金網の「あちら側」と「こちら側」に入れられている私たち。高江・韓国・イスラエルから見えるもの。
■立場が変われば無感覚になってしまう◾️
前回記事「繰り返される心ない暴言と差別。モグラ叩きを終わらせる道は?」▼
http://syuklm.exblog.jp/26296555/
を読んだFacebook友達が、
韓国人のご友人の貴重な体験談を
教えてくれました。
***シェアココから*****
「これ(ブログ記事)を拝見し、
韓国人の友人が話してくれたことを
思い出しました。
独裁政権下の韓国では、
大学2年を終えると男子学生は入隊し、
二年間の兵役に就いたそうです。
その際に学生運動を迎え撃つ任務を
任されたそうです。
つい先日まであちら側にいたのに、
今では仲間だった人たちに罵声を浴び、
投石行為を受ける。
そのうちに威嚇で打つ催涙弾の
角度が小さくなるのだと。
つまり、何かが壊れると、
たとえ催涙弾であっても
銃弾を人の群れに向けて
撃ち込むようになっていくと。
恐ろしいことだと言っていました。
つい数ヶ月前には自分であったはずの
人たちに向かって
そういう行為が出来るようになってしまうと。」
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催涙弾を打つ角度が小さくなる…
というリアルさに震えました。
人は誰でも状況次第で無感覚になる。
状況次第で、全く感情が逆転する。
それは私自身がイスラエルで
痛感したことでもあります。
■つい昨日まで感じていた感情はどこへ?◾️
もう10年以上前ですが、
パレスチナ・イスラエルを訪問した時のことです。
パレスチナ自治区に数日滞在していた間、
パレスチナ人の街や生活が
イスラエル軍の戦車やブルドーザーで
滅茶苦茶に破壊されているのを
目の当たりにして、
耐えがたい憤りを感じていたのに。
数日後、イスラエルサイドに滞在した時、
繁華街のど真ん中で、
「テロへの恐怖」にビビって
立ちすくんでいました。
「今ここで、パレスチナ人の『自爆テロ』に
巻き込まれたらどうしよう」、と。
「あちら側」と「こちら側」で立場が変わると、
人間の感情が逆転するのは
なんと簡単なのかと愕然としました。
■入れ替え可能な、金網の「向こう側」◾️
だから、高江で座り込む人たちを
「土人が」と罵ったあの若い警官たちは、
全く他人事ではないと思うのです。
あの警官は、自分の知っている
誰かだった可能性もある。
自分だった可能性もある。
金網のあちら側とこちら側で、
入れ替え可能なフツーの人同士が
対立しぶつかりあう構図に入れられている。
差別発言は批判されて然るべきだし、
二度とそんな暴言を吐かせてはならないし、
もうこれ以上沖縄の人を傷つけたくない。
だからこそ、誰も
そういう構図に人を追いやってはいけないのです。
そういう現場を作らせてはいけない
のだと思います。
▼神奈川新聞 2016年10月23日付より
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東村高江に住み、抗議活動を長年続ける
石原理絵さん(52)は
「現場に権限のある人はおらず、
みんな嫌々警備や作業をしている。
憎悪のぶつかり合いでは解決できない。
問題の根本を考え、
政府は建設をやめてほしい」と訴えた。
#沖縄
#高江
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