「邦人救出できない法は変えるべし」という主張が無視しているもの。アフガンでもイラクでも、「日本人だから攻撃されにくかった」理由。
▼今、読むべき(と個人的に思ってる)本。読み返している本。読もうと買った本。
現在、「邦人救出をどうするか」というのが国会でも議論され、
「邦人救出できるように自衛隊法見直しを」、
「いや、それじゃ甘い。邦人を救出できない憲法なんていらない。変えるべし」、という主張もあります。
「邦人の安全」ばかり強調されて、その向こう側の「現地の人たちの安全」がまったく顧みられなくなっていることに、非常に違和感を覚えるのですが。
そういうふうに考えていくと、自分たちの安全すらも確保できなんじゃないかと。
しかし、
「じゃあ邦人の安全はどう確保するのか?」
という問いについては、きちんと答えていく必要があると思うので、
今日はそこに限定して書いてみます。
じゃあ、リアルに「国際紛争」の現場では、どうだったのか?
本当に「自衛隊法見直し」や「憲法改正」によって、邦人の安全は確保されるのか?
実際には、イラクでもアフガンでも、まさに現場では、
「日本人であるからこそ、大々的に攻撃目標にされなかった」ということが指摘されています。
NGOだけではなくて、
イラクへ派遣された自衛隊も、アフガンで武装解除に当たった日本政府の代表も。
じゃあその時は、どうやって安全が担保されていたのか?
まずは、そういう現場を体験された方の言葉からシェアできることを、ひとつひとつ確認していきたいと思います。
実際にアフガンで、日本政府が派遣した全権代表として、
武装勢力(軍閥)と直接交渉して武装解除を実現した伊勢崎賢治さんが語る、
国際紛争解決の現場のリアル。
(『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』2014年発行より)
”軍閥やその配下の司令官たちは、我々が武装解除に向かった先々で、
例外なくこう言い、武装解除に従いました。
”「日本に言われちゃ、しょうがない」”
”アメリカもNATOも手を焼いて何もできずにいた軍閥間の戦闘に
非武装で入り込んで行き停戦させ、
スローではあるものの重火器の引き渡しを着実に実現してゆく私たちに対し、
いつしかアメリカ軍の関係者たちは「日本は美しく誤解されている」と言うようになったのです ”
”アフガンの軍閥は、冷戦時代から大国のエゴの真っ只中にいた連中です。
アメリカを基本的に信用していません。
しかし日本は、アメリカから独立しているものと思われていたのです。
それは誤解もいいところなのですが”
”また、武装解除が終わった後、ノルウェーにも、ドイツにも、
「あの武装解除は、地上部隊を出していない日本にしかできない役割だった。
アフガンに地上部隊を出していた我々にはできない仕事だった」と言われました。”
冷戦当時「世界最強」とされたソ連軍の侵攻を、
10年に渡る戦闘の末についに撤退させたアフガンの武装勢力。
その猛者達をして、「日本の言うことだったら聞かなくちゃな」と言わしめ、
あっさり「刀狩り」に応じさせた。
世界中のどの国もできないことが、なぜ可能だったのか?
その意外なルーツも書かれています。
”イラクでは、日本の自衛隊が(基地にロケット弾が着弾しながらも)
銃撃戦を一度も経験せずに任務を完了しました。
なぜこれが可能だったかと言えば、地元のイスラム指導者が、
「自衛隊を攻撃することは反イスラム」であるというおふれを出したからです。
日本は、イスラム圏において、それほどまでに良いイメージを持たれていたのです。
なぜか?
そのルーツの一つは、日露戦争にあるようです。
私もよくアフガンの軍閥に言われたものです。
「ジャパンはスゲーよな。俺らも勝ったけど」と。
”また、アメリカにヒドイ目に遭わされた経験があるイスラムの民は、
日本に「勇敢な被害者」という印象も持つようです。
日本は経済大国でありながら、彼らの痛みが分かる唯一の国だと、彼らは考えているようです。”
このくだりを読んで、
「え、日露戦争? イスラム圏で日本のイメージがいい理由って、ソレなんだ?!」
と、私も改めて認識したのですが。
日露戦争で日本が帝政ロシアに勝ったのは、1905年。
いまから110年前の話ですよ?
実に1世紀以上も前の事実が、日本のイスラム圏でのイメージを形作る大きな要因になっていたとは。
これって、そもそも日本であまり知られていないんじゃないか?
実際、日本がこうした対外イメージを戦略的に構築してきた訳ではないので、
もしかしたら日本人が一番自覚してないかもしれない。
「ウソから出たマコト」みたいな話なのですが、
でもその「美しい誤解」がいままでずっと通用してきたのは、
単純に「日本がロシアをやっつけた」ということだけではないでしょう。
日露戦争後、日本は軍事力を増強していったけれども、
中東に対しては直接戦争や植民地支配をしたことはない。
そしてそれだけではなく、まがりなりにも、
「戦後、一度も海外で戦争をせず、誰も殺さず、殺されなかった」という蓄積があった
からというのは間違いないでしょう。
イラクに派遣された自衛隊も、「日本はアメリカとか他の多国籍軍とは違う!」ことを強調することで安全を確保していたという事実もあります。
『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(2015年発行)では、
イラクのサマワに派遣された最初の隊長で、「髭の隊長」で有名な
元陸上自衛官の佐藤正久・現参議院議員から、伊勢崎さんが聞いた話が紹介されています。
兵士は普段、敵に察知されないように、樹が多いところでは緑っぽい迷彩服を着て、
乾燥した砂漠のようなところでは砂色の迷彩服を着る。
イラクでは、アメリカをはじめ多国籍軍は砂色の迷彩服を着ていた。
でも自衛隊は、逆に緑の迷彩服を着た。
そして日本の国旗をヘルメットや迷彩服に何か所も貼って、目立たせていた。
これは自衛隊の苦肉の策だったらしい。
「隠れたりしない。俺たちは平和を希求する日本から来たんだ」と、
そして地元社会に溶け込む努力をしたそうだ、と。
それが功を奏したかどうかはわからないけれど、
結果、誰も殺さず、誰も殺されず、与えられた任務を全うした、と。
つまり、軍事的な組織でありながら、軍事力を極力行使しないことで、
「普通の国の軍隊」ではない行動をすることによって自衛隊も安全を確保できたということです。
「憲法があるから」ではなく、現実に中東で「欧米の軍隊とは一線を画していた」から。
現地の人たちは、建前だけでなく、行動によってちゃんと見分けてくれているのです。
経緯はともかく、事実として、
世界中のどこの国もできないことを、日本は中東で実現してきたのです。
「日本が軍事的に強かったから」ではなく、
「軍事力を行使せず、あくまで非軍事で」やってきたから。
「武力行使はしない、軍事で解決はしない」という
いままで保ってきた「平和国家」という目に見えないシールドによって、日本人は守られてきた。
むしろ、「普通の国(物事を軍事で解決する国)」じゃないからこそ、
「切れ目なく」、邦人の安全が担保されてきたのではないでしょうか?
※「シュクラム」は、アラビア語で「ありがとう」。
筆者が知る数少ないアラビア語です。
ここでの出会いと、ここまで読んで下さったことに、感謝をこめて。
シュクラム!