなった。


この虐殺のニュースはパレスチナ人の

あいだに広まり、恐怖にとりつかれた

パレスチナ人の大脱出が始まった。”






”この両者の中間に位置する以下のような説もある。


ディール・ヤシーン村民の虐殺が始まると、

これに気付いた付近の村のユダヤ人が、この虐殺を止めた。


だがアラブ側のラジオが、

ディール・ヤシーン村の女性に対する

暴行が起こったと脚色を加えて放送した。


これがパレスチナ人の避難を引き起こした。”






難民となったパレスチナ人への支援は

けっして充分ではなかった。


テントが不足し、上半身のみをテントに入れ、

足を出して寝たという悲惨なありさまであった。”





”イスラエルではパレスチナ人の「放棄」した

財産の没収、地名の変更、村落の破壊など、

パレスチナ人の生活の痕跡の抹消

ための施策がつぎつぎと実行に移された。



だがイスラエルのこうした政策も、

難民キャンプで呻吟するパレスチナ人の

脳裏からパレスチナの記憶を消し去ることはなかった。




こうして、パレスチナで少数派であった

ユダヤ人が多数派に変身し、

多数派であったパレスチナ人が少数派に転落した。”



”ユダヤ人国家建設というシオニストの

夢が成就し、故郷の喪失という

パレスチナ人の悪夢が始まった。”





****引用ココまで******








■故郷へ帰ることを願い続けて70年■





どの説が正しいのか断言できる根拠を

私は持っていませんが、

少なくとも確かな事実は、

パレスチナの400以上の村が地図から消え

(広河隆一さんの調査による)、

パレスチナ難民の帰還を

イスラエル政府は認めていないということです。





1948年の「独立戦争」に勝利した

ユダヤ人が、「故郷を取り戻す」

という悲願を果たした一方で、

故郷を追われ避難したパレスチナ人は

70万人(国連統計)。


シリア内戦が激化するまで、

世界最大の難民はパレスチナ人であり

世界の難民の4人に1人がパレスチナ人でした。


参考:「パレスチナ子どものキャンペーン2015年次報告」





来年2018年で実に70年が経過、

その数はいまや1,000万人にのぼり、

帰郷を果たせないまま亡くなる1世代目、

生まれてから一度も「故郷」を

見たことのない4世代目も大勢います。





国連決議も帰還権を

認めているにもかかわらず、

帰るべき故郷がない。


なぜならイスラエルの軍事占領が続き、

そこで生活しているイスラエル人がいるから。




どちらかを立てればどちらかが立たない、

難題中の難題です。







■オスロ合意後、難民帰還権という核心に正面から向き合った2人■






NHKスペシャル

「ドキュメント・エルサレム」は、

そうした背景を含む、

パレスチナとイスラエルの

100年の歴史を縦軸に、


和平を推進しようとする

パレスチナ人サリー・ヌセイべ氏と、

イスラエル人メロン・べンベニスティ氏

2人の男性の人生を横軸に進みます。





パレスチナ人の大学教授

サリー・ヌセイべ氏は、

オスロ合意後、アラファト議長に抜擢され

和平実現に奔走した人物。


イスラエル人の歴史家

メロン・べンベニスティ氏は、

4次中東戦争後のエルサレム市の助役。




この二人の間で、エルサレムを

将来の首都として共同管理すべく、

具体的に水道や電気などのライフラインを

どう分割していくのかまで、

細かい交渉が進められていきます。




同時に、土地の問題、難民帰還権の問題が

俎上に載せられます。






しかし、

「パレスチナ人にも同等の権利を

与えるべき」と主張した

ベンベ二スティ氏は、

ユダヤ人の反発を買って辞任することに。






さらに2000年、

当時のイスラエル首相シャロンが、

エルサレムのイスラム聖域に立ち入り。


歴代イスラエル政権さえ実行しなかった

暴挙に対して、パレスチナ人の

溜まりに溜まっていた不満が爆発。


第2次インティファーダが始まると、

シャロンはこれに軍事侵攻で応え、

和平プロセスは完全に白紙となってしまいます。







パレスチナ・イスラエル双方の

世論の理解がえられず、

困難を極める状況を打開するため、

下野したヌセイベ氏は思い切った策に打って出ます。




「現実的なパレスチナ国家建設を

認めさせるために、パレスチナ難民の

帰還を諦めるべき」と公言、

タブーに踏み込んだのです。



イスラエルの新聞の1面に

全身写真と意見広告を掲載し、

イスラエル世論へも訴えかける

一大キャンペーンを展開します。




が、この行為は

パレスチナ人からは激しく非難され、

街を歩いていても「裏切り者!」と罵られます。







ヌセイベ氏は訴え続けます。



「第一次中東戦争の前まで住んでいた

土地に戻れるという夢…。


その夢はもはや実現しないということを

パレスチナの人々に勇気を持って

伝えなければなりません。


その代わりに自分たちの国家をつくれば

新しい生活が始まるのだということを

人々に示す必要があるのです」。






ベンベニスティ氏も、

右派の台頭と分離壁建設が

和平を破壊すると発信を続けます。


「失ったのは私の方ではありません。


しかし、彼らが失ったものを

理解しようとすること。

分かち合おうとすること。

苦悩を負わせたのは私たちの側なんだ

という罪の重荷を抱えること。


それは、決して偽善にはならないと考えています」








「永遠の都エルサレム」に向かって

二人の思いがクロスする場面で、

番組は終わります。

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パレスチナ人であるヌセイベ氏が、

同胞の感情を傷つけることを承知の上で

それでもなお「諦めろ」と

言わねばならないという現実が

あまりにも切なくて、

番組を観終わった後も

言葉をつぐ事が出来ませんでした。







和平は、「仲良くするか・しないか」の

問題ではない。




「誰が何を諦めるか・諦めさせるか」、

という問題なのです。









■これが和平なのか??■




◆政治的には妥当な選択だとしても…◆




難民帰還権を放棄し、

イスラエル国家を承認するかわりに、

パレスチナ国家の独立を得る。


これ以上の流血を止めさせ、

現実的和平を実現するためには、

おそらく政治的選択肢としては

一番現実的なオプションでしょう。



それは私も理解できます。





しかし、中東戦争で

イスラエルに故郷を追われた時に

かつて住んでいた家の鍵を

ずっと大切に代々の家宝にしながら、

「いつか、あの我が家に帰るんだ」

ということだけを心の支えにして

これまで生きてきたパレスチナ難民が、

いったいどれほどいることか。



その夢を諦めろ、と

私はパレスチナの人達には言えません。



とても言えない。



どれほどの想いを

葬り去らせることになるのか。


その和平はあまりにも公正ではない。






◆ディール・ヤシーン村は、いま◆




2002年、シャロンの軍事侵攻が続く中、

パレスチナ難民発生のきっかけの

1つとなった、ディール・ヤシーン村を

偶然通りがかりました。




そこには生活の痕跡は跡形もなく、

代わりに「ヤド・ヴァシェム」

(ホロコースト犠牲者の記念碑)が建ち、

「ここはユダヤ人のものだ!」という

横断幕が掲げられていました。




それを見やりがら、

パレスチナ人の友人は言いました。



「この世に正義なんてないよ」、と。




そうではない、と言い切れる人がいるでしょうか?






ユダヤ人は、千年来の故郷に帰還を果たした。

では、なぜパレスチナ人は故郷に還れないのか。



この問いに答えられる人がいるでしょうか?








■パレスチナ・イスラエルが諦められない理由■






「いつか自分たちの国に帰るんだ」、

それだけを心の支えに生きていく。

それはかつてのユダヤ人の姿と同じです。


いま、そのユダヤ人によって

パレスチナ人が離散させられているという事実。






そもそも何故イスラエルが建国され、

パレスチナ人が追い出され

なくてはならなかったのか?



ユダヤ人が何百年も迫害され、

ナチスに虐殺され、

「このままでは自分たちの居場所がない」

と思い詰めたから、

「安住の地」イスラエルが必要だった。




今も、「イスラエルを失ったら

自分達は世界中のどこにも行き場がない」

と思い詰めているから、絶対に譲れない。




現に、2014年のイスラエル軍による

ガザ攻撃時、ヨーロッパでユダヤ人への

排斥が悪化し、身の危険を感じて

イスラエルへ移住するユダヤ人が

急増したという事実もあります。


参考:2014年8月6日付 神奈川新聞記事





もし世界中のどこででも

生きていけると思えるなら、

こんなにもユダヤ人が

イスラエルという国家形態に

固執することはないはずです。





ユダヤ人がユダヤ人として

当たり前に暮らしていくことが

出来ない世界。


それが変わらない限り、

不安を抱えるユダヤの人たちの

固執がやむことはないでしょう。






これは世界中にかえってくる問題です。







パレスチナ難民が帰還権を捨てられないのは、

それ以外の希望や夢を叶える機会を

ずっと奪われてきたからです。



あまりにも理不尽で不公正が

まかりとおってきたから

それに未来を託すしかない。



パレスチナへの不公正がやまない限り、

彼らから望郷の念を消すことは

出来ないでしょう。







これは私たちの生きている世界の問題です。








だからこそ、そうであればこそ、

私たちの生きている世界を変えることで、

変えられる事があるはずなのです。







何かを成しましょう。


私たちの世界を取り戻すために。


その可能性を広げていくために。









※文章一部加筆しました(2017・12・19)


この文章は、10年書きたくても書けずお蔵入りしていたものでした。

読んでくださる皆様のお陰で形にすることが出来ました。

今回シェアしてくださった方々に特に御礼申し上げたいです。

何がしかのお役に立てれば本望です。




【当ブログ内関連記事】


▼ディール・ヤシーン村をめぐるやりとり

「この世に正義なんてないよ」。パレスチナ人の本音に、言葉を失う。  


▼和平について

和平は、「仲良くする/しない」の問題じゃない。パレスチナ和平を難しくしているもの・Part1;土地と水利権の問題

私が見たエルサレム・今も変わらぬ願い。和平を難しくしているものPart2:エルサレム帰属問題


▼ざっくりパレスチナ問題、オスロ合意まで

「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?

「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1

「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2

「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」


【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視



【参考図書など】


平山健太郎さん&NHKエルサレムプロジェクト

「ドキュメント 聖地エルサレム」

2004年 NHK出版


高橋和夫さん著

「なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル」

2010年 幻冬舎

「アラブとイスラエル」

1992年 講談社現代新書


広河隆一さん著

「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で」

1998年 草思社


イツハク・ラビン著 

「ラビン回想録」

1996年 ミルトス

竹田純子さん訳・早良哲夫さん監修




byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2017-12-18 22:03 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)