パレスチナで何が起こってきたのか?私が現地で見たもの【最新現地動画byVFP 有り!】
◆私が見たパレスチナ◆
小学校が戦闘機で攻撃される▼
救急車が検問所で停車させられる▼
民家が住んでる人ごと轢き潰される▼
(もちろんすべて国際人道法違反です)
私自身も、イスラエル軍の
戦車の砲撃音が迫り来るのを聴き、
真夜中、照明弾を目にし、
戦車部隊に包囲されて
一晩を過ごしました。
もう10年以上も前の2002年、
市民交流ツアーに参加した時のことですが。
オスロ合意を成立させたイスラエルの
ラビン首相が暗殺された後、
シャロン首相がパレスチナ自治区に
突然軍事侵攻し、ついに
第2次インティファーダ(民衆蜂起)が
始まった頃。
それでもその中で出会った人達は、
朝が来ればご飯を食べ、
決まった時間に礼拝し、
学校や職場へ行き、
家族や友人たちと談笑しながら
サッカーワールドカップに熱中する
ごく普通の生活を送っていました。
▼破壊された小学校の校門から
そーーっと覗いていた恥ずかしがり屋のこどもたち。
アラファトPLO議長の元で
ゲリラ戦を闘った
歴戦の老指揮官は語っていました。
「オスロ合意後、
イスラエルとは隣人でした」と。▼
イスラエル軍戦車や軍用ヘリや
ブルドーザー等で破壊された
ジェニン難民キャンプの瓦礫の前で、
キャンプの責任者の方は言いました。
「ユダヤ人を憎んでいるわけでは
ありません」、と。
誰も紛争など望んでいなかったのです。
◆「過激派」が支持された理由◆
確かに「過激派」ハマスなどの
「自爆」攻撃もありました。
ハマスが支持されたのは、
和平合意を反故にして
軍事侵攻してきたイスラエルに対して、
和平合意を捨てないPLOファタハ
(パレスチナ暫定自治政府)が
無策に映ったからでした。
「ただ殺されるのを待っているより
一矢報いたい」と、「自殺攻撃」に
志願した若者も多かった。
さらに、かつての英雄アラファトや
暫定自治政府の腐敗に比べて、
社会保障などに注力するハマスは
具体的でまともな勢力だったのです。
しかし、すべてのパレスチナ人が
「自爆」=自殺攻撃を支持している
わけではありませんでした。
「暴力によらない手段で
パレスチナの未来を創りたい」と
活動する個人や団体とも交流しました。
いまも、非暴力の抵抗は続いています。
◆最新現地動画、撮って出し! byVFP◆
今年2月、平和を求めるアメリカの元軍人たち
ベテランズ・フォー・ピース(VFP)が、
パレスチナ自治区のガザ地区と
ヨルダン川西岸地区を訪れ、
軍事占領への非暴力抵抗行動に参加しました。
その動画が公開されています▼
▼以下の写真は全て上記動画より
VF Pメンバーの快諾を得て掲載
軍事占領下、「テロを防ぐ」という名目で
建設された巨大な「分離壁」で
ズタズタに分断されてしまった
パレスチナの大地▼
銃声がこだまし、催涙弾が飛来する
緊迫した状況での非暴力直接行動▼
動画にも登場するVFPメンバーの
マイク・ヘインズさんも、
「いままでのVFPの活動の中でも
最も危険を伴う行動だった」と
語っていました。
米軍最強の特殊部隊の出身者ですら
そう実感するような現場。
それでも、
そこに暮らし続けている人たちがいる、
諦めない人たちが人たちがいるのだと、
伝え続けたいのです。
私がパレスチナを離れる時、
滞在中にお世話になった
エルサレム旧市街前の
宿のオーナーが
別れ際に贈ってくれたのは、
「いつの日か、平和になった
パレスチナで会おう」という
言葉だったからです。
▼よろしければ、パレスチナ現地レポは
こちらからご覧下さい
【関連カテゴリー】
なお、このブログは、
「こんなに酷いイスラエル」というのを
確認して糾弾して終わり、というのが
本意ではありません。
パレスチナ問題ってなんなのか?
どこに解決の手掛かりがあるのか?
日本の私達が出来ることは何なのか?
について、及ばずながらも考え続け、
少しでも可能性を広げたいのです。
よろしければこちらも併せて
ご覧いただけると有難いです▼
「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1
「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」
【関連カテゴリー】
↓よろしかったらポチポチっと押していただけますと励みになります↓
にほんブログ村