オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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「パレスチナ問題」手掛かりを探す。その3「インティファーダの衝撃」





「パレスチナ問題」解きほぐす手がかりを探す・同じ歴史を、イスラエル・パレスチナ両サイドから見てみる。 その1・その2 の続きです。

http://syuklm.exblog.jp/24940760/

http://syuklm.exblog.jp/24946446/





「オスロ和平合意」へ向かうまでの両者の歴史を、

大掴みで見て行きます。






パレスチナの抵抗の歴史





1967年の第3次中東戦争で、

イスラエルと戦った周辺アラブ諸国

(エジプト・シリア・ヨルダン等)

6日間で敗走させられ、

完勝したイスラエルがパレスチナ全土を占領。


故郷を追われた70万人のパレスチナ難民が

「祖国」を取り戻す展望は見えなくなりました。





許可なくヨルダン川を渡ってパレスチナに帰ろうとした難民は、

すべて射殺されました。


非武装地帯では、ブルドーザーで村々が破壊され

埋め立てられていきました。


占領地では、水を汲んだだけで逮捕され、

果樹を摘んだだけで銃撃される日常が続いていました。





「自分たちパレスチナ人は、

追い散らされ、世界から見捨てられたまま、

ただ黙って殺されるのを

待つことしかできないのか?」





そういうパレスチナ人の声に対して、

「もはや誰もあてにできない。

自らが闘うしかないんだ」と

武力闘争でイスラエルに対抗したのが、PLOでした。




1968年、ゲリラ戦でイスラエル軍に勝利し

一矢報いたPLOのアラファト氏は、

当時は間違いなくパレスチナのみならず

アラブ世界のヒーローだったのです。




パレスチナゲリラによるミュンヘンオリンピックでの「テロ」や

数々のハイジャック事件によって、

その是非はともかく、

「忘却され殺されるだけだったパレスチナ」へ、

世界の耳目を集めさせることには成功しました。







そして、1973年の第四次中東戦争で、

エジプト・シリア連合軍の奇襲にイスラエルが敗北。



建国以来初めて大敗北と悲惨な潰走を経験したイスラエルでは、

「軍事力で安全保障を得るのというのは

間違っているのではないか?」という

疑問と厭戦気分が広がっていきます。





しかし、イスラエルを決定的に和平へ動かしたのは、

それだけではありませんでした。


最も大きなインパクトを与えたのは、

普通の人達の丸腰の抵抗でした。






戦車やミサイルや戦闘機、核兵器まで保持する

イスラエル正規軍に対して、

なんの武器も持たないパレスチナの人達が

やむにやまれず路傍の石を取り、

礫として投げて抗議の意思を示したのが、

「第1次インティファーダ(民衆の抵抗運動)」。





1987年、占領地のストリートから

自然発生的に湧き起ったこの非暴力の抵抗が、

その後の両者の歴史をクロスさせていくことになります。








■加害者としての姿をイスラエルに突きつけた、「石つぶての抵抗」





イスラエル軍の戦車に向かって、石を投げて抵抗する少年。

小学校の壁に子供たちが描いたインティファーダの絵。

20026月、ヨルダン川西岸地区・トゥルカレムのアッサラーム小学校にて、筆者撮影。

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1980年代、戦車に投石で抵抗する人々の姿を報道で見た時、

イスラエルの人達は言葉にならないほどの衝撃を受けたそうです。



それは、聖書に登場する「ダビデとゴリアテ」

そのままの図でした。




▼「ダビデと対峙するゴリアテ」 Wikipediaより拝借

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%86

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古代イスラエル王国に攻めてきたペリシテ人の最強戦士・

巨人ゴリアテに対して、ユダヤ人の勇敢な若者ダビデが、

投石器だけを手にたったひとりで立ち向かって

脳天直撃の一発で倒してイスラエルを救った、

という旧約聖書の有名なワンシーン。



「ジャイアント・キリング」という語の

由来となっているこのエピソードは、

圧倒的強者に対して弱者が立ち向かうという構図です。




いままで世界で迫害されてきた「被害者」であるユダヤ人は、

圧倒的な敵の攻撃から「弱者である自分たち」を

守らなくてはならないと思ってきたわけです。


それが、完全に真逆になっていた。




「自分たちはずっとダビデ(弱者)の側と思ってたら、

実はゴリアテ(強者)だったんじゃないのか?!」


ある意味、加害者である自分たちの姿を、

初めて鏡に映して見たのではないかと思います。





「自分たちは、こんなことを続けていっていいのか?」



イスラエルの普通の人達の感情がそういう方向に動いたことが、

和平への機運を大きく後押しし、

それが「オスロ合意」への伏流となっていきます。







冷戦終結後、

1991年南アフリカのアパルトヘイト廃止が宣言されるなど、

世界各地の紛争が終結していく流れの中、

1993年にパレスチナとイスラエルの間で

「オスロ合意」が成立。



パレスチナ代表のヤセル・アラファトPLO議長と、

イスラエルのイツハク・ラビン首相が

ビル・クリントン米大統領の前で握手を交わし、

武力衝突を停止し互いの存在を承認する

「2国間共存」が示されました。








折り合うことは不可能なのか?





ようやく長い紛争が終結するかと思われたのですが、

和平交渉はその後迷走します。



交渉を決定的にぶち壊したのが、

20024月、

イスラエル・シャロン首相による

ガザ地区・ヨルダン川西岸地区への軍事侵攻でした。




パレスチナ人の再びの抵抗が始まります。


これが、「第2次インティファーダ」。





そして、「和平派」PLO

イスラエル軍の侵攻や占領を

止められないことへの不満と怒りが、

新たな「武闘派」ハマスへの支持急増と

「自爆攻撃」という反撃を生み出しました。





和平への道は閉ざされたかに見えました。







その直後の20026月。


なんとか「暴力の応酬」を止める

方途がないのかを知りたくて

市民ツアーで現地を訪れた私は、

そんな中でも、衝突ではない方向を向いている声を聴きました。





パレスチナの人たちは、

「イスラエルを地上から無くせ」と

言っているわけではないのです。






私が現地で直接話を聞いた

ジェニン難民キャンプの住民は、

イスラエル軍の攻撃によって

殺された人たちの遺体が

埋まったままの瓦礫の前で、

語っていました。





「ユダヤ人を憎んでいる訳ではありません」、と。





「自分たちが暮らしていく権利を勝ち取るために抵抗していますが、

土地と権利が返ってくれば、問題はなくなります」と。






パレスチナの少なからぬ人たちが言っているのは、


「1948年(イスラエル建国)の以前に戻せと言ってるのではない。


国連決議が決めたイスラエルの領地の境界線までは譲歩する。


だけど、自分たちが住む土地と、生きていく権利まで譲ることはできない。


境界線からはみ出して占領し続けているのはやめるべきだ。


国際的にも認められていない軍事占領は終わりにすべきだ」、ということなのです。






「過激派」ハマスですら、現在は

「イスラエル殲滅」を主張していません。






ここまで来てしまったら、

もう時間を戻すことは出来ないのだから、

「ユダヤ人は残らず出て行け」なんて言わない。



ただ、どうやってこれ以上の犠牲を出さずに生きていけるのか、

どうやってお互いの生存を保障していくのか、

ということが具体的な問題なのです。






じゃあ、なぜ、その先の「和平」になかなか着地できないのか?


「オスロ合意」は、なぜ実現できずにここまで来てしまったのか?





和平を難しくしている要因を、ひとつひとつ

「因数分解」して見ていきたいと思います。








【参考】


高橋和夫さん著「アラブとイスラエル」講談社現代新書・1992年第1刷

高橋和夫さん著「なるほどそうだっだのか!! パレスチナとイスラエル」幻冬舎・2010年第1刷

広河隆一さん著「パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で フォト・ジャーナリストが見た三十年」草思社・1998年第1刷





【当ブログ内関連記事】


2014810日記事「宗教対立」というウソ

http://syuklm.exblog.jp/23129639/


20141012UP記事   ジェニン3・住民の証言

http://syuklm.exblog.jp/23547863/


20141231UP記事 「いつの日か、平和になったパレスチナで会おう」。

http://syuklm.exblog.jp/23948324/


パレスチナ問題って、ぶっちゃけ何なの?その1・その2▼

http://syuklm.exblog.jp/24726992/

http://syuklm.exblog.jp/24746703/

和平関係の記事はコチラのカテゴリにまとめました▼

エルサレム・和平・国際監視



※参考図書を加筆しました(2015.10.13)



byしゅくらむ


シュクラムは、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ココでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュックラム!



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by shuklm | 2015-10-09 21:00 | エルサレム・和平・国際監視 | Comments(0)