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追記2【時事】フランス風刺週刊紙襲撃事件/パリ・デモの現場からの声 「私はシャルリじゃない」。



素晴らしい文章を見つけたので、ご紹介させて下さい。

シャルリエブド襲撃事件について様々なコラムや意見を目にしましたが、一番、胸を打たれました。






私はシャルリじゃない」 パリ・デモ参加の牧村朝子さん

 2015年1月16日(金)11時7分配信カナロコ by 神奈川新聞

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”デモに行くつもりはありませんでした。参加したのは義父母に誘われたから。フランスでは今、シャルリエブドの痛みを自分のものとして引き受ける合言葉「私はシャルリ」が広がっています。私はそれに共感できなかった。


一つには、シャルリエブドの風刺画を面白いと思えなかったから。「こんなに過激なこと描いている俺って自由だぜ」と息巻いているようにしか見えなかった。




もう一つは、みんながそろって同じスローガンを掲げれば、それに共感できない人やイスラム教徒の人が怖い思いをすると思った。「『私はシャルリ』と口にできない自分はおかしいのでは」と思わせてしまうことにもなる。




たくさんの「火種」がある街に出るのは怖かった。でも、イスラム教徒のためでも、フランスのためでもなく、暴力で人を黙らせる行為は許せなかった。「怖い」という理由で家にいるのは暴力に屈することだとも思った。怖い場所にあえて出て行くことに意味があり、「私はシャルリ」というプラカードを持たないことが意思表示だと思いました。”





”事件をめぐっては「表現の自由」か「宗教への冒涜でありヘイトスピーチ(差別扇動憎悪表現)である」という議論になっているけれど、その前に「平等って何だろう」ということを考えた方がいい。


みんながみんな「表現の自由」を叫べるほど平等な世の中ではないからです。「たかが女の言うこと」「どうせイスラム教徒の言うことだ」と耳を傾けてもらえない人がいます。表現の自由を振りかざせる人と振りかざせない人がいる。日本でもフランスでも、世界中のどこでも。”





”行進に向かう途中の駅で目に留まったのは、人混みの中を歩く20代前半くらいの女性でした。

手にしたプラカードを気に掛けながら一人で階段を上っていました。プラカードは壁側に向けられていましたが、やがて人目につくように持ち替えました。



「私はムスリム」


そう書かれていました。




怖かったと思います。実際、女性は周りを気にしてきょろきょろしていた。事件後はモスクが相次いで襲撃されている現状がある。私だって「私はシャルリ」を掲げないだけで怖さを感じた。



でも、だからこそ彼女は行進に向かったのでしょう。「テロに抗議する非移民」「モスク襲撃に反対するイスラム教徒」の対立という単純極まりない見方ではなく、「テロに反対する」という一点で人は非ムスリムもムスリムもなく共存できると示すために、です。”





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全文、ネットで読めます↓

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/kanaloco-20150116-121308/1.htm






周囲と同じでないことを表明することに「怖さ」を感じながら、

実際に現場に立って書いていることだから、物凄い説得力がありました。



私は昨日の朝、いつものようにトイレで神奈川新聞を広げて、

この記事を読んでそのままその場で泣きました。


これまでこの人自身が、いわゆる「セクシャルマイノリティー」という立場から、

圧倒的多数の人に耳を傾けてもらえない状況の中で、

相手に理解を強要するのではなく、

ひとつひとつ言葉を選んで、自分の身をもって通じ合う言葉を紡いできた人だからこそ、このような文章が書けるだろうとも感じました。






こういう人の存在を知ることが出来ただけでも、感謝したいです。






牧村さん自身についての記事も感銘を受けたので、貼らせて下さい ↓


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by shuklm | 2015-01-17 02:55 | 時事・ニュース | Comments(0)