オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。

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追記・【時事】フランス週刊紙襲撃事件 「暴力vs表現の自由」の問題なのか?

[写真特集]フランスで370万人が「反テロ」デモ…50カ国の首脳らも参加

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150112-00010000-yjnews-int.view-000



「衝突より融和」を目指す動きが大きく可視化されたことに、まずは安堵しました。



ただ、「私たちはシャルリーだ」という連呼が、イスラム文化圏の人たちを排除してしまうのではないかと危惧していたのですが、

その同じデモに、イスラム教をはじめとして他宗教・異文化の人たちが多く参加していたとのことで、ひとまずはほっとしました。



また、「私たちはシャルリーだ」だけでなく、「私たちはアフメッドだ」というツイートが広がっているとのことで、ぜひ広めたいと思って追記します。


ハフティンポスト 【パリ銃撃】殺害された警察官はイスラム教徒だった↓

http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/09/ahmed-merabet_n_6441186.html


”アフメッド・メラベは人々を守った。彼こそが現代のイスラム教徒の本当の姿だ。殺人者たちは違う。#JeSuisAhmed”






一方で、この事件を機に、

排除を声高に叫ぶ極右(オランダの極右政治家ヘールト・ウィルダース)や、

事実をねじ曲げて敵を排除しようとする首脳(イスラエルのネタニヤフ首相)もいます。





排除と衝突を煽る声には乗らない、というメッセージを発信していく必要があるでしょう。







大切な視点を提供して下さっているブログを、以下に一部転記させていただきました。

ぜひ全文もお読みいただければと思います。





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小林恭子の英国メディア・ウオッチ

仏週刊紙襲撃事件 -欧州の価値観の普遍性を問う



”今回の事件を受けて、オランダの極右政治家ヘールト・ウィルダース氏は「欧州の文化的価値を共有しない人は欧州から出て行くべきだ」と、英国のテレビで語った(8日)。「欧州で生まれ育った人はどうするのか?」と司会者に聞かれ、「それでも出て行って欲しい」―。この言葉をどう解釈すればいいのか。


宗教改革を経験した欧州社会にとって、絶対的な権威の象徴だった教会組織をも批判できる自由は妥協できない価値観だ。

しかし、「すべてが風刺の対象になるべき」という主張を多様な宗教、人種で構成されるようになった欧州市民に強いる部分はないだろうか。

「もっと節度のある表現もあってしかるべきではなかったか」という論調を欧州の複数のメディアの一部で目にするようになったのは変化の兆しに見える”


”仏テレビ局「フランス24」の討論番組(7日)で、イスラム教徒の地方議員マジド・メサウデネ氏は「シャルリ・エブドは風刺の度合いが許容範囲を超えていると思う」と指摘する一方で、「そんな風刺を世の中に出す権利は認める。同時に、『許容範囲を超える風刺だ』という自分の意見も社会に存在する権利があると思う」と述べた。


メサウデネ氏も、ウィルダース氏も同じ欧州市民だ。異なる見解を持つ欧州市民同士が同等の立場で互いに譲り合い、歩み寄ってこそ、未来が開けるのではないかと思う。”


貼り付け元 <http://ukmedia.exblog.jp/23327515>





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土井敏邦WEBコラム 日々の雑感 325:

「表現の自由」に名を借りた“暴力”(フランス「シャルリー・エブド」襲撃事件)

”言うまでもなく、襲撃犯たちの残忍な殺害は、許せないし糾弾されなければならない。それは大前提だ。

その上で、私には、どうしても消せない疑問が残るのだ。

そして世界中に「言論の自由を守れ!」の声が大きくなるにつれ、私の疑問は次第に増幅していく。



それはあの「シャルリー・エブド」の「表現」は、ほんとうに「守れ!」と叫ぶべき「言論」だったのかという疑問である。”




”今回の事件もまた、世界に、イスラム教とそのイスラム教徒たちへの差別意識や恐怖心、憎悪の感情を増幅させるだろうし、その「イスラモフォビア」を世界に広げるために利用しようとする個人や組織を活気づかせるだろう。

実際、事件直後からフランス内外でイスラム教徒やモスクへの襲撃が頻発している。

また政治指導者たちの中には、己の政策推進のために、欧米社会で起こったこの事件(アフリカやパキスタンでの事件より、欧米で起こったこの事件は比較にならないほどその衝撃度が大きい)を利用する者も出てくることは間違いない。”



”国際社会でハマスを「危険なイスラム過激派」と同一視させる手法はイスラエルの政治指導者たちの常套手段だ。

実際、ネタニヤフ氏は昨年9月、国連総会でこう発言している。

「ISIS(イスラム国)とハマスは同じ狂信者たちだ。ハマスはISIS(イスラム国)。ISIS(イスラム国)はハマス。

(ハマスを擁護する)国連人権理事会はテロリスト理事会となった」

氏は、ハマスがISISと違い、住民の抵抗運動の中から生まれ、住民の強い支持があり、民主的な選挙で選ばれた組織であることは無視する。

また2009年8月にアルカイダ系の組織「神の兵士」がラファで「イスラム国」を宣言したとき、ハマスがこれを武装制圧し、自分たちとアルカイダ系の組織とは全く異質であることを内外に示したことも見ようとはしない。

皮肉なことに、もしハマスの存在がなければ、ガザ地区はシリアやイラクのようにアルカイダ系の過激なイスラム組織が群雄割拠しかねず、イスラエルにとってさらに危険な状態になり、ハマスがそういう状況を食い止める“重し”になっている。その現実も見ないふりをするのだ。”



”このように突出した一部の「イスラム過激派」を他のイスラム組織や一般のイスラム教徒全体と同一視させるやり方で、「イスラモフォビア」が世界に喧伝され増幅されていく。

それは今回のような事件を目の当たりにした私たち日本人の中にも無意識に浸透していきつつある。

大半のメディア報道の中にそれは象徴的に表れている。

しかも「表現の自由を守る」という大義名分があれば、それは正当化され、私たちは後ろめたさも罪の意識も感じずにすむ。

しかし十数億人のイスラム教徒にとっては、それは紛れもなく、自分たちの尊厳と存在を脅かす“暴力”なのである。”



貼り付け元 <http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20150109.html>





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本当に「私はシャルリ」でいいの? 西洋とイスラムの「対立」をあおることにならないか

木村正人 | 在英国際ジャーナリスト




”「表現の自由」を攻撃することは許されない。ましてやテロは絶対に許してはならない。

しかし、シャルリエブド紙の風刺画には、イスラムに対する理解を深めるより、誤解と偏見を広げる効果もあったことは否定できない。


イスラム系移民はTVで「私たちはムハンマドを親よりも大切にしなさいと言われて育ってきた。

それを侮辱されたときの気持ちも理解してほしい」と悲しそうな表情を浮かべた。


ムハンマドの風刺画はどうしても西洋とイスラムの間に分断線を引いてしまう。

「私はシャルリ」というスローガンにイスラム系移民が果たして、ためらいも覚えずに共感できるのだろうか。


例えば、黒人がバナナをくわえて木から落ちる風刺画は許されない。

ユダヤ人がカネを数える風刺画は許されない。

偏見が黒人差別やユダヤ人迫害を助長した歴史があるからだ。風刺画による「表現の自由」にも自ずと限度がある。”


”今大切なのは、国内向けに対テロ戦争やテロ対策の強化を華々しくぶち上げるよりも、西洋がイスラムへの理解を深め、西洋とイスラムが違いを乗り越えて寄り添えるメッセージを政治指導者が積極的に発信することだと思う。


貼り付け元 <http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20150111-00042143/>





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byしゅくらむ





by shuklm | 2015-01-13 22:05 | 時事・ニュース | Comments(0)