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オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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パレスチナで何が起こってきたのか?私が現地で見たもの【最新現地動画byVFP 有り!】



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▲2002年6月。F16戦闘機で破壊された小学校の校庭に散らばる教科書
          






◆私が見たパレスチナ◆







小学校が戦闘機で攻撃される▼

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救急車が検問所で停車させられる▼

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民家が住んでる人ごと轢き潰される▼

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(もちろんすべて国際人道法違反です)






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私自身も、イスラエル軍の

戦車の砲撃音が迫り来るのを聴き、

真夜中、照明弾を目にし、

戦車部隊に包囲されて

一晩を過ごしました。






もう10年以上も前の2002年、

市民交流ツアーに参加した時のことですが。







オスロ合意を成立させたイスラエルの

ラビン首相が暗殺された後、

シャロン首相がパレスチナ自治区に

突然軍事侵攻し、ついに

第2次インティファーダ(民衆蜂起)が

始まった頃。








それでもその中で出会った人達は、

朝が来ればご飯を食べ、

決まった時間に礼拝し、

学校や職場へ行き、

家族や友人たちと談笑しながら

サッカーワールドカップに熱中する

ごく普通の生活を送っていました。





▼破壊された小学校の校門から

そーーっと覗いていた恥ずかしがり屋のこどもたち。

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▼ジェニン難民キャンプ、瓦礫の前で。

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▼ヨルダン川西岸地区トゥルカレムの街中で。
障害があっても人懐っこい笑顔の少女。
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アラファトPLO議長の元で

ゲリラ戦を闘った

歴戦の老指揮官は語っていました。


「オスロ合意後、

イスラエルとは隣人でした」と。▼

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イスラエル軍戦車や軍用ヘリや

ブルドーザー等で破壊された

ジェニン難民キャンプの瓦礫の前で、

キャンプの責任者の方は言いました。


「ユダヤ人を憎んでいるわけでは

ありません」、と。

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誰も紛争など望んでいなかったのです。










◆「過激派」が支持された理由◆






確かに「過激派」ハマスなどの

「自爆」攻撃もありました。




ハマスが支持されたのは、

和平合意を反故にして

軍事侵攻してきたイスラエルに対して、

和平合意を捨てないPLOファタハ

(パレスチナ暫定自治政府)が

無策に映ったからでした。



「ただ殺されるのを待っているより

一矢報いたい」と、「自殺攻撃」に

志願した若者も多かった。



さらに、かつての英雄アラファトや

暫定自治政府の腐敗に比べて、

社会保障などに注力するハマスは

具体的でまともな勢力だったのです。





しかし、すべてのパレスチナ人が

「自爆」=自殺攻撃を支持している

わけではありませんでした。


「暴力によらない手段で

パレスチナの未来を創りたい」と

活動する個人や団体とも交流しました。





いまも、非暴力の抵抗は続いています。










◆最新現地動画、撮って出し! byVFP






今年2月、平和を求めるアメリカの元軍人たち

ベテランズ・フォー・ピース(VFP)が、

パレスチナ自治区のガザ地区と

ヨルダン川西岸地区を訪れ、

軍事占領への非暴力抵抗行動に参加しました。




その動画が公開されています▼

https://youtu.be/tJaD_N-hkoI



▼以下の写真は全て上記動画より

VF Pメンバーの快諾を得て掲載

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軍事占領下、「テロを防ぐ」という名目で

建設された巨大な「分離壁」で

ズタズタに分断されてしまった

パレスチナの大地▼

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銃声がこだまし、催涙弾が飛来する

緊迫した状況での非暴力直接行動▼

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動画にも登場するVFPメンバーの

マイク・ヘインズさんも、

「いままでのVFPの活動の中でも

最も危険を伴う行動だった」と

語っていました。



米軍最強の特殊部隊の出身者ですら

そう実感するような現場。








それでも、

そこに暮らし続けている人たちがいる、

諦めない人たちが人たちがいるのだと、

伝え続けたいのです。





私がパレスチナを離れる時、

滞在中にお世話になった

エルサレム旧市街前の

宿のオーナーが

別れ際に贈ってくれたのは、


「いつの日か、平和になった

パレスチナで会おう」という

言葉だったからです。









▼よろしければ、パレスチナ現地レポは

こちらからご覧下さい


【関連カテゴリー】

パレスチナ自治区 現地レポなど




なお、このブログは、

「こんなに酷いイスラエル」というのを

確認して糾弾して終わり、というのが

本意ではありません。


パレスチナ問題ってなんなのか?

どこに解決の手掛かりがあるのか?

日本の私達が出来ることは何なのか?

について、及ばずながらも考え続け、

少しでも可能性を広げたいのです。


よろしければこちらも併せて

ご覧いただけると有難いです▼


「パレスチナ問題」って、ぶっちゃけ何なの?


「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。その1


「パレスチナ問題」手がかりを探す。その2


「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」


エルサレムでの「聖域封鎖」は、共存を脅かす。




【関連カテゴリー】

エルサレム・和平・国際監視

イスラエル 現地レポなど



※動画「Veterans For Palestine」のリンクを張り直しました(2017.12.11)




byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2017-12-07 22:33 | エルサレム・和平・国際監視